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第10話 空と最弱の男女

「お、おわっ……わわっ」


 オスカーが手足をばたばたさせる。必死に何かにしがみつこうとするものの、何もないことを思い出してから、動かす手足をことさら速くしていく。

 思うように動けず、あっちいきこっちいきしてから──側にいたリチャードの腕にしがみついた。


「ふはぁ……」

「はは、問題はないと言っただろう」


 珍しく子供が引っ付きに来てくれているのが嬉しいのか、いつもより優しい表情のリチャードが笑い飛ばした。


「そ、そうだけど、さ」

「オスカーお兄ちゃん、だらしないの」


 その横をすいーっとセリアが移動した。震えるオスカーを煽るように、上下左右に楽しそうに動く。


「上手ね、セリア」

「ほんと!?」


 『きゃーっ』とはしゃいでアリスに近寄り、両手を伸ばす。アリスも手を差し出して、小さなそれをぎゅっと握ってやった。


「ええ。怖くはない?」

「ううん、ちっとも! すごい遠くまで見えて楽しいの!」

「そう、よかった」

  

 アンナは『臆病だ』と言っていたが、なかなかどうして、肝が据わっている。


「お兄ちゃんは情けないのです!」

「う、うるせえ!」


 オスカーが掴んでいた手を離し、犬かきのようにしてセリアを追いかけ回す。セリアはくるくると回って逃げていった。

 それを微笑ましく見るアリスとリチャードの後方には、縛られたままの意識のない男ども。身体はだらんと垂れ下がっており、彼女らを追いかけるように後を付いてきていた。


 アリスが正面を見る。日はだいぶ傾き始めていた。木々が邪魔をして、まだ教会は見えてこない。それほど速度も高さも出していないのだから当然だが、やはりこの森はだいぶ広かった。セリアの逃げた距離が思い知れる。


 四人(プラス三人)がいるのは空だった。リチャードが提案し、アリスと二人がかりで子供らに魔法をかけ、森を飛び立ってから教会に向かって飛翔を続けていた。

 ゲートや転移を使ったほうが到着は早い。それにセリアとオスカーも連れて行く必要はない。凄惨な光景……はないと思いたかったが、そういった場面をわざわざ見せてしまう機会も、別にいらない。子供は街で保護してもらい、大人二人だけで向かったほうが確実である。


 そうしなかったのはリチャードなりの気遣いだった。ほんの一日で恐ろしい目に会ってしまい、しかも帰るべき場所や大事な人たちの安否は気がかり。街で待つだけでは精神が追いやられてしまうかもしれない。

 ならば空中散歩を思う存分楽しんでもらい、少しでも気を紛らわせてほしい。魔の手が子供に向けられるのなら、自分たちで払ってやればいい。そうした思いでの行動だった。


 初めて空を飛んだ二人は最初、足が地から離れたことに怖がっていたが、風の気持ちよさと空からの眺めには目を輝かせた。今やセリアはあの調子だし、オスカーもまだ不安定だがだいぶ慣れてきているようだ。セリアを追いかける速度と、セリアを追いかける旋回性能が上がっている。


「つか──まえた!」

「やー!」


 思ったとおり、オスカーがセリアに追いついて、小さな身体をがしっと掴んだ。


「や! えっち! へんたい! お兄ちゃんのこうしょくか!」


 いったいどこで覚えたんだ、と言いたくなる言葉を口に出し、ぽかぽかと背中を叩くセリアだったが、オスカーは掴んだまま離そうとしなかった。


「おにい、ちゃん?」


 不思議に思ったセリアが手を止めて、そっと顔をのぞきこむ。オスカーは目の端に涙を滲ませていた。


「ほんと……よかった……セリア……」

「おに、ちゃん……」

「ふがいなくてごめんな」

「そんなこと、ないもん!」


 セリアも顔を埋めるように抱き返した。少しばかり進行が止まる。アリスとリチャードが顔を合わせ、微笑みあった。


「そういや、花は平気か?」


 ひとしきり無事であったことを分かち合ってから、オスカーが思い出したように尋ねた。


「……ううん」


 セリアはぷるぷると首を振って、上着のポケットにごそごそと手を突っ込む。それからぼろぼろになった、花弁が一枚だけとなってしまった花を手のひらに乗せた。


「……そっか」

「ん……」

「まぁ、しょうがねーよ。俺もいっしょに説明するから」

「うん」


 頭をがしがしとかくオスカーと、うつむいてしょんぼりするセリア。

 その様子に、アリスとリチャードが静かに近寄った。


「さっきのお花ね?」

「お姉ちゃん」

「これの花言葉……そう、そういうことね」

「なんだ?」


 リチャードがぐいっとのぞきこむ。セリアは『ぴゃっ』とアリスの後ろに隠れた。オスカーのような、ある程度年齢のいった男子にはともかく、セリアみたいな少女にはやはり怖がられてしまう。


