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第3話 災厄

 災厄。それは後にそう名付けられた。


 最初にその姿を見たのは、隣国の木こりの男性だった。彼はずっとおかしいと思っていたのだ。普段は清廉な泉が澱んでいたことを。


 それはいつものように伐採をしたあと、水を汲みに足を運んだ時だった。こぽこぽとした黒紫色の泡が、泉の端に湧き出ていたのを見てしまったのは。

 彼は水を汲むのを止め、逃げるように農村の小屋に帰った。


 仲間にその話を伝えるも、ほとんどの者は信じはしなかった。見間違えだろう、働きすぎだ、と。

 信じてくれた者も、特別心配はしていなかった。一時的なもの、すぐにもとに戻る、別に悪いものでもないのでは。皆が口々にそう言った。

 それを聞いた彼も、その日は忘れて酒と宴を楽しんだ。


 だがそうした思いとは裏腹に、澱みはどんどんと広がっていく。

 こんなところで水を汲んでいたのか。

 数月も経つ頃、もはやそう疑問に思わざるを得ないくらいに、それは泉の大部分を占めていた。


 ここでようやく、農村の長が調査団の派遣を国に依頼した。

 案内役を任された彼は、調査に来た魔導師を連れて例の場所に案内する。イヤだイヤだと心の底で叫びながら。

 泉についた調査団は目を見開いた。すでに一面、紫色に染まっていたからだ。


 一人が採取のために水際に近づいて、瓶を水面に触れさせたその時。

 それは形となって現れた。


『おおおおお!?』

『なんだこいつは!』

『だからイヤだったんだ! さっさと逃げていれば──』

『ぼ、防御態勢──』

『おかぁ──』


 泉の水全てが上空に巻き上げられ、空中にその身を形成したそれは、暴虐の嵐となった。その場にいた全員を巻き込んだあと、農村を壊滅させた。報告を上げることができる者はいない。すべて飲み込まれた。

 恐ろしいのは、それは生者を飲み込むごとに力をつけていくことだった。


 なおもそれは突き進み、農村から離れた町に現れた。

 門番だった兵士が視界に捉え、慌てた様子で閉門を指示した。傍らにいたもう一人の兵士は訳もわからないまま、仲間を叱咤する。まだ門の外で畑を耕していた町民がいたからだ。

 アレを見ろ。口の端に泡を立てて叫ぶ仲間に、一歩遅れて理解する。町の中に逃げ込み、素早い動きで門を降ろした。外にいた者など、すでに考えもしなかった。

 だが彼らの行動も虚しく、それは畑も町も一飲みにして、存分にその場で暴れた。あとには何も残らなかった。


 やっとの知らせが中央に届いた時には、もはや手のつけようがないくらいにそれは成長し、力と勢いを増していた。被害報告を聞くだけで、誰もがあぐねることしかできなかった。

 隣国に取って幸いなことは、それが他の国の方角へ進んでいたことである。このまま放置していれば、自国は農村と町いくつかの被害で済む。開かれた主要国会議は大いに荒れた。竜種に関する取り決めが持ち出され、反論が舞い、醜く争うだけで時間が過ぎていった。



 そうして、いよいよ国境付近にまで近づいたという報告が、クローゼら王国に上がった。ここまでにいくつもの村や街を滅ぼしながら。

 悩んだ王と王妃は、とある侯爵夫妻を王宮に呼んだ。クローゼは知らなかったが、話し合いは深夜にまで続いたという。


 そして討伐の作戦が実行された。

 逸れ竜を迎え撃つかのように集められた戦力は、事態の重さを現しているかのようだった。


 王家も討伐現場に姿を見せるよう、重臣から進言された。士気の向上が目的だ。王子らは他国へ外交中だったため、まだ幼いクローゼが選ばれることになった。

 王や王妃を死なせるわけにはいかない。血を絶やすことがあってはならない上に、公務に対しても重要な存在であるのだから。王子らもすでにある程度の人脈を形成していた。

 だが、クローゼはその年齢から特に交流も持たず、さらにいずれはどこかの国の貴族の子を宿すのみ。言い方は悪いが、王家では最も命が軽かった。

 それに、愛らしい彼女がその身の危険もいとわないのであれば、庇護欲もそそるだろう。そういった諸々の理由もあった。


 出立の前日、両親が部屋にやってきたが、彼女は泣かなかった。今生の別れになるかもしれないというのに。

 王家に生まれ、王女教育を成されてきた、やっと二桁の年齢に達するか否かといった少女は、自身の心を隠し、健気にも笑ってみせた。


 王宮に集った騎士団に剣と祈りを授けたあと、彼女は現場に向かった。まだ馬には乗り慣れていないこと、魔導車では侵入しにくい経路であることから近衛に合乗させてもらい、選ばれた討伐場所に簡易に立てられた櫓に彼女は辿り着いた。

