第12話 最強の侍女
教会の奥、側廊から続く小部屋。
そこでアンナと子供らは全員集まり、縮こまっていた。
「お姉ちゃん……」
「怖いよ……」
二人の少女が震えながらアンナに引っ付く。アンナはその小さな背中を抱きしめて、何度も囁いていた。
「大丈夫……大丈夫ですから」
「私たち、死んじゃうの?」
「そんなことはありません……!」
抱く力を強くして、少しでも温もりを与えてやる。
昼過ぎからの強襲と、今なお続く極度の緊張に、子供たちの精神も限界に来ていた。泣きわめいていないだけマシだと言える。
『いいか。万が一敵が侵入してきたら、なにがなんでも子供らを護れ。私は後回しでいい』
『……承知しました』
『そんな声を出さないでくれ。これでも鍛えているんだ』
『私もできる限りサポートを』
『うん、よろしく頼むよ』
部屋の外からはウィルとケヴィン、司祭とシスターらの会話が聞こえてくる。
ウィルの命令に司祭は渋った様子だった。当然だろう。王家であるウィルのほうが、孤児よりも遥かに命の価値が高い。いくら綺麗事を言ったとしても、それは厳然たる事実である。いざとなれば命令を違反してでもウィルを護る、そうした声が透けるようだった。
(女神様……)
アンナが心のなかで祈る。
何度も何度も声に出し、心で唱えてきた言葉。これまでもその思いは本物だったが、今日この日は、この今だけは本気で神に祈る。
どうか子供たちだけでも──
(アリス、様……)
次にアンナの頭に思い浮かんだのは、アリスだった。
あの凄まじいまでの力。アンナも魔力は持っていたが、ごくごく普通の水準であり、生活の中でしか使ったことはない。人に向けてなど考えたこともなかった。
だがそれでも漠然ととらえることはできた。いや、とらえたといえば語弊がある。
彼女の力はそれこそ底が見えなかった。昼間会話した時に見せた、赤くなってわたわたしていた姿からはとても想像できないような、あの光景。見るものを圧倒する、美しき神姫。それだけが今のアンナの拠り所になっていた。
ふと、アンナが部屋の隅に目を向ける。
「サラ? なにをしているのですか?」
視線の先では、サラが窓に引っ付くように外の様子を眺めていた。
「ここからじゃ、見えなくて……」
のぞきこみながら残念そうな声を出す。この部屋からは、教会の正面入口部分の様子が伺えない。角になっているため、いくら窓から覗いても外の様子は見えなかった。
「危ないですよ──」
アンナが立ち上がり、窓から引き離そうとした時。
地響きが部屋を揺らした。
「わっ……わぁっ!」
「お姉ちゃん!」
「低くなって! 机の下に!」
慌てる子供たちに向かってアンナが大声を出す。部屋の外からも怒号が聞こえてきた。
子供らはばたばたと机の下に隠れたり、頭を抑えてその場にしゃがんだりする。上からアンナが覆いかぶさった。
「お姉ちゃん……おねえちゃぁん!」
「じっとして! 動かないでください!」
身体の下でじっと耐える少女に喝を飛ばす。
地響きは数秒続き、収まったように見えたと思ったら、間隔があいてからまた何度も揺れた。
地震にしてはおかしい。アンナも数えるくらいしか経験がなかったが、それでもこんなに断続的に揺れが来るのは不自然だった。
「……え?」
子供を身でかばいながらも、アンナが天井を見上げて不思議そうに声を漏らす。
部屋は、揺れている。今もまた揺れた。だが、天井に吊るされた照明は一切揺れていない。本来であれば壊れた振り子のように不規則に動くはずが、微動だにしていなかった。
続いてサラがいた窓の方を見る。普通は壁と接した面が、ぎしぎしと音を立ててぐらつくはずだ。なのになにごともないように静かだった。
「地面、だけ?」
目を見張ったアンナは後に聞かされる。
何もかも、ミシェルが計算したとおりだったことを。
「ちぃっ!」
足元の亀裂からブラムが飛び退いて逃げ出す。だが着地した面も、続くように地割れが起こった。何度もバックジャンプで距離を取る。
飛び上がりながら火球を放つが、威力が弱い。こんな短時間では力を練られない。ブラムが予想したとおり、空中で弾け飛んでしまった。
魔力をぶつけられたか、と思ったがどうも違う。よく見ると、小石がヒュンヒュンと周りを飛んでいる。
(まさか、あんなもので?)