 ずぅんと落ち込むリチャードだったが、気にしないフリをして花の意味を問いかける。世にいる男性同様、リチャードは花には詳しくなかった。


 アリスが花の、オスカーが森にいた理由を説明する。

 リチャードは大きくうなずいた。


「なるほど、な」

「俺がいいって言ったんだ。セリアは悪くない」

「お兄ちゃん……」

「これもきっと、その一本だったのね」

「うん……でも、もう……」


 スカートを握りしめて目をぎゅっとつむる。閉じられたまぶたからは涙が溢れそうになり──


「渡してやるといい」


 リチャードが腕を組んで言った。


「おじちゃん?」

「むぐっ……形はどうあれ、想いが込められたものは嬉しいものだ。見た目が全てではない。気持ちや愛情は必ず伝わる。たとえどんなものであろうとも、な」

「ほんと?」

「もちろんだ」


 『私もそうだからな』と言って、リチャードはそっぽを向いた。

 ぽけっとした顔でアリスが横顔を見つめる。それから赤くなって、もじもじにまにまとし始めた。


 セリアは目をぱちぱちと瞬かせて、袖で涙をぬぐってから、顔を上げた。


「……うん、アンナお姉ちゃんに、渡してみる」

「うむ。それと、謝るのも忘れずにな」

「うん! おじちゃん、ありがとう!」

「あ、あぁ……」




 笑顔になってくれたことに安心して、再び教会へと進み出す。

 少し進んでから、セリアがアリスに近寄っていった。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

「なぁに?」


 頬に手を当てて内緒話のように顔を近づけるセリアに、アリスも耳をかたむけた。


「お姉ちゃんの彼、顔は怖いけど優しいね」

「ふほっ」


 両手を胸の前で握りしめ縮こまり、くの字になってお尻を突き上げる。猫が飛び跳ねるようなポーズだった。

 急停止して固まったアリスにくすくすと笑い、セリアはオスカーの方に離れていった。


「うう……うううう」


 残されたアリスはぷるぷる震え、赤くなった顔とへの形に曲げた口で、遠ざかるセリアを見つめる。

 弟のルークよりさらに小さいセリアにまで、からかわれてしまった。まさか、自分の恋愛力は一桁の子供よりも下、とでも言うのだろうか。


「待っ──」


 そんなおバカなことがあってたまるもんか。

 呼び止めようとしたアリスだったが、声を詰まらせる。


 呼び止めて……呼び止めて、何を言えばいい? 『そうなの! 私の彼は優しくて、とっても素敵な御仁なの! 大好き!』とでも言えばいいのか? まさにその御仁がいる、今この場所で?


「ううぅー!」


 当然だが、アリスには無理だった。握りしめた手をぶんぶん振ってうなるだけで、なんの行動も起こせない。けっきょく、ため息を吐いてから力なく前へ進みだした。


 その落ち込むアリスの横には、これまた落ち込んでいるリチャード。


「俺はそんなに老けて見えるか……」


 覇気のない二人が仲良く並んで進む。復旧には三分ほど時間を要した。

 ちなみにアリスは地面と平行ではなく、斜めに前傾姿勢を取っていた。スカート覗きの防止である。後ろにいる身体と心にダメージを負った男三人は、リチャードによって気絶時間がさらに延長させられていた。哀れだった。




また少し進んでから、


「しかし、その、なんだ……子供というものは、いいものだな」


 前ではしゃぐセリアとオスカーを見たリチャードが、頬を指でかきながら言った。


「……はい」


 アリスも小さな声で同意する。彼の言う通り、二人の子供はきらきらと宝物のように輝いて見えていた。


「本当ならば、少々説教するはずだったのだが」

「ふふ。そうですね」


 どのような理由があれ、言いつけを破って遠出したことは褒められたものではない。怪我をしたり、道に迷ったり、今回のように襲われる可能性だってある。


 もし二人の到着が少しでも遅れていたら──

 多くの人を悲しませる未来もあったわけだ。


 アメとムチ。少しばかり楽しんでもらったあとは、アンナに代わって叱りつけるつもりだった。それに『もう自分たちが怒っておいたから』と言えば、帰った時の仕置は軽いもので済むだろう。だからこの移動の間にそうしようと、二人は思っていた。


