8話
見張りが早く終わった。
だからといって、次に待っているのがすぐ修練の時間――というわけでもない。
アルバは普段、マリアンヌの護衛をしている。
船の上なのに、そこまで警戒する必要があるのだろうかとは思うものの、実際に護衛をつけている以上、きっと何か理由があるのだろう。
そして僕との修行は、リエリエッタがアルバと護衛を交代してから始まる。
そのリエリエッタは、今も見張り台の上。
つまり――今は休憩時間だ。
わざわざアルバを早めに呼びに行く必要もあるまい。
三週間も続けていれば、多少は身体も慣れてきた。けれど、彼の修行が限界まで追い込むことを前提としている点だけは、今も変わっていない。
本当にきついのだ。
ならば、始まるのを少しくらい遅らせても罰は当たらないだろう。
さて。
それなら、この時間をどうしようか。
そんなことを考えながら船内を歩いていると、背後から声が飛んできた。
「ナナシ!」
「ひっ」
一瞬、アルバかと思って心臓が跳ねた。
だが、聞こえてきたのはあの太い声ではない。もっと若く、よく通る声だった。
振り返ると、見覚えのある顔がこちらへ歩いてくる。
「ザックス!」
そこには一人の少年がいた。
背は僕より頭ひとつ分高い。跳ねた赤茶色の髪に、人懐っこそうな笑顔。頬から鼻にかけて残る傷跡が、妙に目を引く。
最近になって話すようになった、僕の友人だ。
リエリエッタと朝食の時間がずれるようになってから、食堂で顔を合わせることが増えた。
僕が記憶を失っていることを知っていたらしく、最初の頃はどこか遠慮するように話しかけてきたものだが、それも長くは続かなかった。
二週間も経った今では、お互いにほとんど遠慮がない。
ザックスは冒険者で、この船には護衛の依頼を受けて乗り込んでいるらしい。
今は姿が見えないが、パーティーにはマームという少女もいる。二人は同じ村で育った幼馴染みなのだという。
「驚かさないでよ。びっくりしたじゃんか」
「そうか? 悪い悪い」
笑いながら、ザックスがばんばんと背中を叩いてくる。
少し痛い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
ザックスは悪気があって距離を詰めてくるわけではない。ただ単純に、人との距離が近いのだ。
それが分かってからは、こういう雑な触れ合いも彼らしいと思えるようになった。
それに何より、自分が誰なのかすら分からない僕に、こうして歳の近い友人が二人もできたことが嬉しかった。
「てかさ、ナナシ。こんな時間になんで船内にいるんだ?」
ザックスが僕の顔を覗き込む。
「普段なら船長と見張りしてる時間だろ? ……もしかして怒られたか?」
「まさか。今日はたまたま早く解放してもらっただけだよ。ザックスは?」
「ん?」
「何してたの?」
二人並んで、船内の廊下を歩き出す。
「ああ。俺はもうすぐこの依頼が終わるからさ。報酬でもらえる魔剣を見繕いに行こうと思ってたんだ」
そこでザックスがこちらを見る。
「一緒に来るか?」
「本当? じゃあ、ついて行こうかな」
その話なら、食事をしているときにちらりと聞いたことがある。
この船の護衛依頼を受けた冒険者には、通常の報酬金とは別に魔剣が一本与えられるらしい。
『金だけじゃなくて魔剣まで貰えるんだぞ? めちゃくちゃ破格なんだよ! 組合でもヤクモ商会の依頼は争奪戦になるんだからな』
以前、ザックスはそう自慢げに語っていた。
その隣では、マームも当然だと言わんばかりに何度も頷いていたのを覚えている。
ちなみにマームは魔法士だ。
剣を振るう機会がほとんどないなら、その分だけ損なのではないかと思って聞いてみたことがある。
すると、
『自分の苦手な系統の魔石剣を選ぶ。それか、適当に高そうなのを貰って売る』
と、実にあっさりした答えが返ってきた。
なかなか逞しい。
魔剣を保管している武器庫は、船室のある階から二つ下にあった。
部屋の前には一人の船員が立っている。
「報酬の魔剣を選びに来ました!」
