31.冷冷たる鋼
翌朝から、一行は更に歩みを進めた。
風はますます冷たくなり、一方で道はだんだんと下り坂になった。
ひたすら進み続ける。馬に乗れない険しく狭い道が続き、皆の顔に疲れが滲み始めた頃。
「止まれ」
鋭い声が隊列の後ろから響くのと同時に、戦闘を歩いていたコランの影が静止した。
次の瞬間、崩れ落ちる。
少女は何が何だかわからなかった。
地面に倒れたコランの喉に、矢が深々と突き刺さっている。その目は虚空を見つめて微動だにしない。
「奇襲だ、皆頭を守れ!」
イェルドの、ほとんど怒号と呼べる声が降る。
隊商の面々は咄嗟に頭を下げた。
イェルドはすぐさま少女を自分の影に隠し、敵の居場所を目で探す。
矢の角度からすると、前方の岩陰だろう。
次の瞬間、見るからに傭兵くずれの武装した男たちが四、五人とそこから飛び出してくる。
少女はハンカーの腋の下から、主人の――イェルドの姿を見ていた。
灰の髪は、沈む太陽を反射して銀にひらめく。青い瞳は冷たい光をたたえ、敵を見据えている。
盗賊たちがすでに囲んでいる。少女たちは岩場を背にしている。逃げようにも足場が悪すぎる。
あまりにも急なことで、これから殺し合いが始まるのだという実感も無かった。
イェルドは姿勢を低くし、待っていた。
「虚勢はいいけどな、老いぼれ」
髪の色と無精髭を見て老齢と見たのだろう。それに、今や戦える傭兵はわずか二名。しかも、そのうちの一人、魔術師は呆然と立ち尽くしている。
盗賊は油断していた。
「着物も全部置いていきな。そうすりゃ生かしておいてやってもいい」
一番槍の男が言う。その後ろに居た、髪の長い男が少女を指さしてなにか囁く。
「あ、ただしそこのガキ! お前はこっちに来い」
少女はびくりと肩を震わせる。
「動くな」
イェルドは少女を制止しつつ低くそう言った。少女は小さく頷く。ハンカーが大丈夫、と囁いている。
「どうした、爺さん。かかって来ないのかよ? 怖気づいたか?」
盗賊の男は挑発するように言う。
「へっ、それなら……死んでくれよ!」
上段、大振りの剣。見たくない。次に起こるそれがなんであろうと、見たくない。
少女は思わず目を閉じる。
その間に、少女はイェルドの姿を見失った。
次に瞼を開いた時、少女が目にしたのは盗賊の男は泥人形のように地面に崩れ落ちるところだった。
喉元がすっぱりと切れ、服が赤く染まっている。
残りの盗賊たちの顔が一気に険しくなったのが見えた。
「クソッ! オルト、お前はその魔術師をやれ!」
悪態を吐きながら、別の男がイェルドに斬りかかる。
イェルドは難なく剣を弾き、また怒号を飛ばす。
「ヒュール、唱えろ! 死ぬぞ!」
その言葉に、ヒュールは鞭打たれたように動き出し、杖を構えて唱文した。
「どこ見てやがる! 死ね、クソ野――」
罵声と同時に鋭い閃き。
男が持っていたはずの剣は宙を舞い、またもや首元を切られていた。男は乾いた呻きをもらし、膝を折る。
二度の正確無比な一撃。それも、いつ起こったのかわからない。
見ると、イェルドは最初に居た場所から二歩ほど、歩いていた。
三人目の男は、姿勢を低くし、首を狙われないようにしながら下から斬りかかる。
しかし、イェルドのほうが速い。
「ぐあッ!」
剣を持った腕がただの肉塊のように垂れ下がる。
突然の激痛に左手で右肩を抑える男。イェルドは彼の頭を掴み、その首元に剣をあてがう。
「やめ、止めてくれ……助けてくれ! 俺には、俺には息子が――」
そこまで言いかけて、盗賊は息を呑んだ。
少女からは見えなかった。しかし、イェルドの顔を見て男は悟ったのだろう。
