その1
あるお昼過ぎのこと。
スチュアート侯爵家令嬢、アリス・スチュアートは早めの昼食を終えてから、自室に閉じこもって本を読んでいた。
これが文学や小説なら、さぞかし絵になったことだろう。窓辺に置かれた椅子に腰掛けて、優雅にページをめくる令嬢、しかも美少女。開かれた窓からはそよ風がささやき、彼女のくせがなくさらりとした髪がなびく。その揺れた髪を、視線の邪魔にならないように静かに耳にかける仕草──誰が見ても惚けるようなシーンだ。
それが現実だったのなら。
今の彼女はベッドに寝転がって、ふむふむとうなずきながら、枕元に置いた本にはしたなく目を通していた。読んでいる本も雑誌──貴族令嬢が嗜む娯楽本、『ダッチェス』という名のそれを、真剣な目つきでにらんでいる。
厳格な家なら手にすることすら許されなかっただろうが、スチュアート侯爵家はそのへんゆるい。未婚女性向けにもかかわらず、『あとで読ませてね』と彼女の母であるリエンナも言っていた。
そんな雑誌のメインターゲット層であるアリスはというと、あるページに書かれている主題、内容に釘付けになっていた。
「やっぱりそうなのね……ど、どうしましょう……」
「失礼いたします……ってお嬢様、なにをなさっているのですか。令嬢がはしたないですよ」
「ミシェルぅ……」
お茶を運んできた専属侍女のミシェルに『へにょり』と泣きそうな顔を向けた。またなにか面倒なことになりそうである。
「なにを読まれているんですか?」
ミシェルは茶と菓子をテーブルに起き、主が開いていた本に目を向けた。
『殿方はお料理上手がお好き!? 貴女の手料理で彼の胃袋をつかみましょう!』
「…………」
その主題に続けて、細かい文字で書かれている本文を見てみる。
『とある調査結果では、殿方の実に八割が、料理を嗜む女性を好まれるという数字が出ています。』
『高位の貴族になればなるほど、その傾向が強く出ています。』
『料理人に全てを任せきっていませんか? それでは彼の心を射止めることはできないかも。』
『たとえ下手でも、愛情を込めた手料理を愛しい相手に振る舞ってみませんか?』
『初めてでも簡単な料理レシピをチェックしてみましょう!』
『レシピは次のページ!』
「…………」
とある調査結果って、いったいどこの誰がどうやって調べたんだ、とツッコみそうになる。街角アンケートでもしたのだろうか? 貴族街で? 高位貴族に、紙とペンを持ってか?
うさん臭いその記事を見たミシェルが疑わしげな目になるが、アリスは必死な顔で泣きついてきた。
「ど、どうしましょうミシェル……料理なんて、私、やったこと──」
「落ち着いて、落ち着いてください、お嬢様」
仕事着のエプロン部分を掴まれてがくんがくん揺さぶられながら、主の興奮をなだめる。
「令嬢なのですから、料理をしたことがないのは当然でしょう」
「でも! でも、だって、これ!」
開いたままの本を指差さすアリスに、『どうどう』と言って肩に手を置いて鎮める。まだ気が気でなさそうな姿を見て、深いため息をついた。
またヘンな知識を身に着けやがって。
「いいですか、お嬢様。貴族は料理の指示と、舌を鍛えていればいいのです。ご自分で調理したものを振る舞う機会なんて、めったにありません」
「……そう、だけど」
「それに、そんなどういった調査なのか、全数すらわからないような数字に信憑性はありませんよ」
「それも……そうかもしれないけど……」
『でも、でも』とまだ納得していない様子だ。
しかし、まぁ。
「たしかに料理ができないよりは、できたほうが喜ばれそうなことは、あるかもしれませんね。調理を知っていることで、より細かい指示もできるようになる可能性も、まぁ、ないとは言えないでしょう」
「ほらやっぱり! 料理ができないとダメなんだわ! フラれちゃうんだわ!」
「そうは言っていませんが」
「リック様……やだ、やだぁ……」
聞いちゃいねえ。
勝手な想像をしては、やだやだと零れんばかりの涙を大きな瞳に浮かべる彼女を見て、ミシェルはもう一度ため息をついた。
だがそれでも、主の悲しみを慮るのも侍女の役目。気はまったく乗らないが助言をする。
「それでは料理人に、簡単なものを教示いただいてみては? いきなり本格的なものに挑戦するのではなく、まずはありふれたものがよいかと」
「それよ!」
そう言ってがばっと飛び起き、アリスが部屋の外に飛び出していく。あまりの突拍子もない行動に反応ができない。
え、今から? いきなり? なんの前触れもなく? もしかしてまずいこと言った?
「お、お嬢様」
「なにをしているの。さっさと行くわよ」
「待ってください、料理人にも準備というものが。それに今は夕食の仕込み中──というより私も行くのですか?」
「もちろん! ほら早く!」
『料理が逃げちゃう』とドアの向こうからぱたぱた手招きをしてくる。
逃げないよ。どんな料理だよ。手足でも生えてるのか。
三度目のため息をついて、はやる主の後を重い足取りで追いかける。
ほうら、やっぱり面倒なことになった。




