第4話 来訪の理由
とまあそんなわけもあって、アリスは王家から気に入られていた。国と家族を護ってくれた人物だ。当然といえば当然である。
クローゼの少し──だいぶ斜め上方向の初恋もあって、たびたび王宮に呼ばれたアリスは、王妃と王女のお茶会やパーティに参加し、立場や言葉といった溝を埋めていき、今に至る。
「至ったのはいいのだけど!」
クローゼが両手でテーブルを叩いた。
「く、クローゼ?」
「勝手によおわからん婚約者なんぞ、おできなさって!」
スチュアート侯爵家の迎賓室。
招き入れられた三人は、アリスも交えてお話に興に入っていた。主に二年前の討伐のことがメインだったが、アリスの両親との関係やこの前の模擬訓練、特段意味のない観劇や今後の政策、革新的な技術の壁など、時に気楽に時に難しく、四人は会話を楽しんでいた。
そうした話の途中で、急に声を張り上げたクローゼがよおわからんことを言い出した。
「り、リチャード様は、よおわからんことなんて、ないわよ?」
よおわからんクローゼに、アリスがおそるおそる声をかける。
だが、クローゼは赤くなった手を擦りながら、ペティコートのポケットからいそいそとハンカチを取り出して、
「くうぅっ!」
歯で引っ張るように噛み締め、涙を浮かべた。
(前からこんな子だったかしら)
あの勇ましく痛ましい姿は本当に彼女だったのか。そうアリスが疑問に思うくらい、今のクローゼはとても変な子だった。
そう、この二年、クローゼからしたら悪くない進捗だった。
なんとしてでも近づきたい、恋にも似た憧れのお義姉さまとの関係を少しずつだが深めていき、今や姉妹と言われても納得するものが多数、くらいまでは親身になれていた。
想定外だったのは、あのあとすぐにアリスが婚約をしたということだ。そのことを知った時のクローゼは『ずるいずるい!』とベッドをばんばん叩いて、名前も知らない、見たこともない婚約者とやらへ呪詛を吐き続けた。残念ながら、その婚約者の家に適齢な男性はいなかった。
それでも少しでもお近づきになりたいクローゼは、初心忘れるべからずということで、当初の目標に対して果敢にアタックを続けていた。
「まぁ……ク様のことも嫌いでは……頭も……思いやりも……様に似て……」
「……ええと、それでテレサ様。本日はどのような──」
そんなことを知るよしもないアリスは、悶々としたクローゼを放置して本題に入ろうとしたが、
「アリスお義姉さまぁ!?」
「なぁに!?」
ものすごい形相で叫ばれたため、慌てて向き直った。
自分の方を向いてくれたことを確認したクローゼが、わざとらしくさめざめと泣き始めた。
「お義姉さまは私のことが嫌いなんですわ……」
「えぇ!?」
「きっとどうでもいいと思っていますのよ……」
「そ、そんなことないから!」
歯型がついたハンカチで目元を抑える小さな手を、急いでアリスがぎゅっと握った。
クローゼがぴたりと涙を止める。
「本当ですか?」
「ええ、クローゼ」
「なら今日、一緒に寝てくれますか?」
「ええ、クローゼ──え、泊まるの? 学園は平気? ルークはもう行っちゃったけど?」
「お風呂も一緒がいいですわ」
「質問に答えて」
まったく説明しないことに、アリスが一気にじとっとした目になる。
その反応を確認したクローゼは、今度はドレスの袖で顔を隠して、『ひっく』とわざわざ声に出してえずく真似を始めた。またしてもアリスが急いでぎゅっと抱きしめる。
「クローゼ……!」
「……ぐすりんこ」
「わかったから! お泊りしていいから! ね? 泣かないで?」
「……お風呂」
「ええ、一緒に入りましょ?」
「お義姉さまぁっ!」
えいやっと抱きついたクローゼは、もう一度その胸の匂いを思い切り吸い込んだ後、ソファからずばっと立ち上がって、ずんどこ踊りだした。王女として──というより女の子としてどうなのか、みたいな動きで部屋を一周する。
「元気出た?」
戻ってきたクローゼを、アリスが出迎えた。
「はい!」
「ふふ。よかった」
「そのへんにしなさいクローゼ。アリスもごめんなさいね。娘をお願いします」
「はい、テレサ様」
王女殿下がお泊まりなされる。
そのことに、側に控えていた執事も給仕をしていた侍女も『ひょえっ』と頬に手を当て、どたばたと駆け出した。
周囲の様子を見たアリスが、申し訳無さそうにミシェルを呼んだ。
(ミシェル、その……)
(はい、準備はこちらで……もうなにも言わないことにします)
(ん? ええ、ありがとう)
「それで、本題でしたね──ウィル」
「ええ、母上」
妹の微笑ましい姿を満足そうに眺めていたバカ兄──ウィルが、テレサの言葉を受けて姿勢を正す。
