その4
「それでは、えっと……その」
「始めていいわよ」
「気にしないでください」
「あ、はい」
ぴったりくっつき、なんなら腕まで組んでいるアリスとミシェルを見て、『お貴族様でもそういう関係になることもあるのかしら』と、マイはほんのりと頬を赤くして卵に向かい合った。
「まずは普通に卵を割っていきますね」
カンカンッ、パカッ。
普段のマイは片手で殻割りしている。なんなら白身と黄身を分けることも、そのまま片手でできる。ボウルの縁に一回、指を開いてそのままパカリ。
だけれど今日は教師役。縁ではなく平らな場所にニ回当ててから、両手を使って丁寧に、ゆっくりと割っていく様子を見せた。
「か、簡単に割れるのね?」
「慣れれば目をつむっててもできますよ~」
「あら、天眼をお持ち?」
「へ?」
「ん?」
だいぶかけ離れた会話を挟んで、塩・砂糖を計量して入れていく。
「目分量でもいいんですけどね」
言いながらコショーをパッパッ。お箸を使ってリズミカルに混ぜていった。
アリスはじっとそのやり方を見ている。
「別の調味料を入れても美味しく仕上がります。よほどでない限りは問題ありません。もうちょっと塩っ気を強くしたり、なんてのも食べる方のお好みですね」
「お好み……リック様のお好み……? どうしましょう、私、お好み知らない……」
「でしたらシンプルにまとめるのがいいかと思います!」
うつむきそうになったアリスに、マイが慌てて話しかける。自分だって恋に悩んだこともある。だから気持ちはもの凄く伝わってきた。
「今度一緒にアレフ様に聞いてみましょうね」
そしてミシェルはというと、先ほどの一件から急に甘やかすようになっていた。どうやらくっつき虫になってくれているのが嬉しいようだ。心なしか、姉や母親みたいな雰囲気も出してきている。
「け、煙が出てるけど!?」
卵を割るのと同時に火にかけていたフライパンが、いい感じに熱くなっていた。熱された鉄板がもうもうと煙を上げている。
目を丸くして指を差すアリスだったが、マイは平然とフライパンに向かう。
「これでいいんです。ぬるいと卵がべしゃっとなるのです。最初から最後まで強気に強火。これがコツです」
ちなみに恋もですよ、と付け加えておく。
平民出身の彼女は駆け引きなど知らない。押して押して押しつぶす。むしろ、相手が我慢できずに手を出してくれたらめっけものだった。
「強気……強火……押して押して……」
アリスが呟く。
それをミシェルがぐいっと抱き寄せ、囁いた。
「ダメです、ゆっくり行きましょう。引くことも大事ですよ。気にかけてほしいのでしょう?」
「ゆっくり……押してダメなら引いて……気を……」
アリスが呟く。
ぽんこつ崇敬猪突猛進の三位一体が、カオスな雰囲気を作り上げていた。
「お嬢様、よく見ていてくださいね」
マイがそう言って油を淹れる。煙が出るほどに熱されたフライパンに流されたそれは、見る間にぴちぴちと跳ね出した。
そしてすぐさまオイルポットに油を戻し、ちょっとだけ濡れ布巾に置いてジュッとしてから、またコンロに。次は間を置かずに卵液を流し込んだ。
一連の流れをアリスが不思議そうに見つめる。なんでせっかく淹れた油を戻したのか。どうして濡れ布巾に置いたのか。何もわからなかった。学園ではそんなこと教えてくれない。
卵がふつふつといい出す。まだまだ固まってはいない、どろどろだ。
しかしマイは、そのままフライパンを軽やかに振ってくるっと回した。
何かするにはまだ早いんじゃないのかと思えたが、コンロに戻されたフライパンを見ると、卵が綺麗な丸まった形になっている。そう言えば朝食に出てたかも、と思える形がすでにできあがっていた。
「あとは繰り返すだけです」
なんともないように言うマイの横顔をじっと見つめる。自分の知らない魔法、技術を扱うマイが、アリスには神々しく見えてきた。
彼が好む姿はきっとこれなのだ。料理に貴賤などなし。アリスは完敗だと思った。
マイの言うとおり、あとはその都度油を引いてから隙間に卵液を流し、フライパンを何度か振れば、くるくるっとした卵焼きが完成した。
ひとくちサイズにナイフをいれてお皿に移し、ちょこっと緑を添えて出来上がり。
「あっ!」
見慣れた形を見たアリスが驚きの声を上げる。『そういえばこの料理食べたことある!』とでも言いたげだった。
「できたの……?」
「はい、これで完成です。どうぞ、本当はラディッシュをすりおろしたものが欲しいですが」
ずいっと差し出されたそれをまじまじと眺める。湯気を立てた卵焼きは見るからにふわふわで、食欲が湧いてきた。