けっきょく高台の方にまで追いやられてしまった。なおも崩れる足場に脚力を強化し、上空に飛び上がる。
崖上に着地、見下ろす。そこかしこに発生していた地割れは、急速にもとの地形に形を戻していた。
ミシェルが見上げる。手を組んで静かなものだ。通常の佇まいと、そう変わらない。だが、内なる激情を表すかのように髪は逆立ち、凄まじい魔力を帯びている。
「……地獄の炎よ。我が呼び声に──」
ブラムが詠唱を始める。『劫火』よりも上位の魔法だ。炎熱王の加護を身の内に感じながら、魔法を紡ぎあげていく。
魔力が炎の形となり、両手の中に顕現する。小さな炎だ。だが秘める力は巨大で、<炎熱王>という名に相応しいものだった。
赤からオレンジに、そして青白い光を放ち始める。莫大な熱量なのはひと目でわかった。周りの木々が焼き割かれていく。
それでもミシェルは動じない。『いいから早く撃ってこい』、そんな顔をしていた。
ならば挑発に乗ってやる。ブラムが彼女に向かって手のひらを向けた。
『炎帝の抱擁』
ブラムが小さく呟いた。
放たれた火球がゆっくりと進んでいく。小さく、ぽつんとした火球。吹けば飛んでしまいそうであり、その速度はいっそ頼りないくらいだったが、ブラムは勝利を確信していた。あの炎は、対象を燃やし尽くすまで決して消えることはない。教会ごと飲み込んで、それで終わりだ。
ミシェルの様子は変わらない。相変わらず小石を操っている。
「そんな小技でどうするのかね?」
ブラムが哄笑する。大地を操ったのは見事だったし、低威力ながらも小粒の魔法で炎を消し飛ばしたのは驚いた。
それもこの魔法の前ではどうすることもできない。いまさら地割れでも起こしてみるか?
だが、ミシェルもその口角を上げた。蔑むように彼を見る。
「あなたごとき、この程度で十分でしょう」
その言い草にブラムの怒りが頂点になる。さらに魔力を注いで、魔法の威力をこれでもかと跳ね上げる。
「ならば死ね! 骨も残さずな!」
火球が一気に膨れ上がった。ミシェルに向かって大口を開けるように、飲み込むようにうねり飛んでいく。その様子はまさに炎帝。『抱擁』とはよく言ったものだ。
しかし──
ミシェルが小石を一粒、火球に向けて飛ばした。
炎熱王の加護は、その力は稀である。たいていの者はそれに打ち砕かれ、『王』に向かってこうべを垂れるだろう。彼、ブラムがそうであったように。
しかししょせんは『王』である。ヒトの領域を出ない。人間ならまだしも、より上位の存在を相手取ったとしたら。そう、たとえば『神』が相手だとしたらどうなるか。
そしてその『神』が今、彼の前にいる。
小石が火球にぶつかった。
「なっ!?」
奇妙な光景だった。極小の石粒が、火球と競り合いへし合ってその場に留まっている。すぐにでも蒸発して消えてしまいそうなそれは、形を保ったまま炎の王に真っ向から対峙していた。
魔力がぶつかり不協な音を鳴らす。赤、白、青と様々な色が飛び散り、辺りに舞った。間には空気の断層が見え、衝撃波の形を作っていた。
「ば、ばか、な」
ブラムが思わず後ずさる。目の前の光景がとても信じられなかった。
「……ふ」
ミシェルがわずかに息を吐く。
それと同時に、『ぱしゅん』という音とともに小石が火球を貫いた。手前から奥まで、完全に貫通する。
火球が穴の空いた風船みたいに萎んでいく。持つ力が全部抜けていくような、空気が漏れるような情けない音を鳴らし、『炎帝』の命が消えてゆく。そのまま姿を消してしまった。
小石はくるりとUターンし、満足したようにミシェルの元に戻っていった。ふわふわと、じゃれつくように彼女の周辺を周りだす。まるで生き物だった。
「あ、ありえ、ない──」