それを見たアリスとクローゼも居住まいを正して、真正面から見つめた。
「王家が各地にある施設を査察することは、知っているね?」
「はい、ある程度は」
「話が早くて助かるね」
ウィルがお茶を一口すすってから、ソファにもたれて指を組んだ。
彼の言う通り、王家は王国各地にある施設への査察を義務付けられている。
行く先は様々だ。研究所だったり、学園だったり、各ギルドだったり。時には遠方の酪農、農場といった、生産施設へ赴くこともある。
目的もまた、多岐にわたる。
汚職は発生していないか。貧困にあえいでいないか。過労働といったことはないか。職員や作業員の人間関係はしっかりと築けているか。報告を怠っていることがないか。不正な会計操作は起きていないか。内部統制はきっちりと機能しているか。
そういった腐敗に繋がる原因を早め早めに見つけ、報告させ、客観的に評価し、指摘・認識させた上で芽を摘み取る。つまり外部監査や内部統制報告制度のようなものだ。
王国を支える各地、その血液循環を、心臓部分である王家自らが担当していた。
「それで、その査察がどうかしましたか?」
そんな王家の査察。立派なことだとは思うが、それが何か今回の訪問に関係があるのだろうか。
「実は、護衛を頼みたいんだよ」
「護衛、ですか?」
アリスが不思議そうな顔をした。
それはもちろん、王家に属する人間が出向くのだから、護衛は必要だろう。王国は比較的治安が良いほうだが、それでも悪い考えを持つ人間はゼロにはならない。浜の真砂は尽きるとも──大抵の世の中はそういうものだ。
しかしそういった役目は本来、
「近衛や騎士では?」
「そうなんだけどね、今回は場所がね。その、町の外れにある、孤児院なんだ」
言いにくそうにウィルが告げた。
孤児院。その単語を聞いた瞬間、ミシェルがぴくりと動いたのを、アリスが察知する。
「……孤児院、ですか」
「そんな所にさ、彼らを連れて行くと……どうなるかわかるよね?」
「それは……」
アリスが想像した図。それはまさに、ウィルが大変な目に会った前回の査察そのものだった。
近衛や騎士は、誰もが立派な体格をしている。当然だ。王宮を、王家を外敵から守護するため、日夜厳しい訓練に励んでいる。剣や槍といった得物を持つのが普通だが、時にはそれらを破壊、弾かれて手を離してしまうこともあるだろう。そうなれば、信じられるのは己の肉体のみとなる。赤手空挙にも精通している必要があった。
その彼らを、しかも鎧を纏って武器を携えた威圧感半端ない者らを、幼い子供がいる場所にぞろぞろと連れていくとどうなるか。
泣くわ喚くわ逃げ出すわ、終いには敵とみなされて院に入れてすらもらえないわで、とても査察どころではなかった。
お姉ちゃんに近づくな。そう言ってシスターを庇うように、箒で叩かれたりなんかもした。
騎士に憧れなんかを抱いていた子供からは、逆に囲まれ、身体によじ登られ、剣を奪おうとされ、兜を取られるわ盾を取られるわで散々だった。
ほとんど何もできずに王宮に帰ったウィルらは、古強者相手に論戦を、過激極まりない現地訓練を終えた時より、精神と体力がすり減っていた。
しかしだからと言って、もう二度と行きたくないとは言えない。査察は王家の義務だからだ。
まだ柔和に接してくれるであろう、女性騎士を連れて行くという案もあるにはあったのだが、絶対数が少ない上に、彼女らは王妃や王女、王子ら婚約者の身辺警護が主な任務である。さすがに男性に代わってもらうわけにはいかなかった。
「大変だったのですね……」
苦い記憶を振り返るウィルの言葉に、アリスはぼへっとした感想を述べた。
「本当にね……とにかく、私たちもしっかりと終わらせたい思いが強いんだよ」
「ですが本職ではないので」
「別にそこまで身構えなくていいよ。あくまで付添、そんなものと捉えてくれてもかまわない」
「そういうわけで、アリスに護衛をお願いしたいのです」
締めくくるようにテレサが言った。こちらの反応を伺っている。
アリスが後ろに立つミシェルの方へ振り返った。己の侍女、その瞳は──
(ごめんなさい)
アリスが心中で謝罪した。
彼女のためにも即答したかったが、自分は家主ではない。王家から信頼されているという誉れは感じたが、父や母に断りなく受けられる話ではなかった。ただでさえいろいろと迷惑をかけてきたのだから。
「即答はできかねます。まずは両親に──」
「ダメよ!」
そんな考えで、まずは許可を取ってから。そう答えようとしたアリスを、テレサが慌てて遮った。
「て、テレサ様……?」
「その、ご両親には、黙っていて、欲しくてですね……」
