その5
そこからは大変だった。
『うぅ……』
『豪快にいきましたね』
『大丈夫ですよ、お嬢様。殻は取り除きましょう』
『でも潰れちゃったわ……』
『どうせ混ぜるんだから同じです!』
『恋も潰れるのよ……』
『お嬢様!?』
ぐわしゃ、と卵を潰したかと思えば、
『塩……砂糖……』
『お嬢様、塩と砂糖が逆です』
『あ、あら失礼……えっと、コショーパッパッ……』
『お嬢様、今のはパッパッではなく、バッバッかと』
『あ、あら失礼……』
調味料の種類と量を間違えて、
『隠し味とかいれないのかしら? ワインとか?』
『応用の前にまず基本です! ……あぁ、フリッジを開けないで!』
『しかもそれビネガーです』
『わかっているなら止めてくださいミシェルさん!』
勝手なことをやろうとして止められ、
『手の動きが見えません……!』
『よーく混ぜないとダメね!』
『混ぜすぎじゃないですか?』
『どう考えても混ぜすぎです! ふわっとなりません!』
『ええ!?』
もの凄い勢いで混ぜさせられた卵液をみんなで見つめて、
『お火加減……強火……火力、足りないかしら?』
『ひえぇっ!? 手のひらから炎が出てます!? 熱くないんですか!?』
『お屋敷でそのレベルの魔法はよしてください!』
『あら、かがり火程度よ?』
『ダメです!』
料理が消し炭になるのを未然に防ぎ、
『そういえば、油を戻すのはなぜなの?』
『余分な油を使わないためです。油膜が貼れれば、あとは少量で大丈夫ですので』
『そうだったの……ポットがないわね?』
『あぁっ! 片付けちゃいました!』
『あら、どうしましょう』
『お嬢様、こちらに』
『あらミシェル、さすがね。ありがと』
『ひょええぇ! なにをやっているんですか!』
『大丈夫ですよ』
手のひら(魔法コーティング)へ熱々の油を流す行為に悲痛な叫びがとどろいて、
『フライパンを振るのよね?』
『あっ……! すみません、これを使ってください!』
『もう振りましたね』
『ああぁっ、お空に飛んで……!』
『飛んでるわね』
『飛んでますね』
『受け取って! 早く拾ってやって!』
空中遊泳する卵焼き(仮)を眺めながら、
『ここまで来れば……あとは切るだけ……』
『えいっ』
『でかぁい!』
『ええ?』
『中心からズレていますね』
『あら、じゃあこうして……こう……』
『五等分じゃないですか!』
『別にいいのでは……?』
『はっ! たしかに問題はないですね!?』
『大丈夫? マイ』
『なんで私が心配されているんですかぁ……』
なんやかんやで、アリスの人生初の料理は、お皿に盛られたのだった。
「さぁ……食べてみましょうか……」
ぜえぜえと肩で息をするマイが、新しいフォークを二人に配る。
「お嬢様?」
「どうされました?」
従者二人は主が最初に口に運ぶのを待っているのに、アリスはなかなか動かない。
不思議そうに見つめる二人に、片手を差し出した。
「お先にどうぞ」
主より先に従者が食す。普通はありえない。従者には下賜されるのが当たり前だ。
だけどアリスは『自分で作ったものを先に食べるわけにはいかないよね』という、裏のないごくごく普通の感覚で、二人に許可を出した。
「ありがとうございます、お嬢様」
「あ、ありがとうございます!」
一度は断るべきかも知れないが、二人は気遣いに甘んじて素直に受け取る。今はプライベートであり、しかも調理場。さらに主であるアリスがエプロンを着けて、手ずから作った料理だ。問題はないだろう。
「…………」
「…………」
ちらっとアリスを見ると、にっこり笑顔。二人はそれを確認し、またお皿に向き直る。
形は、それなりにできている。ところどころに焦げはあるし、やはり混ぜすぎたのか、あまりふわっとしていない。だけど初めてにしては、上々と言っても良い出来上がりだろう。
そう、出来上がりではあるのだが。
「どうぞ、ミシェル様」
「敬称戻っていますよ。マイが責任者なのですから、お先に」
「いえ、それでも」
「いや、それでも」
なんとなく怖い感じがして譲り合う。
どうぞ、いやいや、いえいえ。
二人が応酬を続けていると──
「……すん」
『!?』
振り返ると、うつむいたアリスがスカート部分をぎゅっと握っていた。若干涙目でもある。
いたいけで痛ましげなその姿に、二人は『ぶすっ! ばっ!』と口に放り込んだ。
『あっふ!』
アリスが不安そうに、なんとかもぐもぐする二人を見つめる。
三人同時にごくん、と飲み込んだ。
『ふ』
「ふ?」
『普通ですね』
「フツー……」
「あ、違いますよお嬢様。普通に食せるということです」
