(5)
「ほら、あれが大聖堂だよ」
王宮からはそんなに遠くない、ということで、前後左右を護衛に挟まれながら、私たちはぶらぶらと歩いていた。
いろいろな道が合流する広場で、来た道とは違う方角を指したお父様の指に目を向けると、真っ白な大きな建物の一部が目に映った。ところどころには青色が使われていて、先端が尖っているためか、まるで天に向って突き刺しているようだった。
「大きい!」
「そうだね。高さは王宮よりあるんじゃないかな」
「王様がいるところよりも?」
「基本的に口出しできないのよね」
「口出し?」
「聖堂関係者は独特の権限があるからね」
どうやら、教会や公会は一部、王家をも上回る権力を持っているらしい。
もちろん国としては王家が一番上になるのだけど、祭祀や公布、冠婚葬祭といった諸儀式の執行は、何より聖なる職務に属する人たちの声が強いとのこと。『腐敗が怖いけどね』とお父様は言っていたけど、今のところは上手く回っているみたい。
「アリスもそのうち習うと思うよ」
「はい、お父様」
「他の子も向かってるわね。行きましょ」
お母様の言葉どおり、周りには私と同じくらいの子が、同じように親に連れられて聖堂の方に向かっている。
一人の女の子と目が合った。私みたいにドレス姿じゃないけれど、目一杯おめかしをしているのがわかる。
その子は恥ずかしそうに、はにかんでお辞儀をしてくれた。私も笑顔で同じようにお辞儀する。顔を上げてお互いに笑いあった。
四人で手を繋ぐ。お母様の横にミシェル、私、そしてお父様。ちょっと幅を取っちゃうけど、聖堂へ続く道はとても広く、邪魔にはならなそうだった。
やっぱり洗礼の日は特別なのか、道の両端にはいっぱいのお店が並んでいる。
聖堂は神聖な場所。本当ならそこへ続く道は出店禁止だ。普段は用のある人しかいないため閑散としている、と両親が言っていた。
「あとでいろいろ寄ってみようか」
「はい!」
お店の前に並ぶ人をじっと見ていた私にお父様が言ってくれた。帰りが楽しみになる。
聖堂前はとても広く、王宮で見たような庭園が広がっていた。そこに子供がたくさん集まっている。たぶん、洗礼を受ける子たちだ。ほとんどはさっき見た女の子のような姿だったけど、一部は私みたいにドレスを着たり、王子様みたいな格好をしている子もいた。
間近で見た聖堂はとても大きく、見上げると首が痛くなるほど。
……いくらなんでも大きすぎじゃないかしら?
「僕らは別から入るからね」
「話をしてくるから、大人しくしていて」
両親がそう言って、目の前にある大きな入口とは別の方に向かう。小さな扉の前に立っていた人と話をし始めた。
そうだった。私たちは特例で、みんなが終わってから二人で受けるんだった。
待つだけなのももったいないので、聖堂前にあったきらきらと輝いている噴水に寄った。イメージじゃなく、本当に輝いている。間近で見ると水自体が輝いていた。うーん、なんだろうこれ。
「やはり小さい子しかいませんね……」
噴水を見つめていると、ミシェルが少し沈んだ声で言った。
たしかに、この場には私と同じくらいの子供と、その親しかいない。ミシェルのような年齢の子はほとんどいなかった。
……やっぱり気にするよね。一人だけ、場違いとも言える歳なんだもん。
洗礼がいっしょに受けられるのはよかったけど、こうしてぽつんと寂しそうにされると、悪いことしたかなという気持ちがどうしても湧いてくる。
「ミシェル……私……」
「あ、違いますお嬢様。別に気にしているわけではありません」
うつむいてしまった私に、慌てたように駆け寄ってきた。
「……ほんと?」
「はい。感謝しています。本当です」
そう言ったミシェルが抱きしめてくれた。柔らかい感触に気持ちよくなる。私も腰に両手を回して、目の前のお腹に顔を埋めた。ミルクのような、あまぁい香りがする。
すりすりしていると、おでこに唇を落としてくれた。だから私も頑張って背伸びをして真似をする。身長差があるため、胸元にしか届かなかったけど。
「いっしょでよかった」
「私も、お嬢様と一緒でよかったです」
「ミシェル……」
「お嬢様……」
キスをしてくれる場所が、目元、頬とじわじわ近くなっていく。
同時に、背中とお尻に手を回してきた。さわさわとした手の動きにむずむずとする。
「やっ、それくすぐったい」
「お嬢様はどこも心地いいですね……」
「ね、たまには名前で読んで?」