「いえ、さすがにそういうわけには……心配されるかもですし……」
「ほんの一日ですし、黙っていればわからない──」
「なにか秘密にしないといけない理由でもあるのでしょうか?」
アリスが不信感をあらわにし、テレサを少しだけにらみつける。
にらまれた彼女は、そわそわおどおどし始めた。
「それは、だって」
「だって?」
「リエンナ、怒るじゃない……」
眉を下げ、両の人差し指をつんつんして、ぼそっと言った。
場に沈黙が流れる。
「なんですかそれ」
アリスが呆れを隠そうともしない声を出した。
「貴女は知らないのです! 昔から、どれだけ私が怒られてきたか!」
「は、はい、知りませんわ」
だがテレサはぐわっと声を上げたかと思うと、嫌な思い出を掘り起こされたかのように、とても不機嫌そうにぶつぶつと話し始める。
「最初は学生の頃よ……生徒会で私が副会長、彼女は書紀会計。ちょっと記載ミスがあったらネチネチ……予算ミスがあったらネチネチ……『早くしなさいよ副会長』『遅いわよ副会長』『また間違えているわ副会長』なんて聞き飽きたわ! 耳にタコができるくらい! 例の洗礼の時なんて、よかれと思って後押ししたのに、そのあとネチネチネチネチ……『まぁ今回は? 娘のことだから許すけれど?』って! あんたの夫が言い出したくせに! 貴女を王家に迎えるなんて話が出た時、慌てて止めようとしたらすぐに伝達が来て『ふざけんじゃないわよ。一生耳元で貴女の黒歴史を囁くようにしてやろうかしら』ですって! 私は! 止めようと! したのに! そっちこそふざけんじゃないわよ! 二年前もそう。『あー、あの時アリスがいてくれてよかったわね? 私は許していないけれど』とかなんとか言って! 未だに言ってくるのよ!? 信じられる!? 『魔導車、ね。いいわよねあれ。一台あれば便利よね』なんて! 『え、ムリ』って言ったらまたネチネチネチネチネチネチネチネチ……しかもけっきょく二台よ二台! 一台あればってなんだったの! そのあと財務や徴税で怒られたのは私なのよ! なんで私が! 全部あの子が悪いのに! 私は悪くないのにぃ……」
仲がいいのか悪いのか。
テーブルをバシバシ叩きながら一気にまくし立てて、ぜえはあと肩で息をし、最後には突っ伏してしまった。
「母がすみません……」
言いながらアリスも居心地が悪かった。洗礼は自分の我儘が発端だったからだ。それにお茶会でも使わせてもらったこともある。
それにしても、王家と関係を求められたという話は初耳だった。こんなところで暴露して大丈夫だろうか、とアリスは心配になった。
「せっかく不在の日を選んだのに……」
テーブルに口をつけたまま、もごもごとテレサが言った。
「……もしかして、急な来訪だったのも、そのためで?」
「彼女の予定は影を使って常に把握しています」
「うわぁ」
思わず『うわぁ』が口に出た。なんという無駄遣い。そこまでする必要があるのだろうか。それがお仕事なのだろうが、いいように使われる者らに同情してしまう。
「と、とにかくリエンナには……そうですね、こちらから通達します。これは王妃命令です!」
がたっと立ち上がったテレサが、人差し指をびしっとアリスに突きつけ、高らかに宣言した。本当に通達するかも怪しい。大変に残念な王妃命令だった。
「黙っていることが知られたら、もっと怒られるのではないかしら……」
「不吉なこと言わないでちょうだいな!」
なんとなくだが、不吉なことは現実になりそうな気がした。
とは言え、残念だろうがなんだろうが、王妃命令と言われたからには従うほかない。
「お嬢様」
これまで黙っていたミシェルが、期待するような目を向けた。
「そうね、ミシェル」
それを見たアリスは微笑む。もとよりそのつもりだった。
「では……?」
「謹んで、お受けいたします」
「あら!」
『あら!』じゃないだろ、『あら!』じゃ。
頭を下げながら少しだけ口をとがらせる。
「助かるよ、悪いね」
「いいえ、ウィルフィード様」
アリスが頭を上げる。口の形はもとに戻っていた。
「では、アリス」
「はい、テレサ様」
「鎧もそうですが、令嬢然としたドレスも、やはり圧を与えます」
「そうですわお義姉さま!」
「はぁ」
「なので──」
言いたいことがさっぱりわからなかったアリスだったが、テレサは何やら目配せをしている。クローゼは大変に興奮した様子だ。
そういえば妃宮の筆頭侍女が、手提げらしきものを抱えていた。手土産かと思ったが、これまでも頂いてはいない。なぜこのタイミングで──
「着替えてくださいね」
「へ?」
「試着といきましょう!」




