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砂の中のアストラ  作者: 絹笠 悠
第1章

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17/20

17話


「ところでさ、マリアンヌ」


 二人並んで船内を歩きながら、僕は声を掛けた。


「こういうときって、どこが安全なのか分かる?」


「安全、ですか?」


 マリアンヌは顎に手を添え、少し考え込む。


 これまでにも、この船で危険な目に遭ったことはある。


 けれど、僕が船内へ避難するという形を取ったことは、一度もなかった。


 砂潜鮫(させんざめ)が襲ってきたときには僕自身が甲板にいたし、そうでなくともリエリエッタと一緒にいることが多かった。


 けれど、マリアンヌは違う。


 思い返してみれば、最初の砂潜鮫に襲われて以降、奴らが現れたときに彼女の姿を甲板で見た覚えがない。


 なら、こういうときに避難する場所を知っているのではないか。


 そう思ったのだが。


「私もあまり詳しくはありませんが……思い当たるのは二箇所ですね。食堂か、武器庫です」


「食堂? 広くない?」


「広いというのが大事なんです。視界が開けていれば奇襲を受ける心配も減りますし、いざとなればテーブルや椅子を盾代わりにもできますから」


「なるほど」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 狭い部屋に閉じ籠もって、逃げ道まで失ってしまうよりはいいのかもしれない。


 そう話しているうちに、階段へ辿り着いた。


 ここから左へ行けば食堂。


 右手の階段を下りれば、武器庫のある下層へ続いている。


「じゃあ、食堂にする?」


「いえ。それよりも……」


 マリアンヌの視線が、僕の腰元へ落ちた。


「ナナシさん、今持っている武器は、その木剣だけですか?」


「え?」


 つられて腰へ手をやる。


 そこに差してあるのは、いつもの鍛錬で使っている木剣が一振り。


「そう、だね。木剣だけ。朝食のあとに素振りしてたから、そのまま……」


「…………」


 マリアンヌは一瞬だけ考え込む。


 そして次の瞬間には、迷いなく僕の手を取った。


「武器庫へ行きましょう」


「え?」


「まずは武器を調達するのが先決です。それに、魔剣があれば私も多少なりとも援護できますし」


 そう言いながら、僕の手を引いて階段を下りていく。


 なるほど。


 言われてみれば、その通りだ。


 護衛を任されたというのに、木剣しか持っていないのではあまりにも心許ない。


 それに――。


 あわよくば、あの魔剣を。


「……分かった」


 マリアンヌに手を引かれるまま、僕は階段を下っていった。


 武器庫には、相変わらず箱が山のように積まれていた。


 大小様々な木箱が所狭しと並び、部屋の奥まで埋め尽くしている。


「……勝手に使ったら、怒られるかな?」


 一応、売り物だし。


 ぽつりと漏らした言葉に、マリアンヌがすぐ反応した。


「問題ありませんよ。今は非常時ですから、なおさらです」


 そう言ってから、胸を張る。


「もし怒られるようなことがあれば、私がリエリエッタ様を怒りますので安心してください!」


「でも、マリアンヌもボスの部下……なんでしょ? 大丈夫なの?」


「厳密に言えば、少し違うんですが……」


 マリアンヌは困ったように眉を下げた。


「話せば長くなりますね。また今度、機会があれば説明します。それよりも――ほら!」


 そう言って、部屋の奥へどんどん進んでいく。


 その方向には覚えがあった。


 僕の記憶が正しければ――。


 やはり。


 部屋の最奥。


 そこには、先日僕自身の手でここまで運び戻した魔剣が置かれていた。


 黒い刀身を隠すように、今は布が幾重にも巻かれている。


「ほら、ナナシさん。これ使ってください!」


「い、いや、でも……」


「いいんですよ。どうせここに置いていても、ナナシさん以外には使えないんですから」


 あっけらかんと言い放つと、マリアンヌはもう僕には構わず、今度は自分が使う魔剣を探し始めた。


「…………」


 こうして見ていると、不思議な人だと思う。


 見た目だけなら、可憐な少女という言葉がよく似合う。


 なのに、発言や行動は思いのほか大胆というか。


 豪胆というか。


 そんなことを考えながら、僕は刀身に巻かれていた布を解いていく。


 艶のない黒紫色の刀身が、少しずつ露わになる。


 最後の布を取り払ってから柄を握り直すと、以前と同じように不思議なほどすんなりと手に馴染んだ。


 それからマリアンヌと一緒に、使えそうな魔剣をいくつか見繕っていた――そのときだった。


「――うわっ!」


 ドンッ!


