9話
船長室には、五人が集まっていた。
先ほどまで武器庫にいた僕とザックス。
あの大きな音を聞いて真っ先に駆けつけたアルバと、その少し後から息を切らしながらやってきたマリアンヌ。
そして、諸々の事情を聞きつけ、見張り台から戻ってきたリエリエッタ。
僕とザックスは同じソファに並んで座り、対面にはアルバとマリアンヌ。少し遅れてやってきたリエリエッタは、奥のテーブルへ腰を預けている。
僕たちがここへ呼ばれた理由は、十中八九あの魔剣の件についてだろう。
やはり勝手に触った挙げ句、大事な商品を床へ落としてしまったのがまずかったのだろうか。
誰も口を開こうとしない。
その沈黙が、余計に不安を煽ってくる。
ああ、処刑台へ登る罪人って、こんな気持ちなのかな。
それならば――。
「ご、ごめんなさい! 勝手に魔剣を触って、その上、床に落としてしまって……!」
先手を打って、勢いよく頭を下げた。
下手に言い訳を並べるくらいなら、大人しく自分の非を認めた方がいい。
その方が相手の心証も――何より、自分の心も少しは楽になる。
「ほんっとうにすんませんでした!」
隣でザックスも、僕に負けない勢いで頭を下げる。
実際のところ、僕が剣を持ち上げなければ、床へ落とすなんてことにはならなかった。
だからザックスが負うべき責任は、僕ほど大きくないはずだ。
それでも彼は、こういうときに自分だけ逃げようとはしないらしい。
「……」
「…………」
「………………」
僕たちの謝罪を前にしても、三人は何も言わなかった。
返事がない。
それが何より怖い。
沈黙が一秒延びるたびに、胃の辺りがきゅっと縮んでいく。
耐えられない。
自分の辛抱のなさに呆れながら、恐る恐る目だけを上げる。
アルバは腕を組み、口を真一文字に結んでいた。
マリアンヌは俯き加減に目を伏せている。
そして、リエリエッタは――。
「……?」
肩が震えていた。
片手で口元を覆い、顔を僅かに背けている。
まるで。
笑いを堪えているように見える。
そんな彼女と、視線が合った。
「……っ、ぷ……はははは!」
とうとう堪え切れなくなったらしい。
リエリエッタが盛大に噴き出した。
それを合図にしたように、マリアンヌも「ふふっ」と肩を揺らし始める。
アルバまで、固く結んでいた口元の両端をにやりと持ち上げた。
「リエリエッタ様、何か言ってあげてくださいよ」
「ははは、すまないすまない。あまりにも二人が神妙なツラしてるもんだから、ついな」
リエリエッタは目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、一度だけ咳払いをした。
「さて」
笑いを収め、改めて僕たちを見る。
「今回の件については、私もナナシに武器庫のことを何も教えてなかったからな。二人とも反省してるようだし、今回はお咎めなしでいいよ」
「ありがとうございます!」
胸の奥に詰まっていたものが、一気に抜けていく。
隣からも、大きな安堵の息が聞こえた。
「……ちなみに、報酬の減額とかもないっスよね?」
「ん? ああ。今回は見逃してやるよ。ただし、次はないからな?」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
ザックスは何度も頭を下げる。
さっきまであれほど青い顔をしていたのに、随分と現金なものだ。
「んじゃ、アンタはもう出てっていいよ」
「はい!」
「ナナシは残りな」
「…………はい?」
軽くなったはずの身体が、一瞬で重くなった。
ザックスも同じだったらしい。
立ち上がりかけた身体を止め、心配そうに僕を見る。
「あ、あの……コイツは、別に悪くは……」
「いいから」
リエリエッタが、ぴしゃりと遮った。
「アンタとの話はもう終わったんだ。出ていきな」
「……はい」
それ以上、言い返せる雰囲気ではなかった。
ザックスは渋々と扉へ向かう。
部屋を出る直前、一度だけこちらを振り返った。
その顔には、心の底から申し訳なさそうな色が浮かんでいた。
扉が閉まる。
「さて、と」
リエリエッタが仕切り直すように呟いた。
途端、また身体が強張る。
「なに、別に取って食おうってワケじゃない」
そう言って、ひらひらと手を振る。
「実際のところ、そんなに怒ってるわけでもないしな」
