第7話 一日目 昼
「ほんっとーーーーーーに、申し訳ないことを!」
「い、いえ。早とちりした私が悪いのです──」
「いや! いやいや! 貴女が悲しんだことは事実なのだ! 謝罪しても謝罪しきれん……!」
アリスの目の前で、ジェームズがテーブルに手を付いて頭を下げまくっていた。
困ったアリスがジェームズの隣に座るリチャードに目を向けるが、彼は黙って首を振った。こうなればしばらくはこう、ということなのだろう。
彼から説明を聞いて、少し崩れたお化粧を直してから。
アリスは当代クライン公爵であるジェームズと顔を合わせていた。
夫人のエリゼはいない。せっかく体調が戻ったところにこの事件。またしてもめまいを起こし、部屋から出られないでいた。
「あの、本当にもう、気にしていませんから……」
「いやいやいやいや! うちのバカ娘がとんでもないことを──エリノア! お前も謝らんか!」
ジェームズはアリスの隣をにらんだ。
「アリスさん柔らか! いい匂いするー!」
「え、えっと……」
「髪きれー! なにか特別なお手入れしてるの?」
「ふ、ふつーに……」
「お肌もしっとりうらやましー!」
「あの、その……」
隣に座るリチャードの姉、エリノアがぐいぐいと迫ってくる。
きちんと着替えたエリノアと再会し、正式に挨拶してからというもの、アリスは抱き人形になっていた。ぺたぺたと、遠慮なく身体を触られ、髪を触られ、頬ずりをされる。嫌われている感じではないことに安心したが、この遠慮のなさには少し──だいぶに困惑気味だった。
隣に座っていた客であるミシェルを押しやり、席を独占し、実父が姿を見せたというのに顔すら見ない。おかげでアリスはジェームズにまともな挨拶ができないでいた。
「エリノア!」
「唇もぷるぷるー! なにこの子! すごい! すごい!」
ジェームズの怒りの声なんて軽く受け流される。エリノアはアリスの両頬に手を添えて、親指で唇をぴとぴとと触って元気にはしゃぐ。
「あの、ちょっと、くすぐった──ひぁっ!?」
頬から手を離してくれたのもつかの間、次に両胸をむんず、と掴まれた。
わしわしもみもみと、触れるにしてはあまりの手遣いに声が漏れそうになったが、アリスは懸命にこらえた。
「うわっ! おおきっ! りっくんいやらし!」
「姉上!?」
「あ! お菓子! お菓子あるんだー! 取ってくるね!」
「えりのああぁぁ!」
ジェームズの叫びなどなんの効果も見せず、エリノアは子供のような顔つきで部屋を飛び出していった。嵐のような人物が消えたことで、部屋がしん、と静まる。
ジェームズとリチャードは大きく息を吐いた。
『はぁー……』
「え、ええと……」
「あれが我が娘、エリノアだ……」
「私の姉だ……」
そんな項垂れて言われても返答に困る。アリスは目を泳がせた。
たしかに変な人物ではある。にっこりにこにこしているところは、好意的に捉えられなくもなかったが、どちらかというと『何も考えていない』という言葉がしっくりきた。猪突猛進、当たって砕けろタイプ。わりと苦手な部類である。
だけどそれを肯定してしまうのもどうなんだ。『まぁ本当。変な方ですわね』なんて言ってお互いの交流にヒビでも入ったら。今ある良好な関係が崩れかねない。ただでさえ勘違いで泣き出してしまい、迷惑をかけてしまったのだから。
「その……素敵なご息女、なのですね……?」
「無理せんでいいぞ、アリス嬢よ……」
無理をして言ったのに、ジェームズからは覇気のない応えしか返ってこない。隣のリチャードもがっくしと肩を落としている。
なんと声をかければいいか。アリスが迷っていると、彼らの後ろに立っていたアレフが先に口を開いた。
「まぁたしかに、スチュアート家のご令嬢様に恥と悲しみを与えてしまったことは、事実ですね」
『アレフ!?』
「アレフ様!?」
ぎょっとした三人がアレフに目を向ける。誰もが、アリスすら『なにを言い出すんだ』という目をしていた。
