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その3

「卵焼きと言うのは、文字通り卵を焼いたものです。東方からの伝来ですね。焼き方も様々ですが、折り重なるようにするのが一般的です」

「朝食などにもたまに出ていますよ」

「そ、そうなの……」


 卵焼きを知らない。アリスが言い放った驚愕の事実に対して、二人が懇切丁寧に教えていく。

 二人の教師に、生徒であるアリスは大人しく聞いていた。知らずに食べていた、ということにショックを受けていた。


 でも──


「焼くだけなら簡単じゃないの? そんなのが秘奥なの?」

「甘い、甘いですお嬢様は! 砂糖菓子のように甘い!」

「え、ええ!?」


 若干芝居じみたセリフにアリスが怯む。

 マイは人差し指をぴっと立てて、


「いいですか、お嬢様。卵焼きというのは、完成がないのです」

「完成がない?」


 『できたら完成じゃないの?』と顎に指をつけて首をかしげた。

 その仕草に少しだけ『うっ』となったマイが続ける。


「完璧な物ができた──そう思っても、すぐにまた先が見えてくる。そのような料理なのです」

「そうなの?」

「そうなのです。たしかに作るだけなら簡単です。けっこういい加減に作っても、それなりのものができるでしょう。ですが、上を目指すとなると、大変に困難になるのです」


 卵の溶き方、味付け、鉄板の熱し方、卵を投入するタイミング、焼き加減。そのどれもが繊細なのだとマイが言う。


(魔法と同じようなものかしら?)


 女子力の欠片もない感想を抱いた。


「話がズレてきていますよ」

「あ、すみません……とりあえず置いておきます。とにかく、最高のものを焼き上げようとすると難しいのですが、普通に作る分には簡単です。それでは始めていきましょう」


 戦闘開始の合図が出てから、ミシェルが食材を、マイが器材を揃えていく。アリスはその様子を眺めているだけだ。


 自分も何かしなくちゃ。準備もできたほうがいいはず。

 そう思って声をかける。


「あの、私も」

『お嬢様はどうかそのままで』

「……はい」


 そう言われては置物になるしかない。椅子にちょこんと座って大人しく見守る。

 そうしているとまるで人形のようでもあるため、準備をしながらも、ミシェルもマイもちらちらと彼女を見ていた。


 そうこうして、食材である卵に塩に砂糖にコショーに油が、器材であるボウルとヘラとなにやら長いお箸が二本、そしておかしな形をしたフライパンがテーブルの上に揃えられた。


 それらをしげしげと眺める。


「これなぁに? やけに長いようだけど」

「菜箸──チョップスティックです。卵を混ぜるために使うのですよ」

「お箸二本で混ざるの?」

「逆ですお嬢様。混ぜすぎないのがコツなのです」

「んん? ……これは、フライパン? お肉を焼くのと形が違うのね」

「はい、卵焼き専用です。ふっふっふ、これは本当に卵焼きしか焼いていないのですよ!」

「そ、そうなんだ」


 それの何が凄いのかよくわからないアリスだったが、とりあえず相槌を打つ。何か料理人のこだわりなのだろう、きっと。


「今回はシンプルで行きたいので、これらだけにしました」

「ありがとうございますミシェル様!」

「ミシェルでいいですよ」

「で、ではミシェルさんで!」


 専属侍女であるミシェルのほうが、マイより位が高い。

 お互いあまり話したことはなさそうだったが、今回で仲を深められたのならよかった、とアリスが主らしい思いを抱いた。


「ではまず、私がやってみせますので」

「わかったわ!」


 探査魔法を発動。動作を分析、トレース準備に入る。食材の状態確認、熱源感知、温度を把握。続けて眼を展開。あらゆる視点、角度から定点カメラのように観察。一挙手一投足を見逃さないように、ミリ単位で──


「お嬢様」

「なぁに?」

「それはおやめください。というかバカですか」

「なんで!?」

「え? え? なんですかっ!? なんですかっ!?」


 一瞬で空気が変わったかのような調理室にマイが慄く。魔力をあまり持たない平民出身のマイでも、違和感を覚えるくらいだった。


「お、お手本は、観測できたほうがいいじゃない?」

「それはそうですが──いえ、そうですね。お嬢様がいいのであれば、それでいいですね」

「ミシェル……?」


 意味深な物言いに、なんとなく怖くなったアリスが小声になる。


「他人の動きを再現して作った料理で、リチャード様の心に届くとお思いであれば、それでも──」

「っ!?」


 即座に中断、解除。満ちていた魔力が霧散する。

 ミシェルがほっと息を吐いた。


「わかっていただけましたか」

「……言い方が意地悪だわ」


 ぷいっと顔ごと視線をそらすアリスに、ミシェルが優しく微笑む。己の主を誇っているかのような表情だった。


「管弦の演奏もダンスも、ご自身の努力で研鑽を積まれてきたでしょう。料理も同じ。焦る気持ちはわかりますが、お嬢様自身が身につけなければいけません」

「……ええ」

「もちろん、先ほどの力も含めてのお嬢様です。ですが、そういった力がなくとも、立派に成し遂げている方もいるのです。お嬢様も、きっとそのほうが習得に楽しまれ、成長なされるかと」

「そう、ね……私が間違っていたわ。世話をかけてごめんなさい」

「いいえ、お嬢様。お嬢様のことを信頼しておりますので」

「いつもありがとう。貴女がいてくれてよかった」

「……はい、お嬢様」


 主従が笑顔で見つめ合う。なんだかその距離が若干近いようだが。


「な、なんだったのですか……」


 コールドテーブルの下から、マイがおそるおそる顔を覗かせてきょろきょろとしていた。

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