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砂の中のアストラ  作者: 絹笠 悠
第1章

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3話


 エーズ地方。


 そこは、広大な砂に覆われた土地なのだという。


 ひとたびその只中へ放り出されれば、前後左右、どこを向いても砂しかない。


 緩やかに連なる砂丘は地平線の彼方まで途切れることなく続き、風が吹けばその姿さえ刻一刻と変えていく。


 あまりにも広く。


 あまりにも果てがない。


 その様が海に似ていることから、人々はこの大地を――砂海(さかい)と呼んでいるらしい。


 ただ、そんな砂ばかりの土地にも、本物の水は存在する。


 エーズ地方には、巨大なオアシスを中心として栄えた五つの都市があるという。


 リエリエッタの話では、そのオアシスはいずれも数百年以上前から存在し、どれだけ水を汲み上げようと決して枯れることがないのだとか。


 故に、人々からは楽園とも呼ばれている。


「そして、私たちの船は今、その五都市の一つ――アヌトゥスへ向かっている最中だ」


 リエリエッタは壁に掛けられた大きな地図の前に立ち、いつの間に取り出したのか、細長い棒の先で一点を示した。


 そこには大きな丸印が書き込まれている。


 現在地らしき場所からは、まだ随分と距離があるように見えた。


「まぁ、大体あと一節もすれば着くだろう」


「一節……」


 聞き慣れない単位だった。


 尋ねてみると、一節というのは二十八日――つまり四週間をひとまとまりとしたものらしい。


 一週間は七日。


 それが四つ集まって一節。


 そして十三節が巡れば、一年になる。


 どうやら、僕の知っている暦とは少し違っているようだった。


「一ヶ月くらい、ですか……」


「ん? まぁ、そう思っておけばいい」


 思っていたより、ずっと遠い。


 船に乗っているというのに、次の街へ着くまでさらに一節。


 この砂海という場所がどれほど広いのか、数字にされてようやく少し実感できた気がする。


「それで、さっきウチが商会だって話しただろ?」


 説明を終えたリエリエッタは、手にしていた棒を肩へ軽く乗せた。


「この船も当然、アヌトゥスへ商売をしに向かっている。さて――」


 口の端が、にやりと持ち上がる。


「何を運んでいると思う?」


「……僕に聞いてます?」


「他に誰がいる」


 どこか楽しそうな顔だった。


 まるで子供同士でなぞなぞでも出し合っているような調子だ。


 とはいえ、運んでいるもの、か。


 腕を組んで考える。


 砂漠で必要とされるもの。


 まず思いつくのは食料だ。


 保存の利くものなら、なおさら需要はありそうに思える。


 あとは嗜好品。


 煙草だとか、酒だとか。


 コーヒーや紅茶のようなものも思い浮かんだが、水そのものが貴重そうな土地で、わざわざ水を使って飲むものがどれほど売れるのかは分からない。


「……食べ物とか、煙草?」


 結局、ほとんど当てずっぽうで答えた。


 リエリエッタは待っていましたとばかりに意地の悪い笑みを浮かべる。


「確かに、食料や嗜好品は売れるところには売れる」


 そこで、わざとらしく一拍置いた。


「だが、ウチは一味違う」


 その直後だった。


 コン、コン、と扉が数度叩かれる。


「いいぞ、入ってくれ」


「失礼します」


 扉が開く。


 そこに立っていたのは、いつの間にか部屋から姿を消していたマリアンヌと――片腕のない大男だった。


「……あ」


 その顔を見た瞬間、どこかで見た覚えがあることに気づく。


 日に焼けた肌。


 太い首。


 いかにも頑丈そうな身体つき。


 そして何より、左腕が肘から先で失われている。


 思い出した。


 僕が目を覚ましたあの日。


 廊下ですれ違った、六人がかりで運ばれていた男だ。


 あの血まみれだった負傷者が、今は自分の足で立っている。


 まだ数日しか経っていないはずなのに。


 マリアンヌの腕には、鞘へ収められた二振りの剣が抱えられていた。


「お、重……」


 いかにも重そうに身体を傾けながら、よろよろと歩いてくる。


 その横では、大男が心配そうに様子を見守っていた。


 こちらは片腕しかないにもかかわらず、残った右手だけで三振りの剣をまとめて持っている。


