12.5話
幕間です。
言ってしまった。
胸の底から、後悔がじわりと顔を出す。
決して避けては通れぬ話だった。だが、本当に今、伝えるべきだったのだろうか。
船長室で一人、リエリエッタはランプの灯りに照らされながら黙り込んでいた。
もっとも、今は他に誰もいない。そんな部屋で一人喋っている方が、よほど不自然ではあるのだが。
後悔を感じているということは、私はあの少年に執着しているのだろうか。
心のどこかでは、この船に残ってほしいと。
自分の意思で、残るという答えを出してほしいと、そう思っているのだろうか。
私の意見は至極真っ当だ。正論の範疇に収まっているはずだ。
おかしなことは言っていない。
この船に残れば、常に命を危険に晒すことになる。
それは一度では済まない。何度も、何度も襲いかかってくることだろう。
現に、彼はつい先日も危ないところだった。
私が間に合ったからよかったものの、下手をすれば四肢のどこかを失うほどの大怪我、最悪の場合は命を落としていた。
アルバも、その前に片腕を失っている。
ナナシを守りながら育てるには、人が足りない。
戦力が足りない。
それに今は、マリアだっている。
本来ならアルバは、できる限りマリアの護衛につけるべきだ。
よほど表の戦力が足りない場合を除いては、そのつもりでいた。
だが、今回はあまりにも多くの人員を失いすぎた。
それは私の失策だ。
リエリエッタは椅子の背もたれに体重を預け、天を仰ぐように顔を上へ向けた。
確かに、あの魔剣を扱える者が現れたのは喜ばしいことだ。
ヤクモの活躍を思い出すに、たとえ彼ほどの実力者になれなかったとしても、魔剣そのものが強力なのだから、ある程度は形になるのだろう。
ヤクモとは、数え切れないほどの冒険を重ねた。
森の奥に眠る、神秘に満ちた遺跡。
火山の火口に住まう巨竜の討伐。
北の果てにある山脈に佇む神殿と、その奥に眠る宝具。そして、それを守る守護者との戦い。
街に押し寄せる魔物の暴走を乗り越えた、あの激闘。
多くの仲間たちと出会い、そして別れてきた。
もちろん、大それた冒険ばかりではない。
ほんの小さな、日常の依頼もあった。
猫を探したり、畑仕事を手伝ったり。
衛兵たちの見張りを代わった挙げ句、その仲間内で行われていた賭け札の代打ちをさせられたこともあった。
……あの後は、バレてしこたま怒られたな。
全てが懐かしい。
私たちのパーティー名は『星々』。
今となっては、生きているのはもはや私だけだろう。
もう、あの日々が戻ってくることはない。
私がヤクモからこの船と仕事を継いだのは、きっと、忘れ難いあの日々を少しでも残しておきたかったからだ。
だが、時が経てば記憶も少しずつ薄れていく。
そんな日々の中、突如として現れた少年。
ナナシ。
彼を見たとき、薄れゆく記憶と思い出を、無理やり叩き起こされたような感覚に陥った。
特段、見た目がヤクモに似ているというわけではない。
ただまぁ、黒い髪と黒い瞳は同じだった。
顔立ちが似ているわけでもない。
ナナシはまだ年端もいかない少年とあって、どこか可愛らしさがある。
ヤクモはどちらかといえば、素朴な雰囲気をした男だった。
……少し抜けているところは、確かに似ているかもしれないな。
――私は、ナナシとヤクモを重ねているのだろうか。
知らず知らずのうちに。
無意識のうちに。
どれだけ自分に違うと言い聞かせても、その奥にある本心では。
「……はぁ」
ため息が一つ漏れた。
そんなわけがない。
私は、親切なだけだ。
ナナシに文字や算術を教え、帳簿まで見せながらあれこれ覚えさせたのだって、あいつがアヌトゥスの街で生きていけるようにするためだ。
アルバに稽古をつけさせたのも、あいつが自分の力で自分を守れるようにするため。
それ以上でも、それ以下でもない。
大丈夫。
私の判断は、間違っていない。