「そうですよ! 初めてにしては上出来です!」
がっくし落ちこむアリスを急いでなだめる。
たしかにふわっとはしていない。先ほどマイが作ったものと比べたら雲泥の差だ。ただ、料理人と比べるのがそもそも違うのだろう。
アリスが初めて作ったそれは、驚くことに、問題なく食べられる仕上がりだった。
「あらほんと。でも、マイが作ったものと比べると全然ダメね」
アリスもひとくち食べてから感想を漏らす。舌だけは肥えているため、こうして食べ比べてみるとすぐに違いがわかった。
「私はこれがお仕事ですから!」
「そうね。料理人も凄いのね。これを毎日だなんて……尊敬するわ」
「お、お嬢様……!」
卵焼き一つで苦労したけれど、普段の食事はもちろんレパートリーが豊富だ。朝昼晩の三回とも、いろいろな趣向を凝らしてくれている。なんならお菓子やデザート、果てにはお茶やお酒まで。
そうした日常を思い出したアリスが、素直に称賛した。
仕えている家の娘から直接お褒めの言葉をもらえたマイは、感激に涙がちょちょぎれている。ポケットからハンカチを出し、ぶびっと鼻をすすった。ちょっと汚い。
「ミシェルもマイも、いつもありがとう」
「お嬢様……ありがとうございます」
「ありがどうございますぅ……!」
「最初はまた面倒な、余計な知識を、どうなることやらと思いましたが、やってみると案外よかったですね」
「本音は隠しなさい」
無事に終わった安堵感もあり、にこやかな雰囲気が場に流れる。
と、引っ込んでいたジェフが戻ってきた。
「終わりましたかな?」
「料理長!」
「ええ。ありがとう、ジェフ。マイも。お邪魔して悪かったわね」
「いえ! 楽しかったです! こちらこそありがとうございました!」
「ふむ、どうやらよい経験になったようですね、マイ」
「はい! それはもう!」
にこにことするマイ。ジェフもどこか穏やかな表情だ。アリスとミシェルも笑顔になる。
「では、今夜にでも報告を聞きますか」
「ほ、報告ですか!」
「振り返りと反省を、二人でやりましょう」
「はい! ……あっ、そ、そうです」
「ん? ……っと、マイ?」
「んふふ~」
「お仕事中ですよ」
「では帰ってから!」
「まったく……」
すりすりとすり寄るマイに、呆れ顔のジェフ。
その様子に、アリスとミシェルは顔を見合わせて、もう一度二人を見た。
「えっと……」
「もしかして」
ジェフは特に表情を変えず、マイは頬をぽっと赤くした。
『ええええええぇっ!』
その後、『ご両親に振る舞ってみては?』と言うジェフの言葉を受け、アリスはもう一度作り始めた。
二回目ともなればだいぶ要領がわかったのか、今度はスムーズに、前より綺麗な形で出来上がる。
熱々は無理だったが、夕食時に出されたそれをリエンナは笑顔で、父であるジークは泣きながら食べた。『やっぱり嫁がせたくない』と言い出したジークを、リエンナが叱っていた。
その夜、ほどよい疲れでベッドに潜り込んだアリスは、夢を見た。
なぜか家はだいぶ小さく、平民が暮らすようなアパートだったが、愛する彼の近くでキッチンに立ち、慣れた手付きで様々な料理が出来上がっていった。うずうずしながら待ち望んでいてくれた彼と、向かい合って食事をする。満面の笑みと、ほんの少しだけ意地悪な催促をしてくる、愛おしい姿。幸せいっぱいな夢だった。
「またオニオンが焦げてるぞ!」
「バカ者。これは、今度こそはキャラメリゼというやつで──」
「どう見ても違うわ! 早く次の作業に移れ!」
「ぬおっ!」
「だからそうじゃねえって! 先に牛乳加えてどうすんだ!」
「貴様が焦らすからだろう!?」
「さっきも間違えてたじゃねえか!」
「貴様の指示が悪いのだ!」
「てめぇ! メリッサが書いてくれたレシピが悪いだと!?」
「そうは言っていないだろう!」
「あーあ! もう知らねー!」
「おい! 投げ出す気か!?」
「うるせー! なにが『愛する彼女に料理を振る舞いたい』だ! 面倒くさくてやってらんねーわ!」
「貴様! 手伝うと言ったのだから最後まで責任持て!」
「あーあー、聞こえませんね!」
「今の男は料理もできて当たり前と本に書いていた! 貴様も覚えろ!」
「うるせー! ヘンな本読みやがって! 貴族が、しかも公爵がありえねえだろそれ!」
「嫌われてもいいのか!」
「なら一人でやるわ!」
「なんだと!」
「なんだこら!」
クライン公爵の屋敷では、ぎゃあぎゃあ叫ぶ男二人が慣れない料理をしていた。
ちなみに料理はコンポタである。
<お料理しましょ おわり>




