第3話 炎の痕は
四人はゲートをくぐり、すぐに近場にあった岩陰に身を隠した。
『どどど、どういうことですか! 攻撃が教会って! それに結界って!』
慌てふためくアンナを宥めてから、ウィルに緊急と告げて監査は打ち切り。
アリスとミシェルだけで戻るつもりだったが、『着いていく』と言って聞かない二人に防御魔法を施し、ミシェルが出したゲートで孤児院に戻ってきたところだった。
ウィルは二回目のため驚かなかったが、アンナはほんの一瞬で長距離を移動したことに目を白黒させつつも、彼女らの背中からはらはらと覗いている。『勝手な行動は慎んで』と言われていたアンナだったが、是が非でも駆けつけたい様子だった。
「炎系ね」
「はい、お嬢様。 ……かなりのものかと」
「『劫火』かしら。残滓は……あそこね」
アリスが孤児院の向こう、高台になっていた森丘に目を向けた。
人影はない。攻撃した者はすでにその場を去っているようだった。
「…………」
「ミシェル」
後ろから伝わってきた激情に、アリスが短く叱咤する。
「……失礼しました」
うずまいていた怒りは霧散し、冷静さを取り戻したように見えた。
だがそれでも表情は険しく、魔力に呼応して髪が少し逆立っている。一般施設を、あまつさえ孤児院を狙うというやり口に、爆発寸前になっているようだった。
そしてそれはアリスも同じ。まさか子供を標的にするとは。どれだけ卑劣な人物なのだろうか。
四人が孤児院を見る。
ミシェルの結界のおかげで建物は無事だったようだが、覆い尽くすように焦げ跡が周りを囲っていた。ところどころでは今も火が上がっている。もし少しでも範囲を狭めていれば──
そう考えると、背筋が凍る思いがした。
「まずは探査かしら」
「はい、私が隠蔽を──」
「……あっ! サラ!」
これからのことを練っていた二人だったが、後ろから発せられた大声に中断される。
教会の外。男性が一人倒れており、その近くで女の子が泣きじゃくっている。
その姿を見るやいなや、アンナが岩陰から乗り出し、走って近寄っていった。
「アンナ、待って! 待ちなさい──っ、ミシェル!」
「はい!」
ミシェルが魔法を唱えた。二本の光の帯が真っ直ぐに伸び、走るアンナを通り越して教会まで到達する。それから帯の間が輝きだし、光跡ができた。
出来上がった道を滑るように進み、アンナに追いつきその身を抱きかかえて、そのまま直進していく。アリスとウィルフィードも後を追った。
「……すまない」
自動で進む足元におっかなびっくりになりながらも、ウィルフィードがぽつりと漏らした。
「ウィルフィード様?」
「狙いはおそらく私だろう。だが白昼堂々、まさかこのような手に出るなんて、思ってもいなかった」
「…………」
「しかしどうしてここを狙った? いや、狙えた……? これではまるで、私がここにいることがあらかじめわかっていたような……」
「……今はそれより、皆の無事を確かめましょう」
「……うん、そうだね。そのとおりだ」
深く考えそうになったウィルフィードだが、アリスの言葉に思考をやめて今を見据える。
二人が追いつき、男性を介抱するミシェルと、女の子を抱きしめるアンナにかけ寄った。
「サラ! サラぁ!」
「うわああぁぁあん! おねえぢゃ、おねえぢゃああ!」
ぽろぽろと涙をこぼし合って無事を確かめる二人を横目に、アリスは近辺の探査とさらなる結界の重ねがけ、さらに範囲拡大を始める。
ウィルは司祭の男性に近寄った。
「守ってくれたか」
「はは……っ、少々、無茶しました」
男性は足に重度の火傷を負っていた。結界からほんのわずかにはみ出てしまったのだろう。通常であれば歩行障害になりうるレベルのものである。向けられた魔法の威力を物語っていた。
「あとで褒美を取らせるよ。よくやってくれた」
「ありがたき──あいたたた!」
「あまり動かないでください」
ミシェルが柔らかな緑色の光で男性を癒やしていく。見る間に傷が塞がれ、新たな皮膚が形成を始めていた。
「ごべんなざいっ! わだじが、わだしがおそどに行きたいなんていっだから!」
アンナに抱きしめられていた少女サラが、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら謝罪した。おそらく無理を言って困らせた結果、男性と一緒に外に出ていたに違いない。
あらたか癒やし終えたミシェルが目の前の足をぱしっと叩いてから、サラに近寄る。男性は『はおっ』と変な声を出していた。まぁこれも治癒後の確認である。痛みや感覚があるなら大丈夫、ということだ。