アレフは一つ咳払いをしてから、
「今回の責任、すべてクライン家にあるのは疑いようもありません」
「ぬぅ……」
「ぐぬ……」
ジェームズとリチャード、二人がうなる。アレフの言うことは事実だからだ。反論の余地もない。
アリスは後ろのミシェルに振り返った。『助けて』と期待を込めて見るものの、ミシェルは前に座るリチャードらを黙って見据えていた。なんだか知らないが、けっこうおかんむりの様子である。当の本人がもういいと言っているのに。
「……そうだな」
ジェームズが押し殺したように言った。
「父上?」
「アレフの言うとおりだろう。ついては、正式に侯爵様に謝罪をする」
「父上……承知しました」
いらない謝罪である。とは言え、これ以上話をこじらせたくもない。両親もそこまで怒りはしないだろう。家を通した陳謝というのも珍しい話ではない。アリスは大人しく、この件の行末を見守ろうとした。
しかし、次のジェームズの言葉には大人しく見守ることなんてできなかった。
「それに、せっかく揃っているのだ。明日には略式で挙式といこう。資金はもちろん全面負担する」
「父上!?」
「公爵様!?」
アリスとリチャードが『ひょえっ』と頬に手を当てた。
ジェームズはなおも『ふぅん』と鼻息を荒くし、
「さっさと結べばよかったのだ! 二年がどう、三年がどうとか面倒くさくてかなわん! 私が子供の頃なぞ、『できちゃった~☆』なんて言う輩が大勢いたぞ!」
「で、できちゃった、って……」
「時代が違うでしょう! せめて父上がご結婚なされた時くらいにしてください!」
「うるさい! だいたいお前もお前だ! さっさと手をつけんからこうなる! 報告と同時に孫の顔を見せるくらいできんのか!」
「ま、孫って……」
「気はたしかですか!? そんなこと、彼女にも失礼でしょう!」
ふぅふぅと、肩で息をする二人がアリスを見た。
「え、えっと、えっと……」
どうしようか、この状況。このままでは、本当に明日にでも誓いの儀式が執り行われかねない。来年の予定がいきなり明日。さすがに心の準備が間に合わない。
それに、子供だって欲しくないというわけではないが、ちゃんと儀礼として行いたい。からーんころーんと祝福された日の夜に、ムードたっぷりな中でリードされながら、が理想である。そもそも婚前妊娠って、どうなんだろうか。そういうことがあるのは知っているし、否定するわけでもなかったが、自分からは一番遠いケースな気もする。
「アリス嬢!」
「父上は黙っててください! アリー、怒っていいのだ」
二人がテーブルに身を乗り出して詰め寄ってくる。
アリスはもじもじもじと指を付けたり離したり、くるくる回しながら、
「子供は、その……ちゃ、ちゃんとしてからが……」
「…………」
「…………」
「ふ、二人くらいがいいかな、なんて……や、やだっ、私ったら……」
真っ赤になってうつむき、頭から湯気を立ち上らせた。
ジェームズとリチャードは彼女をしばらく眺めてから、
「ほうら! 彼女もこう言っている!」
「なにも言ってないでしょう!?」
諍いを再開する。どったんばったん、客を迎えるための部屋で醜く取っ組み合う。
アレフとミシェルが顔を合わせ、呆れたように肩をすくめる。アリスはまだもじもじしていた。
「よし、領内の教会に連絡しておこう」
ジェームズが部屋を出ていこうとする。リチャードが慌てて腕を掴んだ。
「父上!」
「いい場所だぞ。私もエリゼとそこで結ばれてな。雲ひとつない快晴だった。鳥が祝福の羽ばたきを──」
「待て! いったん落ち着け──マーサ! マーサぁーー!」
リチャードが救援を叫んだ。
呼ばれたマーサは部屋を見渡し、額に手を当てため息を吐いてから、ジェームズの頭をすぱーんとはたいた。
「家族が申し訳ない」
「いいえ。賑やかでよいことだと思います」
