第3話 その後の話
「どうやって帰ろうかしら?」
「たまにはのんびりと空を行きますか?」
「あ、それもいいかも」
『父が気がかり』と言ったリチャードと別れ、アリスとミシェルの二人は王宮をぶらぶらと歩いていた。後ろをついてくる護衛が少し邪魔くさいが、それが仕事なのだから仕方ない。気にしないようにして広い廊下を進んでいく。
「スチュアート様!」
ほどほどに歩いたところで、呼びかける声があった。
見ると、スカートの裾をつまんでぱたぱたと走ってくる女性の姿があった。
「ラインハート様」
「はぁ……お会いできてよかったですわ」
立ち止まったアリスの目の前まで来た女性──フィオナ・ラインハートは、胸に手を当てて弾む呼吸を整えた。
アリスは彼女が落ち着くまで待ってから、
「どうかしましたか?」
「その……一言、お礼を言いたくて」
姿勢を正したフィオナが申し訳無さそうにする。
フィオナは此度の襲撃事件の重要参考人、レオナルド第一王子の婚約者だ。真面目で気品高く、芯が通った淑女の見本として普段から評価高かったが、彼の暴走に歯止めをかけたとして、改めて見直されていた。
そのフィオナが、しずしずと腰から折って頭を下げた。
「スチュアート様がいなければ、レニー様もどうなっていたことか……改めてお礼申し上げますわ」
そのまま頭を上げようとしなかったフィオナの両手を、アリスがそっと握った。
「いいえ、ラインハート様。貴女の行動が、すべてを食い止めたのです。お礼を言われるようなことはありません」
「スチュアート様……」
「どうか頭を上げてくださいませ」
「ありがたく、存じます」
フィオナもアリスの手を握り直す。
しばし、二人でにこやかに見つめ合う。
「それで、ラインハート様──」
「どうか、わたくしのことはフィオナと」
「はい、フィオナ様。では私のこともアリスと」
「はい、アリス様!」
アリスもフィオナも、ぱぁっと花が咲くような笑顔を浮かべた。美女が二人、手を取り合って笑い合う姿は、無機質な王宮の空間を鮮やかに色づけた。護衛が静かに廊下の端に移動する。
「あ、申し訳ありませんわ。なにかお聞きになられまして?」
「ええ。レオナルド第一王子殿下は──」
「フィフィ──む、それにスチュアート嬢か」
噂をすればなんとやら。
婚約者を追いかけてきたのか、レオナルドが廊下の角から姿を現した。
アリスとミシェルが軽い拝跪の姿勢を取ろうとするが、レオナルドから手で制され、とりあえず普通の挨拶を交わす。
「お久しゅう、レオナルド第一王子殿下」
「いらんいらん。レオナルドでいい」
レオナルドは面倒くさそうに手を振った。
「はい、レオナルド様」
「あの時以来だな。……世話になった。改めて礼を言う」
頭も下げはしないし、腰に手を当てるレオナルドの態度は王家らしいものだったが、アリスには明らかな違いが感じ取れた。
アリスはレオナルドとは顔見知りだ。幼い頃に出会い、そこからも何度か顔を合わせていた。そのたびに、彼は横柄な性格だと感じていたのだが……今のレオナルドは柔らかな物腰で、高圧的な気を感じさせない。まるであの事件を機会に軟化したようだった。
「お礼ならもう受け取っておりますから、お気になさらず」
「む……そ、そうか」
「もう、レニー様ったら。『次に会ったらしっかりと謝るんだ』なんておっしゃっていたのに」
「フィフィ!?」
ぎょっとしたレオナルドがフィオナに詰め寄るが、彼女は嬉しそうにひらりひらりと躱していた。困り顔で追いかけるレオナルドも、悪い気分ではなさそうだ。
「お二人は、本当に仲がよいのですね」
「はい、アリス様。わたくしたちは愛しあっておりますの」
「あ、あいし……!?」
アリスはぎょろっとフィオナを見た。
「フィフィ……まぁ、違いない、な。俺も、お前のことは、その、心から大事に想っている……」
「こ、こころから……!?」
アリスはぎょろっとレオナルドを見た。
「あら。今日は素直なのですね」
