第6話 最強の彼(2)
「無事でよかった。口の傷は……問題ないようだが治しておくとしよう」
リチャードが腕の中のオスカーを見て、治癒を施す。少年の身体が光に包まれ、小さかった傷は一瞬で完治する。
目の前の知らない人物と、頬の痛みが消えたことに呆然としていたオスカーだったが、はっと思い出したようにリチャードを見上げて声を出した。
「せ、セリア──同じ孤児院の子供が、まだ!」
「そちらは別の者が向かっている」
「あ……」
「よく耐えたな」
「っ!」
太くたくましい腕の安心感と、力強くも労るようなその言葉に、オスカーの目から涙が溢れる。リチャードはそっと胸を貸してやった。
「兄貴分として見事だ」
「俺……俺……!」
顔を埋めて震えるオスカーの背中を、顔に似合わない優しい手付きで撫でていく。
その様子を見る男たちは手が出せなかった。隙だらけではある。無防備と言ってもいい。二人がかりで子供を狙うようにしてやれば、相手は見る間に防戦一方となり、苦労することなく奪い返して返り討ちにできるはずだ。
だが動けなかった。動くには相手の実力が謎すぎた。
何をしたかがさっぱりわからないのだ。
目は逸らさなかった。腕でしっかり捕まえていた。にも関わらず、気づいたときには人質が相手の手に渡っていた。
縛っていたロープに目を向ける。引きちぎれてはいない。焼き切ってもいないようだった。まるで丁寧に解かれたみたいに、結んでいた先端が離れて落ちていた。
「おおおおおおおっ!」
大剣の男が雄叫びを上げる。立派な体躯をした身体から、赤いオーラが迸った。
身体能力向上の一つだ。男は魔法への適性があまりなかったが、これ一本で生きてきた。育て上げた筋肉と、培った剣技。そこに上乗せすることで、振るう大剣は驚くべき破壊力を誇っていた。
先手必勝。相手の実力が見極められない以上、己が持つ最高の技を放つ。効果的といえば効果的だった。
仲間の様子を見たもう一人の男も、彼に補助魔法を施す。
筋力強化、速度上昇、防御向上──支援を受け、柄を握りしめる力が倍増していく。
「う、あ……」
オスカーがのけぞるように身を引いた。男から発せられたオーラに圧倒されたのだ。自分が殺されなかったのは、運が良かっただけであることを理解する。
「じっとしていろ」
離れそうになったオスカーを、リチャードがぐいっと自身の方に寄せた。腰を沈み込ませ、今にも飛びかからんとしている男には目もくれず、じっとオスカーを見ている。
途端にオスカーの胸が楽になった。まるで何か分厚いカーテンで遮られたかのように、男の圧が届かなくなる。オスカーはリチャードの腕にぎゅっと抱きついた。
「おああああああっ!」
咆哮とともに男が大地を蹴る。強化された脚力は柔らかい森道を破壊し、土煙と泥を飛び散らせ、一瞬でリチャードの眼前にまで踏み越える。
斜め方向からの袈裟斬り。フェイントも織り交ぜない。ただただ速度と破壊力に物を言わせた、単純だからこそ最も威力のある剣閃を放つ。
オスカーには何も見えなかった。ただ、何か煌めいたものが差し迫ったことだけ、それだけが目に映る。
そのまま肩から入り込んだ大剣は、リチャードもオスカーも、二人まとめて一刀両断にする威力があった。
だが──
「ふん」
鼻を鳴らしたリチャードは、振り下ろされた大剣を手で受け止めた。激しい金属音。おおよそ人の身から出るような音ではなかった。
男の目が驚愕に見開かられる。
「んだこりゃ!」
「単なる身体強化だ。お前も使っているだろう」
「んな使い方、普通はしねーよ!」
男は体重をかけるようにして更に力を込めるが、リチャードはびくともしない。それどころか、逆に男の足がぬかるみに取られ、体勢が崩れそうになる。
魔力の煌めきが火花のように乱れ飛ぶ。ぎりぎりと、歯が割れんばかりに噛み合わせる修羅のような形相をする男とは違い、リチャードはすました顔だ。力を入れているようにも見えない。そっと手を添えているだけのようだった。
「どけぇ!」
もう一人の男が魔法で援護する。氷の飛礫。ぱきぱきと空中に形成された、釘のような形をした氷の固まりが三つ。それが同時にリチャードに襲いかかった。
大剣の男がバックジャンプで距離を取る。最後にもう一度腕を振るうが、やはりそれも簡単に手刀で防がれた。
だがこれでいい。
男が振るった剣筋は、別角度から飛んでくる援護射撃が絶妙に躱しづらくなる動きだった。何度かやってきたコンビネーションだ。
