1 男、長尾椰子
ここは坂の町、尾道。広く雄大な瀬戸内海の海と全く同じ潮が、ここ尾道水道にも流れている。造船所が立ち並ぶ街にしては、随分と窮屈な海がそこには存在した。模られたような手狭な空間を分かつ船が波を誘い、常に波同士がぶつかり合う海がキラキラと陽の光を照り返している。
最近改装されたばかりの真新しい尾道駅を降りると、すぐ目の前にフェリー乗り場が見えてくる。そこからフェリーで五分も立たぬ距離に、向島という孤島が存在する。わずか百円玉でこの海を割って通ることの出来る白い船に、今日もまた多くの学生が乗っていた。
さてその手狭な海を、毎日眺める男がいた。彼の名は長尾椰子。可笑しな名前だと思われたことであろう。それもそのはず、本名ではない。彼の本業は小説家。所謂ペンネームというやつである。
椰子は毎日のように低い堤防に上り、波打つ海を眺めていた。引き潮の日には雁木に降り立ち、フェリーが生み出すしぶきを間近に見ている。雁木とは干満差に対応するために作られた、階段状の船着場のことである。尾道には優れた石工が多かったため、長大で優美な石積み雁木が構築され、港を象徴する風景を形作ってきたのだ。しかしこれら石積み雁木の大半は主に戦後に破壊され、まともなものは駅前と、そこから少し歩いた新浜という土地に残るほどとなっている。建設年代は未調査だが、おそらく明治~大正期であろう。
そんな雁木に立つ男を見れば、まさかと口を覆いたくなる気持ちもわかる。まるで大正時代からタイムスリップでもしてきたのかと思う程の風貌なのだ。当時の男性がよく愛用した襟付きシャツに和装の羽織。足には二本下駄を履き、頭には幅の狭いカンカン帽をかぶっている。はて、今日は仮装大会でもあったであろうか。
街ゆく人は男を見ると二度ほど振り返り、そのまま何も見なかった素振りをして立ち去っていく。石像のように身動き一つなく、あまりにも堂々としているその背中に話しかける勇気ある者は、一人としていなかった。
彼の生まれは東京都、世田谷区。都会の真ん中で育った彼は、その身を隠すが如くこの地へとやって来た。小説家としてのインスピレーションを磨くためだと言ってはいるが、実際のところは編集者から逃げ回っている日々である。しかしながら鈍行列車しか止まらぬ尾道駅に、性懲りもなく彼を追いかけてくる編集者がいるのも驚きだ。ここまで自分の作品に愛を注いでもらって感謝しなければならないところ、どうぞお手柔らかにというのが彼の本音である。
新人の時に大きな賞を得てから毎月の如く新作を書き続けていた彼は、十年経った頃に突如神隠しにあったかのように東京都から姿を消した。丁度当時の編集者が若い女性に変更になったことを機に、ばっくれてもいいと思ったのかもしれない。心底失礼な男である。
しかしこの編集者、なんともしつこい女であった。こんな辺鄙な小京都にも、甲斐甲斐しく男を訪ねて毎月のようにやって来るのだ。そんな彼女から身を隠すがため、用もないがこうして街中をほっつき歩いているという訳である。
というと、彼は口を酸っぱくしてこう訂正する。
「作品のためにイメージを作っているのだ!」と。
長尾椰子。彼は今日も、尾道の町を徘徊している。
雁木についての説明文引用:
【広島の建築・都市を紹介するサイト(一部近県もあり) arch-hiroshima】