「……前から思っていたことだが、どうもお前にいいように扱われている気がする」
「なんのことでございましょう」
「だからその態度がだな……」
「ふ、ふうぅん……」
イチャイチャと夫婦漫才のような会話をする二人を、アリスは感嘆のような納得のような驚きのような目で見ていた。
フィオナは恥ずかしげもなく『愛しあっている』なんて言葉にした。かたやレオナルドも、照れくさそうにしながらも『心から想っている』なんて応えていた。
もしこの二人が自分とリチャードだったら。絶対にこんな会話ができないことは、容易に想像できた。
(だけど……)
だけど、そのままでいいのだろうか。なんの進展もしないまま、ずるずるいっていいのだろうか。いや、いいわけがない。
自分だって、好きな相手から愛を囁いてほしい。ちょっといいムードになって、『好き』って言い合ってみたい。愛しあいたい。この二人みたいに、あれこれイチャイチャしたいのだ。
「や、やっぱり今度の例のあれで、ちょっとは頑張らないと……」
「アリス様?」
「あ、でも……あ、でも!」
「どうした?」
「お気になさらず」
ぶつぶつ言ってくるくる回るアリスを二人は不思議そうに見て、ミシェルはすました顔をした。
「ところで……その、謹慎されたと聞いておりましたが……」
復旧したアリスも含めて、四人は中庭にあるスペースで少し休憩となった。フィオナはアリスとお友達になれたのが嬉しいらしく、にこにこしてくっついている。
少しだけお互いのことを話してから、このあいだの事件に触れることになったため、アリスが防諜の魔法を用いてから本題に入った。
「あぁ……父からげんこつをもらったのは、いつ以来だったかな……」
「ふふ。レニー様ったら、そのあとわたくしのところに来られて、ぐすぐすと──」
「フィフィ!」
レオナルドがテーブルを叩くが、フィオナはくすくすと笑う。
二人が言うには、レオナルドへの罰は半年間の謹慎と、父親からの鉄拳制裁だけで済まされたようだった。『バカもの』と言われて頭に振り落とされたあとに、両親から抱きしめられたという。
「愛されておりますのね」
「……少し前の俺なら、気づきもしなかっただろうな」
アリスの言葉にレオナルドは仏頂面をしながらも、照れくさそうに頭を掻いた。
謹慎と言っても、こうして自由に動くことができて、婚約者と会うことも許されている。罰らしい罰になっていない。情けなのか、それとも王家ゆえの身びいきなのかはわからないが、どちらにせよ彼への愛情が感じられる。
「それもこれも、アリス様のおかげです」
「そうだな。世話をかけてすまなかった」
お礼はもういいと言ったにも関わらず、二人はなおも感謝の言葉を口にした。フィオナにいたっては、アリスの近くまで椅子を寄せて手を重ねてくる。
これ以上断っても平行線。アリスは何も言わず、黙ってその手にもう片方の手を重ねた。そして自身が、ミシェルが一番気になっていたであろう、件の人物のことを尋ねる。
「その……マローニ公爵様は──」
「やつは休養で遠くに移った」
すぐにレオナルドが短く言った。それ以上は口を閉ざし、目も閉じて押し黙ってしまった。フィオナも悲しそうに顔を伏せる。
「そう、ですか」
遠くで休養、言葉どおりではないだろう。幽閉か、拷問か、極刑か。あれだけのことをしでかしたのだから仕方ないことではあったのだが、アリスの心には深い哀しみを覚えた。
隣のミシェルも複雑な表情をする。
「喜ばしい気持ちには、なれないものですね……」
「ミシェル……」
孤児院が襲われたことに一番憤慨していたのはミシェルだ。それでも、すっきりした気持ちからはほど遠いようだった。
少しだけ沈黙してしまった場の雰囲気を変えるように、レオナルドが口を開いた。
「しかも先代が騒いでな……」
「先代公爵様が?」
「『息子を介錯してワシも死ぬ』とか言い出したらしく……」
「それは……まぁ……」
「あわや大広間が血まみれの一歩手前だ」
