第4話 一日目 早朝 紳士の場合
「これで、全部か? ちゃんと終わったか?」
「終わった、って言うのも、もう五度目なんだけどな」
「よし、もう一度見直そう。見落としがあってはとんでもないからな」
「とんでもないのはてめーの頭だよ」
アレフのうんざり声には耳も貸さず、リチャードがせわしなく動き始める。
その日、リチャードは朝から忙しかった。厳密には日が変わる前から。ほとんど一睡もせず、この日のための準備に勤しんでいた。
今日はアリスがリチャードの実家、クライン公爵家に来訪してくる日である。時間はすでに午前の九の鐘が鳴るころ。彼女が来訪する予定時刻まで、もう半刻も残されていなかった。
ただの来訪なら、リチャードもここまで慌てなかった。緊張はするが、これまでも何度かあったことだ。アレフや両親に支えられ、問題なく彼女を迎えられていたと思われる。
だが違う。
今回は泊まりに来るのだ。一日、同じ屋根の下で過ごすことになる。夕食だって共にするだろう。日が暮れさようなら、ではない。一緒に帰り、共に家の扉をくぐるのだ。住み慣れたこの屋敷に。
それは、いずれやってくる未来だった。伴侶となり、互いを助け合って生きていく。今回はその予行演習みたいなものである。
であれば、多少なりとも力が入るのは当然である。彼女が気持ちよく過ごせるよう、全力を尽くすのが礼儀である。
それに、このイベントはリチャードが自ら言い出したことだ。だから彼が気を張るのも仕方ないことだった。
仕方ないことだったのだが──
「どうだ、準備のほどは」
「父上」
「これで、全部か? ちゃんと終わったか?」
飾り付けられた迎賓室に入ってきたのはリチャードの父、ジェームズだった。
ジェームズもまた、リチャードと同じように前日からそわそわとしていた。いや、もっと言えば一週間前から。カレンダーをしつこくチェックする姿は、屋敷にいる者なら何度も目にしていた。
「今から再確認をするところで」
息子と同じセリフを吐いたジェームズに、その息子であるリチャードはバカ真面目に答えた。ジェームズは『くぁーっ!』と変な声を出した。
「バカモノ! なにかあってはとんでもないことになるんだぞ!」
「わかっております!」
「再確認なんて、すでにやっておくべきことだろう!」
「はっ! 申し訳ありません!」
「私も手伝う! とんでもないことになる前にさっさとすませるぞ、リチャード!」
「はっ!」
「とんでもないのはてめーらの頭だよ」
どたばたする二人を見たアレフがため息を吐いた。外見どころか内面までもが似ている親子を前にして、うんざりにうんざりを重ねる。
「すみませんね、アレフ」
「奥様」
ジェームズに続いて入ってきたのは、おっとりした感じの小柄な女性。見事な金髪をしており、白の簡素なドレスにベージュ色のストールを羽織っている。
まず間違いなく美人の部類に入るが、色素の薄い肌からは薄幸そうな印象を与える。少し深くなってきた皺も相まって、『苦労してきた』という言葉が似つかわしかった。
女性はアレフと同じような目をリチャードらに向け、額に手を当てた。
「楽しみなのはいいのだけれど……こうも騒がしいと、頭が痛くなってくるわ……」
「奥様、お身体が……」
ふらついた女性を、アレフはうやうやしく介抱した。手付きも優しく、普段からリチャードを蹴り飛ばしている姿からは想像もできないような甲斐甲斐しさである。
それもそのはず。アレフはその女性──公爵夫人であるエリゼを、心の底から尊敬していた。身体が弱いというのに恨み言も言わず、夫であるジェームズや息子のリチャードの暴走を、たびたび止めてきた女性なのだから。
