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32.弔い・束の間の休息

 気づけば山霧があたりを覆い始めていた。

 冷たい湿気が肌の内側へと滲み始める。


 ヒュールはコランの亡骸の傍らに膝をついていた。下を向いたまま、何も言わない。

 曲がりなりにも、今回隊商の中心を担っていたのはコランだった。

 その彼はもういない。

「落とせ」

 皆、一斉に声の主を見た。

 イェルドだった。

 少女は、彼が何を言っているのかわからない。

「連れては行けない。死体を谷に落とせ」

 荷物がまた一つ増えれば、それはいよいよ隊商全体の存亡に関わる。

「――わかってますよ」

 ヒュールの声は、抑え込まれて喉の奥につかえた。

 血の気の引いたコランの頬の上に、ひとつ、またひとつと涙が落ちる。

 ヒュールは鼻をすすって、嗚咽混じりに何か唱え始めた。


――血肉は土へ、魂は風へ

――土は樹へ、風は頂へと至りて、汝、再び我らのもとへと還らん

――罪を洗う裁きの火に焼かれるまで


 少女は、その光景をただ見つめていた。

 コランの亡骸に跪くヒュールの姿は、どこか奇妙でしかし美しい。

 彼の言葉はわかるのに、その意味はわからない。

 魂とは?

 再び還るとは?

 罪?

 コランは何か悪いことをしたのか?

 確かにしたかもしれない。しかし、焼かれるほどのことなのだろうか。

 皆、生きるためには悪いことを――――悪いことを。

 許されぬことをも。


 少女は気分が悪くなり、目を背ける。

 やがて、ヒュールは彼の鎧を外し、剣だけを彼の腰に差す。

 そして、コランの体を抱き上げ、絶壁の崖へと近づくと、ゆっくりと彼を離した。彼は戦友の姿を目で追わない。

 ヒュールは少女を振り返って言う。

「君も祈ってくれないか。彼が迷わず神の御下にたどりつけるように」

 少女はイェルドのもとを離れ、ヒュールの隣へ行った。

 崖の下は霧で見えない。彼が地面に衝突する音も聞こえなかった。

 少女は一緒に、崖に向かって祈った。

 願わくば、これ以上痛い思いをしなくて済むように、と。

 それにどんな意味があるのかは、よく分からない。けれどもそうしたかったし、そうするべきだと思った。


 


 幸いなことに、それから次の街に着くまでは、さらなる災難に見舞われることはなかった。

 コランを失ったことで隊商の空気は重苦しく、ヒュールは形見となった戦友の傭兵証を胸に、黙々と先頭を歩き続けた。


 吹きすさぶ寒風に霧がだんだんと晴れ、盆地の中に大きな街が現れた時、面々からようやく安堵の息が漏れた。

 アンブレ・ルーエ――分厚い石の城壁に囲まれた交易都市だ。

 いくつもの交易路が交わる要衝。ロワルスを西廻りでユヌス大陸の南部と北部を結ぶ交易路は必ずここを通る。大陸東方からの交易路や、大陸西岸の港湾都市へ向かう交易路もここから始まると言って良い。

 北には巨大な壁のような赤幕山脈、南にはロワルス山地中心の最も急峻な山々をいただき、昼は南交易路からの温かい風が、夜は赤幕山脈から極寒の(おろし)が吹きすさぶ。


 隊商は坂を下り、重い城門をくぐってアンブレ・ルーエの商会所へとたどり着く。

 そこで無事に護衛の代金が支払われ、傷心のヒュールや商人たちとはそこで別れることとなった。


 残されたイェルド、少女、そしてハンカーの三人は、冷えた体を温めるために、中央通りに面した一軒の旅籠へと足を向けた。

 通りには、干物や乾燥肉がずらりと並ぶが、皆早くから店じまいを始めているようだ。ここでは普通なのかもしれない。

 外の寒風を防ぐための前室を抜けてふたつ目の扉をくぐると、アンブレ・ルーエを象徴する独特の匂いが鼻腔をくすぐる。

 この街の夜の寒さを凌ぐためのタイガの薪の香りと、南方の交易路からもたらされた刺激的な香辛料の匂い。それらが混ざり合った暖かな熱気の中で、三人はいっときの休息を得たのだった。




「僕はこのあと、前の……風の神殿に戻って色々と調べようと思うよ」

「非効率だな。神殿に残ればよかったものを」

「いや、この街でちょっと文献をあたったり、人に話を聞きたいもんでね。これも立派な野外調査の一環なのさ。それに……あの神殿がどうも気がかりなんだよ。あの、僕らが無理やり道をこじ開けたところ…………」

「確かにあの時の音の変化は奇妙に思えた」

 ハンカーは、いつもポケットにしまって紐で上着にくくりつけてある手帳を睨みながら考え込んでいる。

 少女は、二人の会話の邪魔にならないように料理を食べていた。豚肉の腸詰めといんげん豆を煮て香辛料と塩で味付けした煮物料理だ。汁は赤く濁っているが辛くはなく、野趣に富んでいる。