心の中で呟いたその言葉は、半ば自分に言い聞かせるようなものだった。
そうして部屋の中でぐるぐると思考を巡らせていると、不意に扉を叩く音がした。
トントン、と控えめな音。
船内側からだった。
「団長、今いいか?」
「ん、構わない。入ってくれ」
聞こえてきたのはアルバの声だった。
リエリエッタは即答するように返事をする。
「邪魔するぞ」
部屋へ入ってきたアルバの表情は、心なしか困り事を抱えているように見えた。
――やめろ、お前までそんな表情をするな。
思わず口に出かけた言葉を、寸前で飲み込む。
まだアルバが部屋を訪ねてきた理由すら聞いていない。
それに、そんなことを言えば、自分が何かを気にしていると悟られてしまいそうで癪だった。
だが、リエリエッタの直感も、あながち間違いではなかったらしい。
「……やっぱりナナシの奴、なんか変だぞ」
「……ん?」
「さっきも様子を見てきたんだがよ。無心で、っていうよりは、何かに取り憑かれたように剣を振り続けてやがる。今はザックスたちが傍にいるからいいけどよ……団長、本当に何も知らねぇのか?」
私との話し合いを終えてから、ナナシはずっと素振りを続けているそうだ。
昼間、アルバと話したときにも似たようなことを言っていたが……そうか。
まだ、そんな状態なのか。
やはり、私に言われたことが相当堪えたのだろうか。
アルバも同じように頭を悩ませている。
ここは素直に教えてやるべきか。
「実は――」
リエリエッタは、アルバに事のあらましを伝えた。
話を聞いたアルバは驚いたものの、すぐに落ち着きを取り戻した。
「団長……そりゃあ……」
何か言いたそうに口を開くが、言葉を選ぶように視線を宙へ漂わせる。
「いや、言わんとすることは分かる。いつかはぶち当たる話だ。だが、今日その話をするのはどうなんだ?」
「だったら、いつ話すんだ。アヌトゥスに着いてからか? 私らがアヌトゥスを発つときか? 考える時間は多いに越したことはないだろう」
「そりゃそうだが……もう少し、こう、言い方ってもんがよ。それに、ずっとあの調子じゃ修行になんねぇよ。どうにかしてくれ」
「んなっ……!」
アルバの物言いに、リエリエッタは思わず前のめりになった。
ガタッ、と椅子が音を立てる。
その音に我に返り、慌てて座り直した。
「……分かったよ。何かしらは考えておく」
一度息を吐き、気を取り直す。
「参考までに聞くが、アルバ。お前はどう思う? ナナシの今後についてだ」
「どう、か……」
アルバは少し考え込んだ。
「俺は、連れていっても悪くねぇとは思うな。今はてんで素人だが、経験さえ積めりゃあ、悪くねぇ戦士になると思うぜ。魔剣のこともあるしな」
「……ふむ」
「それに、俺もこの腕だ。いつまでもこの船に残れるわけじゃねぇ。さっさと後任を見つけにゃならんからな」
そう言ってアルバは、左腕があるはずの場所へちらりと目をやった。
リエリエッタは黙り込む。
意見が割れることなど、百も承知だった。
あの魔剣のことを考えれば、なおさらだ。
マリアなど、この話を聞けばすぐにでも飛んできて直談判を始めるだろう。
彼女は貴族の娘であるが故に、華のある無駄を好む。
けれど、商家の娘であるが故に、意味のない無駄を嫌う。
誰にも扱えなかった魔剣を、そのまま武器庫の奥へ眠らせておくなど、彼女には耐え難い無駄だろう。
そんなことを考えていた、そのとき。
今度は甲板の方から音が聞こえてきた。
誰かが勢いよく階段を駆け上がってくるような、強く床を踏み鳴らす音。
たまに耳にする類の足音だ。
――あぁ、あれだ。
怒っている奴って、こういう足音を立てるよな。
間もなく、扉が乱暴に叩かれた。
そして、返事をするよりも早く、勢いよく開け放たれる。
「リエリエッタ様! 少し! お話が! あるのですが!」
ふむ。
噂をすれば、なんとやら。
