第4話 救援
「う、うううーーむ」
クライン公爵家の屋敷で、リチャードはうなっていた。
「アリー……王子……アリー……王子……」
机に伏せ、両手を頭に乗せてぶつぶつと同じ言葉を繰り返す。時たまはっとした顔を上げては、ぶんぶん振ってから『どかっ』と机に打ち付け……それを何度も繰り返していた。
「やはり、やはり無理を言ってでもついていくべきだったか……」
「だーかーらー、それをすると、せっかくの彼女の役割が意味ないことになりますって、何度も申し上げてんだろ」
敬語と謙譲語とタメ口がごちゃまぜになったアレフが、うんざりした顔でうんざりした声を出した。
あの時からずっとこの調子である。面倒だから放置していたが、そろそろこちらの執務にも戻ってきてもらいたかった。
「だが! だが……だ、が……」
彼の思いも虚しく、情けない顔を見せたリチャードはまたしてもずるずるとうつむいていく。アレフはため息を吐いた。
「……前も言ったように、信じてやるのもお前の務めだよ」
「それはわかっている。だが……」
「だが?」
アレフがペンを置いて聞き返す。
リチャードは言いにくそうに口を開いた。
「俺は、美男子とは、言い難い」
何を言い出すんだこいつは。
そんな声をしかめっ面に出しているアレフには気づかず、リチャードが話を続ける。
「彼女は、いまさら言うのもあれなんだが、その、あれだ、なんだ、その、だな」
「美人、か」
ため息と一緒に助け舟を出す。
「ああ、そうだ。それでいて奥ゆかしい」
「奥ゆかしい、ねぇ……」
どちらかというと引っ込み思案、初心、もっと言えばぽんこつでおこちゃま。アレフはそう思うが、黙って話を聞き続ける。
「そんな彼女だ。これまでもいろいろ……いろいろあったに違いない」
「まぁ、そうだな。綺麗だし可愛いしスタイルは抜群だし、それでいて筆頭侯爵の令嬢だし。そりゃあ男としては──っと」
ぎろっとにらまれて目をそらす。
ぷいーぷいーと口笛を吹くアレフに、リチャードは『ふん』と鼻息を鳴らしてから、
「……第二王子は美形だ。俺から見ても、な。だというのに……だというのに俺はあぁぁぁぁっ!」
泣き崩れた。顔を突っ伏して『だんだんだん!』と机を拳で叩きつける。
「お、おい!」
「俺は彼女といっしょにいることすらできないんだ!」
「お前、けっこう子供好きだもんな」
だいたいは泣いて逃げられることが多かったが、リチャードはわりと面倒見がいいというか、子煩悩というか、まぁとにかく誠実な人間だった。顔はさておき、けっこう良いパパになるだろう。
事実、外見より内面を捉える子供には懐かれることもあった。そう、十人に一人くらいには……
「信じろ、というのはわかる。俺もそうでありたい。……だが、どうしても不安が消えてくれないのだ」
机に顎をつけもごもごと言う。成人した男性がするような行動ではなかったが、今この場には侍女もいない。
二人だけの時、リチャードは弟分としての顔を出しやすかった。
「俺は婚約者失格だ」
「……それも人間ってもんだろ」
幼い頃からいっしょに育った弟の弱い部分を目にし、アレフも茶化さず兄貴としての声に切り替える。
「アレフ……」
「わかっちゃいるが自制が効かない。身体はともかく心は思うようにならない。そんなもんだよ、ヒトって」
「むぅ……そんなもの、か」
「せいぜい悩むこった。生涯付き合っていくんだからな、時間はたっぷりあるんだよ。間違えても何度だってやり直せば──っておい、聞いてるか? 人がせっかくいいこと言ってやってるんだから──お?」
話している自分を無視して窓の外を見たことに憤慨するが、アレフも続けて窓の方に近寄った。リチャードは無視したわけではない。遠くで発せられた魔力の奔流に気づいたからだ。
「おい、これ……」
「彼女だ」
透き通るような力。透明度の高い泉のようなイメージである。これまで何度も感じてきた。間違えようがない。
だが、どうも隠蔽がかけられているのか、全容が把握しづらい。この二人でなければ察知することはできなかっただろう。しかし感じる魔力の質は、確かに彼女──アリスのものだった。
「なにかあったのか」
「わからん」
リチャードもアレフも真剣な顔で外を見つめる。
範囲が広い。かなりの力を解放している。リチャードと乳繰り合っている時以外めったに見せることのない、彼女の実力。本気であることは肌で感じられた。
しばらくして静まった。彼女の気配が鳴りを潜める。
「どうする? 行くか?」
アレフの問いに、リチャードが腕を組んだ。しばし目を閉じ、じっと考え込む。
やがて目を開け、力強く言った。
「ああ、そうしよう。ゲートを──いや、待て」
「どした?」
「チャネルが──」
間髪入れず、リチャードの頭に彼女の声が響いた。
『リック様』
何度聞いても心が奪われそうな、どこまでも済んだ音色。だが少しばかり、トーンが硬質的になっている。やはり何かあったのだろうか?