「なにを謝ることがありますか」
ミシェルがサラの頭を優しく撫でた。
「みしぇる、おねえちゃん……」
「帰ってくる私たちを迎えたかったのでしょう」
側に放り投げられていた物に目をやる。そこには草で編まれた輪っかのようなものがあった。炎に当たってしまったのか茶色く変色し、形もほとんどわからなくなってしまっていたが、ミシェルは大事そうに拾って両手に乗せ、掲げた。
「ありがとうございます」
「う、うううぅぅ、わぁぁあぁあっ!」
今度はミシェルに抱きついて泣き出した。
わんわんと泣き震える背中を擦るミシェルの顔が、決意に固まっていく。絶対に許さない、と表情が語っていた。
「ミシェル──」
「サラ! アンナも! 無事でしたか!」
「殿下!」
「サラぁ!」
結界を張り終えたアリスが声をかけたと同時に、教会からケヴィンと他の子供ら、そして監査人とシスターが飛び出してきた。
「み゙んな゙あぁぁ」
「さらぁぁぁ」
涙を流して駆け寄ってくる子供らに、サラも両手を伸ばして走り寄っていった。
「司祭様!」
「ああ、アンナ。本当によかった」
胸に飛び込んでくるアンナを受け止めながら、ほっとした表情のケヴィンが息を延ぶ。
「いったいなにがあったのですか!?」
「それが、私たちもわからず……轟音と振動だけで──」
「私が説明しますよ」
むくりと身を起こした男性が、ウィルフィードの肩を借りながら立ち上がる。
「大丈夫かい?」
「ええ……いや、初めて見ましたよ……あんな堅牢で、それでいて無とも言うべきほどに──あぁ、それより状況説明ですね」
男性が当時の状況を説明する。
四人が街に向かったあとのこと、サラを連れて外に出たこと。黙って聞いていた三人だったが、司祭が目にした力を聞いた時には、さすがに表情をこわばらせた。
「炎の渦……」
「はい、殿下。ちゃちなものではありませんでした」
「お嬢様」
「ええ、予想したとおりね」
さらに司祭が説明を続ける。炎を目にしたあとのことだ。
とてつもない熱量に圧倒されたが、はっとして己の責務を思い出し、すぐそこにいるシスターに伝達。『決して外に出ないように』という短い言葉だけを伝え、彼はきょとんとするサラを抱いて教会の方に走り出す。とにかく襲い来る兇手からできる限り離れるように動いた。
無駄な足掻きだと、頭の片隅にもう一人の自分が囁いてくる。ぱっと見、あの炎の威力は己の力量を遥かに超えていた。教会すら飲み込む勢いである。自分もサラも巻き込まれるだろう。屋内だって安全とは限らない。それでも彼は、懸命に正面だけを見て入り口へと向かう。後ろを振り返るとアウトな気がした。
数歩進んでから、足に焼け付くような激痛が走った。衝撃で転んでしまうが、そこまでなってもなお、彼はサラに覆いかぶさり炎から守ろうとする。
心のなかで神に祈りながらぐっと身構えたが──続く衝撃はやってこなかった。五秒、十秒経っても何も起こらない。それどころか熱さすら感じなかった。
足の痛みも忘れて振り返ると、炎が途中、何か目に見えない壁のようなものに遮られていた。いや、よく見るとわずかに光り輝き、大気が波打つように揺らめいている。緑とも黄ともつかない金緑石のような色を放つそれは、押し寄せる炎を完全に遮断していた。
向こうは灼熱の地獄だというのに、薄壁一枚隔てたこちらは穏やかなもの。先ほどまでと何一つ変わらない、麗らかな陽気である。壁近くの草花すら燃え広がっていない。そのことにいら立ち怒り狂ったかのように炎が取り囲むが、壁は微塵も揺らぐことなく防ぎ続けた。
そこでようやく司祭は気づいた。その壁は教会の周りを覆い囲むように、半球形になっていたことを。
だが解せない。目の前の光景を見つめながら、場違いにも疑問に思う。
あれほどの炎を、魔力を防ぎ切る堅固な障壁である。にも関わらず、それからはまったく何も感じ取れない。あの炎からは、畏怖するくらいの力が放たれている。じっくり感知したら身の毛がよだつほどだ。そんなものを完璧に防ぐ障壁は、まず間違いなくそれ以上の力を帯びているはず。そうでなければおかしい。
だというのに、何も感じない。目を凝らさないと何もないように見えてしまう。それどころか、今の今までそんなものがあることにすら気づかなかったくらいである。
自然と教会に目を向ける。まさかこれは女神が、神の眷属が起こした奇跡だとでもいうのだろうか?