リチャードの身に起きた突然の異変後も、エリゼは態度を変えることなく息子に接していた。元王女という、王家からの輿入れにも関わらず国よりも母親としての感情を優先した、立派な女性なのである。
だというのに。
エリゼの姿には目もくれず、バカ二人は部屋を動き回り、指を差してダブルチェックしていた。
「完璧です、父上」
「……そう、だな」
「父上?」
満足そうに部屋を見渡すリチャードとは対象的に、ジェームズは顔を曇らせた。
なにか嫌な予感がする。アレフとエリゼは同じことを同じタイミングで思った。
「なぁ、リチャードよ」
「は」
「今回は、ただの来訪ではない。そうだな?」
「はい、そのとおりです」
「……であれば、その、迎賓室で、いいのか?」
「むっ!?」
リチャードが面食らった顔をした。アレフとエリゼはぎょっとした。
「客ではなく、将来の相手として……つまり、普通の部屋のほうがいいんじゃないか……?」
「た、たしかに……」
リチャードが迎賓室を見渡す。立派な調度品、みずみずしい生花、植物から抽出したアロマ……それらを見て眺め、額に汗を流して考え込んでしまった。
アレフとエリゼも汗を流す。同じように部屋を眺めてから、どんどん絶望の表情へと変わっていく。
ここを、やめて、別の部屋にする? もしかして、また一から? もう時間も残されていないのに?
「お前の自室はどうだ? 『さぷらいず』というやつでだな……」
「よい考えです、父上。では、さっそく──」
『このままで結構だ/です!』
いい顔をしやがる二人に、アレフとエリゼは同時に叫んだ。
大声を出してしまったことと、それ以外の理由でめまいを起こしたエリゼを、アレフは急いで身体を支えた。
「…………」
「落ち着けって」
「落ち着けるわけないだろう!」
具合の悪くなったエリゼをジェームズに任せてから。
屋敷の外、表玄関どころか正門の前、さらには少し歩いたところにまでリチャードは進み、そわそわと来訪を待っていた。
ゲートや転移を使えば、すぐにでも来ることは可能だろう。迎えに行くことだってできる。
だが、リチャードは彼女と相談し、そうしたじれじれとした想いで待つこともまた楽しいものだと、ごくごく一般的な移動方法を使うように心がけていた。
「むっ!」
「来たみたいだな」
そしてとうとう、魔導車が一台こちらに向かってくるのが見えた。
リチャードがびしっとした姿勢を取る。ここまでのどたばたを微塵も感じさせない佇まい。アレフはため息を吐いた。
やってきた魔導車は二人の目の前で停止した。出てきた運転士がこちらに向かってお辞儀をしたあと、後部座席のドアを開いた。
バクバクとした心臓を無理やり落ち着かせ、リチャードが声を出そうとした、その瞬間。
人影が飛び出してきた。
「りっくーーーーん!」
「姉上!?」
「げっ!」
リチャードは目を丸くし、アレフはうめいた。
その人物は二人の様子を無視し、リチャードにどしんと体当たりした。
「りっくん久しぶり! また大きくなった?」
「え、エリナ姉。お早いお着きで」
リチャードは困惑しながらも、飛び込んできた己の姉──長女・エリノアを受け止めた。到着予定はもっと先、昼過ぎだっただろうが、まぎらわしい真似を、などという思いは出さない。
エリノアはぐりぐりと頭頂部を押し付けたあと、リチャードの身体からひょこっと顔をのぞかせ、後ろにいたアレフを見て笑った。
「あれふんも! 相変わらず無愛想だね!」
「お久しぶりです、エリノアお嬢様──いえ、リバープール伯爵夫人」
「エリノアでいいの! で、アリスさんはどこ? どこにいるの? 早く会いたい!」
「いえ、まだ到着はしておりません。姉上のほうが早く──」
「あ、お土産! お土産あるんだ! りっくんも好きなお菓子! たくさん買ってきたから!」
