第21話 最強の彼女は災難に遭う(3)
アリスのすぐ横を、猛烈にうねる渦巻状の気流が通り過ぎていく。
真横になった竜巻。自然現象ではありえない形だ。回避はしたが、その動きと気流のせいで、彼女の銀髪がいろいろな方向になびく。
(風……ね)
鬱陶しく揺れる髪を手で押さえながら、放ってきた相手を冷静に観察する。得意技が同じとは、どうしてこうも運が悪いのか。
その間も、続けざまに同じ攻撃がやってくる。アリスは移動して回避。予測されていたように、回避地点にも撃たれていた。驚きつつも、魔力を込めて消し飛ばす。
(経験は向こうが上……)
最高神の加護を持つと言っても、アリスは対人経験に乏しい。せいぜいがリチャードとのじゃれ合いくらいである。令嬢だから仕方ないのだが。
対して、相手は犯罪集団の幹部。実戦経験ははるかに上だろう。知能も技術もなく、真正面に向かってくることしかできない魔物に比べ、人間は狡猾に学ぶ。失敗から反省もするし、それを次に活かすこともできる。油断はできない。
(学ばせてもらうわ)
しかしそれはアリスも同じ。ここで培ったことを、リチャードに思う存分披露してやる。
と、ウェンティの魔力が膨れ上がった。大技を使う気だ。すぐさま効果範囲を予測、逃げ場がないことを悟り、自身も力を込める。
『暴風天狼』
二人が同時に魔法を発動した。使う技まで同じである。魔力が牙を生やし、眼光鋭い狼のような生物を形成する。
互いの『天狼』がぶつかり、身体を捻って喰らいあう。左、右にと暴れまわって、大口を開けてそれぞれの身体に齧り付き──
爆発四散した。舞い散った魔力の帯が、屋敷の屋根に当たって穴を穿つ。
アリスとウェンティが、飛び散る魔力を回避していく。二人がすれ違った。
すれ違いざまに、ウェンティが風の刃を放った。アリスも刃をぶつけようとして──絶妙に隠された第二の刃があることを、瞬時に感知。動作の大きい魔法の使用は避け、魔力を流した手刀で風刃を切り裂いた。
再び距離を取る。最初と位置が逆転していた。
「うふふ、楽しいわねぇ。……ねぇ、やっぱりいっしょにいましょうよ。ずっと傍においてあげるから」
「あいにくですが、すでに婚約者がおりますので」
「あらぁ、男なんてダメよ? 粗暴だし臭いし脂ぎってるし、いいところは股間のそれだけ……それも道具でどうにでもなる。貴女には可愛い花園が似合うわぁ」
「聞く耳持ちませんわ」
短い会話を挟んで、またも激しくぶつかりあった。目まぐるしく位置を変え、飛び回り、そこかしこで明滅させ、大気を振動させる。二人の実力者が戦い合う様は、さながら天変地異とも言えるべきものだった。
『竜の息吹』
『春精霊の総奏』
何度も大技が展開され、時に力押しで、時には相手の攻撃を受け流す。逸らされた魔力が上空に向かい、大気を消し飛ばしたことで、一瞬だが星空を覗かせる。
いつの間にか、二人の場所には雨が降っていた。ざぁざぁごうごうと、稲光を伴って強く打ち付ける。だが、アリスもウェンティも濡れている素振りはない。魔力で体表を覆うことで、雨に当たるのを防いでいた。
「ふぅ……雨はやぁね」
何度目かの距離を取った時。ウェンティが髪をかきあげ、億劫そうに言った。
戦闘姿勢を解いたのを見て、アリスも少し力を抜く。こういうところが、彼女の経験不足を如実に物語っているのだが、ウェンティはその隙を攻めることはせず、両腕を広げて話しかけた。
「ねぇ、アリスちゃん。貴女ほどの可愛さなら、男の気持ち悪さなんてうんざりするほどわかっているでしょ?」
「…………」
「女の子同士なら、そんなことないわよぉ。美しいものは美しいまま、愛し合うべきなんだから」
アリスの頭に、学生だったころの記憶が蘇る。
下卑た視線で胸元ばかり見てくる者。隠せば隠すほど、なぜかその視線は強さを増し、なお一点に注がれるようになっていった。
中等部の時に、少しだけ『いいな』と感じていた人物も、成長するにつれて他の男性と同じ瞳になっていった。あの時どれだけ落ち込んだか。思い出すと、胸が苦しく締め付けられる。
『遊んでいるんだろ? 俺が相手してやるよ』
