作戦その二 ~お茶を淹れてあげましょう~
「ルークー?」
「お帰りなさい姉上──って、それは……?」
最初と同じような感じで、アリスがルークの部屋に戻ってきた。
違うのは、その手にティートローリーの取っ手を掴んでいること。普段なら侍女が持つべきはずのそこを、怪訝な顔でルークが見つめた。
「あの、姉上?」
「えっとね、お茶ね、私が淹れてあげる」
「え──」
(驚いてくれているみたいね)
ルークの様子にアリスはしめしめと笑った。
そう、これが彼女の高度なぽんこつ作戦第二陣。侍女を使うのではなく、自分が弟にお茶を淹れてあげることだった。
準備も全て彼女一人でやった。忘れ物など多少の助言はあったが、おおむね一人でやったと言っていいだろう。
昨日にこっそりと練習もしておいた。カップを割りそうになるわ、実際割ったわ、溢れさすわ茶葉を入れ忘れてお湯を注ぐわ──いろいろとあったのだが、彼女はその持ち前の美点でひたすらに努力をした。付き添ってくれたミシェルには悪いことをしたが、その甲斐あってなんとか──甘くも甘く見てではあるが──これならまぁ、くらいにまでは様になった。
自ら淹れてあげるなんて、なんていいお姉ちゃんなんでしょう。
そう思いながら、彼女はテーブルの上に茶器を並べていく。
「あ、姉上……」
見るとルークが震えている。じっとこちらを見つめてきた。
(あ、あら……?)
嫌がってそうではないことに彼女は安堵を抱くが、同時に、想定にはなかった反応に少しだけ不安になる。本当なら『ありがとうございます!』という、感動に震える声が聞こえてくるはずだった。
いや、たしかに震えてはいる。ふるふると。青ざめた顔で。声も出ないような感じで。
(や、やりすぎた?)
お茶を淹れるのはやりすぎだったのだろうか。まさかここまで感激してくれるなんて。泣かれてしまったらどうしよう。
どきどきしてきたアリスだったが、安心させるように笑顔を作って声をかける。
「る、ルーク? 別にいいのよ? これはただのお茶で──」
「そんなことをして大丈夫なのですか!?」
「あれ!?」
「ですよね」
「そうですね」
ミシェルと侍女だけが、納得した表情を見せていた。
まさか姉がお茶を淹れるとは。
ルークはその事実に驚愕──というよりは、たいそう不安になった。
前述の通り、姉は賢い。聖賢と言っていいだろう。先ほど教わったことで、彼は改めてそう認識していた。
質問をすれば明確な回答が返ってくる。ただ単に直答するのではなく、解答にたどり着くための道筋を示唆してくれることもあった。そのどれも、言葉に詰まっていたようには見えない。
すらすらと述べるその姿と明快さは、教師と同じかそれ以上に解りやすく、彼の頭に浸透していった。
だがしかしその反面、彼女は女子力という面では、不敏とまでは言わないが、そこまで優秀ではなかった。
淑女が嗜む刺繍は苦手、社交も不得意。討議ではどんな相手にも怯まず冷静なくせに、愛だの恋だのとなると途端に感情全開で幼子に戻る。成人しているというのに、その姿は完全に恋する少女のそれ。
ただ、そんなところも個人的には魅力を感じるルークではあるのだが──
「あ、姉上」
「大丈夫、大丈夫だから」
「…………」
「あっ」
「姉上!?」
なんなんだ今の『あっ』とは。
なんでもない。そう彼女は言うが、手順を一つ一つ思い出すように準備を進めていくその様子に、彼は心配で心配で、本来こころ休まるはずの休憩なのに生きた心地がしなかった。
いちおう弁護しておくと、貴族令嬢は普通、お茶の準備などしない。そんなものは側仕えや侍女など、世話係に任せておけばいい。茶器に対する審美眼と、茶葉に対する鋭敏な嗅覚に味覚。美しく品のある作法。貴族としてはそちらのほうが何より重要である。
中には彼女の友人のように、準備も含めてお茶を楽しむ女性もいるが、それはごく一部、例外と言っていい。
だから彼女の手付きが危ういのも仕方ないことではある。
ただ、そうは言っても──
「えっと……」
「……お嬢様」
「いいの、自分でやるから」
「ですが……」
「姉上、僕からも……」
「大丈夫だから!」
有り体に言って、彼ら侯爵家に仕える最年少侍女、コリーナよりも遥かにド下手であるそれに彼ら三人は、幼い子供が頑張っている姿を心配する親のような気分を味わった。一日程度の練習ではこの辺りが限界だろう。
はらはらタイムは進んで、なんとか準備を終えることができた。アリス以外がほっと息を吐いている。練習の時はこの段階で皿を二枚割っていた。
「準備なんてできたのですね」
「ふふ。昨日に練習しておいたの。驚かせようと思って」
「姉上……」
またしてもルークがじーんとなった。
彼もアリスに負けず劣らず優秀であり、六つも下でありながら恋愛面では軽々と上をいく。だがしかし、簡単に傾倒するその姿は、わりと姉によく似ていた。
アリスがブラコンであると同時に、彼もまたシスコンなのだった。
茶葉をぱぱっとポットに入れて、鉄瓶からお湯を注ぐ。
手間取り時間がかかったというのに、注がれたお湯は、まるで沸かしたてのような湯気をほわんと立ち昇らせた。魔法で保温しているのである。
『高い位置からよね?』
『いいえ、普通に注げば問題ありません』
『そうなの?』