暴走するジェームズを強制退去させ、部屋には静けさが戻っていた。
ミシェルとアレフも席に付き直し、ようやく取り戻せた平和な時間を再度楽しむ。
「その……悲しませてしまったことも、すまなかった」
「い、いえ……私も取り乱して、申し訳ありませんでした……」
「不実なことなど、決してしないことを約束する。私は、その、貴女しか……なんだ……」
「リック様……」
頭をかく彼の姿に、アリスの心がぽわぽわと温かくなる。
自分も反省である。いくら驚天動地の出来事だったとはいえ、彼を信じきれなかった。動揺して、勝手な勘違いをしてしまった。未来のお嫁さんとして、もっとどっしりとかまえ、支えられるようにならないと。
「公爵様のことも許してあげてください」
「アレフ様」
「それだけアリス様のことを早く迎え入れたいんですよ」
「はい、アレフ様」
いきなり挙式がどうだと言い出したのは驚いたが、アリスも悪い気分にはなっていなかった。みんなに愛されているようで、自然と笑顔になる。
「それにしても、遅いですね」
「そういや戻ってこないな、エリノアお嬢様」
そういえば。
部屋を出ていったエリノアが戻ってこない。『お菓子を取ってくる』と言っていたから、それほど時間はかからないはずだが。
アリスが何気なしに窓の向こうを見た。大きな一枚ガラスで、クライン公爵家の中庭が一望できる。
「あれ……」
「どうした?」
「あそこ……エリノア様……?」
アリスが指をさす方向。そこでは、エリノアが無邪気にお花を摘んでいた。庭師に混じって楽しそうに匂いを嗅いでいる。
「…………」
「…………」
「お菓子は……?」
「言うな、ミシェル殿」
「あれが標準なんだよ」
力なく言う二人に、アリスとミシェルは黙って庭を眺めるしかなかった。
と、そこで。
ドアが開かれ、一人の女性が部屋に入ってきた。
「いや、いい汗をかいた」
「モニカ姉」
「そちらが例の婚約者殿か」
女性はまっすぐに、つかつかとアリスに歩み寄っていく。
ドレス姿ではなく、男性が着るようなスーツルック。ただ、ところどころはレース生地が用いられてたり、女性らしさをほのかに漂わせている。
アリスとミシェルも立ち上がり、近づいていくる女性を待ち構える。
目の前まで来た相手は胸に手を当て、背筋を伸ばした。
「お初にお目にかかる。クライン公爵家が次女、モニカ・クラインだ。今はキングスコートだがな」
はきはきとした口調。長女と次女でここまで違うものなのか、とアリスは思ったが、態度には出さずにカーテシーを披露した。
「はじめまして、キングスコート様。アリス・スチュアートですわ」
「モニカでよい。弟が世話になっているな」
「いえ、そんな。こちらこそお世話になりっぱなしでして」
「愚弟だが、どうかよろしく頼む」
「愚弟ってことはないでしょう、姉上」
「はっ」
リチャードのセリフを笑い飛ばし、モニカは彼を押しのけアレフを押しのけ、どかっとソファに座った。
アリスとリチャード、ミシェルも座り直す。アレフは少しだけモニカを見たあと、リチャードの後ろに回った。
「そちらは」
モニカがアリスの隣を見て言った。
「私の専属侍女である、ミシェルですわ」
ミシェルは黙って頭を下げた。
モニカは『そうか』とうなずき、
「歓迎する。仕える家が変わればやりようも変わろう。苦労することもあるだろうが、その際はマーサや他を頼ってくれ」
意表を突かれたようなミシェルだったが、すぐにもう一度頭を下げた。
アリスが戸惑う。リチャードの話では、彼の姉は二人とも『いろいろ破天荒』というはずだった。エリノアは、まぁおおむねその通りだったが、モニカはそのようには見えない。いや、それどころか芯の通った、力強い意志とみなぎる気力を放っているようにも見受けられる。このような姉がいたら、さぞ頼りがいがあるだろう。アリスにはそう見えた。そうとしか見えなかった。
理想的な姉では?