「……本当ですか?」
「本当だよ。ただまぁ、それも私が事前に何も言ってなかったってのと、今回が初めてだからってのは頭に入れとけ」
そこで、リエリエッタの表情から笑みが消えた。
声音こそ変わらない。
けれど、真っ直ぐ向けられた眼差しだけが、先ほどまでとは明らかに違っていた。
「今回、初めてやらかした場所がウチでよかった」
「……え?」
「お前は魔素無しだ。だから、魔素を使って発動させる類の魔剣なら、不用意に触っただけで暴発する危険は低い。今回触ったあの剣も、幸い周りに直接害を撒き散らすような代物じゃなかった」
リエリエッタが、そこで一度言葉を切る。
「でもな。だからって、この先も同じことをしていいわけじゃない」
「…………」
「別の船に乗ったらどうする? 貴族の屋敷へ招かれたら? 領主の城に入ることがあったら?」
一つずつ。
逃げ道を塞ぐように問い掛けられる。
「そこに珍しいものがあったとして、今回みたいに勝手に手を伸ばすのか?」
答えられなかった。
「好奇心旺盛なのは結構だ。知らないものを知りたがるのも、悪いことじゃない」
そこで、僅かに声が低くなる。
「けどな、好奇心はいつだって猛毒にもなり得る。一度の『ちょっと触ってみたい』で、取り返しがつかなくなることだってある。下手すりゃ、その代償に命を支払うことになるぞ」
「……はい」
さっきまでとは違う重さが、胸の奥に沈んでいく。
「私はな」
リエリエッタが続ける。
「どっちが先に触ったとか、どっちがより悪いとか、そんなことは心底どうでもいい」
視線が、まっすぐ僕へ向けられる。
「ただ、ナナシなら分かるはずだと思ってる」
「……僕なら?」
「ああ」
リエリエッタはゆっくり頷いた。
「お前は、ちゃんと考えて動ける子だ。少なくとも、この短い間に私が見てきた限りじゃな」
胸の奥が、僅かにざわつく。
「だから、そういう流れになったとき、一度立ち止まって考えることだってできたはずだ」
何も返せなかった。
その通りだ。
そもそも、ザックスが最初にあの魔剣へ手を伸ばした時点で、止めるべきだったのかもしれない。
それなのに僕は止めなかった。
それどころか、ザックスが持ち上げられないと分かった後、自分まで柄へ手を伸ばした。
あのとき、僕は何を考えていた?
なぜ、あんなにも不用意に触った?
自分には魔素がないから。
魔剣が暴発する危険がないから。
だから、心のどこかで大丈夫だと思っていた?
――違う。
いや。
違うのか?
分からない。
考えれば考えるほど、あのときの自分が何を考えていたのか分からなくなっていく。
そもそも――。
なぜ僕は、あの剣へ近づいた?
「…………」
今になって、胸の内を動揺が駆け巡る。
頭の中に疑問ばかりが積み重なっていくのに、どれ一つとして答えが出ない。
そのとき。
ぽん、と頭の上に手が置かれた。
いつの間に移動したのだろう。
リエリエッタが、僕のすぐ隣に腰を下ろしていた。
そのまま僕の髪を、無造作にわしゃわしゃと撫でる。
「先にも言ったが、私はお前を責めたいわけじゃない」
先ほどまでより、少しだけ柔らかな声だった。
「ただ、知っておいてほしかったんだよ。自分で選んだことの先に、どんな結末が待ってるか分からないってことを」
「…………」
「その全部を先回りして知るなんて無理だ。でも、お前はよく考えられる。なら、考えろ」
頭の上の手が、一度だけゆっくり動いた。
「この先、ナナシがどんな人生を歩んでいくのかは分からない。けれど、決して考えることをやめるな」
その言葉に、ほんの僅かな間があった。
「分からないなら立ち止まっていい。知らないなら聞けばいい。自分で考えて、それでも決められなきゃ誰かを頼れ」
リエリエッタが、僕の顔を覗き込む。
「それくらいなら、できるだろ?」
「……はい」
「うん。良い子だ」
満足そうに頷く。
そして、少し困ったように眉を下げた。
「だから……泣くのはよしてくれ。こういうとき、私も正直どうしたらいいのか分からないんだ」
「え?」
言われて初めて気づいた。
視界の端が、僅かに滲んでいる。
目元へ触れる。
指先が濡れた。
「……あれ」
どうして。
そう思った途端だった。
一度自覚してしまったからなのか、堰を切ったように涙が溢れ始めた。