氷の飛礫はそれほど威力はない。致命傷は期待できないだろう。しかし穿った傷口は氷付き、通常の裂傷とは異なる痛みを与える。動きも制限され、動作が鈍ることでこのあとが有利に運ぶ。はずだった。
リチャードはかまえない。動きもしない。飛んでくる氷の塊をただにらみつける。
それだけで飛礫は急激に速度を落とし、どんどんと溶けるように小さくなっていく。最後にはリチャードに届く前に完全に消失した。
「キャンセル!? バカな!」
「んだ、よ……こいつぁ……」
二人が動揺と、焦りの表情を浮かべる。
次の手に出られない。持ちうる最高のカードは使い切った。もはやどのようにしてこの場から撤退するか、逃げの算段を立てる時である。
二人を尻目に、リチャードがオスカーを下ろして周囲に小さな結界を張った。
それを見た男の脳裏に、教会の景色が蘇る。やがて絶望した。
「そこにいるといい」
結界に覆われたオスカーは、物珍しそうに手でぺたぺたと壁を触る。
その姿を満足そうに見て、リチャードは男らに振り返った。
「さて」
短く言ったと同時に、リチャードの存在感が爆発的に膨れ上がる。鋭い眼光が心までも突き刺し、まるで身体が何倍にも大きくなったように見えた。
リチャードが一歩進む。二人が後ずさった。
男たちは声も出ない。感じたのは圧倒的強者の威圧。これまで何度も戦場を駆けてきた二人にとっても、初めての経験だった。バカな、これでは幹部どころか、ボスすらも──
「子供を狙うとは……恥を知ろ」
リチャードの姿がかき消えた。男は咄嗟に大剣を盾のようにかまえるもすでに遅く、リチャードは懐にまで飛び込んでいた。
「なっ──おぐぁっ!」
反応すらできず、掌底が鳩尾に叩き込まれ、男の両足が地から離れる。人間というものはこれほど飛ぶのか、と感想を抱いてしまうくらい、後方に吹っ飛んだ。
地を滑る派手な音と共に、男が森道に倒れ伏せる。ぴくりとも動かない。一撃だった。
しばらくしてから、からん、と大剣がリチャードの足元に落ちた。衝撃に手から離れたのだろう。持ち続けることもできなかった。
「ば、かな……」
「次は貴様だな」
信じがたい光景を前に固まる男だったが、リチャードは平然と向き直る。
「お、お前だったのか……あの教会の障壁は」
オスカーを守るように張られた結界を見て、男が震える声を出した。
リチャードがきょとんとした顔を作る。
「いや、そちらはまた別の者だ」
「ふざけるな! あんなものがそうそうあってたまるか!」
「本当なのだが……まぁどうでもいいことだ」
言い捨て、またも一歩を踏み出す。
男は咄嗟に懐から一つの魔道具を取り出した。取り出せたことを誰かに褒めてもらいたかった。
そのまま投擲、同時に目を閉じ耳を塞いで、口を半開きにする。
爆発音と閃光で撹乱させる、主に逃げるときに用いる道具だった。猛烈な音と強烈な光で目の眩みや耳鳴りを発生させ、方向感覚を狂わせるだけでなく、見当識の失調も誘発させる。逃げるだけでなく、屋内に攻め込む際にもよく使っていた。
これで少しは相手に隙ができる。その間にこの場から立ち去り、幹部と合流。状況を伝えてあとは丸投げ、上位者に任せることにする。そもそもこんなの、下っ端に任せた上の失態だろ。俺はなにも悪くない。グィンもいねえし、いつも俺ばっかり貧乏くじを引くんだ。なんなんだよ本当に。もうイヤだ。これが終わったら足を洗う。二度とこんな目に会いたくない。そうだ、故郷に帰って農業をしよう。豆さんや麦さんを育てて、牛さんや豚さんと一緒に語り合って生きて行くんだ……
投げられた魔道具はころころと転がり、男の期待どおりに数瞬後に発動──しなかった。
どれだけ経っても何も起きない。転がったままの魔道具は、役割を果たすことなく沈黙していた。
「……?」
目を開けた男が見たのは、眼前に立つリチャードの姿だった。
遅れて理解する。
「あ、きゃ、キャンセル──」
「終わりだ」
男の意識が途切れた。
「アリーの方も……終わったようだな。あとはアレフとミシェル殿か」
倒れ伏せる二人の男を眺めたリチャードが、オスカーの方に寄っていった。
結界を解く。と、オスカーがリチャードにがばっと抱きついた。
怖かったのだろう。リチャードはできる限り優しい顔を作って声をかけた。
「すまんな、遅くなった──」
「すげえ! おじさんすげえな! なにやったか全然わからねえが、とにかくすげえよ! めっちゃつええ!」
きらきらした笑顔で見上げたオスカーが言った。
「お、おじ……」
よろめいたリチャードは、それからくどくどと自身の年齢をオスカーに言い聞かせた。