「…………」
その光景も容易に想像できた。アリスがぼやっとした目になる。
先代マローニ公爵は、実直で、堅物で、なんというか冗談が通じない、石頭のような人だった。アリスも数回会ったことがある。あのジークですら苦手としていた人物だ。
「けっきょく、『自分も責任を取って』と頑ななものだから、父と……スチュアート侯爵が説得した」
「お父様が?」
その話は初耳だった。
アリスはリエンナから『無理やり』すべてを聞き出され、両親に説明をするはめになっていた。
自分の話をふんふんと聞き、ところどころで激怒される。その様子にはアリス自身が怒られているようで、証人喚問のような気分を味わった。
レオナルドの話をした時、両親は怒りながらも同情はしたようで、『そこは王家に任せる』という、アリスと同じような感想を述べた。
そして両親も困ったのが、マローニ公爵のことだ。
スチュアート家だって、かの家には一目を置いていた。王家からも信頼の厚い、昔からの友とも呼べる者がそのようなことをしでかしたことに、どちらも驚きを隠せていなかった。
しかしそれも一瞬で、すぐにこれからのことに頭を抱えた。デイモンのことではない。一時的な戦力ダウンは免れないだろうが、それは時間が解決する。そんなことよりも──
「泣いては腹を斬ろうとし、泣いては首を差し出そうとする……徹夜だったと言っていた」
「…………」
やはりそれも簡単に思い浮かんだ。ぎゃんぎゃんと叫ぶ堅物を左右からなだめる王と父親が、アリスの脳内に描かれる。
苦手とする人物を説き伏せる。その難易度は推して知れよう。今度甘えてあげよう、とアリスは人知れず決心をした。
「その甲斐あって、デイモンの席には先代があてがわれた。今ごろは部署を飛び越して、いろんなところを走り回っているだろう」
「……落ち着くところに落ち着いたのでしょうか」
「そうだな……まだわからないが、目に見えるのはもう少し経ってからだな」
「そうですね」
そこまで話したところで。
通りがかった一人の人物が、中庭にいるアリスらを目ざとく見つけた。
「あら! あらあら! アリスちゃんじゃないの!」
「うげっ!」
非常に稀なことだが、アリスはその姿を見て淑女とは思えない声を出してしまった。
それに構うことなく、破顔した人物は大喜びでこちらに駆け寄ってくる。最初に会ったときのような派手な格好ではなく、宮仕えの魔導師が着るようなローブ姿だったが、やはりというかなんというか、袖も裾も短い。逆にそのほうが自然なくらいだ。似合っているし、納得もしてしまう。
「どうしたのぉ? あ、わかった! 私に会いに来てくれたのねぇ!」
「ど、どうして」
どうしてこの人が。
アリスがレオナルドに顔を向ける。彼はため息を吐いて、背もたれを鳴らした。
「彼女は……その、聞き取りの結果、それほど悪事を働いていなくて、だな……」
「はぁ……それで?」
「……しかも、部下は全員なにかしらの理由つき……保護目的だったらしい。それもあって情状酌量となった」
「そうですか。で?」
「おお……な、なんだ……稀な加護を持ってもいるし、王宮に仕えてもらったほうがいろいろと役に立つということで──」
「そんなことどーだっていいじゃなーい!」
レオナルドの説明を遮ったその女性──<ネストラル>幹部ウェンティは、アリスにがばっと抱きついた。呆気に取られてしまった、ということもあったが、ミシェルがかばう暇もないくらいの速さである。
純粋な速度勝負なら、アリスもミシェルも負けるはずはなかったが、そうしたところとは別次元にあるような、そんな素早さだった。
「は、離れて!」
「あらぁ? また大きくなったぁ?」
「なんでわかるの!?」
身体をぺたぺた触ってきたウェンティの言葉に、アリスが驚愕する。
この二ヶ月で、正確にはそれより前から薄々と気づいていたことだが、アリスはキツくなってきた下着をついこのあいだに総入れ替えしていた。『これ以上いらない』とぼやきつつ買い替えたそのことは、母やミシェル、その他の侍女にしか知られていないことだったのだが──なぜにこの女性はすぐにそれを察したのか。意味不明で怖くなる。
