(3)
「今日も大変にお美しいですよ、お嬢様」
「ありがとう」
待ちに待った洗礼の日。
今日は朝から入浴を済ませ、自室にあるドレッサーの前で侍女にめかし込んでもらっている。普段は流しっぱにしている髪も、今日この日は可愛く結ってもらった。
『どうぞこちらで』と姿見に向かって確認。ほんの少しだけウェーブをかけてもらった銀髪を、アップアレンジにしてもらった。なんとなく大人な雰囲気が出ている気がして、ちょっとだけ鏡の前でポーズを取ってしまう。たぶん明日にはストレートに戻るんだろうけど。
ドレスは上半身を瞳に合わせた蒼色に、足元まで伸びるスカート部分は真っ白。裾のフリルは淡い紫になっており、ワンポイントなお洒落さが目立つ。まるでどこかのお姫様のような仕上がりに、私は満足して笑顔を浮かべた。
化粧はほとんど施していないナチュラルなものだったけど、ほんの少しだけ唇に紅を引いてもらっている。普段から血色のいい色なので、本当にわずかだけど。
そのまま侍女と一緒にエントランスホールに向かう。新しく卸した靴が慣れない。なんとかつまずかずに歩く。お母様と教師による厳しい教育を思い出して、感謝と、少しだけ恨めしさを抱く。
「やぁアリス。今日もとびきり可愛いね。地上に降りてきた神の御使い様みたいだよ」
「ほんと。おとぎ話から飛び出してきたみたいよ」
「お父様、お母様。お待たせしました」
両親からのお愛想が混じった称賛を受けて、少しだけ熱くなった顔で私は挨拶をした。
そんな二人も今日はびしっと決めている。
お父様は刺繍の入ったダークのスーツを着こなしており、胸に見えるポケットチーフが綺麗におさまっている。
お母様も、淡い金髪に似合う二色使いのモノトーンドレスがお上品。なお、胸はお上品ではないくらいに盛り上がっている。
「あら、どうしたの?」
ついついお母様のその大きな胸と自分を見比べてしまう。
すとーんと落ちるような絶壁のそれに、ちょっとばかし悲しくなった。まだ五歳なんだから当然なんだけど。
「なんでもありません、お母様」
「貴女もすぐ大きくなるわよ」
むぅ、バレていたようだ。
「あとはミシェルだね」
「私、少し楽しみなのよ」
「私も!」
今日はミシェルも洗礼を受ける。特例だから、他の受洗者のあとにこっそりと受ける予定。さらに追加の我儘を言って、私もミシェルのあとにしてもらった。たぶん、聖堂には二人だけが残ることになる。
二人だけの洗礼。なんだかとても秘密なことをしているみたいで、わくわくする。
ミシェルの服と言えば、仕事着、寝間着、湯着のいずれかくらいしか見たことがない。私服姿は本当にごく稀だ。
だけど今日はお披露目。尻込みする彼女を、他の侍女が部屋に押し込んでいた今朝を思い出す。
待っていると、遠くから声がしてきた。なんだか騒がしい。
『ま、待ってください……本当に!』
『はーいはい、さっさと諦める』
『少しだけ! ほんの少しだけ時間を!』
『あのねー、主を待たせているのよ?』
『うぅ……』
仕えてもらっている中でも陽気なほうの侍女が、ミシェルの背中を押しながら入ってきた。少し突き飛ばされたのか、つんのめるような形で前に出てくる。
「わぁ……!」
初めて見る彼女の姿は、とても綺麗だった。
薄く爽やかなグリーンのドレスが、沈香茶色の髪によく似合っている。胸につけた花柄のアクセサリーが可愛い。髪にも花柄のバレッタ。
控えめに言っても、その姿は貴族の令嬢のようで、とても侍女には見えなかった。
「凄い! 綺麗! お姫様みたい!」
「お、お嬢様! ご冗談を!」
「嘘じゃないもん! ねぇ、お父様、お母様!」
たぶん、私の目は今すごくきらきらしている。これまで見たことがない彼女の可愛らしさに、顔が熱い。ミシェルも顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。
「うん、ミシェルも綺麗だね。こうして並んでいると、髪の色は違うけれどまるで姉妹のようだよ」
「本当よミシェル。今の貴女、美しいわ」
「だ、旦那様! 奥様も!」
「ミシェルお姉さま?」
「お嬢様!?」
こんなに真っ赤になって慌てているミシェルが新鮮で、ついつい家族揃ってからかってしまう。
ミシェルが本当にお姉様になってくれたら、きっと嬉しい。だけど、たぶん彼女は断ると思う。その気持ちは忖度してあげたかった。それにすでに家族みたいなものなのだから。
ミシェルも年齢が年齢なのか、少し膨らんだ胸が目立っていた。
もう一度視線を下に向ける。また悲しい気持ちになった。
「だからすぐに大きくなるってば」
むぅ、またバレていた。
「あ……お嬢様、その髪飾りは……」
「うん! ミシェルが贈ってくれたやつ!」
「い、いけませんお嬢様。このような日に、そのような安物を……」
私の髪飾りを見て気づいたのか、ミシェルがおろおろし始めた。
でも、どうしてもこれにしたかったのだ。いっしょに洗礼を受けるのだから、いっしょにいられるのだから、身につけるものも彼女を感じるものがいいって。
「これがよかったの。貴女を感じるから!」
「お嬢様……」
「これがいいの。貴女のがいいの……ダメだった?」
「いえ……いいえ。ありがとうございます、お嬢様」
「うん!」
なんとなしに飾りを触ってしまうが、ミシェルが止めてきた。『ズレてしまいます』と言われ、髪を触られる。くすぐったさに身を捩れば、彼女の手が追いかけてくる。
二人でじゃれあっていたら、時間になったのか、懐中時計を懐にしまったお父様が声をかけてきた。
「それじゃ行こうか。……ごめんね。本当なら、すぐにでも王都見物をさせたかったんだけど」
ん? どうしたんだろう、すごく申し訳無さそうな顔をしている。
「なにかあるのですか?」
聞いてみたら、お母様が答えてくれた。
「王宮に呼ばれているのよ。洗礼前に会わせろって。どうせ聖堂で会うのに」
……なんですって? 初めての外出が、いきなりそんなところから始まるの?
