第1話 孤児院
静謐な空気。
早朝、しん、と静まったその場所では、近くに立つ大木の枝に留まる、小鳥のさえずる声音だけが聞こえてきた。
中央祭壇にある司教座の、さらに最奥には女神像。その表情は慈しみに満ちており、微笑をたたえている。上部にあるステンドグラスからは、朝日を透かして色豊かな光が差し込んでいた。
部屋はそれほど広くなく、また、々に補修の跡が見られたが、掃除が行き届いているのか、光に照らされてもほこりが舞っているようには見えない。信者席も数は多くないが、チリ一つ見当たらなかった。
そんな街の喧騒からはほど遠い厳かな雰囲気の中、修道服を着た女性と、シンプルなワンピース姿の小さな女の子が、祭壇から一歩離れたサンクチュアリで目を閉じ祈りを捧げていた。
(今日も一日、無事に過ごせますように……)
なよやかに祈る女性の横で、見習うように必死に目を閉じていた女の子が、痺れを切らしたのかぱちっと目を開けた。
「アンナお姉ちゃん、これで今日も大丈夫?」
「ええ、セリア。女神様が皆を見守ってくれますよ」
「やった!」
「いい子にしていないとダメですからね?」
「うん!」
元気よく返事をし、走ってその場所──教会の身廊から出ていく女の子を、アンナと呼ばれた女性が優しく見つめる。
年のころは二十代前半。神に仕える女性に違わず、表情は慈しみに溢れており、ヴェールで髪は見えづらいが、紫色が隙間からこぼれていた。
そこに温和な声がかけられる。
「早起きですね」
壮年の男性が、側廊から祭壇へ近づいてきた。
「司祭様。おはようございます」
「おはようございます、アンナ。さっきのはセリアですか。朝の祈りに付き合うとは……ずいぶんと貴女に懐きましたね」
「ふふ。どの子もいい子ばかりですよ」
「そうですね……貴女がここに来てくれてから、もう五年ですか。本当に助かっていますよ」
司祭が軽く頭を下げた。
「し、司祭様! やめてください!」
慌てたアンナが頭をあげるよう呼びかける。
司祭はゆっくりと姿勢を戻した。
「いえ……親を亡くした子らに寄り添い、その閉ざされた心を解してくださる貴女には、大変に感謝しています」
「面倒見のよい年長の子たちのおかげです。みんな同じ立場ですから……」
この小さな教会は一般に開放していない。と言っても街の外れ、よほど敬虔な信者でなければ寄り付くこともないのだが。
ここは孤児院の代わりをつとめていた。一昔前に比べると数は減ったが、それでもやはり親を失う子供は出てくる。事故に巻き込まれたり、子を忘れて犯罪に手を染めたり、想像するのも辛いような児童虐待など、理由は様々だ。
「王都で研修を受けていた貴女です。このような辺鄙な所は大変でしたでしょう」
「いいえ、司祭様。大変じゃなかった、と言えば嘘にはなりますが、それ以上に大切なことも学べました。今では感謝しかありません」
「アンナ……」
微笑んできっぱりと言い切るアンナに、司祭も穏やかな笑みを浮かべた。
「それに司祭様の近くにもいれましたし」
「……今の言葉は誤解を与えますよ」
「なっ──そんな意味ではなくっ!」
「ははは! わかっていますよ」
「司祭様!」
アンナが真っ赤になるが、司祭はその表情に似合わないような大声で笑う。
王都には数多くの孤児施設があるが、そういったところは──言い方は悪いが──人気が高く、この教会はそこから弾かれた者が集まる場所だった。買い出しなど不便ではあるし、孤児らの受入先を見つけるのも苦労はするが、誰も不平不満を言うことなく、力と絆を合わせて日々を精一杯に生きている。
アンナは派遣された身ではあるが、そうした孤児らの強さ、そして新人の頃から目をかけてくれてきた司祭のことを、心から尊敬し、誇りに思い、手助けできることに感謝をしてきた。
「それにしても、令嬢が卒業と同時に門を叩いてきたのは本当に驚きましたよ」
司祭が思い出し笑いをしたように口元に手を当てた。
修道女──シスターの道を選ぶ女性は少ない。家や血を継ぐ義務を持つ貴族令嬢は特にだ。不貞や家格を貶めるといった、何か過失を犯した者が罪を償い、穢れた心を清めるために無理やり入らされるような、そんな不人気どころか罪人の行き先のような道である。
当然といえば当然だ。朝も早くから祈りを捧げ、生活周りは全て自分でやらなければいけない。貞淑を求められ、男漁りなんて言語道断。着るものといえば修道服と寝間着だけ。しかも、こうして孤児の世話役を言いつけられることもある。綺羅びやかなドレスを身にまとい、身の回りの世話は侍女や側仕えにやらせていた貴族生活からしたら、とてもじゃないが耐えられるものではない。十分な罰になるだろう。