ザックスが元気よく告げる。
「を、見物しに来ました!」
僕もその後に続く。
一瞬だけ船員の視線がこちらへ向いた。
けれど特に咎められることもなく、
「うん、入ってよし!」
と、あっさり通してもらえた。
扉を開ける。
「……うわ」
中には所狭しと荷物が積み上げられていた。
天井近くまで重ねられた木箱が通路の両脇を埋め、その隙間を縫うように細い道が奥へ伸びている。
手近な木箱をいくつか覗いてみると、中には剣や槍などの武器がぎっしりと詰め込まれていた。
箱ごとに種類は分けられているらしい。
片手剣、両手剣、曲刀、両刃剣。
さらに進めば、槍や戦斧といったものまである。
見慣れない形の武器も多く、眺めているだけでも飽きそうになかった。
試しに、一番手前にあった片手剣を一本持ち上げてみる。
「重っ……」
ずしりとした重さが掌へ沈む。
毎日振っている木剣とは、まるで違った。
握りを通して伝わってくる硬い感触。指先に触れる金属の冷たさ。
ただの道具と言ってしまえばそれまでなのに、そこには不思議と目を離し難い魅力があった。
これだけの武器が、一隻の船に積まれている。
そこでようやく僕は、リエリエッタが本当に武器商人なのだということを実感した。
「ナナシー。置いてくぞー」
「あ、待って!」
入り口付近で剣に見惚れていた僕を置いて、ザックスはずんずん奥へ進んでいた。
慌てて剣を箱へ戻し、その後を追う。
木箱の山をいくつか抜けると、武器庫の様子ががらりと変わった。
「おぉ……」
先を歩いていたザックスが、感嘆の声を漏らす。
僕もその肩越しに奥を覗き込み、同じように息を呑んだ。
そこには木箱ではなく、武器を一本ずつ飾るための台が何列も並んでいた。
剣。
槍。
斧。
形は様々だが、どれも先ほどまで箱の中に詰められていた武器とは明らかに扱いが違う。
普通の武器に比べれば数こそ圧倒的に少ない。
それでも、一つの場所にこれだけの魔剣が並んでいる光景は壮観だった。
台の根元には、それぞれ名前や分類らしき文字が彫られている。
少し前の僕なら、意味の分からない記号として眺めるしかなかっただろう。
けれど今なら――。
目を細めながら、一文字ずつ追ってみる。
「……魔石剣。こっちは……魔法剣?」
「お前、読めるのか?」
「うん。なんとか」
まだすらすらとはいかない。
それでも読めたことが、少し嬉しかった。
魔石剣というのは、以前リエリエッタたちに見せてもらった、魔石を嵌め込んだ剣のことだろう。
対して魔法剣は、武器そのものに特殊な力が宿っているもの。
少なくとも、僕はそう教わっている。
ただ、魔剣という呼び名の割に、並んでいるのは剣だけではなかった。
槍もあれば斧もある。
どうやら「魔剣」という言葉は、そうした武器全体をまとめて呼ぶものらしい。
「どれにするか、もう目星はついてるの?」
「いーや。全く」
ザックスはあっけらかんと答え、一つ一つの武器を覗き込んでいく。
「俺はこういうとき、頭で考えるより直感を大事にした方がいいと思ってるんだ」
「直感で?」
思わず聞き返した。
「これから命を預けることになるかもしれない武器なのに?」
「まぁ、そういう気持ちも分かるけどな」
ザックスが苦笑する。
「先輩冒険者にも言われたよ。合理性を突き詰めろって。派手な飾りがついた一振りより、無骨でも自分が扱いやすい一振りを選べ、ってな」
そう言いながら、腰に差した剣の柄へ指を添える。
「俺が今使ってるのも、その言葉を聞いて選んだ剣だ」
ほんの少しだけ、その表情が柔らかくなった。
長く使ってきた相棒を懐かしむようにも見える。
「じゃあ、今回もそうすればいいんじゃない?」
「それもそうなんだけどさ」
ザックスは数歩進んだところで、ぴたりと足を止めた。
振り返る。
「なぁ、ナナシ」
「なに?」
「御伽話の英雄が、そんなことばっかり言ってたらつまらないだろ?」
そう言って笑う顔は、冒険者というより、英雄譚に胸を躍らせる幼い少年のようだった。
