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第1話 蠢く悪意

 目標である教会を見下ろす。

 男自身、特にこの施設に恨みはない。それどころか大変に憂鬱な気分だった。


『正直なところ、気が乗らねーな』


 仲間の一人の言葉を思い出す。『仕事だ』と窘めはしたが、自分だってこんな仕事、断れるものなら断りたかった。


「……はぁ」


 ため息を一つ吐いて、懐からスクロールを取り出す。通常のものとは異なり、華美な模様が描かれている。羊皮紙はより上質で、さらには錠まで付いていた。


「こんなもの必要ないとは思うのだがな……」


 彼の上司の上司の上司──幹部の一人が用意した逸品だ。汎用品ではその魔力に耐えることができず、燃え尽きてしまう。この特級品のスクロールだけで、平民が数ヶ月は暮らせるくらいの値段がした。

 さらには封印されているのは『劫火』。かなりの威力を誇る、炎熱王の加護がふんだんに──と言っていいのかはわからないが──活用された、おおよそ一般人には扱いきれない代物である。

 上質なスクロールに封じ込められた強力な魔法。もはやどの程度の値段になるのか、見当もつかないくらいだった。


 鍵を取り出しながら、もう一度教会に目を向ける。

 やはりどう見ても重要そうな施設とは思えない。要人がいるようにも見えず、数人の孤児とシスター、それと苦笑いの司祭らしき男。見えるのはそれくらいである。


「……恨まないでくれよ」


 鍵を挿して半周回す。それからもう一度、最初と中間の位置に戻しひねった。二段階の解錠手順だ。


 ぱきん、と音がして錠と鍵が消えた。スクロールが広がり、封印が解かれる。

 とうてい扱うこともできず、知りもしなかったこの魔法の全容が、頭の中に自然に入り込んでくる。はちきれそうなくらいの魔力が炎となって手や腕にまとわりつくが、なんの心配もいらない。今この時だけ、この魔法は男のものとなった。


 目標指定、効果範囲、効力時間。それらを冷静に設定していく。


「…………」


 古ぼけてはいるが、神聖さは未だ失われていない教会。そばに立つ緑々とした一本木。無垢な笑顔で駆け回る孤児と、社会貢献に勤しむ大人たち。

 それらが数瞬後には燃えカスとなる。教会は廃墟に、ヒトは原型を留めず、性別すら判別困難になるだろう。あたりにはイヤな匂いが立ち込めそうだった。


 もし、任されたのが自分でなかったら。自分の生まれや育ちが違っていたら。人生の転換期がわずかでもずれていたら──


「発動」


 そうした思いを振り払い、男が言葉を紡いだ。


 荒れ狂う魔力は暴力となり、炎の渦を顕現させ凄まじい速度で教会へ襲いかかる。男も一度目にしたことがあったが、それでもやはりこの熱量、威力には身震いがした。

 そのまま旋風となって、意思があるかのように教会を囲む。何もかもを焼き尽くし食らう大蛇のようにも見えた。酸素を使い果たすことで意識も奪い、向けられた者はわけもわからず燃やされ死んでいくだろう。それだけが救いと思えた。


 今まさに炎は教会を飲み込み、ヒトもモノも文字通りに消し炭と化し──




「なんだこれは!」


 王宮の一室、つい先日にも深夜に呼ばれた部屋で、レオナルド第一王子は怒声を発した。

 どうにもこうにも落ち着かず、うろうろと部屋や廊下を彷徨い、もう一度話をしようと部屋に入った矢先である。大きな水晶鏡に映った、燃え盛る火炎を見たのは。


「おや、殿下。どうされましたか」


 部屋の中央、鏡の前で椅子にでっぷり座っていた宰相──デイモンは、レオナルドの声にもなんら動じることなく、立ち上がろうともせずに振り返った。


「これはなんだと聞いている!」

「件の映像ですが……遠見だとやはり鮮明さに欠けますな」

「そんなことは聞いていない!」


 悪夢のような映像を前に驚く素振りも興奮するような様子も見せず、椅子を軋ませて再び鏡に向かう。そうしたデイモンの態度は、まるで何かの劇を見ているかのようだった。


「やれやれ……なんだというのですか」

「危害は加えないと言っただろう!?」

「ああ……そうでしたな、たしかにそう言いましたな」


 もう一度椅子を軋ませて立ち上がる。そのままレオナルドの方に向かい、彼の目の前で止まった。


「私はなにも指示していませんよ」

「……なんだと」

「日時だけ指定してあとは任せる……ただそれだけです」

「任せる、だと?」

「おや」


 しまった、といった風に顎に手をやる。非常に演技臭かった。


 そんなデイモンを無視し、レオナルドが肩越しに鏡を見る。そこには相変わらず激しく燃え狂う赤と橙の炎が映っていた。それだけであれば、これはただの炎の映像だと現実逃避できたかもしれない。だが、たまに炎の隙間から建物が見える。


 それは白と赤の外壁──ステンドグラスが──十字の──


「……っ!」

「おやおや、どこに行こうとされるのですか」


 振り返って部屋を出ていこうとするレオナルドの足を、デイモンの声が止めた。


「決まっている! こんなバカげたこと! 止めに行く!」

「今からですか? 録画ではないのですよ? 魔導車でも小一時間かかります。それに貴方が行って、なにかできるとでも?」


 これがリアルタイムの映像であることは、レオナルドにもすぐにわかった。それにあの火勢。自分なんかより遥かに能力のある者の仕業だろう。


「ぐっ……! だが──」

「お忘れですか」


 声を詰まらせ、それでもなお突っかかるレオナルドに、デイモンはまるで子供を諭すような優しげな声を出す。


 優しげで──悪意たっぷりの声を。


「貴方が『わかった』と仰られたのですよ」

「……!」


 衝撃によろめく。ふらついた足取りで二歩、三歩と後ずさって、壁にがつんと当たった。


「止めに行っても無駄な事はおろか、関与していることが明るみに出たら──廃嫡、幽閉……場合によっては極刑もありえますな」

「っ!」

「そうなると初の女王ですか。それは、まぁなかなかに大変そうですな」


 下卑た顔でにやりと笑う。計画の成功、そして己の絶対的な安全を確信しているような表情と声だった。


「き、さま……」

「あと……そうそう、フィオナ──ラインハート嬢でしたな」

「なっ!?」


 続けて出された人物は、レオナルドの婚約者だった。


「彼女も婚約者たる責任を取らされますなぁ」


 デイモンの言う通りだった。いまさらながら、己の軽はずみな言動に深く後悔をする。


 何もかも彼女のためだった。そのはずだった。だが意思とは裏腹に、大事に想っている彼女の身まで危うくしてしまっている。


 なぜ。いったいなぜ、こんなことに──


「ま、いいではありませんか」

「な、なにを」

「たかだか数人の命と引き換えに王位が手に入るのです。安い買い物──あ、兄君様もでしたか、これは失敬……ですがそちらも問題ないでしょう? なにせずっと疎んでおられたのですから」


 レオナルドは何も言えない。


「それに彼奴らは手練。証拠はなし。万が一にも我らに手がかかることはありません。この先も婚約者殿と仲良く歩めますよ。貴方が黙っていれば、ですが」


 レオナルドは何も言えない。


「あ、安心してください。この部屋にも、防諜の仕組みはしっかりと構えてありますので」


 レオナルドは何も言えない。


「明日には大葬の手続き、そして立太子の準備に取り掛かりませんと。忙しくなりますぞ」


 レオナルドは何も言えなかった。

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