そう考えるアリスに、モニカは再度胸に手を当て、軽く会釈した。
「礼がまだだったな。件の組織潰し、誠に感謝する」
アリスが首をかしげる。
「モニカ様に感謝される理由はない気がしますが……」
「姉は王宮騎士団副団長だ」
「えっ」
リチャードの助け舟に驚く。モニカは『ふっ』と勝ち気そうに笑った。
アリスが記憶をほじくり返す。
「でも……たしか副団長は先代キングスコート辺境伯……あ」
「そうだ。姉は……その座を奪った」
鎮痛そうな面持ちのリチャードに、モニカは猛獣のような笑みを向けた。
「ほう。言うようになったではないか、リック」
「事実でしょう」
「正式な決闘だ、バカもの」
「母上が寝込んだこと、忘れたのですか」
「……まぁ、若気の至りというやつだ」
ぶすっとするモニカを見たアリスは、『今もじゅうぶんに若いでしょうに』という感想よりも、先に納得が来てしまった。
『破天荒』。もしかすると、この人も──
「で、だ。アリス嬢」
考え込みそうになるアリスだったが、呼びかけに意識を戻した。
「はい、モニカ様」
「得意武器はなんだ?」
「……は?」
聞き間違えだろうか。得意な楽器や学問ではなく、『ブキ』と聞こえたような……
アリスがリチャードを見る。彼はこくこくとうなずいた。どうやら聞き間違えではないらしい。向こうは『得意な武器』を聞きたいようだ。
そんな質問をされたのは初めてである。十八年生きてきて、誰からも問われたことがない。学園やデビュタントでは、たびたび『得意な演奏や語学はおありですか?』と嫌味たっぷりに聞かれたものだが、この方向は斬新だった。というより、貴族の令嬢にどういう回答を望んでいるのだろうか。
アリスはうろたえながらも、バカ真面目に答えてしまった。
「えっと……父から教わったので、どちらかというと剣、が──」
「そうか!」
「ひゃっ!?」
ばん、とテーブルに手をつけ顔を近づけるモニカに、アリスは身をのけぞらせた。
気にする素振りもなく、モニカは腕を組んでふんふんとうなずく。
「そうかそうか、スチュアートだったな。一度見かけたことはあるが、なるほど、たしかに瞠若せしむる剣のさばきだった」
「え、あ、え」
「さっそくだがウデのほうを見せてくれないか。なに、木はいくらでもある」
「木!?」
なんなんだ、木とは。木になにするんだ。
アレフが『木こり木こり』と小さく呟くも、混乱するアリスには聞こえない。
「よし、今から行こう。剣は私のものを使ってよい。すまんな、借りるぞ」
モニカがアリスの手をがしっと掴んだ。
「え、えっと、えっと」
「あ、姉上。彼女は客として──」
「ならお前も来い。久々に見てやる。お前の強さは知っているが、剣の腕は別物だからな」
「いや、そうではなく──」
「そうだ、婚約者としての共同作業というか、そんなやつだ」
絶対違う。
隣に助けを求めるが、ミシェルは汗を流して茶器を持ち上げ眺めていた。関わりたくないらしい。
「あー! モニカちゃん、ずるい!」
ここでさらなる厄介者が現れる。エリノアがドアをがららっと開けて、どすどす部屋に入り込んできた。
「エリナ姉さま」
「せっかくアリスさんのためにお花を摘んでたのに! 独り占めはよくない!」
お菓子がいつの間にかお花になっていた。というか摘みすぎだ。両腕からこぼれそうなくらいに花を抱えている。
エリノアは花をアレフに押し付け、アリスのもう片方の腕をひっしと抱きしめ引っ張った。
「あの、あの」
左右から引っ張られるアリスが二人をきょろきょろと見る。エリノアとモニカはバチバチとにらみあっていたが、
「では、エリナ姉さまもご一緒にどうですか。彼女の剣技がご覧になれるかと」
「ほんと!? ならいっしょに行くー!」
ぱっと手を離したエリノアがくるくるとその場を回った。いきなり離されたことでアリスがつんのめる。
「さぁ行こう。なに、すぐそこだ」
「あの、あの、あの」
「槍もあるぞ。好きなのを使え」
「待ってください、服が、剣だと、ドレスが──」
「れっつごー!」
抵抗むなしく、アリスはずるずるとモニカに引きずられていった。エリノアが鼻歌まじりで後をついていく。
「…………」
「……いってらっしゃーい」
「いって、らっしゃいませ」
ミシェルと花を抱えるアレフ、二人から冷たく言われたリチャードも、盛大なため息を吐いて後を追った。
残された二人は、しばらく無言で彼女らが消えた先を見つめていたが、
「お茶のおかわりも兼ねて、案内願えますか」
「お。んじゃいろいろ教示といきますか」
「お互いで淹れ合う、というのはどうですか?」
「いいな、それ。まぁ俺の勝ちだけど」
「負けませんよ」
にこやかに話し合いながら、平穏な時間を楽しむことにした。




