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第8話 一日目 ブレイクタイム

「それでねー! すごいんだよ、アリスさん! こう、ばっさーって!」

「そうか……ナイフを振り回すのはやめなさい……」

「あ! これ私の好きな果実ー! 甘くておいしーんだよね!」

「はぁ……」


 ジェームズが力なく息を吐いた。食欲もないのか、サラダをつんつんするだけで口に運んでいない。

 アリスが木を真っ二つに斬ったあと、クライン公爵家の一室で軽い昼食を取ることになった。晩餐室は夜のための準備をしているということで、今は別の部屋を利用している。

 少し居心地悪い思いも抱くが、これもまたお泊りの楽しみでもある。アリスは失敗しないよう細心の注意を払って、煮込み魚を音も立てずに切り取っていく。


「いやしかし。かくも鮮やかなものであった。私もまだまだ精進せねばならんな」

「ふぉんふぉひへー! はふひは、ふぁっふぉふひー!」

「そうか……口に物を詰めて喋るのはやめなさい……」

「よし。負けてはいられん。もう二、三本切り倒して──」

「そうか……食べてからにしなさい……」


 向かいではエリノアとモニカが彼女の所業を手放しで褒めていた。正直、木を切り倒したことなんて褒められたくもないアリスだったが、喜んでもらえているならそれでいいと思い、少し赤くなった顔で称賛を聞き流す。

 切り身を口に運ぶと、淡い風味が広がった。スチュアート家の料理よりだいぶ薄味である。おそらく夫人であるエリゼの身体を想っての、普段からこういう味付けなのだろう。

 美味しくないわけでもないし、これはこれで滋味溢れる味わいだったのだが、アリスはすでに実家の味が恋しくなっていた。


「どうだろう。お気に召してもらえたらいいのだが」


 娘二人を相手にするのが面倒になったのか、斜め前に座るジェームズが問いかけてきた。

 アリスはナプキンで口を拭いてから、


「はい。大変に美味しゅうございます」


 ちょっとの不満は隠す。事実、味は良かった。

 ジェームズがほっと息を吐いた。


「それはよかった。……娘らはいつも不満たらたらだったからな」

「おふた方が、ですか?」

「やれ『辛い! 苦い! 酸っぱい!』と言うし、『栄養素が! 筋肉が! 骨密度が!』なんて言うし……」

「…………」

「料理人と板挟みにもなるし……」


 ぶつぶつと言いながらも、ジェームズはちらりちらりとこっちを見てくる。

 その姿が父であるジークと重なる。娘に甘やかしてもらいたい。そんな空気をまとっている父と。

 アリスは少しだけ迷ってから、軽い咳払いと力を入れた。


「ん……その……お、お義父さま……私でよければ、いつでもお話を聞きます、ので……」

「…………」

「だから、その、どうかお元気を──」

「そうか! そうか!」

「ひゃっ!」


 ジェームズが椅子を跳ね飛ばして立ち上がったため、アリスは思い切り引いた。

 なおもジェームズは顔を突き出し、未来の義娘に懇願をする。


「ではこのあと、どうだ! このあと! このあと少しだけ!」

「あ、の……」

「少しだけでいい! ほんの少し、そなたから癒やしをもらえれば──」

「父上」


 アリスの隣に座るリチャードが、己の父をギロリとにらんだ。


「り、リチャード」

「……誤解を与える発言は、やめていただきたい」

「ちがっ……! そんな意味ではないぞ!?」

「さいてー」

「父さま。アリス嬢がお美しいのはわかりますが、それは……」


 エリノアとモニカもしらーっとした目を向ける。

 誤解を与える、というのはよくわからなかったアリスは、必死に否定するジェームズから目を離してお茶をくぴっと飲んだ。アルコールも勧められてはいたのだが、さすがに他人様の家でハメを外すわけにもいかなかった。