「学生の頃から決めた道でしたから」
「ええ、そうでしたね貴女は」
「両親にも認めてもらえましたので」
だが、アンナは男爵令嬢の身でありながら、最初からこの道を選択していた。一時期、教会のお世話になっていたことが始まりであるが、それを抜きにしても、彼女は純粋に神を信じ孤児の境遇に心痛める、清らかで信心深い女性だった。
ずいぶんと揉め、半ば勘当のように家を飛び出したが──数年前、立派に務めを果たす姿を見た彼女の両親も、考えを改めていた。
「そんな貴女だから、子供らも心を開くのでしょうね」
「いえ、私なんて──」
「本当は孤児になどならず、親元で幸せに生きて欲しいと思うのですがね……」
「……そうですね」
皆、助け合って生きている。上の子は面倒見良く、下の子は従順だ。酷い悪戯といったこともなく、受け入れ先での見習いや、奉仕活動を真面目にこなしてくれている。この教会は、孤児院としては理想の形を保っていると言ってもいい。
だが、本来であれば生まれの地で家族に囲まれて、幸せに生きてくれていたはずだ。孤児になど、そもそも最初からなってほしくはない。
ここは立派な孤児院です──
アンナには、胸を張って言えるような言葉ではなかった。
「あぁ、そうですアンナ」
「はい、司祭様」
しんみりとした空気を変えるかのようにわざとらしく声を変えた司祭に、アンナも姿勢を正す。
「王家の方が査察に来ますので、説明や案内をお願いしたいのです」
「お、王家!? そんなこと聞いていませんよ!?」
「すみません、すっかり忘れていました」
「もう……! これだから司祭様は!」
身を削って孤児や貧しい者らへ奉仕をする司祭を、アンナは間違いなく尊敬をしていたが、少しおおらかな──悪く言えば大雑把な彼の悪い面が出たことに、彼女はいつものようにぷりぷりと怒った。
「どうせその祭服も昨日のままなんでしょう!」
「ああ、よくわかりましたね。さすがです、アンナ」
「嬉しくありません! そんなので司式はどうするんですか!」
なはなはとボケ笑いをする司祭に、怒る真面目なアンナ。この教会での日常風景だった。
「今日は式はありませんよ」
「……で、王家が査察って、司祭様はどうなさるんですか?」
怒気を落ち着かせて、ジト目でにらむ。
「えっ」
「なんですか『えっ』って!」
怒気が復活した。
「挨拶は、しますよ?」
「……そのあとは?」
「…………」
「どうして黙るんですか!」
静かな教会の身廊に、彼女のやかましい声が鳴り響いた。
それでも司祭は頭に手を当て笑い飛ばす。
「アンナは真面目ですねえ」
「司祭様がだらしなさすぎるんです──ってダメじゃないですか! そんな方が来られるなら、なおさら着替えないと!」
「一日くらいどうってことないですよ」
「ダメです! せめてそのローブだけでも!」
アンナが司祭の肩に手をかけ、脱がすのを手伝う。脱いだローブをそのまま腕にかけ、ぽんぽんと皺を払うかのように叩いた。
「替えを持ってきますね」
「……アンナ、やはり誤解しそうになるのですが」
「はい? …………あっ!?」
一瞬呆けた彼女が、意味に気づいてまたも顔を真赤にする。
脱がすのを手伝い、腕に服をかけ、替えを取ってくる。その姿は、はっきり言って仲良し夫婦の奥さんだった。
「ですから違います!」
「私はそれでもかまわないんですけどねぇ」
「しさいしゃま!?」
そこで子供の声が割り込んできた。
「アンナお姉ちゃん! 朝ご飯!」
「支度手伝ってよ姉ちゃん」
年長の男の子と、先ほどいっしょにお祈りしていた女の子が、キッチンへ続く側廊から姿を見せる。
「呼んでますよ、アンナ」
「……またそうやってごまかすんですから」
「はっはっは」
「司祭様!」
呼んでもなかなか振り向かない彼女に、やきもきした子供たちも大きな声を出し始めた。
「アンナ姉ちゃん! なにしてんだよ!」
「はやくはやく!」
「本当に人気者ですね」
「もう、司祭様……はい、いま行きますね」
アンナは子供らが呼ぶ声に向かいながらも、女神像に振り返った。司祭も同じように目を向ける。
毎日やってきた祈りを、彼女は今日も捧げる。
(女神様……どうか、子供らをお守りくださいますよう──)
「あ、ローブ」
「はいどうぞ! ちゃんと着替えてくださいね!」
そうして、彼女らはいつもどおりの朝を迎えた。王家の査察を抜きにすると、普段となにも変わらない一日の始まり。
だがその日は、日常とはだいぶかけ離れることになる。




