第5話 最強の彼(1)
「バカな! バカな! そんなバカな!」
森の中、男が悪態を吐きながら走っていた。いつもなら残さないようにしていた足跡も、ぬかるみにいくつもつけながら逃げるように走る。
「あんなバカなことがあってたまるか!」
なおも恨み言を口に出し、目の前の枝をいら立ったように手で払い除ける。跳ねた泥が飛び散り、足首や腿のあたりまで汚していくが、足元の状態に構うことなく最短を進んでいく。
「なんなんだあれは!」
彼の頭に、ついさっきの光景が蘇る。
スクロールを使った際、彼は目を逸らすことなく眺めた。ヒトが燃えていく様を見るのは正直イヤだったが、計画の成功を確かめるためにも確認は必要である。
そもそも失敗などありはしないと考えていた。司祭やシスター、王子には抵抗されるだろうが、使うのは特級レベルの魔法である。防ぐことができる者はいまい。それに子供を守るのにも手一杯、いわばお荷物だ。計画の成功を疑う余地はなかった。
だというのに。
「あんなものがあるなんて聞いていない!」
炎は教会を飲み込み、ヒトもモノも文字通りに消し炭と──とはならなかった。
スクロールは問題なく発動した。やや不安はあったが、シミュレーションどおりに扱うこともできた。手順に誤りがあったとも思えない。全ては想定したとおりに事が運んだ。
だが一つだけ。想定にはなかったものが、あの教会にはあった。
魔力の障壁。
教会をすっぽりと覆い囲むそれは、炎を完璧に防ぎきってしまった。特級と信じてやまなかった、恐るべき熱量を誇るそれをあざ笑うかのように、あの障壁は微塵も揺らぐことなくそびえ続けた。
男もまた、それを目にして初めて存在を知った。炎がぶつかる直前まで気づくことはなかった。
けっきょく何も成すことなく、炎は消えてしまった。呆然と立ち尽くしてから、効力を失ったスクロールを放り投げた彼は今、仲間のもとに向かっている。
「どうする……どうする!?」
混乱した頭で必死に考える。計画は失敗した。自分が悪いわけでもないと言い訳じみた思いを抱くが、失敗は失敗である。組織がそれを許すとは思えない。
仲間は脳筋と、陰湿だけが取り柄の蛇のようなやつ。優秀ではあったが、頭を使うのは苦手な者たちだ。三人の内、いつだって計画を立て、戦果の報告をするのは彼だった。
「……いや、人質はいるんだ。切り替えろ、プランBだな」
向かう途中に孤児を見つけたのは行幸だった。万が一スクロールが不発、扱いきれずに暴発してしまった時を考え、最低一人、できれば二人は攫っておきたかった。グィンに任せたのは気にかかるが、それでも一人は確保できる。最も面倒な部分と思っていたが、手間が省けたのは不幸中の幸いである。
だが、あの障壁が頭から離れなかった。あの堅牢で非の打ち所のない、神の所業と言われても納得してしまいそうな、庇護下の者を守らんとする圧倒的な防御力。あれを構築した者が、存在する──
「ない。そんなことは、ありえない」
きっと教会に設置されていた魔道具かなにかだろう。あれほどのもの、連発はできないはず。あの一回で出番は終わりだ。それに自分の能力不足もあったかもしれない。頭から振り払って走り続けた。
やがて視界が開け、森の木々がわずかに届かない場所。そこに彼の仲間と、孤児の少年が腕を縛られた状態で座り込んでいた。
「どうした? 終わったのか?」
大剣を肩にかけた仲間が気づき、振り返って言う。武器をちらつかせていたのだろう。少年は気圧されているようだったが、それでも涙も見せず、こちらをにらんでいた。
「失敗だ。想定外が起きた、次に移行する」
「はぁ!? なにやってんだよ!?」
自分だって教えてもらいたい。仲間の言葉に憤る男だったが、奥歯を噛み締めて必死に冷静さを保つ。
「……そいつを使う。グィンも呼び戻せ。とにかく計画を──」
「お前ら! みんなに手出したらぜってー許さねーからな!」
男の言葉を少年が遮った。血走った目で二人をにらみつけている。
「大人しくしとけって……こういうの、あんまやりたくねーんだよ」
少年の首元に大剣が突きつけられる。額に汗をたらりと垂らすも、なおも怯まず口を開いた。
「……想定外って言ったな。ならどうせ、次も失敗するぞ」
「おい、こら」
「黙れ」
「きっと司祭様や姉ちゃんがなにかやってくれたんだ。いや、神様かもな。お前らのきたねー計画なんて全部ぶっ潰れるんだよ。そんで捕まって犯罪奴隷だ、お笑い草だぜ」
「黙れと言っている」
「その分じゃだいぶ凄えもんを使ったみたいだけど、それで失敗するなんて間抜けだな。はっ、見てみたかったぜ、お前のバカ面を──」
「黙れ!」
「ぐぁっ!」
男が少年を殴りつけた。
無抵抗で殴られたことで、その場に倒れる。切れた唇から血が出るが、それでも倒れたままの姿勢で二人をにらんでいた。
「おい、どうしたこら。お前らしくないぞ」
肩で息をする男に、仲間が戸惑ったように大剣を持ち直した。
「……腕の一本でも切り落としておくか」
男がぼそりと言った言葉に、さすがに少年の瞳が揺らいだ。青ざめ、もぞもぞと身を動かすも、距離を取ることはできなかった。
「うへぇ、俺はやりたくねーぞ」
「ふん、俺がやる。それ貸せ。煽ったことを後悔させて──」
「聞き捨てならんな」
「!?」
いきなり、この場にいない者の声がした。二人が身構え、聞こえてきた方に目を向けると、腕を組んで仁王立ちしている男がいた。
立派な服装をしている。厳つい顔つきで、身体は岩のようにでかい。大剣を向けている仲間といい勝負だろう。筋肉が服を押し上げ、はちきれそうなくらいだった。
「なんだ、てめぇは」
大剣を油断なく構え、現れた人物の姿をじろじろと見た仲間が言った。
その言葉には答えず、倒れている少年の姿を確認した男が、安堵したように頷く。
「軽傷のようだが……アリーの判断は正しかったな」
「答えろやこら」
いら立った仲間がさらに問いかけるも、やはり回答はなし。腕を組んだまま静かに立っている。
向かい合う二人を横目に、そろそろと移動した彼は、少年の首に腕を回して抱え寄せた。
「……何者かは知らんが、察するに救援か。だが、こいつを見ても──」
彼が握ったナイフを首元に突きつけようとして──がくんと体制を崩した。
驚いて視線を落とすが、人質の姿はそこにいなかった。縛っていたロープだけがはらりと落ちる。
「は!?」
「はぁ!?」
二人が同時に驚きの声を出す。一人は自分の腕を見て、もう一人は目の前を見て。
いつの間にか、人質は眼前の男の腕に抱えられていた。