「アルバ、怪我は……大丈夫なのか?」


 リエリエッタが男へ目を向ける。


「見ての通り、このザマだ」


 アルバと呼ばれた男は、失われた左腕を軽く持ち上げてみせた。


 冗談めかした口調だったが、包帯の巻かれた断端を見ると、とても笑えるような傷には思えない。


 それでも本人は気にした様子もなく、右手に抱えていた剣をテーブルへ置いた。


 マリアンヌも続いて二振りを並べる。


 合計五本。


 金属同士が触れ合い、硬い音を立てた。


「マリアもご苦労さん。けど、そのくらいなら全部アルバに持たせればよかったじゃないか」


「い、いえ……」


 マリアンヌは荒い息を整えながら首を振った。


「大怪我をしたばかりのアルバさんに、五本も持たせるわけには……いかなかったので……」


 言葉の合間に息が混じる。


 額には細かな汗まで浮かんでいた。


 二本運ぶだけでも、彼女の細腕にはかなり堪えたらしい。


「相変わらず真面目だねぇ」


「普通のことです」


 そう言いながらも、マリアンヌは疲れたように肩を落とした。


「さて」


 リエリエッタがテーブルの前へ移動する。


「答え合わせだ」


 両腕を大きく広げた。


「ウチが扱っている商品は――これさ」


 並んでいるのは五振りの剣。


 一見しただけなら、特別変わった武器には見えない。


 どれも形や長さには多少の違いがあるものの、僕の知っている剣と大きくかけ離れてはいなかった。


 ただ、一つだけ目につくものがある。


 鍔の辺り。


 それぞれの剣には、赤や青、黄と色の異なる宝石のような石が嵌め込まれていた。


「……剣?」


「ただの剣じゃない」


 リエリエッタは一本を手に取った。


「ウチは魔剣を主に取り扱っている武器商会だ。もちろん普通の武器も卸しているが、目玉商品はこっちだな」


「魔剣……」


 その言葉には、まるで聞き覚えがなかった。


 サメを見たときとは違う。


 頭のどこを探しても、それに対応する知識が見つからない。


「あの」


「ん?」


「魔剣って……何なんですか?」


 一瞬。


 リエリエッタがきょとんとした。


 だが、すぐに「ああ」と納得したように頷く。


「そうか。そこからか」


 手にした剣を軽く持ち上げる。


「魔剣っていうのは、簡単に言えば魔法や、それに類する特殊な力を扱える剣の総称さ」


「魔法を……剣が?」


「そう」


 リエリエッタは鍔に嵌め込まれた赤い石を指先で叩いた。


「魔剣には、大きく分けて二種類ある。一つは、体系内魔法が刻まれた魔石(ませき)を武器に組み込み、その力を使えるようにした魔石剣(ませきけん)」


 こつ、と石を鳴らす。


「もう一つは、武器そのものに特殊な力が宿っている魔法剣(まほうけん)だ。後者は珍しいし、物によっては馬鹿みたいな値段がつく」


 それから、テーブルの五本へ視線を落とす。


「ここにあるのは全部、前者の魔石剣だな」


 色の違う石。


 あれが魔石というものらしい。


 なるほど、と頷きかけて。


 そこで、一つの言葉が引っかかった。


「……魔法」


 気づけば、声に出していた。


 リエリエッタが眉を上げる。


「魔法も知らないのか?」


「少なくとも……聞き覚えはないです」


「ふむ」


 リエリエッタは少し考え込んだあと、先ほど地図を指していた細長い棒を持ち直した。


「なら、こっちを見たほうが早い」


 そう言って、棒の先を何もない場所へ向ける。


 直後。


 ぼっ、と音を立てて小さな炎が灯った。


「……え」


 赤い火が揺れる。


 驚く暇もなく、リエリエッタが手首を返す。


 炎は消え。


 今度は棒の先から、透明な水の塊がふわりと宙へ浮かび上がった。


「……」


 さらにもう一度。


 水の塊が形を失うのと入れ替わるように、今度は小さな岩の塊が宙に現れる。


「……え?」


「こういうのが魔法だ」


 リエリエッタは何でもないことのように言った。


 僕には、とても何でもないようには見えなかった。


「誰でも使えるわけじゃないけどね」


 棒を軽く振りながら、リエリエッタは続ける。


「一般に使われている魔法は、大きく六つの属性に分けられている。術者にはそれぞれ向き不向きがあって、適性のない属性の魔法は基本的には扱えない」


「……」


「だが、魔石剣なら話は別だ」


 今度は、テーブルの上の剣を指す。