「おう、きゅう……」
驚く私の後ろから、ミシェルの強張ったような声が聞こえた。
「二人とも初めてだったわね」
「はい、お母様」
「だから今日は時間が取れないんだ。王都を見て回るのは明日になるね」
「ま、そこまで怖がらなくていいわよ。招待された身だから、堂々としてちょうだいね」
「わかりました。お父様、お母様」
私が無理を言って、ミシェルも洗礼を受けられるようにしてくれたんだ。これ以上、わがままは言えない。それに陛下にお願いをするって言ってた。だから今日のこれは、王様が取り計らってくれた結果だと思う。なので素直にうなずく。
だけど、後ろからはやっぱりがくぶるとした声が聞こえた。
「お、お嬢様……王宮って……」
「王様がいるところね?」
「は、はい……そう、ですよね……」
どうも緊張してしまったらしい。
当然かもしれない。孤児として生き、この家に来てからまだ二年も経っていないのだから。
そもそもスチュアートだって侯爵家。孤児から侯爵家侍女、さらに王宮からのご招待、しかもおそらく謁見に近いと思う。いろいろとすっ飛ばしている感が否めない。
「お、お嬢様は大丈夫なのですか?」
「うーん、どうだろう……よくわかんない」
「……なんだか、初めてお嬢様が頼もしく見えます」
「でしょ!」
ふふーん、そうでしょそうでしょ。私は侯爵家長女なのだから、この程度で震えているわけにはいかないのよ。
「……褒められてないよアリス」
「しっ」
ミシェルと手を繋いで屋敷を出る。
門の前には馬車が停まっていた。御者が丁寧なお辞儀をしている。
「今日はよろしく」
「はい、旦那様。奥様もご機嫌麗しゅう……っと、そちらが──」
「ええ。二人とも、専属御者のマイクよ。挨拶なさい」
マイクは初老の男性だった。穏やかな表情をしている。白い口ひげがちょっと可愛らしい。ステッキがさぞ似合いそうな紳士だった。
「はじめまして、アリス・スチュアートですわ」
家族や教師以外にカーテシーを見せるのは少し緊張したけれど、上手にできたと思う。お母様を見るとにっこりしていたから。
「侍女のミシェルです」
ミシェルは普通に侍女らしくお辞儀をしていた。ちょっとは可愛らしく振る舞えばいいのに。
「これはご丁寧に。マイクです。スチュアート侯爵様の御者をやっております。どうぞご愛顧に」
そう言って朗らかに笑う。見たまま優しい感じのお爺様だった。私たちも釣られて笑顔になる。
「お嬢様はもちろんですが、ミシェル殿も美しい女性ですね」
「でしょう!」
「あ、あえ……」
「ははっ。今日と明日、よろしくお願いいたします」
「は、はい……! よろしくお願いします!」
またしても真っ赤になったミシェルがぺこぺこする。
ほら、みんな貴女のこと綺麗だと思ってるんだって。
スチュアート侯爵家紋入りの馬車に乗り込む。お父様がエスコートしてくれた。
ミシェルにも手が差し伸べられたけど、もの凄く挙動不審になっていた。
馬に乗った護衛の人らが隣にいる。手を振ると笑顔で返してくれた。
王都への道のりは数時間。お昼前には着くとのことだ。
私にとって、ここから先は未知の世界である。厳密には、もっと幼い頃に両親に連れられて領地を回ったことがあるらしいんだけど、はっきり覚えていない。
隣に座るミシェルの手を握りながら、わくわくした気持ちで馬車からの景色を眺めた。