甘えたい気持ちが強くなったから、いつもはしないおねだりも言ってみる。
「え!」
ミシェルが驚いて目を丸くしている。可愛い。
「ダメ?」
「い、いえ……あ……アリス、様」
「やだ、ミシェル……」
おっかな名前で呼んでくれたけど、そうじゃないの……。
「……アリス」
「ん……」
小さく声が聞こえたあと、顔が近づいてきたので目を閉じる。
唇が重なった。
柔らかい。
少ししてから、顔を離す。潤んだような深緑色の瞳と目があった。
もう一度お腹に顔を埋める。やっぱり強く抱きしめてくれた。
「……好きです」
「私も……」
ほどよい大きさの胸が頭に押し当てられる。その柔らかさにぽわぽわとしてきた。
「お待たせ……って、さすがに人前だと……まあいいか」
「いいわけないわよ、みんな見ているわ……早く入りましょ」
両親が呼びに来るまで、周りの視線にも気付かずに私たちは抱きしめあった。
「ここからなら洗礼の様子がよく見えるね」
「そうね……って二人とも、いつまでやってるの」
ミシェルの腰に手を回して抱きつく私と、そんな私の頭を優しく撫でてくれるミシェルに、お母様が呆れた感じで言ってきた。
「お嬢様」
「やっ……」
いやいやと首をふるふる振ったのに、そっと身体を離された。
「繋いでてあげますから」
「……むぅー」
なおも不満げな私に、ミシェルが苦笑いをする。だけどそこには愛情を感じられた。渋々と用意された席のほうに進む。
「どうぞ、お嬢様」
「うん……」
椅子を引いてくれたので大人しく座る。ミシェルも座ったのを見て、私はすぐに彼女の手を掴んだ。
ぎゅっと握り返してくれる。本当は抱きつきたいけれど、これで我慢しておく。
私たちが入ったのは聖堂の中。側廊にあたる部分の二階にある、吹き抜けの小部屋にいた。四人が並んで座ることができるくらいには広い。
真下にはたくさんの子供たちがいる。その正面、中央祭壇にはぴかぴかと七色に強く光る、大きな水晶玉が目に入った。
「あの玉はなんですか?」
「あれに手のひらを当てて祈るんだよ」
「洗礼のメインね……割らないでよ」
なるほど。てか割りません。失礼な。
「緑色なんですね」
「緑? 七色でしょ?」
「え?」
ミシェルがおかしなことを言ったので、もう一度水晶玉に目を向ける。
やっぱりどう見ても七色じゃない。たしかに緑も混じっているけれど、あれを緑色だなんて。ミシェルはもう眼が悪くなっているのかしら。
「ほら、静かに。陛下と大司教様が入ってこられたから」
お父様の言葉に、口をつぐんで階下を見る。
さっき会った王様と王妃様、それからとても重そうな服の裾をずるずると引きずって、翼廊から偉そうなおじさまが歩いてくるのが見えた。手には本を抱えていて、きりっと偉そうな表情をしている。うん、本当に何もかも偉そう。頭は寂しいけど。
そのおじさまの後ろには、これまたずるずると長い裾を床に擦り付ける、ミシェルと同じくらいの年齢の女の子がいた。濃紺の長い髪がつやつやと光の輪を作ってる。
「あの子は誰ですか?」
こそっと、隣に座るお母様に聞いた。
「御子様よ。祈りと祝福を授けてくれるの。大司教様より主役ね」
「あのハゲはお飾りだからねー」
「あなた、言い方。まぁ、本当のことだけど……」
「ほへー」
本当にほへーといった感じで御子様を見る。
静かに堂々と歩くその姿からは、たしかに神聖な雰囲気が漂っていた。しかも目を閉じているだなんて。私ならあの裾、とっくに踏みつけている気がする。
椅子に座る王様と王妃様を通り越したハゲ──じゃなかった、大司教様が司教座にたどり着く。御子様はその後ろに佇んでいた。
「本日、今日この日を迎えられたこと、朱の最高神様に──」
長々と大司教様の有り難いお言葉が始まった。
本当に長い。要約すると、『ありがとう神様、ありがとう世界。これからも見守ってね』といった感じかな。
たったこれだけの話を、よくもまぁ十数分に延ばせるものだなと思う。両親も、王様とか王妃様ですら、死んだ目で天井を見上げていた。わりと真面目に貴族として見習うべきかもしれない。
「──つまり言いたいことは、大河に溶け込んでいく新雪のように清らかに、そういうことである。ちなみに──」
どういうことだろ。まったくわかんない。
というかまだ続くの!? みんなうんざり顔になってきているんだけど。
「──だから皆は空に羽ばたくような、そういう雄々しく強い心を持って」
「あの……そのへんで……」