扉の向こうには、頬を膨らませたマリアンヌの姿があった。
本人にその自覚はないのだろうが、彼女のその様子は、怖いというより可愛いが先に立つ。
「まだ、入っていいとは言ってないんだが」
「では、いいですか? いいですね? 入ります!」
強引に話を進めるマリアンヌに、リエリエッタは仕方ないといった様子で一つ息を吐いた。
「で、話って?」
「私がこうしてここへ来た時点で、心当たりはありますよね?」
そこで少し落ち着いたのか、マリアンヌの視界の端にアルバの姿が映った。
「あ、アルバ様。もしかして、お話し中でしたか?」
「いや、問題ない」
「ありがとうございます」
マリアンヌはアルバに小さく頭を下げると、リエリエッタへ向き直った。
「どうして、ナナシさんにあんなことを言ったのですか?」
その碧く澄んだ眼は、リエリエッタを真っ直ぐに見つめていた。
「マリア、落ち着け」
「私は至って冷静です」
「私の許可もなく部屋へ押し入ってきたのにか?」
「そうですね。それは先ほどまでの私です。今の私は違います」
マリアンヌの返事に淀みはなかった。
リエリエッタはもう少し小言を言って、話を茶化してしまいたい気分だった。
だが、今のマリアンヌには、そんな誤魔化しは通用しそうにない。
気持ちを切り替え、真剣な表情で言葉を返す。
「話は、誰から聞いた?」
「ナナシさん。本人の口からです」
「ほぉ。マリアの言葉は耳に届いたんだな? アルバは振られてしまったそうだ。かわいそうに」
「リエリエッタ様、話を逸らさないでください」
キッ、と睨まれてしまい、リエリエッタはばつの悪そうな顔をした。
「……ナナシはなんて?」
「船を降りろ、と言われたと」
「……そりゃ、話が少し違う」
「どう違うのですか? 結果的には、降りろという意味に受け取れる言葉を伝えたのですよね?」
「私は降りることを勧めただけだ。決めるのはナナシ本人だ」
「同じことじゃないですか! それに、今のナナシさんにそんな選択をさせるのは、いくらなんでも酷すぎます!」
「何も今すぐ決めろだなんて、誰も言ってないだろう? それに、ついてくる奴なんざ、何を言われてもついてくるだろう。お前みたいにな」
「……」
リエリエッタの最後の言葉に、マリアンヌは言い返せなかった。
「お前は周りの反対を押し切ってこの船に乗った。私も当然反対だった。だが、今はその覚悟を認めている」
「……それでも、私たちは彼を勧誘する立場にあると思います」
マリアンヌは一度言葉を切った。
「勧誘してでも、彼はこの船に残るべきだと思います」
語気は次第に弱まっていたが、それでも自分の意見をはっきりと口にした。
だが、リエリエッタも譲らない。
「それは、あの魔剣があるからか?」
「それは……」
図星を突かれたのか、マリアンヌはすぐに言葉を返せなかった。
ナナシの落ち込んだ姿を見たとき、彼女の心には確かに憐憫の情が湧いていた。
だが、ナナシを船に残すべきだと主張するには、どうしても、あの魔剣を扱えるという事実が大きな理由になる。
「それに、アヌトゥスのどこが駄目なんだ? 治安は比較的安定しているし、活気にも満ちている。暮らしていくには困らない場所だ。そのために、文字や計算だって教えたんだ」
リエリエッタは、畳みかけるように続けた。
「教えておくれ、マリアンヌ。お前は一体、あいつに何を見出しているんだ?」
「私は……」
マリアンヌとて、リエリエッタの言い分が理解できないわけではない。
それでも、行き場を失い、ようやく自分の居場所を見つけたナナシに対する彼女の態度が、どうしても納得できなかった。
マリアンヌは目を細め、意を決したように口を開く。
「ナナシさんには、戦略的、戦術的価値があると考えています」
「ほう」
リエリエッタは意外そうに返事をした。