「ちゃんと下着は変えないとだめよぉ?」
「言われなくても変えましたから!」
「……魔導士として受け入れた、のだが」
「聞いていませんね、レニー様」
「見りゃわかる」
ぐいぐいと押しやるアリスと引っ付くウェンティ、そして引き剥がそうとするミシェルの三人を見て、レオナルドは肘を突いて頭を抱えた。
「アリスちゃんのおかげで、部下の子らもみんな一緒に生活できているのぉ」
「そうですか、それはよかった──」
「だからお礼、させて?」
「やだ! 離れてってば!」
「お嬢様から離れて……なんですかこの力は!」
「あなたも混ざるぅ?」
「混ざりませんよ!」
けっきょく、結界まで張ってウェンティを突き飛ばした。
拒否られたウェンティは不満げにしながらも、再度アリスに感謝を述べて、手を振ってその場から離れた。
「それじゃーねー。仕事をしろってうるさいから、残念だけど忙しいのよ」
「専用の課を与えたんだ。それなりに結果を出してくれないと困る」
「はぁい、王子様。アリスちゃん、今度来る時は事前に教えてよねぇ?」
絶対に教えない。去っていく後ろ姿を見て、アリスは固く心に誓う。
「はぁ……」
「……引き止めて悪かったな」
「いいえ……」
バツが悪そうに汗を垂らすレオナルドに、アリスは力なく答えた。
一気に疲れた。この短時間でここまでの疲労を与えるなんて、ある意味才能なのでは、と変な感想を抱いてしまう。
ぐったりとするアリスを見て、レオナルドは思い出したように言った。
「そういえばオールンフォード伯爵のことだが」
「あ……伯爵様は、どうなりましたか?」
オールンフォード伯爵。ウェンティに援助していた貴族だ。録音した内容はすでに両親に預けていた。
「やつも、どちらかといえば同情心からの援助だったようだ」
「そうですか」
「責任は免れないだろうが……軽い罰で済むだろう。奪爵も降爵も、今のところ予定はない」
「この件に限らず、いい噂は聞きませんけれども」
「それはまた別の話だ」
二人の会話を聞き流しながら、アリスは心のなかでほっと息を吐いた。利己的な理由でなかっただけでも、ちょっとした朗報である。マローニ家に続いて伯爵家まで制裁となっていたら、沈む気持ちはあと二日くらいは続きそうだった。
それにしても、ウェンティという女性はいったいどういう人物なのか。犯罪組織の幹部に援助、あるいは釈放までするくらいなのだから、聞けば心が苦しくなるくらいの過去は持っていそうだ。
だからといって、聞く気もなければ会いたい気持ちも湧かなかったが。
「それでは、このあたりで失礼します」
「ああ。時間をもらってすまなかった」
「いいえ、レオナルド様」
「ごきげんよう、アリス様。今度はぜひ、お茶でも飲みながら」
「はい、フィオナ様」
アリスとミシェルが王宮の外へ出ていく。レオナルドとフィオナは見送りにまで来てくれた。
別れの挨拶を済ませ、外で待っていた侯爵家に仕える護衛と合流する。『空を行っていいか』と聞くと泣きそうな顔をされてしまったため、手配してくれていた魔導車に大人しく乗り込む。
「さ、帰って衣装を選ばないと」
「ま、またですか」
ミシェルが『うっ』となった。ここ最近、ずっと準備に付き合わされているのだ。
「一大イベントですもの。後悔なんてしたくないの」
「ただの外泊でしょう。そんな調子で、本当に嫁がれる時はどうするのですか」
「やめて。それを考えると、不安で夜も眠れなくなっちゃう」
「……今朝もぐっすり眠っていたくせに」
「なにか言った?」
「いいえ」
二人は話しながら王宮を後にした。やる気に満ちているアリスとは対象的に、ミシェルはすでに疲れた表情をしている。
そう。ジェームズも言っていた。
例の日。お泊まりの予定は、すぐそこまでやってきていた。