「過ごすのと同時に……ん、少々話しすぎたかもしれないな。では皆、佳き日を迎えるように」
「……では続きまして、国王陛下よりご挨拶があります」
たっぷりと話し終えて満足そうな大司教様が一歩引いたのと代わりに、王様が前に出てきた。まだ何も話していないのに、すでに疲れた顔をしている。
それにしても御子様、すごいナイスなお仕事。みんなほっと息を吐いているのがわかる。
「みんな、おめでとう。今日授かった力を国のために役立てて欲しい。ではこれより、洗礼を始める」
昼間に会った時とは違って、威厳に満ち溢れた声が聖堂に響き渡る。個人的には素のほうが好き。
でもあっさりとした挨拶はさすがだ。王妃様も御子様も、聖堂に集まったみんなが涙を流しているだろうと思えた。
「皆様、どうぞお並びください」
御子様の綺麗な声を合図に、洗礼が始まった。
子供が一列に並んで、一人ひとり順番に洗礼を済ませている。なにかの順があるらしいんだけど、よくわからなかった。
緊張した足取りで前に出てきた子供に、御子様が目を閉じて胸の前で両手を組んでる。同時に、きらきらした光が子供に降り注いでいた。
「あれは?」
「御子様が祈ってくれているのよ」
「全員に祈るのですか?」
「さすがの魔力量だよね。並の人ならすでにぶっ倒れているよ」
ふぅん。やっぱり御子様と呼ばれるくらいだから、凄い人なんだろうな。
続いて子供が、祭壇にあった七色の水晶玉に手を当てた。強く光るそれは特に変化がないように見えたけど、子供は興奮した様子で来た道を戻っていく。
「なんかあっさり……?」
「はは、そうだね。一瞬だけ強く光ったと思ったら、それで終わりだよ」
「んん……?」
一瞬だけ強く光る? ずっと強く光っているんだけど……もしかして、私にしか見えていない?
「ミシェル」
怖くなってミシェルの裾を引っ張った。
「はい、お嬢様」
「強く光ってる?」
「そう、ですね……一瞬ではなく、先ほどからずっとですが……」
「やっぱり!」
よかった、私だけじゃないみたい。
不安な気持ちが薄れていく。だって七色の光が、さっきよりもっともっと強く輝いていて──
「緑色がどんどん強くなってます」
「なんでそんなこと言うの!?」
「お嬢様!?」
せっかく安心したのに! 緑色とか変なこと言わないで!
「こら、二人とも静かに」
お父様に怒られた私は、ぶすっと洗礼の様子を見続ける。
ミシェルが戸惑ったように手を伸ばしてきた。ふん、そんなので許してやらないんだから。見ていなさい。
伸びてきた指をぱくっと咥えてやった。そのままがじがじと甘噛みしてやる。私は怒っているんだから。
「お、じょうさっ……!」
だというのにミシェルのやつ、口元にもう片方の手を当てて、感動したように目を潤ませている。そしてなんだかでれっとした表情になった。なによそれ。
ひとしきり噛み付いてから口を離す。『思い知ったか』という気持ちでいると、いきなり抱きしめられた。
「はぁ、もう……!」
「み、ミシェル?」
「二人ともなにやってるの……静かにしなさいと言ったでしょ」
けっきょくミシェルのせいで二度怒られたじゃない。
むむんっとにらんでやったのに、どうしてか、ミシェルはいい顔をしていた。なによそれ。私ばっかりおかしくない!?
洗礼は順調に進んだみたいだった。
途中で御子様が交代していた。さすがに疲れちゃったのかしら。新しい御子様は、淡い水色の髪色をしていた。でも雰囲気は同じように感じる。美人なところも。
最後の一人が終わり、挨拶をした御子様の特大なお祈りの光が、聖堂全体に降り注いだ。
「以上をもって洗礼を終了する。みな、今日という日を忘れないでもらいたい」
王様による締めの挨拶が行われ、子どもたちがぞろぞろと退出していく。あれだけ人に溢れていた聖堂が静まり返ってしまった。
こうなると、神聖な空気がこの場に満ちているのがわかる。最初からこれなら、私も静かにして怒られなかったのに。
「スチュアート侯爵様、そろそろ」
「うん、ありがとう」
どきっとして振り返ると、青色の服を着た男の人が後ろに立っていた。関係者みたいだけど、できれば驚かさないでほしい。
「すみません」
その人は朗らかに笑った。悪気はないようだった。
「ほら、二人とも。下に降りなさい」
「私たちはここから見ているから」
「はい、お父様、お母様」
「行ってまいります」
私はミシェルと手を繋いで、男の人に導かれて一階に降りた。