アリスがマイを、続けてミシェルを見た。フォークが差し出されたので受け取る。
通常、貴族は熱々のものを食べる機会は少ない。スチュアート家だけでの食事はその限りではないが、王宮での宴や会食などは、出来上がってからも毒見役がまず確かめてから運ばれる。お茶会でも、普通は持参者がひとくち食べるのを見届けてから口に入れるのだ。必要な措置ではあるが、その間に料理は冷めてしまうことになっていた。
「ぶすりとがぶりといっちゃってください!」
マイの言う通りに、渡されたフォークを卵焼きにぷすっと刺して持ち上げる。ちょっとはしたない気もするが、湯気がふわんと動き、口の前に持ってくるとまたほわほわと立ち昇らせるその様子に、唾が溢れてきた。
そのままぱくりと放り込む。
「あふっ……はふっは、はふ」
熱々を転がす。ふわっとした感触が楽しい。卵の味が口の中いっぱいに広がった。そのふわふわを味わっていると、すぐにとろっとした中身がとどめを刺してくる。
へふへふと咀嚼して味わい、あふあふと格闘してから、こくん、と彼女の白い喉が鳴った。
「ふわぁ……」
口をだらしなく開けて、とろんとした表情を魅せた。
どことなく官能な匂いを漂わせるそれを、二人は顔をそらして耐える。直視するとまずいことは直感でわかった。
「おいし……」
アリスの口から勝手に言葉が漏れ出た。向き直ったマイが満面の笑顔を浮かべる。
「どうぞ……」
ぽやっとしたままのアリスが言った。主の許しを得たミシェルもマイも、それぞれ口にする。
マイは慣れているのか、それほど熱がらずに飲み込んだ。ミシェルはかなり苦戦している様子だ。どうも猫舌らしい。
「なるほど……できたては美味しいものですね」
「個人的に今日のは七十点ですね……少しふわふわ感が足りません。料理長からはお小言をもらいそうです」
「え?」
「見られてたので緊張しちゃいました」
恥ずかしそうに笑うマイを、アリスが驚愕の表情で見つめる。
これで七割ってどういうこと? こんなに美味しいのに?
もう一つ続けて口に運んだ。やっぱり美味しい。何が悪いのかわからない。百点の出来と比べてみたかった。
そうして食された切り分け計四つ。空っぽになったお皿を見て、みんなが名残惜しそうにする。
(リック様なら、ひょいぱく食べてくれるかしら?)
考え込むアリスを嗜めるように、横から声がした。
「だいたい一人分なら卵二つですね。大食漢の方なら、量自体は二倍でも三倍でもいいのですが……」
「あら、なにか気になることがあるの?」
「卵って摂りすぎるとダメなのです。まぁ、それはどんなものでもそうなのですが。それと油もけっこう使うので、食いしん坊さんでも三つくらいまでにしたほうがいいでしょうね」
なるほど、納得の理由である。たいがいの過剰摂取は身体に良くない。やっぱり魔力と同じ、取り込みすぎた力は暴走に繋がるのだ。
アリスは色気も何もない感想を再度抱いた。
(それにしても、食べすぎはダメ、か……)
そう、夫の体調管理は妻の仕事。いつまでも健康で長生きしてもらい、少しでも長く一緒にいてもらいたいのだ。
そのためにも、心を鬼にする必要がある。たとえ彼が、どんなに甘えた声を出してきても──
もう、食べ過ぎですよリック様。すまん、もうひとつ。ダメです、卵も油も摂りすぎです。そうは言うがアリーが作る料理が美味しすぎるのだ。り、リック様……そんなことを言っても、ダメ、なんですっ。アリーがいけない……美味しい料理を振る舞ってくれるアリーがいけないんだ……。あっ……リック様……。いけない女性だ。そ、それは……そんなこと……。いけないな? は、はい……いけないの……私、いけないひとなの……。罰として、もう一回頼めるか? はい……なんかいでも……。
「あっ、ダメっ、耐えれそうにないのっ」
「お嬢様?」
「いつものやつです」
「いつもの?」
「最近よくあるのです」
言ったミシェルが、完全にあっちの世界でぽやぽやするアリスの頭を、ぺしっとはたいて現実に戻す。マイが驚いているが無視だ。
「あれ? ミシェル?」
「お帰りなさいませ」
「あ、ただいま……?」
雲の上の人だった主と、扱い慣れている従者を見て、『ほへー』とマイが見やる。
おそらく、料理を振る舞いたい相手を想像したに違いない。こんな風になった自分は、もういつのことだろうか。いつの間にか一緒にいるのが当たり前になっていたけれど、たまには思う存分甘えてみようかな……
そう思ったマイが、これまで以上に張り切った声を出した。
「さあ、お嬢様! やってみせてください!」
「ええ!」