「ザックスは御伽話とか、伝説になりたいの?」
「まぁ、そこまでとは言わないけどさ」
腕を頭の後ろで組みながら、ザックスは天井を仰ぐ。
「せめて酒場の吟遊詩人に謳われるくらいにはなりたいよなぁ」
「ふうん……」
納得したような。
していないような。
英雄に憧れる気持ちは、なんとなく分かる。
でも、だからといって武器を直感で選ぶというところまでは、やっぱり僕にはいまいち理解できなかった。
「こっちの方はどうかなー」
ザックスはすぐに次の武器へ興味を移し、さらに奥へ進んでいく。
「槍とかはどうなの?」
「槍?」
「やっぱり剣士は剣一筋って感じ?」
「そうだなぁ……槍かぁ」
一本の槍を眺めながら、ザックスが顎へ手を当てる。
「取り回しが難しそうなんだよな」
そう言ったかと思えば、今度は腰の剣へ手を添え、空いた手で槍を構える真似をした。
「剣と槍の二刀流! ……って、どうだ? 格好いいか?」
「うーん」
少し考える。
「あんまり」
「そっかぁ。じゃあ無しだな」
即答に近い返事を受け、ザックスは構えを解いた。
自分から聞いたくせに少し気恥ずかしくなったのか、苦笑いを浮かべている。
あっちはどうだ、こっちはどうだと、次々に目移りしていく。
その様子を眺めていると、武器を選びに来たというより、店先で服を見比べている買い物客にでも見えてきた。
そんなザックスの後ろを歩きながら、何気なく視線を巡らせる。
そのときだった。
一番奥にある棚へ、ふと目が向いた。
――いや。
目に留まった、というのは少し違う。
視線が吸い込まれた、という方が近いのかもしれない。
一歩、足が動く。
視線は釘で打ち付けられたように、そこから離れない。
一歩、足が動く。
なぜ近づいているのか、自分でも分からない。
一歩、足が動く。
それでも、不思議と引き返そうという気にはならなかった。
気づけば、僕はその剣の前まで来ていた。
そこでようやく両足が止まる。
「これは――」
剣身は布で幾重にも巻かれ、その姿を隠していた。
露わになっているのは柄と鍔だけ。少なくとも、見える範囲に魔石らしきものは嵌め込まれていない。
なら、おそらく魔法剣なのだろう。
僕に武器の良し悪しを見極めるような審美眼があるはずもない。
それでも。
何かが違う。
根拠なんてない。
どこがどう違うのかと聞かれても、きっと答えられない。
なのに、なぜかそう思った。
「なんだ、これ」
背後からザックスがひょこっと顔を覗かせる。
どうやら彼の目にも、その剣は奇妙に映ったらしい。
「剣……なのか? なんか不気味だな、これ」
言われて改めて眺めてみれば、確かに剣としては少し大きい。
とはいえ、両手剣という種類の範疇には収まるだろうか。
「こういう魔石のない魔剣って、どんな能力があるのか分かるの?」
「どうだろうな。俺も実は、魔剣をこんな間近で見るのは初めてだからなぁ」
「え、そうなの?」
「そうなの」
ザックスは腰を屈めたり横へ回ったりしながら、魔剣をぐるりと一周眺めてみる。
「うーん……分からん」
あっさり諦めた。
そのまま何気なく柄へ手を掛ける。
「まあ、持ってみりゃ何か――」
ザックスが剣を持ち上げようとする。
――魔剣は、台から離れなかった。
「は?」
間の抜けた声が漏れる。
ザックスは自分の手元を見下ろし、もう一度柄を握り直した。
今度は先ほどよりもしっかりと腰を落とし、腕へ力を込める。
「……っ!」
肩が僅かに震える。
それでも、剣はぴくりとも動かなかった。
「なんだ、これ。重い? いや、固定されてんのか?」
ザックスは台座の周囲を覗き込み、留め具でもあるのかと探し始める。
けれど、それらしいものは見当たらない。
何度か試した末、ようやく諦めたのか柄から手を離した。
「わけ分かんねぇ……」
「どれどれ」
冒険者であるザックスが持ち上げられないのだ。
僕に持ち上げられる道理などない。
ないのだが――どれほど重いのかは、少し気になった。
好奇心のまま柄へ手を伸ばす。