つい先ほど机に突っ伏していた同一人物とは思えない堂々とした態度で、リチャードが声には出さず応える。
(どうしたアリー)
『助けてもらえますか?』
(心得た)
チャネルを切断。続けてリチャードの身体がゆらぎ始める。
アレフが慌てて詰め寄った。
「おい、なんだって?」
「彼女のもとに向かう。お前もあとから来い」
「おいこら、わけわからん。説明しろ! 説明!」
「ええい、離せ! 五秒経ってしまうだろう!?」
「はぁ!? あ、おい──!」
腕を振り払ってリチャードが姿を消した。なんとかきっかり五秒だった。
「ったく……まぁ、あれくらいのほうがこっちも調子狂わずに済む、か」
自嘲のような苦笑いを浮かべて、残されたアレフは弟分の位置を追った。
「リック様」
転移を終えたリチャードに、アリスがかけ寄ってくる。
リチャードが周りを見渡した。古ぼけた教会、焦げ臭い匂い、ところどころで立ち上がる火、驚いたようにこちらを見る第二王子や司祭とシスター、怯えて泣いている子供……
詳細は不明ではあるものの、その光景に合点がいった。怯えているのは自分のせいでもあるかもしれないが。
「アリー、これは?」
「ごめんなさい、説明する時間が惜しく。お手を」
アリスがすっと手を伸ばした。『情報を渡すから握って読み取れ』ということだろう。
その柔らかそうで真っ白な手を見たリチャードは、一瞬迷う。これまでも何度か繋いだことはあったが、どれもこれもがたぴしゃしてばかりだった。初めてこちらから触れた時、『ひゃあぁぁっ』と腕を引っ込められた記憶が蘇る。
だが、目の前の彼女は真剣な顔でこちらを見つめている。それに周りの状況。緊急ということだ。
ずごごん、と落ち込んだ過去を振り払って、リチャードも自然にその手を取る。途端に情報が流れ込んできた。しばらくしてから手を離す。
「なるほど。手前がその男の子か」
「はい、おそらく」
「では私はそちらへ行くとしよう」
着いてそうそう、またしてもリチャードの身体が揺れ始めた。
「申し訳ありませんわ……」
「なにを言う。男というのは頼られると嬉しい生き物だ。これからも遠慮はいらんぞ……その、これからも、な」
「は、はい……」
少し赤くなって目を細めるアリスに、リチャードの心がじんわりと暖かくなる。悩んだ自分がバカだった、と己を叱責する。
「では行く。アレフもあとから来ると思うが、アリーも、ミシェル殿も気をつけるように」
「はい。リック様もお気をつけて」
「かしこまりました」
リチャードが姿を消す。
アリスはそのあとをしばらく眺めていた。
「彼を呼んだんだね」
ウィルが背後から声をかけた。
「はい、ウィルフィード様」
「わかった、応援を呼ぶのは待とう。その方がやりやすいだろう。まずは君たち三人に託すよ。全権を与えるから、好きにやってもらってかまわない」
「承知しましたわ。それと、四人でも?」
「ん? ああ、そうか。わかった、全部承諾するよ」
希望が見えてきた、という表情でウィルが許可を出す。
「では、私も行ってまいります……気をつけてミシェル。貴女のところが一番──」
「はい、お嬢様。決して許しはしません。ぎったぎたのめっためたにしますので」
「……ほどほどにね」
アリスの身体もぶれ始めた。そこにアンナがそろそろと近寄ってくる。
「あ、あの……今の、その、男性はいったい? い、いきなり現れたと思ったら、消えてしまったのですが……ってめが──アリス様もなんかもわもわしてますよ!?」
