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第23話 最強の彼は悶々とする(2)

 水面を走る。結構な深さだというのに、リチャードの身体は沈まない。身を低くして、湖の上を高速で駆ける。


「うむぅ……」


 水しぶきを上げて走り回りながら、リチャードが渋い顔を作った。寸前にいた所に音と水柱が立てられる。


「なにがいけなかったんだ……?」


 彼は今、相手の攻撃に追い立てられていた。炎とか氷とか土の塊とか、城の方から雨あられに飛んでくる。這うように進んで、破壊の嵐を避けていった。


「む」


 特大の泥岩が視界に映った。リチャードは避けようとして──湖のことが気にかかってしまい、一瞬固まる。

 避けるのはダメだ。この綺麗な湖が濁ってしまう。色も悪くなる。いつか彼女と来ようと思っていたのに。


 避けるのをやめ、手のひらをかざす。

 泥岩に向かって光が放たれた。ジュッ、という音とともに、泥岩は蒸発して消えた。

 城の方から怒号が聞こえてきた。『もっと撃て』と言っているように聞こえる。今の動きを動揺とでも捉えられたかもしれない。


「普通に近づいただけなのだが……」


 こんなはずではなかった。スマートに、格好良くやろうとしただけなのに。


 リチャードは湖に着水後、水面を走って城に近づいていった。

 真っ直ぐに。

 真正面から、堂々と。

 スマートに格好良く、彼は目的地を目指した。それに男らしい。このあとのことを考えると、顔がにやけるのを止められなかった。

 で、見張りらしき人物と遠くから目があってから、こんな感じに追い回されていた。


 いったい何が悪かったのか。首を捻りたくなるが、次々と泥岩が投げ込まれるため、その時間も与えてくれない。リチャードは丁寧に処理をしていった。


「これは……面倒だ」


 思わずうなってしまう。

 攻撃自体はたいしたことはない。この程度、リチャードなら避けるまでもなかった。たとえ当たったところで、ダメージらしいダメージは受けない。

 だが、汚い泥岩に当たりたいわけでもないし、かと言って避けてしまうと、せっかくの景観が汚れることになる。

 一つ一つ対処しないといけないことに、彼は頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。


「よし、まずは手前のやつらを──」


 このうんざりする時間をさっさと突破する。気合を入れ直したリチャードが顔を上げたところで──

 眉をひそめた。チャネルが繋げられたのだ。念話が始まる合図である。

 相手は愛しい婚約者、アリスだった。


『り、リックさまぁ』


 可愛らしい声が頭に響く。どうも慌てているみたいだった。いや、怯えていると言ったほうがしっくりくる。何かあったのだろうか?


(む? なんだ、アリー。問題でも起きたか?)

『問題です。大問題です。……代わっていただけませんか』


 交代の依頼だった。『大問題』というのが少し気になるが、こと、戦闘能力にかけては絶対の信頼を置ける彼女である。苦戦をすることは考えにくい。相手をするのが嫌な部類だったとか、そういうことだろう。

 リチャードが少し考え込む。せっかく頼りにされているのだ。なるべくなら叶えてやりたい。叶えてやりたいのだが──


 また新たに飛んできた泥岩を視界に捉え、同じように消し飛ばした。

 ここに彼女が来る。汚らしい物体が飛んでくる、この場所に。もしも彼女の身が、ほんの少しでも汚れてしまったら。それ自体も望ましいことではなかったが、それ以上に悩んだのが、今の状況を彼女に知られるということだった。

 すでに敵に見つかってしまい、攻撃に追われているというこの状況。『まぁ。なにをどうされたら、こうなったのでしょうか。下手ですこと』なんて思われたら。これまで積み上げた信頼が、がらがらと音を立てて崩れそうな気がした。


 リチャードは交代する勇気が持てなかった。


(…………っと。あぁ、すまない。こちらも忙しくてな。終わったらそちらに向かおう)

『……そうですか。では、けっこうです』


 苦渋の決断をした彼に返されたのは、そっけない言葉だった。これまで聞いたことのないような声である。静かに、淡々とした口調だった。

 リチャードが一気に不安になる。心臓がキュッとして、血の気が引いていく。まさか、怒ってしまったのだろうか……!?


(アリー!? なにがあったのだ!? ……アリー? アリー!)


 ぷつん。

 必死に呼びかけるも虚しく、チャネルは非情に閉じられた。

 リチャードは、呆然とその場に立ち尽くした。心が絶望の淵に追いやられていく。生気のない虚ろな表情で、どこでもない前方を見つめていた。

 もう一度こちらから呼びかける、なんてことはできそうになかった。自分は一度断ったのだ。いまさら『やっぱり交代しよう! 頼むから交代させてくれ!』なんて懇願するのは、情けない以外のなにものでもなかった。


