011.セレスティア・ヴァレンタイン
後世、この時代は多くの天才達が現れた特筆すべき時代であったと評された。レイディアント・シリウス、アレクシス・アークライト。二人は戦いにおける天才だと言えるのだろう。だが、二人は戦いのみに特化している。特に顕著な例では、レイディアントがそうである。
レイディアントは、良い意味でも悪い意味でも、貴族らしい貴族であった。内政は、信頼できる部下に任せ、自身は好きなことをやる。貴族主義において大事なことは、誰が内政を行うかは貴族自身が決められるのである。貴族本人が内政を行っても良い。貴族に任された知人が内政を行っても良い。当然、王国政府からの監査はあり、貴族自身が阿呆であれば、王国政府の命令で、内政を別の者に委ねることもある。だが、領地を治めるために英才教育を受けてきており、余程の阿呆でなければ、適切または無難な判断はできるのが当代の貴族であった。貴族にとって大事なことは、誰に任せれば領地が上手くいくかを見極める目である。
レイディアントは、部下に内政を委ね、趣味の軍事関係に力を入れていた。祖父であるマイナンも同じであり、まさに貴族らしい貴族であった。
そんなレイディアントにとって、なくてはならない存在がいた。その存在こそ、公爵令嬢のセレスティア・ヴァレンタインである。レイディアントが軍政なら、セレスティアは内政に特化していた。外はレイディアント、内はセレスティアという双極の二人であった。
王国四大公爵家の一つ、ヴァレンタイン公爵家の令嬢。王太子の婚約者として幼少期から王妃教育を受け、学園では常に首席に近い成績を収め、礼法、政治、魔導理論のすべてにおいて優秀とされた女性である。光が輝くプラチナの髪と、静かな紫の瞳を持つ彼女は、公爵令嬢らしく気品さを纏い、王太子の隣に立つべき存在として周囲から見られていた。
そんなセレスティアがレイディアントの前に現れることになるのは、まさに一人の阿呆が引き起こした不運が原因であった。いや、もしかしたら幸運であったのかもしれない。
セレスティアがいたのは、王国首都星ルミナリアである。王宮の尖塔は太陽の光を受けて白く輝き、軌道上には貴族専用の迎賓港が浮かび、地上には王国数百年の歴史を誇る宮殿群が広がっている。
王都首都星は戦火から最も遠い場所に存在している。だが、戦火から遠いということは、争いが存在しないと同義ではない。砲声の代わりに囁きが飛び、魔導剣の代わりに家名が振るわれ、血の代わりに名誉が流される。それが王都の貴族社会であった。
そんな貴族社会の中で、セレスティア・ヴァレンタインは、王妃になるべく幼少から努力し続けていた。王太子は、早々に見切りをつけられ、聡明であったセレスティアは、ひたすら国政とは何かを学び続け、実践のために各地を飛び回っていたのである。あまりの多忙ぶりに、常人なら耐えられない生活をセレスティアは耐えた。すべては、王国のためである。セレスティアは、貴族として王国のために文字通り身を粉にして動き続けたのである。王太子が愚鈍であったため、未来の王妃たるセレスティアが仕事を引き受け、王国を回していた。
そんなセレスティアは、王立貴族学園の生徒であった。学園には、ほぼ出席することはできず、試験だけは常に上位である。それだけでもセレスティアの非凡さは分かる。学園の教師もセレスティアの多忙さを知っているため、便宜を図っていた。教師からすれば、婚約者である王太子への評価は低く、何度もセレスティアを支えられるよう王太子に苦言を呈したのだが、王太子は変わらない。そのため、教師もセレスティアに期待していたのである。王国を託すに相応しいセレスティアに協力するのは当然であった。
そんなセレスティア・ヴァレンタインが、いよいよ学園を卒業する。セレスティアからすれば、学園の思い入れなどない。そのため、卒業式も欠席するつもりだった。だが、珍しく王太子からセレスティアに卒業式と卒業式後に開催される謝恩会に参加するよう手紙が届いたのである。セレスティアは、王太子の婚約者であるため、断りの返事を入れたくても躊躇する。周囲も、セレスティアの卒業式に合わせ、仕事を調整していたこともあり、セレスティアは嫌々ながらも参加することにした。本当であれば、アルゴス研究都市の資料をもっとゆっくりと見たかったのであるが、周囲の文官が気を利かせ、卒業式後に渡すことになったのである。
卒業式は普通であった。
王太子が挨拶し、学園長が挨拶する。当たり障りのない式であるものの、及第点の式であった。だが、セレスティアは違和感を感じる。今すぐにでも、ここを去るべきだと心が警告してくるのである。セレスティアは、その直感に従うために、謝恩会を欠席を決意する。素早く、王太子に体調不良による欠席の手紙を書き、脱出しようとした。