「魔素さえ持っていれば、本人にその属性の適性がなくても、魔石に刻まれた魔法を使える」


 にやりと笑う。


「だから画期的なのさ」


 魔法。


 魔素。


 魔石。


 六つの属性。


 適性。


 頭の中に、聞いたことのない言葉が次々と積み上がっていく。


 それに加えて、目の前では火が出て、水が浮かんで、石まで現れた。


 理解しようとするほど、頭の内側が熱を持っていく。


「……」


 たぶん僕は、相当間抜けな顔をしていたのだと思う。


 口を半開きにしたまま固まっている僕を見て、リエリエッタが苦笑した。


「まぁ、無理もないか」


「すみません……ちょっと、一気に色々ありすぎて」


「そのうち嫌でも慣れるさ」


 そこで、ふと思いついたように笑う。


「習うより慣れろ、だな。続きは実際に見せたほうが早い」


 そう言うなり、リエリエッタはテーブルから二振りの剣を取った。


 一本ずつ、それぞれ片手に持つ。


 そして僕たちが入ってきた扉ではなく、部屋にある残り二つの扉のうち一つへ向かった。


「こっちだ」


 扉を開く。


 途端。


 熱風とともに細かな砂が室内へ吹き込んできた。


「っ……」


 思わず目を細める。


 どうやら、直接外へ繋がっているらしい。


 扉の向こうには、相変わらず容赦のない太陽が照りつけていた。


 白く焼けた空。


 眩しいほどの砂海。


 リエリエッタは陽射しに目を細めながら外へ出ると、室内に残っている僕たちへ手招きする。


「魔法が使える私が実演してもいいんだが、それじゃ意味が薄い」


 そう言って、手にした二本の剣を持ち直す。


「マリア、アルバ。二人とも来てくれ」


「はい」


「おう」


 二人が外へ出る。


 リエリエッタは、それぞれに一本ずつ剣を手渡した。


「せっかくだ。魔剣ってものがどういう武器なのか――実際に見せてやろう。先に言っておくが、二人とも魔法の素養はほとんどない」


 リエリエッタはそう前置きして、二人を交互に指した。


「アルバが身体強化を少し使える程度だ。マリアに至っては、ほぼからっきしだな」


「リエリエッタ様。本人を前にして言わなくてもよいのでは……?」


 マリアンヌが少しだけ不満そうに眉を下げる。


「事実だろう?」


「そうですけど……」


 身体強化。


 また知らない言葉が出てきた。


 名前から何となく想像はできるものの、具体的にどんなものなのかまでは分からない。


「まあ、見ていれば分かる」


 リエリエッタに促され、マリアンヌとアルバが砂海へ向き直った。


 二人はそれぞれ剣を構える。


 切っ先の向こうには、見渡す限りの砂。


 その先に人影がないことを確かめてから、二人はほとんど同時に剣を前へ突き出した。


 次の瞬間。


 ぼっ、と空気が鳴った。


 マリアンヌの持つ剣から、握り拳ほどの炎の塊が飛び出す。


 少し遅れて、アルバの剣からも岩の弾が撃ち出された。


「……!」


 二つの塊は勢いよく宙を駆けていく。


 炎は尾を引き。


 岩は空気を裂き。


 見る間に小さくなって、やがて黄金色の砂海へ呑み込まれていった。


「こんな感じだ」


 リエリエッタが満足げに頷く。


「詠唱を省くどころか、魔法の名前を口にする必要すらない。魔素を流せば、それだけで発動する」


 そこで、また口の端を吊り上げた。


「まあ、これは序の口だ。もっと派手なのもあるぞ」


 ……また、この顔だ。


 さっき魔剣について説明していたときにもしていた。


 どうやらリエリエッタは、魔剣や魔法の話になると少しばかり顔つきが悪くなるらしい。


 悪巧みをしているわけでもないのに、妙に楽しそうなのだ。


 たぶん、相当好きなのだろう。


「さて」


 リエリエッタの視線が僕へ向いた。


 嫌な予感ではなく――今度は少し期待してしまう。


「ナナシ。君もやってみろ」


「え、僕もですか?」


「そのために見せたんだ」


 リエリエッタはマリアンヌから魔剣を受け取ると、そのままずい、とこちらへ差し出してきた。


 鍔には赤い魔石。


 先ほど炎を撃ち出した剣だ。


「……」


 恐る恐る柄を握る。


 ずしり、と重さが手のひらへ乗った。


 思っていたより重い。


 けれど、持てないほどではない。


 両刃の刀身。


 十字に伸びた鍔。


 形だけを見れば、記憶の中にある西洋風の剣とよく似ている。


 少なくとも、剣そのものに異様なところは見当たらなかった。