「…………ぐぅ」


 うつむいて後悔するリチャードだったが、敵は待っちゃくれない。新たに三つほど、岩の塊が投げ込まれた。今までよりもかなり大きい、特大の塊である。

 リチャードは動かない。すぐそこまで迫ってきているというのに、何も対処をしようとしない。

 岩が、ぶつかる。いま──


「…………」


 ぶつかる直前、岩がぴたりと空中で停止した。まるで一時停止でもしたかのように、慣性が働くこともなく、その場に静止していた。

 城のあちこちから声が上がる。追加を撃とうとした者が、力を練り始めたその時。


「貴様ら……」


 リチャードが声を出した。低い低い、怨嗟のような声を。それと同時に、岩がゆっくりと上昇していった。


「そもそも……」


 下を見たままぶつぶつとつぶやく。

 そもそも奴らが悪いのだ。鬱陶しい、汚らしい塊を飛ばしてくる奴らが。そのせいで会話もままならなかった。だいたい、なぜ泥なんだ。攻撃してくると言っても、もっとやり方というものがあるだろう。それになんで攻撃してくるんだ。俺はただ、格好良くやろうとしただけなのに。奴らが余計なことさえしなければ、さくっと交代して『やっぱりリック様は頼りになりますわ』なんて言ってくれたはずなんだ。両手を合わせてにっこりと、この湖のように美しい笑顔で。


「なのに……貴様らのせいで……」


 上昇した岩は、リチャードの頭上数メートルのところで、再び停止した。

 真正面から行ったのもリチャードだし、隙きを見せたのもリチャードなのだが、彼は自分が悪いとはこれっぽっちも思っていなかった。


「彼女との邪魔をしたこと、覚悟しろ」


 うつむいていた顔をあげる。眉間には皺が集まり、金色の瞳は怒りに揺れていた。

 すでに目的というか、何かがずれ始めていたのだが、今の彼にそんなことに気づく余裕はない。訂正する者もこの場にはいなかった。


 リチャードが、ほんの少し力を込めた。同時に、静止していた岩が高速で飛翔する。彼に向かって飛んできた時よりも、遥かに速い速度で。

 城壁にいた者らが悲鳴を上げる。指を差し、蜘蛛の子を散らすように逃げ回った。人影で埋め尽くされていた場所に、誰もいない空間がぽっかりとできる。そこに三つの岩が向かって──


 どがぁん!


 派手な音を立てて着弾した。土煙が舞い上がって、岩についていた泥がびちびちと飛び跳ねる。何人かは衝撃に飛ばされ、宙を舞った。足場を無くした者が下に落ちていく。外壁は崩れ、石や煉瓦が散らばった。


 大混乱を見せる城壁だったが、リチャードの手は緩まない。スマートさとかそういうものは、すでに彼の頭には存在しなかった。あったのは、とにかくさっさと終わらせて彼女のもとに向かい、誤解を解く、ただそれだけだった。


 リチャードの身体から黄金色の光が迸る。光と同じ色をした瞳が輝きを増した。

 彼の様子を見た者が、その場を離れて逃げ出そうとする。心の強い者は、それでもまだ攻撃を続けようとした。一部の者はよくわかっていないのか、右往左往してからなぜか崩れた壁の補修を始めた。

 だが、それらより早く、リチャードのプロシージャが発動する。


『EXEC WRLD_SPEL.CFORCE('normal', '100', '30')』


 光が消える。それ以外は、何も変わった様子を見せない。水面には波も立たず、風も穏やかなものである。ただ、リチャードから城に向かって、何かが吹き抜けた感じがした。

 しん、と静かになる。騒がしかった城壁からも、音が聞こえてこない。月夜にふさわしい静けさだった。


 リチャードが短距離転移で城壁に移る。目の前の光景に効果の発揮を確認してから、


「し、しまった……」


 がっくりとして頭を抱えた。

 全員が、倒れていた。城壁に並ぶようにして横たわっており、ぴくりとも動かない。

 目立った外傷はない。かすり傷を負っている者もいたが、生命に別状はないくらいである。大きな怪我を負っている者は一人もいなかった。

 だが動かない。死んでいるわけではない。外壁から落ちた者も同じように臥せっている。皆一様に、意識を手放してその場に倒れていた。追加の増員も来ない。城にある各部屋も、ここと同じ状況になっていることだろう。


「やりすぎたか……」


 リチャードが使ったのは威圧。それも、プロシージャによって大幅に強化された、相手の心を根本から揺さぶるものだった。

 殺傷能力はない。戦場を制圧するには、理想的な手段とも言えた。中には精神を病んで廃人になってしまう者もいるかもしれないが、さすがにそこまで面倒は見れない。自分は聖人君子ではないのだ。生命があるだけマシと思ってもらいたい。


 だがしかし。


「けっきょくこうなるのか……」


 歩くたびに外壁が崩れ、壁なんかは大穴が空いているのだった。そこら中に人が倒れており、『うう……』とうめいていたりもする。

 最初に『避けておこう』と考えていた情景が、リチャードの目に映っていた。


「ま、よしとするか……」


 とりあえず大部分の戦力は削れた。さっさと終わらせるという目的には、沿っているように思える。あとのことはもう知らん。誰がなんと思おうと、知らぬ存ぜぬで通せばいいのだ。『すでにこんな感じだったよ』とでも言えばいい。


 いろいろと穴のあることを考えつつ、リチャードが城壁を歩いていく。狭い入口から細い廊下、城内に足を踏み入れた。


「む」


 どこをどう行ったらいいものか。そう思った直後、前方から二つの足跡が聞こえてきた。今の威圧にも耐えうる強者。前情報通りである。ついでに、プロシージャの実行結果からも。


 立ち止まったリチャードの前に、二人の男が姿を現した。

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