「気をつけろ。あの神殿、まだ竜の加護は残っているようだが、魔物が出ないとも限らない。それに、さっきのような盗賊は防ぎようがない」

「加護を感じるのかい?」

「なんとなくだがな」

 ハンカーは顎に手を当てて考える。少女も、視線を料理に置いたまま二人の会話に聞き耳を立てていた。

「巨人族の力なのかな? 興味深いね」

 言いつつ、ハンカーは手元の紙になにか書き留める。どうやら気になったことはなんでも書き留める癖らしい。

 本当の巨人族はリドくらいの巨体だ。すなわちイェルドよりひと回りもふた回りも大きい。だが、半巨人族で半人族というのも居なくはない。

 さあな、とつぶやき、イェルドはまるで水を飲むように麦酒を傾けた。

「ともあれ気をつけろ。戦おうとせず、逃げるか隠れるかするんだな」

「もちろん。僕には戦うなんて無理だからね。一応魔物よけの首飾りもつけてるんだ。これ高かったんだよなあ。さっきは全然役に立たなかったけど」

「そうか。見ても?」

 ハンカーはチュニックの首元から飾り気の無い瑠璃の首飾りを取り出して見せた。加工した真鍮に宝石を埋め込み、それを編み紐に結びつけただけの簡素なものだ。

 イェルドは顔に近付けてそれを見た。

 真鍮金具の部分には古ユヌス語で”バロールよ悪を退け給え”とある。

「なるほど、確かに魔除けの効果はあるようだな」

 ハンカーは目を丸くした。

「魔具を見る目もあるのかい! つくづく只者じゃないね、君は」

「僅かに感じるだけだ」

 ハンカーは首飾りをしまいつつ楽しそうに笑った。

「このあとはノクサルナに向かうんだろ? いいねー。僕も少し回り道をしてから向かうつもりだから、会えるかもね」

 イェルドはふっと息をついて、首を横に振った。

「おい、なんだよその反応は。会いたくないってか?」

 ハンカーはイェルドを肘で小突いて笑った。

「でも、ノクサルナは楽しみだなあ。あそこは山間なのに治水が進んでるって有名だよね。実は、これにも竜とか神獣とかって話が関わってるのさ」

 イェルドは小さく唸り、黙ったままハンカーを見ている。

 ハンカーはもう、それが彼が話の続きを促すやり方だと承知していたので、嬉々として喋り始めた。

「あそこは巨大な谷の合間と、その近くの台地に作られた鉄壁の都だってことは知ってるだろ? 実は昔、その谷には恐ろしい竜が住んでいたんだとさ。無数の首を持つ、多頭竜が住んでいたんだ。そいつが凄まじい強さで、しかも水を汚すから原住の人々はとても困っていたんだ。そこで現れたのが今のノクサルナ王、すなわちニフトフォウル、今代の”夜の王”の祖先だ」

 ユヌス大陸第二の大国、ノクサルナ。

 それは、大陸を南北に二分するロワルス山地より北方の王国の中では随一の規模を誇る。

「そしてその――五代目の”夜の王”が多頭竜イドラを封印して作ったのが、今のノクサルナの都、セウダ・ノクサルナというわけさ」

「多頭……それは、つまり幾つなんだ?」

「さあね……百本あったなんて話もあるけど。まあ僕の予想では多くても八つ、九つ程度だったことだろう。百本もあったら球体から首が生えてるバケモノみたいな姿になるだろうね。それより多いってのは考えられない。竜の身体構造を鑑みても――」

 「ああ、そこまででいい」とイェルドはハンカーの話を止めた。

 そうかい、と少しつまらなさそうにしつつ、彼はまた言う。

「しかし気をつけたほうがいい。なんでも、最近はあまり治安が良くないって話だから」

「ノクサルナの治安が悪いと?」

「そうなんだ。あそこは法がしっかりしてるから、意外だろ? でもそういう時期っていうことなんだろう。国ってのは常に動乱と太平を繰り返すもんさ」

 エルフの男――しかも学者が言うと妙に説得力があるな、とイェルドは思う。

「そうか。忠告に感謝する」

「じゃ、そろそろ私は行くよ」

 ハンカーはそう言い、飲食代の銅貨三枚をきっちり置いて立ち上がる。

「ここに泊まらんのか」

「知り合いとちょっとした約束があるんだ」

 そこでハンカーは、ちょっとあっちを向いてろ、という仕草をした。彼は跪き、少女に目線を合わせて話しかけた。

「お嬢さん。君が喋れないのはどうしようもないことだ。がんばって話せるようになりなさい、とは言わない。いいかい?」

 少女はハンカーの言葉に頷き、彼の目を見てちゃんと聞こうと努めているようだった。

「これは君の主人であるイェルドも得意なことじゃない。けれどね――」

「おい、何の話だ」

「うるさいなあ、ちょっと黙っててよ」

 珍しくぞんざいな物言いをするハンカー。イェルドは仕方なく黙った。

「喋れなくても、伝えることを諦めちゃいけない。言葉じゃなくても伝える方法はたくさんある。身振り手振りでもいいし、字でもいい。そして、君が自分の意志を伝えることは君にとってもイェルドにとってもいいことなんだ」

 少女はしっかりと頷き、イェルドとハンカーを交互に見た。

「うん、もういいよ。伝えようとすることを諦めないで」

 ハンカーは少女の手をしっかり握って握手した。

「じゃあね。さようなら! また会おう、いつかどこかで! 君たちにあかつきの祝福があらんことを!」

 ハンカーは別れの時になっても相変わらずの陽気な調子だった。

「ああ。お前にもな」

 少女も座ったまま、宿屋を出ていくハンカーに小さく手を振った。

お読みいただきありがとうございました。

更新がカタツムリのように遅くて申し訳ありません。

次回はもっと早めに投稿したいです。願わくば。

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