 王家の義務を果たすため、緊張しながらも周りを鼓舞するために声を上げようとしていた時だ。


 その女性を初めて見たのは。


 筋骨隆々、冷静沈着で力を練り続けているような冒険者、みごとなローブを纏った宮仕えの魔導師、立派な鎧を輝かせる騎士団といった圧巻とも言える勢力の中、女性はドレス姿で参上していた。社交用とは違い、機能美を追求したような装いではあったが、この場には明らかに不釣り合いだった。


 そんな女性をクローゼが見つめていると、明らかに高レベルと思える冒険者の集団が近寄っていくのが見えた。一言二言交わしたあと、何やら驚いている様子を見せる。一人の女性魔導師が、抱きつくかのように引っ付いていた。


 知り合いだろうか。

 彼女がそう思った直後、前方から大きな音がした。

 奴が敵だ。クローゼはひと目で理解した。


 何十メートルはあるのかという、どろどろとした何かをそれは身にまとっていた。真っ黒で蛸のような巨体から、無数の触手が生えている。それが森の木々をなぎ倒し、意思を感じさせない、生あるものに恨みでも抱いているかのような勢いで、こちらに向かって来ているのが見えた。


 嫌悪感が湧き上がるが、伝達を増幅させる魔道具を握りしめ、クローゼが号令を出す。

 近衛が彼女の何倍も大きな声で繰り返し、討伐が開始された。


 長引くと思われた戦闘は、すぐに終わることを彼女は感じる。最悪な形で。


 相手から不可視な攻撃が放たれた。予め集中して唱えていた魔導師数十人のおかげで辛くも防ぐことはできたが、ガラスが割れるかのような魔力の煌めきが目に見える。護ってくれた壁はこの一撃で破壊された。


 続けざまに高まる魔力を感じる。効果範囲に、自分も入っている──


 かろうじて予備動作を捉えたクローゼだったが、どうすることもできない。死ぬことも覚悟はしていたつもりだったが、やはり涙が溢れてきた。

 まだ恋すらしていない。人生の五分の一も生きていない。こんなところで命を落とすことになろうとは。素敵な出逢いとやらをしてみたかった。


 ぎゅっと目をつむるが、身構えていた衝撃はやってこなかった。

 驚きの声があちこちから聞こえてくる。

 そっと開けられた彼女の目に飛び込んできたのは──


 相手の攻撃を一身で受け止めていた、ドレス姿の女性だった。

 特に慌てる様子もなく、先ほど最高の魔力と技術を兼ね備えた魔導師が、数十人がかりでやっとのことで防いだ攻撃を、たった一人で、いとも容易く防御壁を紡いで防いでいた。


 クローゼが驚きに目を見開くが、その直後、さらに驚くことになる。なんと、櫓の周りにも防御壁が展開されたのだ。

 えっ、と思う暇もなく、攻撃を今も防いでいる女性が、こちらをちらりと見る。遠目からその表情の全てはわからなかったが、たしかに微笑んでいた。まるで安心させるかのように。


 胸が、高鳴る。初めての感情だった。


 だが敵も黙ってはいない。その触手が身体から外れ、それぞれが魔物に変化した。獣とも魚類とも思えるそれは、生まれ落とされたと思ったら、一目散にこちらに向かって走ってくる。数えるのもうんざりするほどだ。


 本体だけでも大変そうなのに──!


 危機感を覚えたクローゼが、広範囲に攻撃と防御を底上げする祈りを発動させる。力を受けた冒険者や騎士が雄叫びを上げた。さすがの王族。魔力は同年代より遙かに高かった彼女だったが、その一つで大幅に魔力を消耗してしまう。