二歩、三歩と、ブラムがよろよろと後退して──かつんと踵が小石にあたった。
びくっとして振り向く。まさかこれも──そう思うと、彼には周り全てが敵に見えた。
ブラムの考えは正しかった。『豊穣神』とは『母なる大地』を意味する。地の全てがミシェルの武器であり、味方だった。
ちなみに、この世界のどこかには五行思想というものが存在する。万物は五つの五大元素から成り、それぞれが影響を与え合うという、自然哲学の一種。
そこにある言葉、『火生土』。火は土を生じる。燃えたあとには灰が残り、やがて土に還る。灰とはすなわち土である。
火は土を生かす。つまり最初から、彼に勝ち目はなかった。
「くっ!」
勝算なし。悟ったブラムが撤退の手を取り──
「させるとでも」
先にミシェルの魔力が届いた。ブラムの前後左右、岩盤からめくれ上がった岩壁が挟み込む。そのせいで足元の土量が減り、ブラムの体勢が崩れた。
「ぐあっ!」
四方から挟まれたブラムがうなり声を上げる。岩壁はそのまま粘土のようにぐるぐると取り囲み、とぐろを巻いて強度と硬度を高める。完全に閉じ込められた。
しん、と静かになる。
「…………」
「終わったか?」
見守っていたアレフが声を出した。ミシェルは前方をにらんだまま、ふぅ、と息を吐いた。
「まだのようですね」
「……だな」
岩壁に小さな亀裂が入り、そこから薄く炎が飛び出た。一つ、二つ、三つと亀裂は増えていき、次々と炎が漏れ出す。
小さな亀裂は繋がって、やがて大きなひび割れを生み出し──
「があああああああぁぁあっ!」
雄叫びを上げたブラムが岩を砕いて脱出、宙に浮かび上がった。
身体が燃え上がっている。魔力を顕現させた、とは少し違っていた。身体自体が炎を纏っている。背中から吹き出した炎は、翼のようにも見えた。
「……しつこい」
「がはぁっ!」
フルヘルムの隙間から熱い息が吐き出される。
これだけは使いたくなかった。己の生命力を変換、魔力に全て注ぎ込み、自分自身を炎の塊と化す。一時的にだが、能力は限界を超えて超人の域に達する。命を削る諸刃の剣、自爆上等の特攻技だった。
だがそうする価値が奴にはある。あの岩壁の生成スピード、逃してくれるとは思えない。ならばやけくそでもなんでも、全てをぶつけてそこに突破口を見出す。それしか残されていなかった。
「サポートは──」
「必要ありません」
「まぁ、そうだわな」
アレフの申し出をミシェルが即断した。
相変わらずのんびりした会話である。炎の魔神。そう言っても差し支えないほどの敵を目の前にしても、二人に動揺はなかった。
『エンネツオウ』
炎のせいか、嗄れた声でブラムが魔法の名前を発した。翼から炎を噴出、推進力を得てミシェルに飛びかかる。
加護そのものの名前。最終奥義。それはただの突進技だった。
炎が帯を作り、流星となって激突する。
火柱が上空数十メートルにまで燃え上がった。大地は陥没し、舞い上がった砂が蒸発していく。
砂の主元素、二酸化珪素の沸点はおおよそ二千二百度。厳密にはそれ以外の鉱物や元素も多く含むため、一概には言えないのだが、多くの蒸発成分は四千度程度で蒸発を始める。
つまりこの場は、摂氏四千度以上の焦熱地獄である。人間などひとたまりもない。
『人間など』──
ブラムの頭が掴まれた。
生命力を失ったせいで朦朧とする彼が見たのは、炎の中で平然と腕を伸ばしていたミシェルの姿だった。
「ガッ……ソ、ソン、ナ」
振り払えない。両手で引き離そうとするが、びくともしない。その細腕のどこにそんな怪力があるのか、と言わしめるくらい、ぎりぎりと頭を掴まれ悲鳴を上げる。
「バ、ケモ、ノガ……」
「あなたほど醜くはありません」
「アガッ……!」
ぶるん、とブラムの身体が揺れた。ミシェルが魔力を流したのだ。