「セレスティア、失礼するよ。」
セレスティアがいる部屋に兄であるベルン・ヴァレンタインが入ってきた。ベルンは、セレスティアの姿を見てため息をつく。
「やれやれ、勘が良いのは得難い能力だな。だが、少し遅かったようだ。セレスティア、謝恩会に出なさい。これは、父からの厳命である。」
「ベルンお兄様は、何が起こるのかをご存知なのですか?」
「もちろん。あの王太子のやることなど、お見通しさ。公爵家としていえば、チャンスだと感じていてね。セレスティアに茶番に付き合って欲しいのだよ。」
セレスティアは、学園の情報収集を怠っていたことに後悔した。何かが起こるが、セレスティアの命は脅かされないことは理解した。セレスティアは、思考する。すると、自然と答えは導き出された。
「婚約破棄ですか…。仕事の引継ぎをしなければなりませんね。」
「聡い子だ。こんなことを言っては失礼なのは重々承知の上ではあるが、君がヴァレンタイン公爵を継ぐべきだと本気で思っているよ。」
「御冗談を。ベルンお兄様以上に相応しい者などおりませんよ。」
セレスティアは、何が起きるかを覚悟した。
謝恩会は、王立貴族学園の大講堂で開かれる。王立貴族学園は、かつて、レイディアントも軍学校へ進む前に通った貴族の子弟たちが集う名門校である。大講堂には、磨き抜かれた白大理石の床、天井から吊るされた魔晶灯、壁に飾られた歴代国王の肖像画、華やかな楽団の音色、貴族社会の未来を担う若者たちに相応しく華やかに彩られている。子供達は、微笑みと礼節を纏いながら、それぞれの家の思惑を背負って過ごしていた。
王立貴族学園の歴史は長い。
その長い歴史の中で、多くの問題児がいた。除名処分を受け、貴族から除籍された者もいた。多くの問題児の中で、特大の問題児こそ、当代の王太子であるルシオンである。
王国は、混迷の時代だった。
本来は王国の運営は、王太子でもなく、国王がすべきである。だが、その国王は、長年、意識不明の重体にある。つまり、王国において、王太子ルシオンこそが、事実上の国家最高権力者であった。
正式な王位継承こそ行われていない。しかし、貴族の多くは既に王太子ルシオンに膝を折っている。権力とは、人間の器を正確に測ることのできる定規なのかもしれない。年々、王太子の元から優秀な人材は消えていき、変わりに王太子の権力にすがる愚臣が増えていった。王太子の意見が通りやすくなり、権力を乱用して、我儘放題だったのである。
王太子ルシオンは、目立ちたがり屋である。謝恩会でも、講堂中央へ進み出た時、多くの者が偉そうな演説をして目立ちたいのだろうと思った。だが、王太子ルシオンは、演説ではなく、セレスティアを糾弾した。
「セレスティア。貴様の悪行も今日までだ。今を持って、この私との婚約を破棄し、全ての権限を失効する。さらにヴァレンタイン公爵家に対して、迷惑料として、1兆オウンを要求する。」
音楽が止まると同時に、空気が固まった。
セレスティアが何も言い返さないことを良いことに、王太子ルシオンは言葉を続ける。
「貴様は嫉妬に狂い、無辜の民へ陰湿な嫌がらせを繰り返した。貴様に、王太子妃となる資格などない!」
一人の少女が震えるように王太子の背後にいる。貴族学院ではあるものの、貴族の世話をするためにも平民も僅かながら在籍している。その平民のうちの一人であるアントワネット。近頃、王太子が寵愛していると噂されていた少女である。涙を浮かべ、庇護欲を誘う仕草を見せる彼女に、何人かの若い貴族子弟が同情の視線を向けた。王太子ルシオンは、アントワネットが抱きついた胸の感触に気をよくし、鼻の下を伸ばしている。
セレスティアは、王太子ルシオンの前に立ち、表情も変えずに冷静に話した。
「殿下。全く身に覚えのないため、ヴァレンタイン公爵家として強く抗議させていただきます。」
「貴様は、公爵家の名前を出せば何とかのるとでも思っているのか?こちらには、証人がいるんだぞ!」
「それでは、承認の方をお呼び下さい。全く身に覚えのない罪のため、論破させていただきます。さらに、公爵家に迷惑料1兆オウンでしたか?常識外れの金額すぎるため、もう一度、法務を勉強なさった方がよろしいかと。」
「う、うるさい!私が納得したのだから、それで良いのだ。それに、被害者であるアントワネット自身が言っているのだ。間違いあるはずがない!」
貴族たちの間に、小さなざわめきが広がった。
それは証拠ではない。少なくとも法廷では通用しない。だが、ここは法廷ではない。王太子が断罪の場として選んだ卒業パーティである。真実や証拠よりも、権力が物を言う。セレスティアは、王太子を見つめた。