 立て続けに、大きな衝撃が船を襲った。


 壁が震える。


 積み上げられた木箱がガタガタと音を立て、遅れて轟音が船内へ響いてきた。


「っ……!」


 僕はなんとか踏ん張った。


 けれど、マリアンヌは大きくよろめき、体勢を崩す。


「危ない!」


 咄嗟に腕を伸ばした。


 倒れかけた身体を、どうにか抱き止める。


「大丈夫?」


「……ありがとうございます。おかげさまで平気です」


 マリアンヌは身体を起こしながら、天井を見上げた。


「しかし、今のは一体……」


「ここからじゃ外の様子が分からないし……見に行ってみる?」


「いえ」


 僕の提案に、マリアンヌはすぐ首を横に振った。


「ひとまず、ここにいましょう」


「ここに?」


「賊の目的がこの船の貨物なら、いずれここへ来るはずです」


「え、それなら食堂の方が安全じゃない?」


「ええ、おそらく」


「だったら――」


「だからこそ、ここを守る必要があると思うんです」


 マリアンヌの声は穏やかだった。


 けれど、その目には迷いがない。


「ですが、私一人ではここを守れません」


 そして僕を見る。


「ナナシさん。お願いしますね」


「うーん……分かったよ」


 頷きはしたものの、どうにも納得しきれない。


 ボスから言われたのは、


 ――マリアを守ってやってくれ。


 だ。


 なら、僕がするべきなのは、マリアンヌをより安全な場所へ連れていくことではないのか。


 賊が真っ先に目指してくるかもしれない武器庫へ居座るのは、むしろ逆のような気がする。


 けれど。


 目の前のマリアンヌを見る限り、ここから動くつもりはなさそうだった。


 それに、先ほどの大きな衝撃も気になる。


 今から食堂へ戻る方が安全なのかどうかも、もう分からない。


 迷っている暇はない。


 なら――。


 ここに残ると決めたのなら、そのためにできることを考えるしかない。


 改めて武器庫を見回す。


 あるのは武器と、それを詰めた大量の木箱。


 窓はない。


 出入りできる扉も、一つだけ。


「……マリアンヌ」


「どうしました?」


「ちょっと手伝ってほしいんだけど」


「はい?」


 僕は入口の扉を指差した。


「周りの箱を使って、扉を塞がない?」


「箱で?」


「うん。もし本当に侵入者がここを狙ってるなら、少しでも入ってくるまでの時間を稼いだ方がいいと思う」


 マリアンヌは扉と周囲の木箱を交互に見る。


 すぐに頷いた。


「なるほど。分かりました。やりましょう!」


 二人で手近な箱を動かし始める。


「せーのっ……!」


「んんっ……!」


 押す。


 動かない。


 もう一度力を込める。


 ほんの僅かに木箱が床を擦った。


「お、重い……!」


「中身が入ったままですからね……!」


 さすがにこのまま運ぶのは無理だった。


 一度蓋を開け、中身を外へ出す。


 箱を移動させてから、また次。


 そんなことを何度も繰り返し、どうにか扉の前へ箱を積み上げていく。


 どれほど時間が経っただろう。


「ふぅ……」


 額には汗が滲んでいた。


 けれど、なんとか形にはなった。


 僕とマリアンヌは積み上げた箱を見て、それから互いの顔を見る。


 思わず、少しだけ笑った。


 そのとき。


 ――ギシッ。


 音がした。


「…………」


 笑みが消える。


 外。


 通路の方からだ。


 ――ギシ。


 また。


 今度は、はっきり聞こえた。


 誰かが階段を下りてきている。


 ゆっくりと。


 一段。


 また一段。


 階段を軋ませながら、確実にこちらへ近づいてくる。


 ――侵入者か。


 マリアンヌと顔を見合わせる。


 先ほどまでとは違う緊張が、一瞬で身体を強張らせた。


 僕は彼女へ目配せし、部屋の奥を指差す。


 ――隠れて。


 声には出さない。


 マリアンヌも意図を察したのか、小さく頷いて奥へ下がっていった。