学園廊下で、いきなりそんなことを言われた時もあった。逃げ出すと、背後から聞いたこともないような罵声が響いてきた。声がこびりついて離れない。耳をふさいで眠る日々が続いた。
何もかも忘れたくてひたすら学問に力を入れると、次に襲ってきたのは嫉妬の渦。
『男漁りをしている八方美人』『教師まで誑かす悪女』。それが、女生徒からのアリスの評価だった。
「男なんて、付き合うだけ無駄よ。それをわからせてあげる!」
ウェンティが大きく後方に移動した。魔力が高まりだす。すでに一部の力は身体から漏れ、暴風をまとい始めているが、なおも力の上昇は止まらない。
額には汗を浮かべている。苦悶の表情にも見えた。制御するのがぎりぎりなんだろう。これから使う技の凄さが、ひしひしと感じ取れた。
アリスも後方にゆっくりと移動した。目を閉じ、同じように魔力を高める。
あのままだったら、自分もウェンティと同じような存在になっていたかもしれない。男性と関わるのをやめ、殻に閉じこもって、無気力なまま生き続けたかもしれない。
だが、幸いなことに自分には素晴らしい友人がいた。ナナリーとニナにはどれだけ助けられたかわからない。先日のお茶会を思い出し、くすっと笑う。
それに誇らしい家族もいた。ちょっとダメなところはあるけれど、優しい父。怖くて厳しい面もあるが、憧れでもある美しい母。最近くっついてくれなくなった、愛くるしい弟。それにミシェル。もし、あの時あの路地裏を通らなかったら。そう思うと、悲しくて泣きたい気持ちになる。
アレフもそうだ。ちゃらけた部分もあるけれど、よく自分のことを慮ってくれる。残り少ない妹との時間も、融通してもらっている。幼い頃から一緒に育ったミシェルを取られるのは、寂しい気持ちもある反面、二人がぎくしゃくとするところを見るのも嫌いじゃなかった。
そしてリチャード。彼は今まで会ったどの男性よりも誠実で、透き通るくらい心が綺麗な人だった。最初は少しおっかなかったが、会うたびに彼の可愛い一面が見え、どんどん好きになっていった。数年前の自分からでは、とても考えられなかったことである。
初めてのデートなんて失敗しかなかった。衣装に悩んで、挨拶に悩んだ。彼の顔もまともに見れず、会話も長続きせず。楽しんでくれているか、最初から最後まで不安と心配でいっぱいだった。それが今やお泊りなのだから、なんとも不思議な気持ちになる。友人や家族からはいろいろ言われるが、着実に進展しているのだと思うと、いっしょになれて良かったと思える。
リチャードに会えて、アリスの世界は広がった。苦しく切ない時もあるけれど、今の自分はあの時なんかより、遥かに充実している。
「そうは、思わない」
小さくつぶやいたアリスの全身が、白金色の光に包まれた。
限界を超え、それでも魔力を注ぎ込んでいく。身体が熱い。ばらばらに引き裂かれそうだ。懸命にこらえ、己が持つ最大顕現の技の発動に集中する。
危うい技である。制御を間違えると、まず自分の身がもたない。身体は端から崩れ、跡形も残さず朽ちていくだろう。
『颶風竜』。それがウェンティが持つ、加護の名前だった。人より高位である竜種。その力の一部が、彼女の身に宿っていた。
(まぁ、これでも勝てるとは思わないけど)
なんとなく、感じ取っていた。相手との力量の差を。
すでに自分は余裕がなかった。飄々としているようには見せたが、ただの強がりである。実際は何度もひやりとさせられていた。必死に放った一撃も、涼しく対処されてしまった。しかも、わりと余裕たっぷりに。実戦不足には見えたが、そんなもの補ってあまりある力を、己の敵──アリスは持っていた。
(ずるいなぁ)
あんなに綺麗で美しく、世の中の汚さなんて跳ね除けてしまうくらいの気高さ。そこに力も合わさったんじゃ、勝てるはずもなかった。生まれた時から奴隷暮らしだった自分とは、何もかもが違う。
物心ついたときには、すでに処女を失っていた。野蛮な男どもの相手を続ける、慰み者になるだけの毎日。絶望した回数は両手の指では足りないくらいだ。
お遊びで洗礼を受けさせられた時、彼女は狂喜乱舞した。その力を真っ先に向けたのは、当然ながら野郎どもである。地面に転がった、何度も見てきたイチモツを蹴り飛ばし、そこからは転々と居場所を移し続けた。
(どうせ住む世界が違う──えっ?)
