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第22話 最強の彼は悶々とする(1)

「う~む」


 王国北部。リチャードは広大な湖を見下ろし、うなっていた。

 転移したのは、少し高くなった丘陵だった。なかなかに見晴らしが良く、地形なんかが遠くまでよく分かる。

 眼下に広がるのは湖。それも、かなり透明度の高い湖である。夜空が水面に映っていて、第二の月が光り輝いていた。これが昼間なら、陽光を反射してきらきらと煌くだろう。畔には草花も咲き誇っている。デートスポットにはもってこいと思えた。


「本当にあそこ、か?」


 湖の真ん中には島。そこに、城のようなものが建っていた。夜の空を背景にしたそれは、けっこうな景観である。

 頭の中に地図を浮かべる。アリスから渡された情報では、確かにあの城が目的地だと言っていた。


「疑うわけではないのだが……」


 彼女の力は、いまさら疑いようもない。自身と同じ力を持つ、気高く美しい女性。たまに見せる子供らしいところもまた可愛く、『へにゃっ』と笑う姿は足腰がくだけそうなくらいだった。


「……むぅ、いかんいかん」


 彼女のことを考えると、すぐに気が緩んでしまう。リチャードは頭を振って、もう一度城を見た。

 城。城かぁ……という気持ちになる。読んできた冒険活劇物の小説なんかでは、悪者の塒は洞窟というのが決まりごとだったのだが……

 愚痴を言っても始まらない。下ろしていた腰を上げ、リチャードは立ち上がった。


「さて、どうするか……」


 腕を組み、考え込む。

 あれでは潜入経路が限られる。忍び込むなら空からしかない。相手の生命を考慮しなければ、遠方から破壊し続けるのが一番だと思えたが、それはあまりに野蛮である。自然を壊すのもいただけない。

 リチャードが畔に目を向けた。ボート小屋のようなものが建てられている。この綺麗な湖、天気のいい昼なんかは最高だろう。


『ほら、リック様。冷たくて気持ちいいです』

『やぁ、揺らしすぎです、意地悪っ』

『リ、リック様……顔が、近いの……』

「だから違う、違うぞ」


 うつ伏せになって、地面をばんばんと叩く。近くにいた動物の気配が遠ざかっていくことを、彼は感知した。

 どうも彼女のことになると、よからぬ妄想が捗ってしまう。こんな調子では、皆に合わせる顔がない。アリスもアレフも、きちんと打ち合わせどおりに行動しているはずだ。自分だけがこうでは沽券に関わる。

 きりっとした顔を作って、もう一度立ち上がった。


「ふむ……最大の拠点、か」


 予想では百五十から二百人ほど。それに幹部の一人と、ボスがいるはずだった。

 それ自体は問題ない。敵の本拠地、集中した戦力を間近に控えながらも、リチャードに動揺はなかった。そんなことよりも、終わったあとのことを彼は考えていた。

 もし、遠距離から破壊活動を続けたりなんかしたら。そうでなくても、下手に力任せにねじ伏せたりしてしまったら。


『どうぞ、すでに大部分は終わらせておりますので』


 そう言って、崩壊した廃墟同然の城に騎士らを案内する。歩くたびに天井が崩れ、壁なんかは大穴が空いているのだった。そこら中に人が倒れており、『うう……』とうめいていたりもする。


 それは、どうだろう。引かれるんじゃないか? なんだか変な噂がたち、余計な尾ひれもついてきそうだった。公爵家跡取りとして、もっとスマートに進める必要がある。あと、彼女に褒められたい。


「とりあえず、向かうとするか」


 スマートに、男らしく、格好よく。

 リチャードは湖に向かって跳躍した。




「ブラムから連絡が来ない?」


 湖の真ん中に建てられた城の一室。男がボードゲームの駒を手にしながら、眉をひそめた。


「ええ」


 もう一人の男が涼しげに答えた。盤面を静かに見下ろしている。

 部屋には彼ら二人だけだった。ゲーム盤を挟んで、向かい合わせに座っている。

 灯りは少なく、薄暗い。テーブルの上に置かれたキャンドルの火が揺らめくたび、壁に映った二人の影がゆらゆらと動く。月夜の晩は物静かで、こと、こと、と駒が置かれる音だけが、部屋に響いていた。


「どうせ道草でも食ってんだろ。あいつもそうだが、お前以外は……んー、だいたい適当だしな」


 そう言って、奥に座る男が迷いながら駒を進める。移動先のマスに置かれていた相手の駒を手に取り、裏を確かめて──しかめっ面をした。


 ざんばらに切られた、獅子のような黒髪。切れ長ではあるが、眠たそうなタレ目。身だしなみにはうとそうに見えたが、顎髭だけは綺麗に刈り揃えられている。

 頬には大きな傷跡があった。貫通でもしたか、それとも治療が悪かったのか。傷に引っ張られるように、口の端が少し引き攣れていた。


「お言葉ですが、貴方もですよゼンディル様」


 もたもたとあっち置きこっち置きする男──ゼンディルに対して、手前に座った男は即座に駒を動かした。手付きに迷いがない。じわりじわりと、相手の行動範囲を制限していく。