「どうぞ」


 後ろからミシェルがパンを置いた。客であるはずなのに、進んで給仕役を選択している。ジェームズらは遠慮していたが、頑として譲らないミシェルに根負けしていた。

 遠くでアレフが面白くなさそうにしている。すでに教えられることは何もないのだろう。


「ありがと、ミシェル」

「いえ」


 完璧な給仕、落ち着いた所作。これなら、問題なくやっていける──


「ミシェルさん! ミシェルさんは結婚しないのー?」

「ほっ!?」


 ミシェルが抱えていたバスケットを落とした。アリスがすんでのところで停止させ、手元まで移動させる。


「い、いえ……私はあくまでお嬢様の侍女として──ってなにニヤニヤしているんですか、貴方は」

「べっつにー」


 口笛を吹くアレフをミシェルはじとっと見た。

 その様子を楽しそうに眺めたエリノアが、にこにことした顔でパンをもふもふと食べだした。


「んー、もぐ……なんだか大所帯になりそうで……はぐ……いいなー、みんなわかいなー」

「姉上もまだまだお若いでしょう」

「えー、もうけっこう年だもーん。脚周りもちょっと気になってー」


 エリノアがドレスの裾をたくし上げ、太ももを大いに晒した。ジェームズが血相を変えて手を下ろさせた。


「……私も、それなりの年齢ではありますが」


 ミシェルはアリスより十歳近く上である。実年齢は未だにわかっていないが、アリスが出会った時点で今のルークくらいには達していた。


「そういうことじゃないのー。精神がわかいんだよー。私はもう大人になっちゃったからー」

「左様ですか」


 パンに甘いジャムをたっぷりと塗る精神大人なエリノアを、みんながぼやっと見つめた。


「ミシェル殿も剣は扱えるのか?」

「いえ、私は武器は……どちらかというと素手……でしょうか」


 ミシェルは昔、幼いアリスの侍女兼護衛役を任されていたことがある。

 学園までの通学やお出かけなど、貴族令嬢は護衛が必要になることが多い。もちろん、スチュアート家には専属の護衛もいるのだが、いざという時は侍女だってその身を呈して主人を護る義務がある。そのため、だいたいの使用人は護身術を学んでいる。使う機会がないのが一番ではあるが、万が一の時に足手まといになるようでは己の主を護れない。少女であるコリーナですら、いくつか学び始めたところだ。


 しかし、だからと言って得物を持つわけにもいかない。そんなものを携えてしまうと、荷物持ちや買い出しといった本業の邪魔になってしまう。せいぜいが懐に仕舞うことのできる短剣くらいだろう。それも最後の手段だった。


 そういったもろもろの理由で、ミシェルは徒手による武術を学んでいた。ちなみにアレフもそうである。たまの顔合わせでは、二人はよく手合わせしていた。


 モニカが満面の──獰猛な笑みを浮かべた。


「そうか! では組み手といこうか!」

「……かまいませんが、今は給仕を──」

「よい。そんなもの、父さまに押し付ければよいのだ」

「え、私が給仕するのか……?」


 ジェームズが間抜け面で自身を指さした時。

 これまで寝入っていた人物が部屋に入ってきた。


「遅くなりました」

「エリゼ。もういいのか?」

「はい。ご心配をおかけしました」


 マーサに連れられ、公爵夫人であるエリゼがテーブルの方に歩み寄る。

 アリスは大いに慌てた。すでに着席してしまっているゆえ、急いで立ち上がることもできない。椅子を鳴らすのは令嬢として失格である。しかも今は他家の席。そんなことをしてしまっては、スチュアート家そのものの格を落とすことになる。

 しかし相手は夫人であり、未来の義母であり元王家の女性。向こうが立っている以上、座りっぱなしなのも失礼だ。それにエリゼとはこれが今日初顔合わせ。それが座っての挨拶なんて、はたして許されるのだろうか?


(どうすればいいの……)