両手でしっかりと握り、念のため腰を落とす。
そのまま力を込めた。
「……ん?」
ずしり、と重さが両腕へ掛かる。
なるほど。
確かに重い。
先ほど手にした片手剣とは比べものにならない。
けれど――。
持ち上がらないほどではない。
落とさないよう慎重に腕へ力を込めると、剣はあっさりと台座を離れた。
「え?」
「は?」
再び、間の抜けた声が武器庫に響いた。
いや。
一番驚きたいのは僕だ。
両手に収まった剣を確かめるように、少しだけ持ち上げてみる。
重い。
確かに重い。
けれど、それだけだった。
「ねぇ、ザックス」
「……なんだよ」
「冗談はやめてよ。全然持てるじゃん」
「い、いや。そんなはず……」
「……だったら鍛え方が足りないんじゃない? 一緒にアルバさんの修行受ける?」
冗談めかして言ったものの、自分でも口元が少し引き攣っているのが分かった。
先ほどのザックスの様子は、どう考えても演技には見えなかった。
そもそも僕が知る限り、彼はこんな回りくどい嘘をつけるような性格ではない。
それなのに、剣はこうして僕の手の中にある。
ザックスも信じられないという顔で、僕と剣を何度も見比べていた。
「そんな馬鹿な……」
やがて、恐る恐るこちらへ近づいてくる。
自分の記憶を確かめるように。
あるいは、先ほどの出来事が何かの間違いだったと証明するように。
ザックスが、僕の握る柄へ手を伸ばした。
その指先が触れる。
瞬間。
「――っ!?」
両腕が一気に下へ持っていかれた。
先ほどまでとは比べものにならない負荷が、唐突にのしかかってくる。
重い。
いや、そんな一言では到底足りない。
剣一本を支えているはずなのに、まるで身体ごと床の底へ引きずり込まれるようだった。
何が起きた。
そう考えるよりも先に、指が柄から離れる。
ザックスも同時だった。
次の瞬間。
魔剣が落ちた。
いや――落ちる、というよりも。
床へ吸い込まれた。
ドンッ!
腹の底まで震わせるような重い音が、武器庫いっぱいに響き渡る。
床板がびりびりと震え、周囲に積まれていた武器が触れ合って小さく鳴った。
「…………」
「…………」
しばらく、二人で互いの顔を見つめる。
何が起きたのか。
考えようにも、考えるための材料が何一つなかった。
「……今の、何?」
「俺が聞きてぇよ……」
そのときだった。
遠くから、足音が聞こえてきた。
一つではない。
先ほどの音を聞きつけたのだろう。いくつもの足音が、こちらへ向かって近づいてくる。
「……まずい」
その一言と共に、止まっていた頭が急に動き始めた。
――勝手に魔剣を触っただけに飽き足らず、大事な商品を床へ落として傷でもつけていたら、非常にまずい!
理由の分からない現象について考えるのは、一旦後回しだ。
慌ててしゃがみ込み、落ちた魔剣の柄を掴む。
さっきの感触が蘇り、一瞬だけ身構えた。
けれど。
「……あれ?」
持ち上がる。
さっきと同じだ。
確かに重いが、それだけ。
僕一人なら、問題なく持ち上げられる。
どういうことだ。
疑問は尽きない。
だが、今はそれどころではなかった。
とにかく元の場所へ戻さなければ。
剣を抱えるようにして台座へ急ぐ。
だが――遅かった。
武器庫の扉が勢いよく開かれる音が響いた。
それとほとんど同時に、声が飛んでくる。
「何事だ!」
直後、木箱の隙間を縫うように足音が迫ってきた。
入口からここまでは、それなりに距離があったはずなのに。
扉が開いて、声が聞こえ、本人が姿を現すまで、ほとんど間がなかったように思える。
そんな芸当ができる人物に、一人だけ心当たりがある。
案の定。
「ナナシ?」
奮闘もむなしく、アルバに追いつかれてしまった。
その視線が、僕の腕の中にある魔剣へ落ちる。
僕もつられて、同じ場所を見る。
魔剣を抱えた僕。
床へ叩き落とした直後の、あの大きな音。
そして、目の前にはアルバ。
――さて。
ここからどうやったら言い逃れできるだろう。
このときばかりは、自分でも驚くほど頭の切り替えが早かった。