「殿下は、最初から私の言葉を聞くおつもりがないのですね。」
「悪女の弁明に耳を貸す必要などない。」
悪女という言葉が、空気をさらに冷やした。誰もが、セレスティアが王太子によって悪役令嬢の仮面を被せられたのだと理解している。一般の記者もおり、セレスティアは悪女として名を広がってしまうのは確定的だった。王太子が、悪女と呼んでいるのだ。一般の記者は、真実など分からないが、その言葉で記事を書く。もはや、実際に罪があるかどうかではない。王太子の婚約者であった公爵令嬢が、王太子自らに悪女と断じられ、その事実だけが貴族社会や一般市民に情報として駆け巡ることになる。
ルシオン王太子は、勝利を確信した顔で続けた。そして、意地の悪い笑みを浮かべている。
「ただし、私は慈悲深い。貴様を修道院へ送ることはしない。」
「では、無実の罪である私を、どのように処分するおつもりですか?」
「貴様には、シリウス男爵家当主のに嫁いでもらおう。老人らしいぞ。貴様に相応しい相手で嬉しかろう!」
シリウス男爵は、王国辺境に領地を持つ古い男爵家として有名だった。
政治的影響力も強くないが、軍に縁深く、代々王国軍へ人材を送り出してきた家として知られている。そして、王太子ルシオンの認識では、その当主は老齢のマイナン・シリウスであった。
実際には違う。
シリウス男爵家の現当主は、孫であるレイディアント・シリウスである。だが王太子は、その事実をまともに把握していなかった。あるいは、把握する必要がないと考えていた。男爵家など、王太子にとっては政略の駒に過ぎなかったからである。
「貴様のような高慢な令嬢には、王都から離れた辺境で身の程を学ぶのが相応しい。残りの人生を、後悔しながら暮らすがよい。」
何人かが疑問に思う。
レイディアント・シリウスは貴族学園の卒業生であり有名人である。シリウス男爵家の当主は、レイディアントであり、性格も良く、勤勉な青年で有名であった。そのため、王太子ルシオンは誰かと勘違いしているのを理解したが、誰も口に出さない。セレスティアもレイディアントを知らないため、相手が老人であると勘違いした。王太子ルシオンとセレスティアとアントワネットの当人達だけが、セレスティアが嫁ぐ予定のシリウス男爵が老人であるという勘違いをしているのだが、全員は口をつぐむ。指摘をすれば、王太子が癇癪を起こす可能性もあるため、傍観するのが一番であった。
少なくとも、王太子はヴァレンタイン公爵家を侮辱にも等しい行為を行い、公爵令嬢であるセレスティアには貴族としての処刑に等しい処分をしようとしたのである。内乱が起きても仕方ないレベルの出来事だった。だが、誰もその場で王太子を止められない。誰もが、国王さえ意識不明でなければ、王太子が暴挙に出ないのにと嘆くしかない。
セレスティアは、しばらく沈黙した。
紫の瞳がわずかに揺れているが、涙は見せなかった。泣けば、王太子の勝利となる。取り乱せば、悪女の醜態として語られる。セレスティアは、公爵令嬢として、最後の矜持だけで立っていた。
「承知いたしました。」
静かな声だった。王太子は満足げに頷いた。
「よい心がけだ。せいぜい、老人の相手でもして、慰み者になるがよい。あーはっはっはっは。」
王太子ルシオンの言葉を聞いた瞬間、セレスティアの中で何かが静かに壊れ始めた。長年尽くしてきた相手である。王太子のために、王妃教育にも耐えた。王太子のために王太子の失言を庇い、王太子のために王太子の政務の不足を補ってきた。その結果が、まさかの冤罪による断罪劇である。冤罪、侮辱、そして、見せしめの婚姻命令。セレスティアの心が壊れるのは当然だった。
セレスティアは悟った。
人は権力を持つと、増長し、尊大になり、神になったような気分となる。愚かしい王太子は、そのことに気づけないどころか指摘を受けることすらないのだろう。王太子の行く末は、悲惨なことになるのだろうが、セレスティアは何も考えたくなかった。セレスティアは、生まれてから、王妃になるために努力していた時間が無意味となったのである。
去り際に、アントワネットの顔を見ると、醜悪な笑みを浮かべていた。セレスティアは、アントワネットにも同情する。王太子同様、アントワネットの最後も悲惨なことになるだろうと予感したのだ。セレスティアだけでなく、多くの貴族が同じ感情を抱き、多くの貴族が王太子から離れることを決意させたのだった。
(もう疲れた…。)
セレスティアは、自室で塞ぎ込み、心を休める。長いこと、セレスティアは自身の感情を押し殺してきたのである。休む時間がセレスティアには必要だった。そのため、ベルンの説明も頭に入ってこなかったのである。




