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第7話 最強の彼女(1)

「けっこうはええ、な」


 逃げた少女を追っていたグィンはぽつりと漏らした。

 木や草が生い茂るが、苦もなく音も立てずに進んでいく。こうした隠密行動は、グィンの得意とするところだった。


 小さく間隔の狭い足跡と、乱れた茂みを目印に、少女の痕跡を辿っていく。

 グィンが予想した以上に、少女の逃げ足は速かった。普段から森に足を運んでいるに違いない。まったく、こんなに危ない場所に来るなんて悪い子供だ。しっかり躾けてやらないと。


 グィンはここ最近、鬱屈した日々を過ごしていた。任される任務は小規模のものばかり。やれ何を奪えだの、誰の後をつけろだの、あれを持って来いだの──

 とにかくつまらない仕事ばかりだった。


 今回も、最初聞いた時はいつもの退屈なものと思っていた。これまでとそう変わらない、ただ作業としてやりこなすだけで面白みの欠片もない、興味がこれっぽっちも湧かないもの。そう考えていた。


 だがまさか、これほど面白い遊びを提供してくれるとは。願ったり叶ったりだった。


 時たま、わざと足音を立ててスピードを上げてやる。慌てたように逃げ出す音が聞こえてきた。

 それを聞いて喉を鳴らす。かわいい可愛い逃亡者だった。


「ま、ここまで、か」


 遊んでいる内にけっこう遠ざかってしまった。戻ったらどやされる未来が見える。『勝手に崖から落ちて死んでしまったよ』という言葉に眉を顰める仲間の表情も。

 教会役と本気で悩んだグィンだったが、あっけないものもそれはそれでつまらない。なら時間をたっぷりかけられる、攫い役のほうを選択した。逃げてくれたのも、彼にとっては喜ばしかった。


 だがそろそろ終わりである。明日からはまたつまらない仕事に戻ってしまう。ならば存分に楽しむことにする。


 と、少女の気配が薄れた。どうやらどこかの茂みに隠れたようだ。

 グィンがにたぁと笑う。そうでなければ面白くない。


「ここ、かな?」


 あえて見当違いの場所をかき分ける。当然ながら誰もいなかった。だが、その時に近くから聞こえた音と、わずかに揺れた一つの草むらを、彼は見逃さなかった。


「いてくれよなぁー」


 わかりきったことを口にして近寄っていく。

 さてどうしてやろうか。ここまで付き合ってくれたんだ、最後までいっしょに踊ってほしい。

 どういう声を上げてくれるだろうか。まだ逃げてくれるだろうか。泣き叫んで助けを乞うのだろうか──

 想像すると、背中にぞくぞくとした快感が走る。


 頭の中でお遊戯の内容を決めていきながら、グィンが一つの茂みの前に立った。

 ねっとりと間を置いてから、一気に左右に開いてやる。


「へへっ、こんな所にいたのかよ」


 グィンの目に、愛してやまなかった少女の姿が映った。




 アリスは森の上空に転移していた。

 かなり広い森林地帯である。抜き打ち監査に赴いた街はおろか、さらにその先まで広がっていた。領地をまたがっているようにも見える。

 木々は密集しており、上からでも内部の様子は見渡せない。だがアリスは、すでに目的の人物を捉えていた。


 状況は深刻だった。男が少女に向けて攻撃しようとしている。すでに何度か受けてしまったのか、少女は倒れたまま動かない。

 そこに、とどめの一撃が放たれようとしていた。


「なんてこと」


 憤るアリスだったが、魔力は冷静に展開される。

 キャンセラー。リチャードが使っていたのと同じ系統である。魔力の展開や魔法の構築に作用し、その機序を妨害、効果を打ち消すだけに留まらず、発動を阻止できるものだった。王宮でアリスが使ったのもこれだ。


 効力は即現れた。案の定、男が首をひねっている。魔法が不発に終わったことに疑問を抱いている様子だった。


 アリスは続けて風を起こす。すぐ近くにいる少女に影響を及ぼさないよう、細心の注意を払って効果範囲を設定、男の身体だけを宙に浮かび上がらせ、木々に向けて吹っ飛ばす。

 狙い通り、打ち付けられた男はずるずると木にもたれかかって気絶した。それを確認してから森の中に降り立つ。


 ぽかんとしてこちらを見上げていた少女に駆けつけ、身体の様子を確認していく。アンナが言っていたセリアはきっとこの少女だろう。まだ幼く、二桁にも届いていないように見えた。


 けっこう深い傷を負っていた。特に太ももからの出血は危険だ。急いで最上級の治癒魔法を施す。もしこの場にミシェルがいたら、男を地中深くまで埋めて、二度と出てこられないようにでもしていたかもしれない。


 少女の身体が光に包まれる。痛ましかった傷は見る間に塞がれていき、苦しげに汗を浮かべていた表情が柔らかなものに変わった。そこでようやくアリスは息を吐いた。


「女神、さま……?」


 あんぐりとして呟いた少女に、アリスが目をぱちくりとさせてから優しく微笑む。


「ふふ。残念だけど、女神様じゃないわ」

「そう、なんだ……でも綺麗で、いい匂い……」


 少女がぎゅっと抱きついてきた。アリスはその頭を優しく撫でる。


「貴女がセリアね」

「え、どうして知ってるの? やっぱり女神様──」


 顔だけ上げたセリアが目を輝かせる。


「だから違うの」


 アリスが説明を始めた。己のこと、アンナから聞かされたこと、助けに来たこと。

 途中、オスカーという少年を心配していたセリアだったが、それも別の人物がすでに救助に向かったことを伝えると、安堵したように胸を撫で下ろしていた。


「でも、どうして森なんかにいちゃったの? アンナ、怒ってたわよ」

「あ、お、お花! ……あ」


 セリアが握りしめていた手のひらを見て、悲しげに沈んだ。続いてどんどんと涙が溜まっていき、ぽろぽろとこぼし始めた。

 アリスが慌てて背中を擦る。


「ど、どうしたの?」

「お花……つぶ、つぶれ、ちゃった……」

「お花? ……あ、それって──」

「ぐぐぅ、てめ、なんだぁ……」


 聞こえた男の声に、即座にアリスがセリアへ結界を張る。

 見ると、男はすでに息を吹き返していた。普段からこういったことに耐性が付いているのだろう。荒事は慣れていると見えた。少々甘かったかもしれない。


「大人しくしていてね」

「や、やだ……」

「あ、あら」


 引っ付く少女に苦笑して、アリスが男のほうへ向いた。

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