 だが、森にいた理由、潰れてしまった花。それから泣きそうな顔と、かばうように前に出てきた行動。あれでは叱るに叱れなかった。


「まぁ、そこは関係者に任せるとしよう」

「はい……あの、リック、様」


 アリスがリチャードの服を掴んだ。


「む? どうした?」

「……あの、その……私も、リック様との子が、ほしゅ、ごじゃましゅ」


 湯気が出るくらい真っ赤になって、下を向いたまま噛み噛みで言った。

 アリスにしてはなかなかな大胆発現である。『好き』は言えないくせに『子が欲しい』は言える。どうにも優先度がおかしい。


 言われたリチャードは目と口を大きく開いて、隣の彼女をアホ面で見た。言葉を反芻してから、どすんと胸に握りこぶしを当てる。


「も、もちろんだ! 一人とは言わず、五人でも十人でも──」

「そ、そんなに……!? そんなに、したい、ですか……」

「…………んがっ!?」


 子供の作り方。二人は初心だが、別に性知識がないわけではない。一定の年齢までには、家庭教師や両親からきちんと学んでいる。

 子供は野菜のように、畑からぽこぽこ生まれてこない。ちゃんと男女の儀式と行為が必要だ。十人ともなると、それなりの回数が必要なわけで──


「ち、違うぞ! 決してそんな意味ではなくてだな!」


 当然、リチャードは大いに慌てた。軽はずみな言動のせいで誤解されたかもしれない。このままでは、やりたくてやりたくてたまらない猿のような男だと思われてしまう。アレフがいたらさぞにやにやしたはずだ。


 凄い剣幕と早口で言い訳を始めた。


「そうではない、そうではないぞアリー。いや、結果的にそうかもしれないが、そうではなく、あくまで子供の人数の話だ。兄弟姉妹がいなければ寂しいだろう。多ければ多いだけ賑やかでいい。イベントもそれだけ楽しめるはずだ。学園や独り立ちだって、時期がずれるほうがやりやすい。少し回数は多くなるが、別に問題はないだろう。それに跡取りも必要だしな。乳母や教育係は大変だろうが、なに、それも新たに雇えばいい。幸い、姉や侍女からは『はやく子供を見せろ』と言われていることもある。ちょうどいいではないか、彼女らにも手伝ってもらって──」

「……いい、です」


 リチャードの気持ち悪い早口を、アリスのか細い声が遮った。


「協力して子育てを──ん?」

「私は別に、毎日でも、いいです……その、呼んでもらえたら、いつでも……」

「…………ふが」


 リチャードがさっき以上に大口を開けた。アリスが胸の前で両手をにぎにぎしている。その大きな胸に釘付けになってしまった。


 この魅力的な身体を、いつか好きにできる時が来る。これまでも考えたことがないわけではない。いやらしい意味ではなく、初夜で慌てふためかないよう、紳士として上手にリードができるように指南を受けてきた。『浮気』と取られたくはなかったので婚約してからは控えていたが、それでも書物は読み込んでいた。アレフとも何度か相談をしてきた。これは貴族の男性として当然の振る舞いである。


 それでも、美人なうえ豊満な身体を持つ彼女の言葉に、リチャードの頭は真っ白になる。受けてきた紳士教育は、今この瞬間、木端微塵に吹っ飛んだ。それくらい凄まじい破壊力だった。


 『いつでもいい』、『毎日でもいい』。


 そう、いつでも、どこでも。なんなら行為の内容だって、なんでも聞いてくれそうな雰囲気である。いつでも、どこでも、なんだって。


「……ん」


 リチャードの視線に気づいたアリスが、少し目を逸らして両腕を組み、持ち上げるような仕草をする。持ち上げて、強調させた。


 黒い修道服がむにゅんと動いた。『どーん!』と飛び出た二つのお山がリチャードに襲いかかる。陰影艶めかしく、着ている服が服なだけあって、神聖さと相混ざって大変に淫靡である。きゅっと固く閉じられた唇は、色づいたように赤く染まっていた。


 この魅力的な身体を、いつかは好きにできる時が来る。この育ちきった、熟れに熟れた真っ白で滑らかな、彼女の全てを──


「あ、あ……ぐふっ」


 限界だった。魔力は全て霧散し、魔法は何もかも停止する。慌てふためかないよう頑張ってきた彼は、白目を向いて地面に向かって墜ちていった。

 子供たちは無事だ。アリスと二人がかりだったのが幸いした。まぁ、彼女がいなければこうはなっていなかったのだが。


「リック様!?」


 慌てて追いかけたアリスの細い両腕が、リチャードの太い腕に回される。

 ふにょっ。

 わずかに残っていた意志の力は、その感触で粉微塵になった。


「ぐはぁっ!」

「リック様! リック様ぁ!」


 繋がったまま乱高下を繰り返す。ぶんぶん竹とんぼのように上昇したり、錐揉みのように降下したり──

 二人はぐるんぐるん回転して、空中ランデブーをするハメになった。


「……あの二人、どうしたんだ?」

「しっ! もう! そんなだからお兄ちゃんはモテないの!」

「なんだよそれ!」


 目まぐるしく動く二人にオスカーは首を捻っていたが、セリアは何か生温かい目で楽しそうに眺めていた。


 森の木々を抜け、ようやく教会が見えてきた。

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