♦♠魔法使いと伝説の鍋
鈍色に輝く海面の上を飛ぶように駆ける影が一つ
影は美食のためならば、千変万化で奇奇怪怪、魍魎跋扈の海をも凍らせて駆けてゆくだろう
彼の名はアリス・チェロカン、一応働いてはいるが、最近ご近所さんからはダメ男認定を喰らっていることを知らない雑魚魔法使いである
彼の歩く道はすべて凍結しており、海に沈む心配はない…
「よっ、ほっ、とうっ!」
バキッ
「うわ!また砕けた!『凍結』!」
…筈なのだが、先ほどから彼の行く道は凍らせた端から数分と経たずに砕け散っていた
削海
ここは海水の他に大小さまざまな正多面体の鉱石が流れる石の海であり、海の上を行こうとする者を文字通り削ってゆく海である
船などの海上を行く手段はこの世界の他の海と同じように通じにくく、たとえ海上を凍らせようとも氷の更に下を流れる鋼の海流によって氷が砕かれてしまうため、凍らせて渡るという彼の常套手段も通用しない
隣接する国家はこの海からほぼ無尽蔵に湧く鉱産資源により金属器が発展しているが、この地域は大陸とは程遠いため半ば宝の持ち腐れに近いものとなっている
「くそっ!休む暇もない、魔力の心配はないけど魔法使いが長時間できると思うなよ!」
誰に対してか文句を言いつつも彼は進み続ける、その先に彼の求める美食があるからだ
神の7ッ道具―『鍋』の所在・湧水国タニティ―
「おし!島の影が見えてきた!山頂から何本もの川が流れてる…間違いないあそこがタニティだ!」
一人旅ゆえの寂しさからか、目的の地を見つけたことによる喜びからか、大きな独り言を響かせながら彼は島へと駆け出す
魔法使い故の比較的貧弱な体を持つ彼の体力はもう限界が近かった、それでも彼が走れたのは一重に美食のためであろう、家族よりも食を優先させるような男である、間違いない
彼は一心不乱に鑢の海を駆ける、目的の地-タニティまっしぐらの彼の目に、ふと、金色が入り込んだ
彼の前に現れたのは美しい金の髪を靡かせ、魔法で空を舞う女性だった
アリスには女性の後ろ姿しか見えなかったが、彼は彼女に目を奪われた
理由は簡単、別に彼が彼女に見惚れたとかそう言った話ではない
ただ彼女の服装や装備が明らかに冒険に向いたそれであり、彼と目的を同じにすることが明白だった為である
女性の目的が里帰りなどの可能性もあったが、彼の食に関することに関しては無駄に鋭い感が告げていた
この女は自分と同じ目的を持ち、宝を手にし、持ち帰るつもりだということを
「やらせるかあああ!あれは!伝説の『鍋』料理は僕が食べるんだああああああ!」
既に限界近い足を動かし、風魔法で悠々と空を駆ける女性に追従する、傍目から見ると女性を追いかける野盗などの不審者にしか見えない
しかし彼は気にしない、雄叫びとともに駆けていく
彼の大きな叫びに気づいたのだろう、空を飛びつつも、女性がふとアリスの方を向いた
その顔は半分が包帯で覆われていたが、金の髪の間から覗く翡翠の目は美しく、一目で非常に整った顔立ちをしているということはアリスにも分かった
女性は必至な様子のアリスを見て、励ますように薄く微笑んだ
「ッ!待ちやがれええええ!」
常人であれば、その微笑みに見惚れ、立ち止まり、半分が包帯で覆われていることに口惜しさを抱くのであろうが、相対するは飯狂いアリスである
もともと三大欲求の9割を食欲が占め、(非常に驚くことだが)既婚者であることもダメ押しとなり、彼が抱く感情は美味しい料理を奪われてたまるか、それだけである
ちなみに今は頭が少しおかしくなっているだけで、彼の普段の態度は食第一ながらも紳士的だということを覚えておいてほしい
彼も疲労と空腹でなければ、家を出る前に妻から冷たさとその奥に隠した寂しさが読み取れる目をされていなければ、こんな悲惨な精神状態ではないのである
まあ、行動理念の第一に食が来る時点でまともな精神ではないのかもしれないが…
◇
「驚くほどに腰の強い麺…しかも麺自体の味が強いからつゆを必要としない、いっそしつこいと感じるまでの旨味だ…うん、喉越しもなかなかだな…」
タニティ共和国、国と呼ばれているが実態はそこまでの規模はない小さな国である、大陸から遠く離れたこの周辺の地域では大きな陸地は少なく、国とは名ばかりの街や村が集まっただけの地域が多い
空に浮かぶ浮遊島だが高度は高くなく、もともと海上にあったが削海によって削られ、浮いている部分だけが残ったというのが正しいだろう