「やはり、あの魔剣の能力は唯一無二で、非常に強力です。魔法を反射する力の可能性は計り知れません。ましてや、今まで扱える人間がいなかったのなら、なおさらです。大きな切り札になり得るでしょう。今はまだ戦力にならなくても、いずれ必ず実を結びます」
「それじゃあ、お前さんはナナシの安全や幸せを考えてやらない、と?」
「私は商人の娘です。有用な人材をみすみす逃すようなことがあれば、お父様に叱られてしまいます」
マリアンヌは一歩も引かなかった。
「それに、今のナナシさんにとっての幸せが、必ずしもアヌトゥスにあるとは限りませんよね?」
「…………」
両者、一歩も譲らない。
互いの視線がぶつかり合い、まるで火花を散らしているかのようだった。
そんな中、今まで黙って二人のやり取りを聞いていたアルバが、とうとう口を挟んだ。
「お二人さん。熱くなってるところ悪いが、俺にしてみりゃ、この先は押し問答だ」
二人の視線がアルバへ向く。
「結局のところ、決めるのはナナシだろ?」
水を差された二人は、勢いのやり場を失ったように、少し呆気に取られた顔をした。
「ナナシが乗るって言ったら、団長も止めるつもりはないんだろ?」
「あぁ……そうだ」
アルバの問いに、リエリエッタは少し歯切れ悪く答えた。
「なら、大丈夫だ。今は落ち込んでるかもしんねぇけど、あいつはあいつなりの答えを出すはずさ」
アルバはゆっくりとマリアンヌの背後へ回り、右手をその肩へ乗せた。
「ちなみに、俺はマリアンヌさん派だ。できればナナシには、船に残ってほしいと思ってる」
歯を見せて、にかっと笑う。
そして、自分の言いたいことを言い終えて満足したのか、マリアンヌの肩を数度軽く叩くと、扉の方へ向き直った。
「二人とも、今日はもうやめにしよう。俺らで話し合ったところでしょうがねぇよ」
そう言い残し、ひらひらと右手を振りながら船長室を出ていく。
アルバの背中を目で追っていたマリアンヌは、我に返ったようにリエリエッタへ向き直った。
「私の伝えたいことは伝えました。今日のところはこれで」
そう言うと、マリアンヌも船長室を後にした。
再び一人となったリエリエッタは、深いため息を吐いた。
――どうして、こんなことに。
マリアンヌが船に乗ることを強行したときでさえ、ここまで揉めることはなかった。
やはり、私はムキになっていたのだろうか。
気分を変えようと、椅子から立ち上がる。
船長室を出て、甲板へ向かった。
頭上には暗い夜空が広がり、無数の星々が輝いている。
昔から、何一つ変わらない夜空。
この空を見上げながら仲間たちと語り合ったのは、もう遥か昔の話だ。
夜風が頬を撫でる。
冷えた風が、熱くなった頭を少しずつ冷ましていく。
ふと、甲板の上に人影が見えた。
近づかなくとも分かる。
あれは、ナナシだ。
どうやら、疲れ果てて眠ってしまったらしい。
風邪を引かないように、何か掛けてやらないとな。
そう思い、リエリエッタは船長室へ引き返した。
奥にある自室から薄手の毛布を一枚持ってきて、眠るナナシの肩へそっと掛ける。
ぐっすりと眠っている。
こんな硬い床の上で、よく眠れるものだ。
冒険者として野宿をしていた頃には、こういうことで愚痴をこぼす奴がよくいたものだが。
「…………」
リエリエッタは、眠る少年を見下ろした。
……私は、この子をどうしたいのだろうか。
いくら考えても、答えは霞んでいる。
この子が、これからどんな道を選ぶのか。
船に残るのか。
それとも、降りるのか。
どちらにしても、私はその選択をしっかりと受け止めてやらなければならない。
それでいい。
それで、いいはずだ。
大丈夫。
私は、迷ってなんかいないんだ。
読んでくださりありがとうございます。
ここにて一章が完結です。
書き溜め分を放出したので毎日投稿は一旦終了します。
毎週金曜投稿を目指しますので引き続きよろしくお願いします。