 ただ、これが魔法を撃ち出す。


 そう考えた途端、胸の奥が妙に騒がしくなった。


 心臓が速い。


 無理もない。


 剣を握ること自体、おそらく初めてだ。


 そのうえ、その剣で魔法まで使えるという。


 これで心が躍らないほうが、どうかしている。


 自然と口元が緩みそうになるのを堪えながら、剣を持ち直した。


「これって……どうやって使うんですか?」


 柄や鍔を眺めてみる。


 発動用のボタンらしいものはない。


 引き金もない。


 持っただけで使い方が分かる、というわけでもなさそうだった。


「ん?」


 リエリエッタは少し考えて、


「魔素をこう――くっと流す」


「……はい?」


「身体の中にあるやつを、こう、くっと」


 何も分からない。


 まず、その魔素というものが分からない。


 僕が剣を持ったまま首を傾げていると、横からマリアンヌがそっと手を伸ばしてきた。


「リエリエッタ様。それでは分からないと思います」


「そうか?」


「そうです」


 マリアンヌは僕の握り方を軽く直し、それから剣先を砂海へ向けた。


「いいですか? まず、絶対に人のいる方向へ剣を向けないでくださいね」


「はい」


「それから、身体の内側へ意識を集中させます」


 声の調子が少し変わった。


 先ほどまでよりもずっとゆっくりと、こちらが理解できるように言葉を選んでいる。


「呼吸を整えて……身体の中を巡っているものを探すような感覚です」


「巡っているもの……」


「はい。それが魔素です」


 言われた通り、目を閉じてみる。


 呼吸を整える。


 意識を身体の内側へ向ける。


 心臓の鼓動は分かる。


 呼吸に合わせて胸が上下するのも分かる。


 握っている剣の重さ。


 手のひらに浮かぶ汗。


 けれど――。


「……分かりません」


「大丈夫ですよ」


 マリアンヌの声がすぐそばから聞こえる。


「最初は皆さんそんなものです。身体の中をゆっくり巡っているものを感じ取って、それを少しずつ腕へ……最後に手のひらへ集めていく感じです」


「……」


 もう一度、集中する。


 身体の中。


 巡っているもの。


 それを手へ。


 言葉通りにしようとする。


 けれど。


 何もない。


 少なくとも、それらしい感覚はどこにも見つからなかった。


 剣も、うんともすんとも言わない。


「……やっぱり駄目です」


「焦らなくて大丈夫です」


 マリアンヌは優しく微笑んだ。


「魔法がからっきしな私でも使えるんですから。落ち着いて、ゆっくりやれば――」


「いや」


 リエリエッタが遮った。


 先ほどまでの楽しげな声音とは、少し違う。


「まず、魔素そのものを感じ取れてないのか?」


「たぶん……」


「ふむ」


 リエリエッタが近づいてくる。


「なら、一度こっちから流してみるか」


「流す?」


「ああ。感覚さえ掴めば早い」


 リエリエッタはマリアンヌと入れ替わるように僕の正面へ立った。


「剣はそのままでいい」


 そして、僕の両手を包むように握る。


「とりあえず私が魔素を流す。身体の中に何か入ってくる感じがしたら、それを覚えておけ」


「分かりました」


「力は抜けよ」


 言われるまま、肩の力を抜く。


 リエリエッタもゆっくりと目を閉じた。


 僕もそれに倣う。


 風が吹く。


 砂が地面を擦る音がする。


 遠くで帆がばたついた。


 その中で、リエリエッタの手の温度だけが妙にはっきりと感じられた。


 何かが来る。


 そう思って待つ。


 けれど――。


 何も感じない。


 一秒。


 二秒。


 もう少し。


 やがて、手を握るリエリエッタの指がわずかに動いた。


「……?」


 目を開く。


 リエリエッタも、ちょうど瞼を持ち上げたところだった。


 さっきまでとは違う顔をしていた。


 首を傾げる。


 もう一度、僕の手を見る。


 それから、確かめるように握り直す。


「ナナシ」


「はい?」


「お前さん……」


 眉間に皺が寄る。


 初めて見る表情だった。


 そして、しばらくの沈黙のあと。


「魔(・)素(・)無(・)し(・)か?」


 リエリエッタは、低くそう呟いた。

 

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