アリスはそんなタニティの街の食堂で名物のうどんを啜っていた
「相席いいかい?」
「小麦が特別なわけじゃない、水だな…やはり『鍋』は山頂か?…」
「相席いいかな?」
「ん?ああどうぞどうぞ」
「あっすいません、この『煮込みうどん』一つお願いします」
「ッ!そうだ、ざるうどんではなくスープのある煮込みうどんを頼めば水について分かったかもしれないというのに…くそ…もう満腹に近い…」
「ん、美味しい」
いたって普通の?食事風景である
「「ん?」」
ふと、アリスと相席を申し出た客の視線が交わる
「「あっ」」
「さっき海を歩いてた人だね」
「貴様!『鍋』を狙っているな!」
彼の対面に座ったのは先ほど海で彼を追い抜いて行った女性であった
◇
「なるほど、フォリアさんは冒険家だったのか、一応確認するが『鍋』を独占する気は無いんだな?」
「無いよ~、もともと私は好きなように旅してるだけだからね、今回も美味しいうどんがあるって聞いて来ただけで『鍋』があるなんて知らなかったよ」
「ならよしっ!」
タニティの中心部に聳え立つ霊峰・ギムン、タニティの豊富な水資源はすべてこの山から流れ出ている
そのギムン頂上へと向かう道を、アリスと金髪の女性-フォリア・ティーテは歩いていた
「でもね~」
「なんだよ?」
「そんなお宝があるって話聞いちゃうとね~、冒険家としての血が騒ぐっていうかな…言いたいこと、分かるよね?」
フォリアは微笑んだ、その笑みは海の上で見せたものとは少し毛色の違う、笑みの本来の役割である威嚇のようだった
「分かってる、ちゃんと分け合おう」
「決まりだね♪」
やった~、と今度はにっこりと悪意のない笑みを見せるフォリア、一方のアリスは意外なことにも悔しそうな表情を一切見せなかった
「あら?拗ねないんだね」
「ふっ、当たり前だ。食事とは喜びを分かち合うもの、独占しようとしている相手以外なら、僕は喜んで食料を分け合うさ」
「おお~、なんかカッコイイね!」
どこぞのパン顔の英雄のようなことを語るアリスである
「にしても『鍋』か~、詳しく聞いたわけじゃないケド、どんなものなんだい?」
「ん、ここに在ると僕が睨んでる『鍋』は伝説の7ツ道具の一つだ、最高の鍋料理が無限に湧き出るとも、土塊を食材に変えるともいわれているけど、詳しいことは僕も知らない」
「へぇ~、『ランタン』と違ってなんだかのほほんとした道具だね」
「ランタンが何かは知らないが、僕は7ツ道具の中では一番『鍋』が素晴らしいものだと思う、他の道具は物騒な伝承が多く残されているけど、『鍋』に残されている伝承はすべて食べ物を大量に生産するというものばかりだ
もしそれが本当なら飢饉の問題は解決するだろう、そう考えると平和をもたらす偉大な道具に見えてこないか?」
童話を聞いている子供の様に輝く瞳でアリスは語る、彼の想うモノはもう既に大人である彼自身を子供時代に回帰させるのに十分な夢があった
しかしフォリアは変わらぬ笑顔で問う
「でも、もし無かったらどうするんだい?」
「もともと伝説に過ぎないさ、それに無かったとしてもうどんに練りこむだけでこれだけの味を出せる水源だ、その時は僕が簡単な鍋料理でも振舞うよ、携帯食料のほかに調理道具と保存の効く食材はいつも持ち歩いてる」
『鍋』は無くとも水は確実にある、絶対に食い損ねない食い意地の張った二段構えである
「…そっか、じゃあ君の料理に期待しとくよ」
「夢が無いなぁ…」
「む、私は夢やロマンを求める冒険家だよ、料理人というより批評人みたいだった君の料理の方がよっぽどどんなものが出てくるかわからなくてワクワクするじゃないか」
「失礼だな!僕は宮廷で料理人をしていたこともあるんだぞ!」
「へぇ~」
「その目!絶対信じてないだろ!」
アリスの訴えを聞き流しながら、二人は道を行く
山頂までの道のりは長い
◇
ギムンの山頂は火山の火口のように窪んでおり、水が溜まり湖が形成されている、そこからは滾々と水が湧きだしタニティの豊富な水資源となっている
湧き水は6本の川となり山からタニティの端まで行き、海に流れ込んでいるほか、タニティの大地に染み込み島の下部から絶えず滴っている
流れる水の量は明らかに雨で補える量ではなく、その話を聞いたアリスは『鍋』があると思いこの地に向かい、フォリアは無限に水を生み出す何かがあると睨んでこの地にやってきていた