死を覚悟して息を吸い込んだところで、鋼が彼の喉元を滑った。彼は首からだらだらと血を流して死んだ。
慈悲など与えられないことを悟ったのか、最後の盗賊が剣を構える。
しかし、四人目の男は斬りかかる間すら与えられなかった。
瞬時に歩み寄ったイェルド。その剣は鎖帷子のわずかな間隙を縫い、鳩尾を貫く。
口から空気が漏れる細い音とともに、男は崩れ落ちる。
イェルドは剣を引き抜き、血を拭った。
強い。
恐ろしさすら感じるほどに、彼は強い。
イェルドはハンカーに、一言、二言何か言う。
少女は目を開け、イェルドの横顔を見た。昨日と、何ら変わらない。
彼の表情には何の感慨も無い。立て続けに四人の命を奪い、平然と立っている。
少女にちぎったパンを差し出す時と同じ表情で。スープを受け取った時と同じ表情で、人を殺した。
それは酷く悲しいことのように思えた。
胸の奥が冷たく痛む。
この男は温もりをくれたのだと思っていた。それが彼の心の内から湧き出たものではないことを、知りたくなかった。
火の中で見た彼の姿は、幻ではなかったはずなのに。
今の主人は、ただただ恐ろしい。
彼の青い瞳は、ヒュールと相対する敵を捉える。
イェルドは少女の方を見て言った。
「終わるまで隠れていろ」
イェルドは気づかなかった。少女の赤い目の揺らぎにも、細い腕の震えにも。
少女はハンカーとともに、身を潜めて居る他無かった。
彼はずっと、「大丈夫、大丈夫」と言葉を忘れたかのように呟いていた。
叫び声、悲鳴、怒声――。
金属と金属がぶつかり合う音。
時折、ぱっと閃く明るい炎。
そして、ぱたりと音が止む。
戦いは――終わったのだろうか。
山道に静寂が戻った。
「見なくていい。何も見なくていい」
ハンカーは優しくそう言ってくれたが、少女は眠れそうになかった。
主人を待っていたかった。いつもと変わらない姿を見せてくれて、一緒に夕食を食べなければ、この不安は消えそうにない。
イェルドは少女のもとに戻ってくる。
足取りはいつもと変わらない。
特に疲れた様子は無い。髪が少し乱れているくらいだ。
戦いの後とは思えないほど、防具や服も綺麗で、特に変わったところは見られない。
ハンカーが立ち上がり、イェルドに声をかける。
「ありがとう。僕らのことを守ってくれて」
イェルドは大したことではないとでも言うように小さく手を振った。
「ふたりとも、怪我は無いな?」
「ああ、ピンピンしてるよ。お陰様で――」
それからハンカーは言葉を探すように、わずかに下を向いた。
そして、ためらいがちに言う。
「……しかし、何も命乞いをする無抵抗な者まで殺すことは無いんじゃないか?」
彼の声には、迷いがあった。守られた立場で言う言葉ではないと分かっていて、それでも抗議せずには居られなかったのだ。
「コランは死んだ」
イェルドはただ淡々と述べた。
「……そうか」
「殺すことを躊躇えば、次の瞬間には己が死ぬ」
「しかし、君が腕を切った男は!」
ハンカーは食い下がって反駁した。
「あの男は、もう諦めていた! そうだろ!?」
「いや」
イェルドは冷たく言い、何かをハンカーの眼の前に出して見せた。
奇妙なほど小さい短剣だった。剣、というよりは尖った金属の欠片のようなもの。暗器と呼ばれる凶器。
「奴はこれを左腕の袖の内側に仕込んでいた。常に、二手、三手先を考えているというわけだ。奴らも、俺も」
油断して見逃せば、次の瞬間には代わりにこちらが首を斬られたかもしれない。あるいは、少女やハンカーを人質に取られたかもしれない。
こんなのものを突きつけられては、何も言い返せない。
ハンカーは拳を握り、唇を噛む。
「……わかったよ。君の判断は正しかった」