『はい。ジャンピング──茶葉の撹拌に、注ぎ位置は関係ありません』
『でも格好いいわよね?』
『そうですね。たしかに見た目美しいので、好まれる注ぎ方ではあります』
『そうよね!』
『ですがお嬢様は──ああ、おやめください!』
目測を見誤った(のちに彼女はそう言った)ために、だばぁっとこぼした昨日を思い出して、普通に注いで抽出を待つ。
その間にお菓子の用意だ。
ぱかっとクロッシュを開け、晒されたケーキにナイフを入れていく。今日はリコッタチーズケーキである。酸味の少ないリコッタチーズを使ったレシピは、ルークが好む味だった。
さすがに切るだけであれば、それほど練習要らずにすんなり上手くいった。『お菓子も作りたい』とアリスが言い出した時の、教師役となったミシェルの顔が忘れられない。
そうこうしているうちにお茶がいい感じになってきたので、切り分けたケーキを乗せた皿をテーブルに置き、ポットを手にする。
「……お嬢様」
「なぁに?」
『────』
「?」
どうやらカトラリーを忘れているようだ。
ミシェルと侍女が声には出さず身振り手振りのサインを送るが、悲しいかな、伝わらない。ポットを手にとったまま首を傾けている。
『……ふぉ』
「ふぉ?」
『フォー、ク……』
「…………あっ!」
慌ててポットを置いたアリスが、トローリーにあるカトラリー一式からフォークを選んでケーキ皿に置く。けっきょく口で伝えることになったものの、プロ二人は安堵の息を吐いた。
「ご、ごめんなさいね」
「いえ……」
『えへへ』と頬を赤らめたアリスが、恥ずかしそうに眉を下げる。とんでもない可愛さだった。三人がうつむいて顔を逸らす。
やっとのことでポットを手に取り、カップに静かに注ぐ。ほんの少し静かではなかったが、彼女なりに静かに注いだ。
アリスだけではなく、皆が真剣な目でポットの口から流れ出るお湯と、その先にあるカップの水面を見つめる。
ぴちょん、と音がして注ぎ終わった。アリスがポットを置いて、手を差し出す。
「どうぞ」
ぱちぱちぱち、と拍手が起こった。
姉の優しさでルークが、昨日一日付き合わされたミシェルが達成感で咽び泣く。侍女は笑顔だ。
「え? え?」
「姉上、よくやりました……」
「ええ?」
「本当に大変だったのです……」
「えええ?」
「お嬢様、素晴らしいお姿でした」
「ちょ、ちょっと!」
アリスがえぐえぐするミシェルの手を引っ張って、部屋の隅に連れて行く。
(なんで私が褒められているの!?)
(弟君様も、お嬢様の成長を喜ばれているのでしょう……)
(そうじゃなくて! 疲れを! 癒やしが! お姉ちゃんが!)
(もうそんなのどうでもいいじゃないですかぁ……)
(よくない! それにちょっとなんかヘンよ貴女!)
弟にお茶を淹れてあげよう。
そう思って始めたアリスの給仕は、初めてのおつかいを達成した彼女への祝福で終わった。
■途中経過報告
「姉上、美味しいです」
「そ、そう」
お茶を飲みケーキを食べるルークを見て、アリスは思った。
(なんか、違う……)
そう、なんか違う。
喜んでくれてはいる。美味しそうにお茶も飲んでくれている。給仕だけ考えたら、大筋作戦通りに成功したと言っていいだろう。
しかしその目は、姉への尊敬ではなく可愛らしい妹を見るような、そんなどこかほほえましい表情をしていた。本当であればきらきらした目で見てくれるはずなのに。
ちらっとミシェルを見てみると、まだ少し目の端が赤い。泣き止みはしたが、ときおり鼻をすすっている。ミシェルも案外涙もろかった。
(ダメなところがあったのかしら?)
自分もずびっとお茶を飲みながら、先ほどの行動を振り返る。しかしどう思い出しても、練習の時と比べて特段悪いところはなかった。なんなら本番で一番うまくいったと思えるくらいだ。
「あのね、お代わりね──」
「いえ! 姉上もお疲れでしょう! もう十分ですから!」
「そ、そう?」
「そうです!」
もう一度やれば見る目も変わるかもしれない──
そうした思いで提案した突発お代わり作戦は、弟からの大変に激しい反発で却下された。すでに彼の侍女がさっと寄ってきて注いでいる。
(ミシェル、ミシェル)
アリスが手招きをした。
(はい。なんでしょうか、お嬢様)
(これは成功しているの?)
(そうですね、お嬢様は立派でございましたよ)
(そうじゃなくて!)
ルークに聞こえないように、耳元で静かに大きな声を出す。
(なんだか……思っていた感じとは違う気がするの……)
(そんなことはございません。お嬢様のお姿に…………本当に昨日は大変で……!)
(ミシェル!?)
またぐすぐすし始めたミシェルに当惑する。
そんな二人を、ルークと侍女が微笑ましそうに見つめた。
「……えっと」
「はい、姉上」
「んー……」
アリスがルークの様子を観察する。
ここ最近あった、拒絶感のようなものはなさそうである。さきほど距離を取られた時のような怯えた様子も、見る限りはない。つまりいい感じに仲良し作戦は成功している──
(そう思っていいのかしら?)
予定と違う空気にはなっているが、とりあえず嫌われているようには見えないので、アリスは悩むことをやめた。
「じゃ、再開しましょ」
「はい、よろしくお願いします」
「んー……」