「着いたー!」
「着いたね~」
ギムンの麓の街から歩くこと7時間以上、ようやく二人は山頂に辿り着いた
辺りは夕日に照らされ、景色は真っ赤に染まっている
「いい景色だな…」
「いい景色だねえ…」
太陽が海の向こうに沈んでゆく、たとえ今日『鍋』を見つけようとも、同じペースで帰ることは深夜の下山を意味する、故に歩いて帰るのであれば彼らは山頂で一泊するしかない
「なあ、ところでさ」
「なんだい?おっと告白は止してくれよわた…」
「絶対にない」
「酷い!やっぱり顔かなぁ…そうだよねえ…ミイラ女だもんね…」
フォリアは包帯で覆われた顔の右半分を同じように包帯で覆われた手で擦りながら三角座りで沈み込んだ
「僕は相手の容姿で判断するような人間じゃないから安心しろ、第一僕は既婚者だ、それに今日会った人間にいきなり告白なんて無いだろう、ほら落ち込んだ振りは止せ」
「あら、ばれちゃった?」
フォリアは何もなかったかのようにケロリと立ち上がる
「そんなことよりもだ、フォリアさん、タニティに来るときあの距離を魔法で飛んできてたよな?」
「そだね」
「もしかして山を上るときも魔法を使えば一発だったんじゃない?」
「そだね」
「しかも海上を飛んでた時、結構余裕あったよね、僕を抱えて飛んでも大丈夫なくらい」
「そだね」
「ねえ!なんで歩いたの!?なんで!?僕に触れるのがそんなに嫌だった、そんなことはないよね、何ならロープだってあるし!嫌だったら一人で勝手に行くもんね、ねえなんで!?」
ギムンを登り切り、ふと冷静になったアリスはそのことに気づいてしまった、空を飛べない自分が言えたことでないのは分かっているが、それでもどうしても言いたくなってしまった
途中で昼食をフォリアに奪われたりしたこともあり、ストレスが溜まっていたのだろう、ちなみに昼食の弁当は妻が悲しそうな表情をしながらも作ったものだった
「ええ~だって私冒険家だよ?そんなことしたらつまらないじゃん」
「くっ!」
反論しようとしたアリスだったが、フォリアの真っすぐな翡翠の目を見て諦める
自身が食事なんてレトルトでいいじゃん、などと言われれば憤慨するであろうと思い
料理人と冒険家、職業は違えど譲れぬモノはあるのだ、と自分を落ち着かせた
ちなみに彼の職業は魔法使いのはずである
「まあいい、ようやく『鍋』がありそうな頂上に着いたんだ」
「場所の目星はついているのかい?」
「ああ、あの湖の中心、水の湧く湖底にあるはずだ」
そう言ってアリスはギムン頂上の湖の中心を指差す、僅かに周りより水位が高く、水が出ていると目視できる場所があった
「…どうやって行くんだい?」
しかし水の湧く場所は当然ながら水の中、どのくらい深いか分からない以上、泳いでいくこともできないだろう
「まあ任せてくれ『我は決してふるえぬ氷の隠者、踏みしめる大地は白く染まり、触れる水は止まり、唯々凍てつく風が吹く、草木は砕け、獣は姿を消すだろう、凍結』!」
「…」
アリスの唱えた魔法により、湖の一部が凍り付いた、一部のみである
彼を見つめるフォリアの目線も冷たい
「まあ見てな、時間があるなら下級魔法の方が僕には効率がいいんだ、『凍結』!『凍結』」!『凍結』!『凍結』!『凍結』!『凍結』」!『凍結』!『凍結』!」
「おお、詠唱の省略と再実行までできるなんて思わなかったよ~、すごいね~」
全然そんなことは無さそうにフォリアはパチパチと拍手で褒め称える
「全然そうは思ってないだろ」
「いやいやそんなことは無いよ、ものすごく驚いた、魔法はね…でもコレどうするんだい?」
フォリアの指差す先にはしっかり中まで凍り付いていそうな湖の姿があった
「…掘る…とか?」
「はぁ…」
「そんなため息つくなよ!」
結果としてはフォリアが風の刃などの魔法を行使し氷を砕くことで解決した、アリスは落ち込んだ
◇
「おお~水源は普通に湧いているんじゃ無いみたいだね、これはもしかするかもよ」
「ああ、僕もそう思う」
フォリアが砕いた氷の道の奥、水源があると思われていた場所には大きな空洞が広がっていた
「しかし驚いたね、湖の中に空気のある場所があるとは」
「いや、本当に『鍋』があるとしたら不思議なことじゃないさ」
「どうして?」
「鍋料理は水中じゃ作れないし食べれないさ」
「…君に聞いた私が馬鹿だったよ」
「確かに馬鹿みたいだけどさ、ほら、あったよ」