正面から凄まじい力を感じた。身体の痛みをこらえて前を見ると、白く輝く少女の姿が目に映った。
銀色の光が眩しい。静かに集中しているようだった。顔をしかめ、限界いっぱいいっぱいな自分がみすぼらしい。
(綺麗……)
これまで見てきたどんなものより美しい光景に、心が奪われる。制御を忘れてしまうほどに。
(しまっ──)
慌てて意識を戻すも、遅かった。ほんのわずか、自身の手から離れた力が、枷を解き放って身体の内を暴れ出す。
(くぁっ……ああぁっ!)
無理やり顕現しようと、加護であるはずの竜が暴れまわる。皮膚を食い破ろうとしているみたいだった。心臓の鼓動が恐ろしいくらいに速くなる。
大変に情けない失敗である。相手の姿に見惚れて失敗した、なんて言い訳にもならない。幹部としてあるまじき失態だ。
(死ぬ、わけには……)
死ぬわけにはいかない。自分が死んだら、誰が屋敷の娘らの面倒を見るのか。自分と似たような境遇である、あの娘らを。
どんな小さな子供でもかまわなかった。攫いもしたし、無理やり親元から引き剥がしもした。それでも、放っておくことなど彼女にはできなかった。
あの娘らは自分を慕ってくれている。世話係を巡っていつも喧嘩していた。それを宥めて、全員を同時に相手にするのが楽しみだった。
(いっそ……)
このままではばらばらになる。なら、不完全な今がチャンスだ。生命力まで残さず食いつぶされる前に、身体の外へ押しやる。可能性は低いが、醜く死ぬことだけはどうしても避けたかった。
一縷の望みと覚悟を抱えて、こいつの名前を口に出す。
『颶風、竜王』
力が根こそぎ奪われ、もの凄い脱力感がやってきた。
竜が眼前にまで迫る。これまでのものとは比較にならないくらい、桁違いの力。人間など一飲みにするほどに、バカでかい風の竜。いくらアリスでも、まともにくらえば無傷では済まないくらいのものだった。
だが、そんな竜には目を向けず、アリスはウェンティの姿を確認する。
すでに感知していた。だらりと手足を垂らしたウェンティの生命力が、急激に低下していく。おそらく、制御を誤ったに違いない。自身に恩恵をもたらすはずの加護が、今は彼女に牙を向いていた。
喰らおうとする竜から、短距離転移で逃れる。ばぐん、と噛みついた風竜は、捕らえられていないことにきょとんとした雰囲気を見せ、獲物をサーチしてから再びこちらに向かってきた。
「死なせはしないわ」
なんとなくだが、アリスはウェンティを憎めずにいられないでいた。もちろん犯罪者ではある。きっちりとお役所には突き出す。犯してきた罪は疑いようがない。
だが、死んでほしいわけではない。死なせたくはない。屋敷で触れ合った短い時間が、アリスをそのように思わせていた。
「甘いって、怒られるのかしら」
ミシェルや母に報告したら、どう思われるだろうか。呆れられるだろうか。自身の身より相手を心配するなんて、と激昂されるだろうか。
それでも、彼女を助けたい。アリスが然るべき思いをもって、魔法──世界パッケージに登録された、攻撃プロシージャを実行する。
対象は、荒れ狂う烈風の竜。ウェンティではない。打ちのめす必要もない。心を折る必要も、ない。威力も効果時間も限定する。
『EXEC WRLD_SPEL.SWINDS(scope=>'ind', job=>'adm.tem_low', interval=>120, efftime=>sysdate + 60)』