 このままか、立ち上がるか。

 ジレンマに陥る彼女に、エリゼは眉を下げて笑った。


「そのままでかまいませんよ」

「あ……ありがたく存じます」


 心情を見抜かれたことは恥ずかしかったが、相手から申し出てくれたことは救いである。アリスは軽く腰を曲げ、お辞儀をするだけにとどめた。


 エリゼが席に着くまで、エリノアとモニカは少しばかり静かにしていた。どこでも母親というのは怖い存在なのだろう。

 エリゼはアリスの真正面に座った。


「ようこそいらっしゃいました、アリスさん。楽しめているかしら?」

「ご無沙汰しておりました、エリゼ様。はい、皆さんたいへんに──」

「お母様! アリスさんすごいんだよ! 木をね、こう、ばっさーって!」

「うむ。母さまにもご覧いただきたかった」


 アリスの言葉を二人が遮る。静かにしていたのは一分足らず、先ほどまでとなにも変わらない。

 前言撤回。どうやらクライン家は上下関係が曖昧らしい。スチュアート家も基本的にはのほほんとしているが、さすがに客の言葉を遮るなどの真似は許されなかった。

 エリゼは口の端をピクピクとさせ、娘二人に引きつった笑顔を向けた。


「貴女たち……またなにか失礼なことはしていないでしょうね?」

「ひどーい! もうすっかり仲良しだもん! ね、アリスさん!」

「エリナ姉さまのおっしゃるとおりです。快く付き合っていただきました。そうだろ、アリス嬢」

「え、ええ、そうです、わ」


 気圧されるように答える。身体を遠慮なしに触られ、木こりの物真似を強制されたアリスは、頑張って笑顔を作った。

 隣にいるリチャードが『無理しないでいいぞ』と小さく言ってくる。彼とエリゼ、交互に作り笑いを向けた。


 エリゼは疑わしそうに三人を見たが、細い息だけ吐いてからフォークに手を伸ばした。

 アリスがほっとしたのもつかの間、


「お父様がいやらしいことを言ったくらいだもん!」

「んなっ!?」


 エリノアの爆弾発言に、みんなの視線がジェームズに集中する。アリスもお茶を飲むふりをしながら、カップで隠すようにチラ見する。

 慌てふためくジェームズを、エリゼがにっこりと冷たい眼差しで見据えた。


「……お客様で息子の婚約者様に、なにを?」

「違う、違うぞ、違うんだ」

「違わないもん! 部屋に連れ込もうとしてた!」

「エリノア!」

「このあとどうだ、このあとどうだ……しつこく迫っておりましたね」

「モニカ!」

「本当にやめていただきたい」

「リチャード! お前まで!」


 家族みんなから責められ、『あとでゆっくりお話しましょうか』とエリゼから言われたジェームズは、アレフから手渡された胃薬のようなものをぐいっと飲み干していた。

 なおもぎゃいぎゃいと騒ぐエリノアとモニカに呆れるエリゼと、疲れた様子のジェームズ。少々いきすぎな部分もあるが、それはなんだか、アリスが考える理想の家族に近かった。

 実家であるスチュアート家と、これから嫁ぐクライン家。どちらも家族仲が良く、しかも自分を温かく迎えてくれる。関係も良好だ。両親の元に生まれ、さらにリチャードに逢えたのは幸運としか言いようがなかった。


(私も、こんな家庭を築けたら、いいな……)


 しみじみと考えるアリスに、リチャードが話しかけた。


「アリー」

「はい、リック様」

「このあと、屋敷内を案内しよう。貴女のための部屋と、それと……私の部屋だ」

「は、はい……!」


 彼の部屋。その言葉だけで、アリスは顔を真っ赤にさせる。


「あー! りっくんもなんかいやらしい!」

「エリナ姉!?」

「リックよ。するなとは言わんが、慎みは持ちたまえよ」

「モニカ姉!?」

「リチャード……彼女の意向だけは、きちんと確認しなさい」

「母上まで!」

「はーはっはっ! リチャードよ、お前も私と同じ苦しみを味わえ! ざまぁみろ!」

「貴様ぁ!」

「な、父に向かってなにを──やめ、やめろぉ!」


 ジェームズにリチャードが飛びかかった。椅子をなぎ倒し、床に組み伏せ、醜くつかみ合ってごろごろと転げ回る。

 エリゼはなにも言わない。ただ額に手を当て、ため息を吐くだけである。エリノアとモニカはやいのやいのとはやし立てている。


 置いてけぼりになるアリスの後ろから、アレフが彼女のお茶を満たした。


「どうぞ」

「あ、ありがとう存じます、アレフ様」

「早く慣れたほうがいいですよ」

「はい……」


 温かい家族。いや、これは少し熱すぎだろう。

 どたばたする光景を眺めながら、アリスはけっきょくお茶を五杯も飲む羽目になった。

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