「あ、ありがとうございます、あねう──」
「ほんと魔導車って速いよねー! あ、お母様は元気かしら? そうそう、子供も大きくなってきてねー! こないだなんてね──」
「…………」
「……俺を見るなよ」
二人が渋い顔を作っていることなんてどこ吹く風。エリノアは連れてきた護衛や侍女も押しのけて、魔導車後部にあるトランクを嬉しそうにあさっていた。
彼らの話なんてまったく聞かず、せわしなく話題を変えて言いたいことだけを言っているエリノアは、クライン公爵家の長女である。ふわっぽやっとした雰囲気で、エリゼから受け継いだ金髪がさらりと風になびく。今は伯爵家に嫁入りし、双子を出産。絶賛子育て中の二児の母である。
子を産めばさすがに落ち着くのでは……と期待していた他の面子だったが、なんら変わることはなく、そのままの姿ですくすく成長していた。
伯爵とは純粋な恋愛の末の結婚である。公爵令嬢が伯爵家には、と当時は反対意見もあったが、この早口と性格で押し切っていた。
「ねー、これ! これ美味しいよね!」
「お、奥様……私が持ちますので……」
「あ、お茶もあるんだよ! 待っててね、今取ってくるから!」
「奥様!」
いや、むしろジェームズやエリゼなんかは、『相手が見つかってよかった……』と漏らしていた。これを受け止める器量の持ち主。さぞおおらかで、根気強い人物だろう。
何度も行き来してはぽいぽいと土産を手渡してくるエリノアに、リチャードもアレフもげんなりしそうになった、その時。
またしても魔導車が一台、こちらに向かってきた。
「お」
「やっと来たか?」
二人が視線を移し、エリノアが連れてきた侍女や護衛らも姿勢を正す。
スチュアート侯爵家といえば、その名もとどろく、侯爵家の中でも頂点に位置する貴族である。たとえ他家といえど、礼儀を示す必要がある。あるのだが、エリノアはまだトランクをあさっていた。
ぶろぶろと走ってきた魔導車は皆の前で停止し、出てきた運転士が後部座席のドアを開けようとした、その瞬間。
ばぁん!
勢いよくドアが開かれ、人影が飛び出してきた。
「はぁっ!」
「ぬおっ!」
きらん、ときらめいた光の線が放たれ、リチャードは腰にあった携帯用の小剣をとっさに構え、受け止めた。
ぎちぎちと鍔迫り会う剣の向こうには、獰猛な笑みを輝かせる女性の姿があった。
「やあ、弟よ。久方ぶりだな」
「姉上!?」
「げげっ!」
リチャードは目を丸くし、アレフは飛び散った土産をかき集めてからうめいた。
女性は一度距離を取ってから、持っていた剣を鞘にしまった。
「ふっ。鍛錬は怠っていないようで安心したぞ」
「も、モニカ姉。お早いお着きで」
リチャードは困惑しながらも同じように剣を納め、己の姉──次女・モニカにこうべを垂れた。到着予定はもっと先、昼過ぎだっただろうが、というか出会い頭で斬りかかるか普通、などという思いは出さない。
モニカは腕を組み、りん、と音が聞こえてしまいそうなくらいに威厳ある態度で、後ろで荷物を抱えるアレフに目を向けた。
「アレフも久しいな。変わらずでなにより」
「お久しぶりです、モニカお嬢様──いえ、キングスコート辺境伯夫人……副団長殿」
「モニカでいい。で、アリス嬢は? すでに屋敷か? まずは礼を言いたいのだが」
「いえ、まだ到着はしておりません。姉上のほうが早く──」
「油断大敵!」
モニカは素早く剣を抜き、リチャード目掛けて水平に薙いだ。
「ぬおおぉっ!」
間一髪、リチャードは身体を捻って剣閃をかわした。
「……ちっ」
「いま舌打ちしませんでしたか!?」
「してない。そうだ、土産がある。待っていろ」
ちん、とふたたび鞘に納めてから、連れてきた侍女を押しのけて魔導車後部のトランクをあさり始めた。護衛はいない。そんなもの不要ということらしい。