「ち、違……」
袖で拭う。
けれど、次から次へと溢れてきて止まらない。
違う。
泣きたいわけじゃないんだ。
悲しいわけじゃない。
辛いわけでもない。
悔しい――とも、少し違う。
なのに。
悲しくないはずなのに、悲しくて。
辛くないはずなのに、辛くて。
悔しくないはずなのに、悔しくて。
胸の中で何かがぐちゃぐちゃに混ざり合って、どれが何なのか自分でも分からない。
名前をつけようとしても、言葉が追いつかなかった。
「っ……ぅ……」
堪えようとした息が、嗚咽に変わる。
結局、その名も分からない感情は、溢れる涙と一緒に流れていった。
◇ ◇ ◇
リエリエッタが次の話を始めたのは、僕がひとしきり泣き終え、両目を真っ赤に腫らした後だった。
その間、三人は何も言わなかった。
ただ、僕が落ち着くのを待っていてくれた。
先ほどまでの、胃の奥が縮むような沈黙とはまるで違う。
今はその静けさが、ただありがたかった。
「……さて」
リエリエッタが、ようやく口を開く。
「本来するはずだった話から、随分と逸れちまったな」
泣き止んだ僕を見て、どこかほっとしたように表情を緩めた。
「というか……その魔剣、本当に持てるんですね」
マリアンヌが、僕の後ろへ立て掛けてある魔剣を恐る恐る見つめる。
「武器庫の外に出ているところ、初めて見ました」
「俺もだ」
アルバも顎を撫でながら、興味深そうに剣へ目を向ける。
「前に一度、動かせないかと思って触ったことがある。だが、びくともしなかったな。これも、ウチの商品なのか?」
そう尋ねると、リエリエッタは少しだけ言葉に詰まった。
「あー……まぁ、そうだな」
視線が宙を彷徨う。
「商品ではある。あるんだが……実質、非売品みたいなもんだな」
「非売品?」
「ああ」
リエリエッタは僕の後ろにある魔剣へ、ちらりと目をやった。
「なんせ現状、この世界にナナシ以外であれを扱えるヤツは、多分いない」
「じゃあ、どうやってこの船に積み込んだんですか?」
ふと疑問が浮かんだ。
まさか、この船が造られたときに一緒に生まれて、それからずっと武器庫に眠っていた、とか。
それはそれで、船の守り神みたいな感じがして悪くない。
「厳密に言うなら」
リエリエッタが、そこで少しだけ声を落とした。
「あの魔剣は、ヤクモ商会の前会長――この船の前船長の持ち物だったんだ」
「前船長……」
リエリエッタの目が、ほんの少しだけ遠くを見た。
「もう百年ちょっとは経つかな」
何気ない口調だった。
けれど、その言葉だけは妙に重く聞こえた。
「前にも言ったと思うが、私はナナシみたいな魔素無しを一人知ってる」
遠くを見ていた目が戻り、今度は僕へ向けられる。
「それが、前船長のヤクモだ」
「僕と同じ……魔素無し」
胸の奥が僅かにざわつく。
これまで、僕と同じ人がいると聞かされても、どこか現実味がなかった。
けれど今、その人が実際に使っていたという剣が、すぐ後ろにある。
「その人は……今、どこに?」
問い掛けた直後。
マリアンヌが、僅かに表情を曇らせた。
「……前にリエリエッタ様から、前船長様のお話を少しだけ聞いたことがあります」
慎重に言葉を選ぶように続ける。
「その……ヤクモ様は、エルフではありませんよね?」
「ああ、そうだ」
リエリエッタは静かに頷いた。
「君らと同じ、人族さ」
その言葉を聞いて。
遅ればせながら、僕も気づいた。
リエリエッタが引き継いだ仕事。
今もこうして続いている商会と、この船。
どこか勝手に、その前任者も彼女と同じエルフなのだと思い込んでいた。
けれど、そうではない。
そしてリエリエッタは、もう百年以上前の話だと言った。
なら。
その人は、もう――。
「……すみません」
自然と声が小さくなる。
「余計なこと、聞いてしまったかもしれません」
「いや」
リエリエッタは、すぐに首を横へ振った。
「構わないよ。もうずっと昔の話だ」
そう言って、ほんの僅かに笑う。
「それに、私らエルフと君ら人族じゃ、寿命の感覚も違うからな。君らにとっては、切っても切れないものだろ?」
一度、目を伏せる。
「そんな話をしたところで、仕方ないさ」
口調は軽かった。
けれど。
その横顔には、どうしても拭い切れない寂しさが残っているように見えた。