「おいおい……また説教かよ、ネーレせんせ」

「ゼンディル様」


 ネーレと呼ばれた彼は、片眼鏡を指で押し上げて目尻を吊り上げた。

 水色の長髪は綺麗に真っ直ぐ伸び、キャンドルの灯りでつやつやと輝く。アレフのような執事服が、細く長身な身体に似合っていた。中性的な顔立ちは整っていて、ウィルに負けず劣らずの美男子である。こんな場所でなければ、女性に囲まれていてもおかしくないくらいだった。


 二人はしばらく視線を交わして──

 根負けしたように、ゼンディルが頭をかいた。


「わぁったよ! あとで様子を確認してくれ。ちゃんと使いも……いい加減、その目はやめろ」

「承知いたしました。で、ゼンディル様のターンですよ」

「ぐっ……!」


 優しげの欠片もない声にうめいて、脂汗を垂らして自身の布陣をにらむ。十数秒考え込んでから、サイドテーブルにあった角なしの駒を取り、盤面に置いた。

 自信ありげだったにも関わらず、やはりネーレはノータイムで次の手を打つ。すぐに自分のターンがやってくることに、ゼンディルは正面に座る相手を呪うような目で見た。


「それにしても、よく受けられましたね」


 いろんな駒を掴んでは離す様子に、長くなりそうだといった様子のネーレが、話を始めた。


「あぁ?」


 ゼンディルは顔を上げず、険しい表情で駒の頭を人差し指で叩く。


「彼のことは毛嫌いしていたのでは?」

「……けっ」


 触っていた駒を指で弾いて倒す。跳ね飛んだそれはネーレの駒に当たり、二つともボードの上に転がった。


「あの野郎のことは話すんじゃねえ。気持ち悪くて反吐が出る」

「おや、宰相殿に会ったことがおありで?」

「ねーよ。ただ、話を聞く限りわかるっての。阿呆でバカで愚鈍で身の程知らずなクソ野郎ってな」

「それはまた、ずいぶんな評価で」


 ネーレが駒を立て直す。ゼンディルは動こうともしない。よくある光景だった。


「受けたのは金がよかったから……それだけだ」

「ウェンティやグランドは反対していましたけどね」

「……ったく、なんでこうも一枚岩になれないのかね」

「彼女は事情が、グランドは硬派な男ですから」

「こんな組織に身を置いてんじゃねーよ……」


 ぼやくゼンディルを尻目に、くるくると駒を回したネーレが、ぱしん、と一つのマスに置いた。

 ゼンディルが目を見開く。どう見ても詰んでいた。見る高さを変えたり角度を変えたり、指で空中に動きを描いてみるが……疑いようもない、チェックメイトだった。


 ぐぎぎ、とゼンディルがうなる。宣言くらいしてもいいだろ。そんな声が、握りしめた拳から聞こえてくるようだった。


「では、今から私が様子を見に行きますので」


 ネーレが立ち上がる。待ったすら許さない。ゼンディルが駒を掴んで持ち上げ、空中からばらばらと落として盤面を崩した。


「……これで勝敗は五分五分か」

「ゼンディル様の借金は、百三十八ですが」

「前から思っていたが、お前モテないだろ」

「そのようなもの、不要ですよ」

「……ってか、お前が行くのか?」

「ええ。強者に敗れた……そのような可能性も、なくは──」


 そこで衝撃音と揺れ。ずぅん、という音とともに部屋が揺れた。

 細かい破片がぱらぱらと天井から落ちてくる。ボードの駒はテーブルの上を転がり、ほとんどが床に落ちていった。


「あぁ? なんだ、こりゃ」

「ボス!」


 異常事態にも動じず、座ったままのゼンディルが見上げて言ったと同時に、見張りの男が駆け込んできた。肩で息をして、その表情には焦りを浮かべている。


「報告を。慌てず騒がず、必要最小限になさい」


 ネーレも雰囲気を崩さない。ただ、その言葉には冷たい空気を孕んでいた。男は慌てて直立不動の姿勢を取る。


「し、侵入者です! あの野郎、真正面から堂々と──」

「落ち着きなさい。規模は? 相手の戦力は、いかほどで?」


 言い聞かせるように状況を問いただす。

 ゼンディルも、椅子にもたれかかって報告に耳を傾けていた。攻めてきた、ということは敵対組織か、それとも国家権力か。いずれにせよ、きっちりとお帰りいただく必要がある。


 二人の声には疑いがなかった。どのような相手に攻められようと、返り討ちにできる自信が感じられた。

 それもそのはず。彼ら自身の能力に加え、この城には大勢の荒くれ者もいる。雑兵ではあるが、数はバカにできない。戦闘経験もそれなりにある。

 さらには周辺の地形。湖に囲まれたここは、攻めるのが非常に困難だ。視界も良い。のろのろと近づいてくる敵など、集中砲火で沈められて終わりである。


 ちょっとした相手なら、指示を出すだけでたいがい終わる。彼らが興じていた、ボードゲームのように。


 しかし。

 直前にネーレが言った。『強者に敗れた可能性』と。そのことを、ネーレ自身もすでに忘れているようである。

 彼らは知るよしもなかった。まさにその強者が、今、目の前に迫ってきているということに。


 見張りが報告を続けた。


「ひ、一人です! 男が、一人だけ!」

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