モニカは布にくるまれた長い棒状のものを取り出し、恋する女性のような目でそれを見つめたあと、リチャードに手渡した。
「ありがとうございます、姉上」
「解いてみろ」
言われるがまま、リチャードがしゅるしゅると布を解いて──
おどろおどろしい装飾がなされた、紫色の長剣が姿を見せた。
「姉上……これは?」
「名工シュラウトが鍛えた一品だ。ここの細工が凝っていてな──」
「…………」
「……だから俺を見るなって」
二人が渋い顔を作っていることなんてどこ吹く風。モニカはうっとりした表情で、細かい装飾の説明を始めた。
実弟へ何度も斬りかかり、土産まで剣(魔剣に近い)という危ない思考の持ち主であるモニカは、クライン公爵家の次女である。研ぎ澄まされた刃のような雰囲気で、エリゼから受け継いだ金髪を短く切りそろえている。今は辺境伯に嫁入りし、王宮騎士団副団長という立場。絶賛部下教育中の、男性社会の母である。
結婚すればさすがに柔らかくなるのでは……と期待していた他の面子だったが、なんら変わることはなく、そのままの姿ですくすく成長していた。
辺境伯とは正式な決闘の末の結婚である。公爵令嬢が決闘は、と当時は反対意見もあったが、この武力と性格で押し切っていた。
「ここ、ここだ! ここにシュラウトが持つ技術が結集しているんだ」
「奥様……説明はあとにして……」
「そうだ、盾もある。こっちは別の者の作品なんだが、これまた甲乙つけがたくてだな」
「奥様……!」
いや、むしろジェームズやエリゼなんかは、『相手が見つかってよかった……』と漏らしていた。これを受け止める胆力の持ち主。さぞ大柄で、精力強い人物だろう。
二人がげんなりしていると、エリノアが荷物を抱えて走り寄ってきた。
「これこれ! このお茶が──あれー! モニカちゃん、いつ来たの!?」
あれだけの騒ぎにもかかわらず、エリノアは『今初めて気づいた』と言わんばかりに、あんぐりと口を開けた。
説明を中断したモニカは、びしっと軍隊式最敬礼の姿勢を取った。
「たった今です、エリナ姉さま」
「こないだの式典かっこよかったよー! こう、オーラがあるっていうか、殺意があるっていうか!」
「ありがとうございます、それはなによりです。姉さまも、落ち着いた雰囲気がより増したかと」
「えー、わかるー? そうなの! 自分でも最近ね──」
二人笑顔で話し合う。
落ち着いた雰囲気が増したらしいエリノアはきゃんきゃんと騒ぎ、殺意があると言われたモニカは嬉しそうにしている。
「……昔からだけどさ、仲、いいよな」
「水と油だと思うのだが……」
「ずれているのは変わらんけどさ」
「そうだな……」
久しぶりの再会に盛り上がる、正反対に振り切った姉二人を、リチャードはとろんとした目つきで眺めていた。
「む」
「今度こそ、だな」
エリノアとモニカが屋敷に入ってから数分後。
三度、魔導車がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「んん」
リチャードが軽い咳払いをする。姉二人のおかげか、心に余裕が生まれていた。まぁ、それなりに感謝をしておく。
魔導車は音もなく停止した。スチュアート侯爵家に仕える運転士の技術がうかがえる。
最初に出てきた初老の男性は、リチャードらに向かって丁寧に挨拶をしたあと、後部座席のドアを開いた。
「ありがとう、マイク」
飛び出しもせず、斬りかかりもしない。運転士の手を取り、静かに綺麗な仕草で足をつける婚約者──
「アリー」
「リック様」
姿を見せたアリス・スチュアートは、嬉しそうにリチャードに近寄って、華やいだ笑顔を見せた。