アリスの視線の先、そこには石碑の上に倒れた小さな鍋があった
鍋の口からは絶えず大量のスープが流れており、石碑の周囲に掘られた溝によって空洞の四方に空いた穴に流れ込んで行っている
「おお~!本当にあるとはね!早速飲んでみようよ」
「おかしい…」
確かにおかしい、飯狂いのアリスが目の前に食料があるというのに冷静なままである
彼は流れ続けるスープに指先をつけ、雫を口に運び、すぐに吐き出す
「…凄まじい栄養価だ、こんなもの、大凡人が食えたものじゃない…」
「どういうことなの?」
「まず栄養価が高すぎる、これじゃ塩分を得るために海水を煮詰めたものを飲むみたいなものだ、それに栄養分って言うのは何もビタミンやたんぱく質だけじゃない、鉄とかの鉱石だって栄養分なんだ、このスープは確かに栄養価が高い、でもこの栄養価の高さは生き物のためじゃない、それこそ海や大地そのものを肥やすためのものだよ、それも今このスープが結晶化していないのが不思議なくらいの量の栄養が溶け込んでる…魔法を使った特性スープ…いったい何のために…」
アリスは一人考え込む、フォリアは鍋の正体を聞くと残念そうに、つまらなさそうに鍋を持ち上げた
「つまりここまで来たのに『鍋』料理は無いし、君の料理も作れそうにないってことだよね、持って帰るにしてもずっと流れ出ちゃってるしな~」
フォリアが手が濡れることも構わずに鍋を両手で持った時だった、地面に対して水平になった鍋からスープは零れない、スープの供給が止まった
「おろ?…なるほど、鍋の中の一定の範囲に常に料理を保ち続けるってところかな、ちょっとした永久機関だね」
「削海の周囲にある海は巣海に筋海に酸海に雷海…雷海は気候からして確認できないけど他はどこも水の成分が偏った海ばかり…なるほど」
アリスは何か回答を得たのか、一人納得し、顔を上げた
「おっ帰ってきたね、何か分かったのかい?」
「ああ、その前に『鍋』をもとあったように置きなおしてくれ、その鍋は動かしちゃいけないものだ」
「はいは~い、私もこの『鍋』がどういうものかなんとなくわかっちゃったよ」
渋る様子もなく鍋を置きなおすフォリアにアリスは内心安堵していた、もし彼女が冒険家ゆえの矜持や習性からこの鍋を持ち帰ろうとするならば、彼は命を賭してでも彼女を止めるつもりであった
「この鍋はきっと、この周辺の海のすべての海産資源の基になってる、もしかすると大地までも支えてるかもしれない」
「この削海の鉱石はこれの鉱物系の成分が析出したもの、周囲の海の異常っぷりはこれが原因ってことであってるかい?」
「たぶん正解だ、だからこの鍋を取るわけにはいかない、もしこの鍋がここから消えれば…」
「生態系のバランスが崩れるからどれほどの影響が出るか分からない、だろう?」
フォリアがアリスと鍋の間に割って入るように立つ、アリスは緊張で背中に嫌な汗を搔いていた
「ああ、だから…」
「だから?」
フォリアは鞄の中に左手を入れた、しかし正面に立つアリスは未だに動くことができないでいた
お互いに相手の目を見つめる、冷たい空気が張りつめていた
「むぅ~そんなに警戒しなくてもいいじゃないか、私だってそんなに馬鹿じゃないさ」
フォリアは鞄の中でつかんでいたナイフから手を放し、ぷいと拗ねるようにそっぽを向いた
アリスは全身の力が抜けた
「っ!はあ~、じゃあなんであんな態度取ったんだよ!紛らわしいだろ!」
「ん~、なんとなく?結局今回の冒険じゃ何も手に入らなかったしね~、スリルはあった方がいいのさ♪」
カラカラとフォリアは笑う、彼女は内心安堵していた、彼が戦う者でなくて良かった、と
「ったく、まあ謎も解けたことだし、なんなら麓で得意料理でも振舞うよ、このスープも何故か分からないけど下流だと薄まってるみたいだしな」
「おお~いいねいいね~」
二人が氷の洞窟から出るころにはもう辺りは暗くなっていたが、フォリアが風の魔法を使うことで30分もかからずに下山することができた
「なんで帰りは魔法使ってんだよ!?」
「行きにほとんど見たしね~」
「適当だな冒険家!」
1週間後、タニティ
「彼も甘いな~、もう場所までわかっちゃってるのに…まあ料理人だから仕方ないのかな~」
『冒険家』 フォリア・ティーテ-ギナス軍探索隊第7隊長
To Be Continued…
アリス君は奥さんの御機嫌取りに忙しいためお休みです