 目眩がするが、倒れるわけにはいかない。先ほど護ってくれた女性も気になる。


 踏ん張ったクローゼが見た女性は、能力強化の魔法を気持ちよさそうに浴びたあと、なにごとか声を上げて遙か上空へ飛んでいった。

 魔物が襲ってくるが、最初に女性に話しかけていた冒険者らが先陣をきって切り裂いていく。他の者らもあとを追うように、触手から生まれる魔物に集中していた。


 どうして本体を攻撃しないのか。

 疑問に思ったクローゼだったが、敵が暴れる様子を見て理解する。その巨体が、さらに巨大な結界にすっぽりと囲まれていた。

 クローゼは瞬時に悟った。女性が飛び立つ直前に、それを形成したのだということを。いつの間に。まったく気が付かなかった。


 攻撃を受け止めた防御壁、さらにこちらを囲むかのように展開された第二の壁。そのうえ敵の巨体を包み込むまでの第三の──

 どれだけの魔力を込めれば、こんな芸当ができるのか。他と比べればわりと多めの魔力を持つ彼女にも、想像すらできなかった。


 その結界に阻まれた敵は、苛立つようにそこに向けて攻撃を放つも、全て弾かれ、逆に跳ね返ったことで自分にダメージを与えていた。身体を纏っているヘドロのようなものが剥がれ、大地に落ちていく。

 だが産み落とされた魔物は別だ。おそらく、ある一定以上の力を持つものを、完全遮断させる結界だろう。小さくおびただしい数の魔物は、その壁を通り抜けてこちらに向かってきている。勧告していたかのような女性の声は、きっとこのことを言っていたに違いない。


 冒険者も騎士も、皆が必死になって殲滅し防いでくれてはいるが、カバーしきれていない。それに一匹一匹が小さすぎる。巨体と聞いてほんの少し分散させていたのが仇となった。隙間を縫うかのように進む姿が憎くて仕方がない。


 最重要討伐対象が、今もその動きを封じ込めていられるのは、果報だ。最初に受けたようなレベルの攻撃はやってこない。喜んで然るべきだろう。

 だが。


 数が多すぎる──

 逃げ場を探すかのように後ろを振り向いたクローゼだったが、すぐに頭を振って思い直す。

 近衛が剣を抜きながら、彼女に声をかけた。


「殿下、お逃げを──」

「できるわけないでしょう! 私は王家に属するのよ! なんのためにここにいると思っているの!」

「で、殿下……」


 自分たちより遥かに幼い少女の勇猛な声に、近衛らが眩しそうな目で彼女を見やる。


「死ぬ気で護りなさい! フェレニア国直属の貴方達が、ここで奮迅しないでどうするの! 貴方達が護っているのは私じゃないわ! 王国の民よ!」

「……っ! 承知!」


 近衛が剣を構え、祈るように掲げた。ぼぉっとした光がその身体に宿る。騎士団に伝わる加護の力だ。

 だが、本来なら頼もしく見えたであろうその姿も、迫りくる夥多な魔物の前には頼りなさげに映ってしまう。


 その間もどんどんと魔物が生まれては、前線に襲いかかる。何人もがその影に飲み込まれていった。見てしまった。

 思わず目をそらしたくなるが、涙をこらえて戦況を見つめる。どこが崩れかかっているか、層の厚いところはどこか。彼女は必死になってそれを見極め、魔道具が壊れんばかりに拳に力を入れて、伝達を使っていく。


 じわじわと押し込まれ、やがては彼女らの陣にまで、その悍ましい魔の手が届き始めた。


「限界です殿下! 貴女だけでも!」


 近衛が魔物を斬り伏せながら、焦りを隠そうともしない声で呼びかける。

 しかしクローゼは、空、女性が消えていった方向から、絶大な魔力の高まりを確かに感じていた。


「っ! もう少しだけ稼ぎなさい! あと少し──ほんの少しだと思うから!」

「は、なにを──」


 護衛をすり抜けた魔物が櫓まで飛びかかってくるが、女性が紡ぎあげた防御壁の效果なのか、弾かれてその肉体を消滅させる。それをクローゼは、空を見上げたまま一瞥たりともしなかった。

 なおも無数の魔物は彼女へと襲いかかる。近衛が大声で叫んでいるが、その声も届かない。じっと一点を見つめている。


「殿下!」


 とうとう近衛の護りまでを、魔物が抜けた──


『──────』

「来た!」


 結界が解かれ、圧倒的な光が天から降り注いだ。巨体をまるごと覆うかのような、神の一撃と見紛うほどに。クローゼは眩さに目を細めた。


 その桁外れな光に飲み込まれた相手は断末魔を上げて、成すすべもなく体の周りから溶かされていく。

 最後の力を振り絞ったのか、レーザーのような黒い光が上空、ある場所を狙うかのように放たれたが、途中で方向を捻じ曲げられたかのように、弧を描いて消えていった。


『グオオォォォオオオォ!!』


 身の毛もよだつような奇怪な声を上げて、化け物が崩れていく。

 そして光はさらに数多の矢となって、散らばった魔物にも突き刺さった。ほとんどはその矢に貫かれ、地面に縫い付けられ、姿を消していく。わずかに撃ち漏らした敵も、周りにいた者らにとどめを刺されていった。