ノイズが入り混じったようなアリスの姿を見て、驚きの声を上げる。
アンナから見たらいきなりごつい男が現れて、かと思ったらすぐに消えてしまい、さらにはアリスの見た目もおかしくなっているのだ。混乱するのも仕方がなかった。
「あとで私から説明しますので」
「お願いね、ミシェル。 ……え、えっとね、さっきの、人はね、その、ね」
ぶれたまま、アリスはもじもじもじもじと両手をこすり合わせて、
「私の、婚約者なの」
恥ずかしそうにはにかんでから、アリスの姿が消えた。
残されたアンナはぽかーんである。男性と同じように消えてしまったのもそうだが、『婚約者』という言葉は耳にエコーがかかったように、アンナの脳にこびりついていた。
「あ、あの方がアリス様の婚約者……」
確かにたくましくはあった。はちきれんばかりの大きな肉体は一見しても頑強そうで、頼りがいがあるように思える。厳し目の表情からは意志の強さがまじまじと感じられた。それでいて彼女を見つめる眼差しからは、分かりづらかったが優しげで、愛情のようなものも感じ取れた。
だがしかし。
『かっこいいか?』と聞かれたら、失礼だが首を捻ってしまいそうだった。あの美しいアリスの婚約者なのだから、さぞかし美形で、多くの女性にとって理想的な男性であり、きっと誰が見てもお似合いだろうとアンナは思っていたのだが──二人のイメージは簡潔に言うと『美女と野獣』だった。
「あ、いけません……いけません!」
不埒な思いを抱いたことに、ぶんぶんぶんと頭を振って懺悔を始めたアンナを、ウィルとミシェルがとろんと見つめる。
「気持ちは、まぁ、わからなくもないね……」
「……お嬢様にはどうか内密に」
「そうだね……しかし、さすがというかなんというか……直接行くことだってできるのか……」
空を見上げてぶつぶつ言うアンナを復旧させ、ミシェルが簡単な説明を始めた。二人の実力、現れ消えた理由、向かった先と目的。それらを真実と、少しの嘘を織り交ぜて聞かせていく。
聞かされたアンナや司祭は、なぜか納得したように何度も頷いて顔を輝かせた。
「やっぱり……アリス様は、神の御使い様だったのですね」
「えっ」
「この危機に憂いを抱かれ、顕現なされたのでしょう……さぁ、感謝を」
「ええっ」
教会に向かって膝をつき、腕を組んで祈りを始めたアンナ。司祭は叩頭までしている。何度も地面に打ち付ける姿に、頭は大丈夫かとミシェルは心配になった。
納得しているならなんでもいいか、とミシェルが半ば投げやりなモードになろうとした時、もう一人の人物がそこに現れた。
「これは……なにがあった? ってあいつ──リチャード様はどこに?」
やってきたアレフが見渡して、二人の方に寄っていく。
ミシェルはアリスがそうした時と同じように、腕を伸ばしてアレフの顔を見た。
「説明する時間が惜しいので、お手をどうぞ」
「えっ」
アレフが思わず後ずさる。
「なんですか、その声は。そんなにイヤですか、私の手を取るのが」
薄目になったミシェルがにらみつけた。ウィルもアンナも子供らまでもが、しらーっとした目をアレフに叩きつける。人がいきなり現れるのにも慣れてきたようだった。
「いや、そういう、わけでは──」
「女性に対してそれはどうかと思うよ」
「そうです! 酷いです!」
「さいてーだよね」
「うんうん」
「こら、見ちゃいけません」
「わかった! わかりましたよ!」
周りから受けた猛烈な非難の嵐に、アレフは諦めてその手を握った。