彼の考えを後目に、炎の勢いは徐々に弱まり消沈していく。最後に負け惜しみとばかりに渦巻いたが、やはり障壁はなんら崩れることもなく防ぎきった。破損も消耗もしていないように見える。
完全に炎が消え去ってから、司祭はその場にへたり込み、いまさらになって足の火傷が痛みだした。
うめく司祭と、呆けていたサラが泣き出したところで──
「──全部あの障壁のおかげですね。しかしなぜあんなものが……」
「なるほど……やはり君たちが?」
司祭の説明を聞いたウィルフィードが顎に手をやり、アリスらを見る。
視線を受けた二人は静かに頷いた。
「ここを発つ前、念のためにと」
「そうか、結果的にはファインプレーだったね」
「あ、貴女がたが……ですか? あんなものが人の手で可能とは……殿下、彼女らはいったい──」
「セリアとオスカーがまだいないって! どういうことですか!?」
アンナの怒声が司祭の言葉を遮った。目を向けると、一人の子供の両肩を掴んで揺さぶっていた。
「ごめ、ごめんなさい! ごめんなさああい!」
「謝れなんて言っていません! 二人はどこに、どこに行ったのですか!」
「もび、もりで、おばな……うぇっ、うえぇぇぇん!」
今まで出会ったこともない状況とアンナの剣幕に、子供が大粒の涙を流す。話す言葉もほとんど聞き取れない。
ケヴィンがアンナの肩に手を置いた。
「アンナ……気持ちはわかりますが、怒鳴っても仕方ありません」
「っ……す、すみません……」
「ごめんなさい、ひっぐ、ごめなさい……」
両手でぐしぐしと涙まみれの頬を擦る子供に、膝を突いたケヴィンができる限り優しい声で話しかけた。
「二人はどこに行きましたか?」
「森に、ひっ、行ったの……ぐず、二人で森に」
「も、森ですか? いったいなぜです?」
「え、えっと──」
「どうした?」
なんとか聞き取りをしようとする二人に、ウィルが近づいた。
ケヴィンと、アンナもふらつきながら立ち上がる。子供らは集まって抱き合いながら、またも泣き始めた。
「子供が二人、不在であることは話しましたね。どうやら森に行っていたようです」
「森……」
ウィルが近くの森のほうを見る。鬱蒼と生い茂っていて、内部の状況はまったく読み取れなかった。
「お昼前からいませんでした」
「それで、まだ戻ってきていないと」
「ああ、こんな時に……も、もう一度よく探して──」
言いつけも守らずに昼から姿を見ない二人の子供。その二人は森に向かったらしい。それから襲いかかってきた火の手。さらに森の方、高台から感じた残滓。そして今もなお、子供らは戻ってきていない。
これらが指し示すことは──
「巻き込まれた、と見て間違いないだろうね」
「そんな……」
ウィルが出した結論に、アンナが青ざめる。その場で崩れ落ち、顔を両手で覆って涙を流し始めた。ケヴィンが労るように、震える肩を抱きしめる。
沈痛な空気が場に流れる。子供らも全員泣いており、とにかく『ごめんなさい』を繰り返していた。
周りの大人らは何も言えない。司祭の話では、相手はかなりの強者と思えた。しかも、孤児院となっている施設を問答無用で攻撃してくる輩である。王都から近衛や騎士といった応援──大々的な一軍が必要になっている状況だ。
だが準備に加えて、魔導車でも小一時間かかるこの場所。今から要求したところで、その子供らの安否は決まりきっていた。
それでも何もしないよりは。
司祭やシスター、監査人が、ウィルに応援の派遣許可を取るために声をかけようとした時。
アリスが咽び泣くアンナに近寄り、両膝を折ってからその手を取った。
「必ず見つけるから」
「アリス、様?」
顔を上げたアンナが見たのは、柔らかく微笑むアリスの姿。なぜかアンナは、彼女に女神像が重なって見えた。
「やるわよミシェル」
「はい、お嬢様」
立ち上がったアリスはミシェルと手を繋ぎ、精神の集中を始める。