 浄化されるかのように光に溶け合ったそれは、最後にはその姿を完全に消失させる。

 あとには静寂だけが残った。


「や、やった、のか……?」


 近衛の一人が疑うかのように声を上げた時、クローゼはその場にへたり込んだ。


「うっ……」

「殿下!」


 口元を押さえてえずいた彼女を、近衛の一人が慌てて介抱する。

 クローゼがげほっと吐瀉物を櫓の床に撒いた。力も精神も限界が来ていた。


「っ……は、はぁっ……」

「殿下、お身体が!」

「だ、だいじょうぶ……」


 眦に涙を浮かべて土気色になった彼女を、肩を貸した近衛が立ち上がらせる。


「殿下、本当に……ご立派でございましたっ……」


 涙声だ。本来なら錯乱しても当然の年齢である少女が、勇敢にも現場に姿を見せ、幼きながらも力を振るい、目を覆いたくなるような光景からも顔を逸らさず、戦況の把握に努め、戦場を鼓舞したのだ。

 士気を向上させる──彼女はその役目を存分に果たしたと言えた。

 だが、なおもこみ上げてきた吐き気を堪えるクローゼは、勝利の余韻など微塵も感じることなく、表情を曇らせる。


「……重傷者を、回復に──」

「……っ! わかっています! わかっていますから、すぐにお休みを──!?」


 もはや尊敬を通り越して怒りを覚えた近衛が声を詰まらせ、空を見上げた。クローゼも顔だけ向ける。


 上空から金緑色の光が降ってくるのが見えた。先ほどの猛烈な一撃とは違う、柔らかで温かな光が。広範囲にきらきらと降り注いだそれは、重傷者のほうに集中して集まっているように思えた。

 と、效果が発揮されたのか、深い傷を負って今にも死にそうになっていた者が、うめき声を上げるものの、目を開け呼びかける仲間に反応を示す。


「こ、こんな──」


 近衛が肩を震わせた。これほどまでに高レベルな、しかも広域に效果を発揮させる回復魔法は見たことがなかった。

 神に仕える神官や司祭であれば、このレベルは扱えるかも知れない。だが範囲が広すぎる。見る限り、戦場全てに效果を及ぼしているようだった。

 ほとんどの者が理解できないように空を見上げている。冷静さを失っていないのは、開始前に女性に話しかけていた、あの冒険者グループくらいだった。彼らはどこかに伝達を使っているようだ。


 漂ってくる魔力の質が先ほどまでとは異なることを、残っていた力でわずかに感じていたクローゼだったが、唐突にその気配を捉えられなくなる。

 どうやら件の女性は、すでにその場からいなくなっていたようだった。


「よかった──」

「!? 殿下!」


 クローゼはそこで意識を失った。




 後の報告──

 討伐、達成。重傷者、多数。軽傷者、多数。死者──ゼロ。

 いくつもの村や町を破壊し、あらゆる命を奪い、戦力を集結させて迎え撃ったその魔物の討伐結果は、誰もが目をむくものとなった。

 また、不思議なことに戦場を映していた魔道具はどれも再生に失敗。そして遠見の魔法も、靄がかかるように遮られていたらしい。分析班は肩を落とした。




 王宮で目を覚ましたクローゼは、両親と再開を喜び合いつつも、例の女性探しに躍起となった。

 いったいどこの誰なのか。あの力はなんなのか。


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 彼女から問いに問い詰められた父親──王は、泣き顔をさらに情けなくして音を上げた。後、侯爵夫妻に威厳も何もなく土下座をかましたという。


 論功行賞。

 女性の存在を知ったクローゼは、恩賞という形で何度も王宮に招いてみるものの、全て『丁重に辞退』という侯爵夫妻と女性らの返答にあぐねた。


 王命を突っぱねるってどういうことなの──!