アリスを中心に、まばゆい光が夜の闇を貫いた。一瞬、視界が真っ白に染まる。
ウェンティが出した竜や、これまでアリスが使った『天狼』のように、何か形があるわけではない。だが、効果が発揮されたのか、光を浴びた風竜は頭の方から吹き飛び始めていた。
不可視の攻撃。発動時間は最速、効果範囲は超大。避けることも防ぐこともままならない。対処が可能なのは、あの三人くらいなものである。
アリスの銀髪が異常なまでに輝く。いつもの蒼色の瞳に、七色の輝きが揺らめいていた。光が天を衝き、雲が広範囲に消し飛ぶ。すでに雨は止み、大きな月が彼女を照らしていた。
実行ログがずらずらと頭に流れていく。プロシージャに組み込まれた処理が、あらゆる方向から目標に対して効果を及ぼし、破壊、分解していく。
もがく風竜だったが、どうすることもできない。蒸発するように姿を崩していき、光に溶け合うように消失した。風も音も鳴り止む。
『recheal parfile=def.par link=all parallel=2 mrec=no』
続けて回復ユーティリティを発動。
ウェンティの身体が優しげな光に包まれた。セリアに使った最上位の治癒魔法より、さらに高位に位置する回復方法。知られているどんなものより、高度で超常な効果を発揮する。アリスはやるつもりはなかったが、死者ですら蘇らせることができるだろう。それくらい高次元なものだった。見る間にウェンティの生命力が回復していく。
だが、失われた魔力までは回復させない。飛行力を維持することもできなくなったウェンティは、地面に墜ちていった。
「私は必ず、幸せになってみせるから」
アリスの言葉は、落ち行くウェンティの耳に届くことはなかった。
アリスが地面に降り立つ。ウェンティは少し離れた位置に横たわっていた。無防備で大地に激突しないよう、アリスが落下速度をコントロールして、ふんわりと地面に下ろしていた。
ゆっくりと近づいていく。その場所は、屋敷から少し離れたところ。野生の花々が、寝そべるウェンティを取り囲んでいた。
「無事ですか?」
両手を添えて前かがみになったアリスが、声をかけた。
目を開けたウェンティは、手を目の前で広げて、驚いたように瞳を大きくしてから、アリスの方を向いた。
「あ、あらぁ……私、生きているのね……」
「投降、しますか?」
「ふふ。そうね……敵わないことは十分にわかったし……敵に助けられてちゃ、笑い話にもならないわね」
自虐のような笑みだったが、やりきったような、清々とした表情だった。
「……これから騎士の方を呼びます。扱いは、私のほうからも伝えて──」
「あ、ちょっとだけ、もうちょっとだけ待ってくれる?」
「うん? まだなにかありますか?」
「もうね、身体が火照っちゃって……貴女のせいよぉ?」
「へ?」
ウェンティは片手を股間に当て、なんだかもぞもぞと動かしていた。舌を突き出し、口の端から涎も垂らしている。
「んんぅ……うふぅ、こういうのも、悪くないわねぇ。あそこが熱く痺れて、濡れちゃ──」
アリスが小さな氷塊をウェンティの頭上に落とす。
ぶつけられた彼女は、『あぁん』となぜか色っぽい声を上げて沈黙した。
「こんなとこ、二度と来ない!」
回復までしたのは、やっぱりやり過ぎだったかも。
真っ赤な顔で叫んでから、アリスは王宮へと繋がるゲートを出して、早足で駆け込んだ。