もはや力を隠している時ではない。アンナらのためにも、子供のためにも、そしてミシェルのためにも全力を振るう。
「……あ、の」
「黙って見ているといいよ」
「やはり、そうでしたか」
二人に戸惑うアンナと、静かに見守るウィル。ケヴィンは納得したように頷いていた。
アリスの長く美しい銀髪が揺らめき出す。足元から光が立ち上がり、髪にまとわりつくことでその輝きは一層強くなっていく。いくつもの複雑な文様が現れては消え、一般から隔絶した力が魔法を形成する。
超広域の探査。アリスが使おうとしている魔法だ。近辺は確認済みだが、この場にいる者以外の反応はなかった。森に向かったということから、領域外だったのだろう。ならばどうすればいいか。簡単だ、ただただ範囲を広げればいい。
だがそうはいっても、容易なことではない。範囲を広げることももちろんそうなのだが、広げれば広げるほど、得る情報は必然的に多くなる。無意味、無関係なものまで取得しても仕方がない。処理もできない。だからごく近辺や、特定の建物内を探るのに使われるのが一般的である。
だがアリスはそれを成す。加護の力やセンス、彼女の技術がそれを可能にしていた。
ミシェルがそこに隠蔽を重ねる。魔力を感知されると、それだけ相手に警戒されてしまう。準備や対策を施されては面倒なことになる。それを防ぐため、彼女の絶大な力の奔流を、効果は打ち消さずに限りなくゼロにする。それもまた、人にあらざる仕業だった。
力が極限まで達したところで魔法を発動。彼女を中心に、魔力がとてつもない速さで広範囲に行き渡っていく。それは教会を超え、さっきいた街までたどり着き、なおも森の向こうまで到達するほどだった。
アリスの頭に膨大な情報が流れ込んでくる。それを一つ一つ処理し、詳細を確認したうえでふるいにかけ、不要なものはシャットアウト。今必要なものだけを分別、整理していく。常人であればものの数秒でパンク、混乱に陥るであろうその情報量を、彼女は当然のように扱っていた。冷静に分析を進めている。
アンナも司祭も呆けたように眺めていた。
司祭はあの障壁を『神の奇跡』と称していたが、目の前の光景はそれこそ神が舞い降りられたかと感じるくらい、神聖で圧倒的なものだった。
アンナも、つい先ほど彼女が女神像に被って見えたその理由が、今はっきりとわかった。無意識に両手を組み、祈りの姿勢を取る。
「見つけた」
目を静かに開けたアリスがぽつりと言った。
森のほう、六つの反応があった。一つはわりと近いが、ここから遠ざかるように移動している。その点が向かう先に二つの反応。これは密接するように留まっている。さらにその先、かなり遠くにもう二つ。一つは小さく、怯えとも取れるように揺れ動いていた。それを追いかけるように片方が移動している。
どれも生体反応があった。生きてはいることにまずは安堵する。
「き、きっとセリアとオスカーです! セリアはまだ小さく、臆病な子で……!」
森を指差し説明するアリスに、アンナがすがり付くように声を出した。
小さな反応は、アンナが言うセリアという少女なのだろう。まさか、逃げる子供を敵が追っている……?
「まずいわね」
「距離が、ありますね」
フィードバックを受けていたミシェルも顔を曇らせる。
遠ざかる近くの反応は、おそらくここを攻撃した者だ。仲間の元に向かっているのかもしれない。護られたのは良かったが、失敗したことを伝えられると、どういう手段に出るかわからなかった。いや、もうすでに伝わっていると考えるのが自然である。一刻の猶予もなかった。
だが、あの場に急行できる人物は、自分も含めてこの二人だけである。ここを守るのにもどちらかは必要だった。それにもう一つの反応──
迷ったのは一瞬だった。
チャネルを接続。心の連絡リストから、特別な相手を選択する。遠くからでもはっきりとわかる強大な力を感じながら、アリスは頭の中でその人物に呼びかけた。
(リック様)
『どうしたアリー』
すぐに頼もしい声がした。