 地団駄を踏んだ彼女は、たまりかねた母──王妃から助言を受ける。


 では個人的にお礼を。人数も最低限に。

 王家の署名ではなく、クローゼ自身の名前を冠した書状を出して、やっとこさ招待に応じた女性を、彼女はひと目見て再度胸を高鳴らせた。あの時抱いた感情を自覚する。


 アリス・スチュアート。


 スチュアート侯爵家の長女。高等部を卒業したばかりであり、まだ婚約者はいない。大変に優秀で、兄と同じように首席で卒業。成人までに学ぶべき夫人教育は、すでに修了しているらしい。

 あの並外れた力は、何百年前、それこそ文献の中でしか出てこないような、稀代の加護を得られていることにあるそうだ。


 父の首根っこを掴んで引き出した情報と、この短期間に寝る間も惜しんで調べたクローゼが、少ないながらも知り得たことだった。


 クローゼは勝手に『よくいる女性冒険者のような筋肉もりもりマッチョウーマン』だと勝手に思い込んでいた(遠目なので体格までは把握できなかった)。

 だが間近に見た姿は、蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢であるかのように思えると同時に、知と力を結集したかのような、尋常ではない美しさを放つ女神のような女性だった。


 クローゼが顔を熱くさせる。まともに見ることが出来ない。


 しかしそんな絶世の美女にもありながら、なぜか召し物は地味だった。陽光に弱いのかと疑ってしまうくらい、これでもかと言わんばかりに露出を抑えた格好で、見せる地肌は首元まで。肩も腕も出さなければ手首までぴっちり。下は足首しか見えなかった。


 せっかく美人なんだから、もっと可愛く、セクシュアルな格好をすればいいのに。だから婚約者がいないんじゃ──


 だがアリスが近づくにつれて、クローゼは心の底から理解した。

 『あ、これむしろやばいやつだ』と。


 潔癖そうなのに、微塵も色気を感じさせない衣装なのに、なぜか匂い立つような、得も言われぬ背徳感を放っている。


 その原因ははっきりしていた。


 でかい。


 ぺったんこである彼女が、思わず自分の胸元を手ですかすかさせてしまうくらい、それは釘付けになるくらい大きくて──


 アリスが拝跪の姿勢を取る。


「アリス・スチュアート。此度は類まれなる活躍、大変に大義であった。よって、クローディア王女殿下より直々に褒美が授与される。ありがたく思うように」


 この場に唯一同席した重臣が、静かに低い声で言った。彼は、王女が戦場に出向くことに最後まで反対していた者だ。


 その声にはっとしたクローゼはぷるぷると首を振って、与えるべき目録を重臣から受け取った。そろそろがくがくした足取りで、今も頭を下げているアリスに近づく。

 何度もイメージし、母に付き合ってもらってまで練習した賞賜の義は、


「は、はじめまして! クローディア・フォン・フェレニアです!」


 ただの自己紹介となった。

 このたびは大義でありました。そんな短い台詞は頭から吹っ飛んでいた。王妃も重臣も、なんなら近衛までもが『ぶふっ』と吹き出している。


 クローゼの顔がどんどんと赤くなっていく。

 はじめまして、などいらない。自分の名前も、必要ない。

 失敗した失敗した失敗した。


 だが、そっと顔を上げたアリスは、彼女が震える手で差し出す目録ではなく、その手を優しく握った。

 クローゼの心拍数がどんと上がる。


「ああ、あ、あの……」

「はい、はじめまして。アリス・スチュアートです」


 見た目通りに美しい、だが他には聞こえないよう、小さな声でそう言った。


「あっ……」

「怖かったでしょう」

「……っ!」


 よく頑張りましたね。アリスが続けて言った。

 言われたクローゼの目に、みるみる内に涙が溢れる。そのまま抱きついて、年相応と思える声をあげて泣いた。


「断ってばかりで申し訳ありませんでした」

「いえっ……いいえ!」


 ずっと怖かった。あんな化け物だとは思っていなかった。

 行きたくなかった。死ぬかと思った。逃げ出したかった。今だって、騎士も近衛も、自分もばらばらに引き裂かれる夢を見る。


 親の前でも、戦場でも、終わったあとでも泣くことのなかったクローゼは、堰が切れたかのようにアリスのドレスを濡らした。


 彼女の姿を見た王妃は涙を浮かべながらも、にっこりと微笑む。王はだだ泣きだ。

 重臣と近衛らも涙ぐんでうつむいた。彼らは今後、より一層の忠誠を誓うこととなる。


 その後、鬼気迫る勢いでさらに調べ上げたクローゼが知ったことは。

 侯爵家に長男がいること。アリスの弟であること。まだ婚約者がいないこと。自分と同じ年齢であること──


 どうして自分は男でないのか。絶望して夜に人知れず泣いた彼女が、一筋の希望を見つける。


 彼女の今後の行動が決定した瞬間だった。

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