地面を響かせ、大地を割るくらいの桁外れの力。当然それよりも弱めではあったが、彼女の並外れた魔力が一人の身体に流された。
鎧を通って、身体の内部に深刻なダメージを与える。何度もヘルムに頭を打ち付けた。痛みと衝撃で意識が遠のいていく。
(こんな仕事、やはり引き受けるのではなかった)
それがブラムが最後に思ったことだった。
炎は消え、ミシェルが掴んでいた手を離す。だらん、と手足が垂れた状態のブラムはその場に崩れ落ちた。
「…………」
倒れ伏したブラムを見下ろす。ミシェルの手に魔力が集まり、光を放っていく。
それを無言で振り上げ、相手めがけて思い切り振り下ろし──
「そこまで」
寸前でアレフがミシェルの手を掴んでいた。魔力が干渉しないよう、絶妙に練られた力を彼も纏っている。
いつの間にかブラムも結界で覆われていた。ミシェルの全力をもってしても壊れないであろう、二重、三重に編み込まれた結界で。
ミシェルがそのままの姿勢で振り向いた。
「……アレフ様」
「気持ちはわかるけどさ。それをやると──お前が怖がられちまうよ」
アレフが教会の方を向く。怯えているはずの、護るべき子供らがいる場所を。
教会はなんともなっていなかった。炎や熱の影響も受けていない。中にいる者たちも無事だろう。
「ここを護ることができた、だから俺らの勝ち。な?」
「……そう、ですね」
アレフの説くような声に、ミシェルも腕を下ろして姿勢をもとに戻す。ほっと息を吐いて手を離したアレフに、そのままそっと寄りかかった。
「お、おい」
「……少し、このままで」
「……そっか」
こめかみをぽりぽりとかくアレフに、静かに体重を預けるミシェル。
少ししてから、アレフがミシェルの腰に腕を回した。普段ならこの時点で『不埒者』と言われて追いかけられていたが──ミシェルは何も言わず、黙って身体を寄せるように動いた。
「……ありがとうございます」
「別に、いいよ」
二人はそうして身体を寄せ合い、少しの間だが静かな時間を過ごした。
「あら、あらあら、あら?」
「むぅ……アレフのやつめ、やるではないか」
教会の上空からは、アリスとリチャードが二人の様子を眺めていた。
敵の力は感じていたが、なんの心配もしていなかった。自分たちが相対した者よりは強者ではあるが、あの程度であればどうとでもなる。それよりも、今繰り広げられている眼下の光景のほうが驚いた。
「むー……」
アリスが口をとがらせた。先を越された、という思いもあったが、昔からくっつき一緒に育った大好きな家族。姉同然に思っていた人が、自分以外に大事な存在を見つけてしまったことに、嫉妬の情が心に渦巻いた結果、リチャードに近づいていき──
「……んっ」
彼の太く逞しい胸筋に、身体をぴとっとくっつけた。普段ならこんなこと絶対にできなかったが、負けん気と妬みが今の彼女を動かしていた。
「あああああ、ありー!?」
またしてもリチャードが急降下する。あわせてアリスも墜ちていった。
墜ちながらもすりすりと身体を、顔を動かして頬を当て擦る。リチャードは一瞬で白目を向いた。
二人が地に激突する。ミシェルとアレフがびくっとして身体を離し、墜ちてきた物体を見て理解したのか、それぞれの主に向かってかけ寄る。
アリスはまだ離れない。おでこをとすんと当てて、むにゅむにゅと自分の武器を押し付ける。リチャードの身体がびくんびくんと跳ねた。
「なんなんだ、この状況……」
「もう! そんなだからお兄ちゃんはモテないの!」
「何度目だよそれ!」
引き離そうとするミシェルとアレフ。しがみついて離れないアリスに、息も絶え絶えなリチャード。
セリアが両手で目を覆うが、ばっちり隙間から見てきゃーきゃーとはしゃいでいた。