 僕は扉の近くへ寄り、耳を澄ませる。


 ……足音は一つ。


 ギシ。


 ギシ。


 廊下の床板が軋む音。


 ゆっくりと。


 けれど、間違いなくこちらへ向かってくる。


 敵か。


 味方か。


 まだ、分からない。


 僕は息を殺し、足音を立てないよう慎重に数歩下がった。


 右手を柄へ添える。


 握る。


 手の中にある感触を確かめるように、強く。


 ――ギシッ。


 また一つ。


 足音が、近づいた。


 そして。


 武器庫の前で、ぴたりと止まった。


「…………」


 汗が一筋、頬を伝う。


 静寂。


 扉一枚を隔てた向こうに、誰かがいる。


 そう思った直後だった。


 ガンッ!


「っ……!」


 扉が激しく鳴った。


 向こう側から乱暴に押し開けようとしている。


 けれど、積み上げた箱に阻まれ、扉は僅かに軋んだだけで動かない。


「あぁ? んだここ。鍵掛かってんのか?」


 苛立ちの滲んだ、荒々しい男の声。


 聞き覚えは――ない。


 やっぱり。


 侵入者だ。


 僕は音を立てないよう、身を低くし近くの箱の陰へ移動する。


 どうする。


 もし、バリケードを破られたら。


 鍵が掛かっていると勘違いして諦めてくれれば、それが一番いい。


 けれど――。


 ガンッ!


 もう一度、扉が鳴った。


 そんな都合よくはいかないらしい。


「鍵が掛かってるっつうことは……」


 男の声が止まる。


 一瞬の静寂。


 そして。


「ここが武器庫だぁ!!」


「――ッ!」


 凄まじい衝撃。


 扉が大きく撓んだ。


 次の瞬間、積み上げていた箱ごと、強引に内側へ蹴り破られる。


 木箱が倒れ、中身が床一面へ飛び散った。


 その向こうから、一人の男が姿を現す。


 目元を除く顔のほとんどを布で覆い、全身をすっぽりと隠すような外套を纏っている。


 男は散乱した箱を跨ぎながら武器庫へ入り、露わになった目だけを動かして部屋を見渡した。


「あぁ、バリケードが張られてるっつうことはだ」


 わざと聞かせるように、大きな声を出す。


「こん中に隠れてる奴がいるなぁ?」


 ドクン。


 鼓動が跳ねる。


 考えろ。


 次にどうする。


「男はみぃんな、皆殺しぃ♪」


 先手を取るか。


「女とガキは、生け捕りさぁ♪」


 いや。


 まず相手の動きを見た方が――。


「さぁてと。狩りぃの時間の、はぁじまりだぁ〜♪」


 違う。


 時間を掛けすぎれば、マリアンヌが見つかる。


 動くなら――先だ。


 視線だけを動かす。


 さっき箱の中身を出したせいで、床には何本もの剣が散らばっている。


 すぐ手の届くところに一本。


 僕は身を低くしたまま、そっと左手を伸ばした。


 柄を掴む。


 ――カチャ。


「…………!」


 小さな金属音。


 しまった。


「そこか?」


 男の顔が、ゆっくりとこちらへ向く。


 けれど。


 そのときには、もう遅い。


「っ!」


 掴んだ剣を、力いっぱい投げつけた。


「うおっと!」


 男が腰の魔剣を抜き放つ。


 ギィンッ!


 飛来した剣が弾かれ、金属音が武器庫いっぱいに鋭く響き渡った。


 その音に紛れるように、僕は箱の陰から飛び出す。


 思いきり床を蹴った。


 右手には、あの魔剣。


「はぁっ!」


 振り下ろす。


 男は弾いたばかりの魔剣を返し、その一撃を受け止めた。


 ギィンッ!


 また金属音。


 男が僅かに目を見開く。


 けれど、それだけだった。


「おらぁ!」


「っ!」


 すぐさま刃が返ってくる。


 慌てて魔剣を合わせる。


 ギンッ!


 腕に衝撃が走った。


 重い。


 さらに一撃。


 受ける。


 また一撃。


 今度は受け切れず、剣先を逸らすようにしてどうにか流した。


 アルバとの鍛錬で何度も繰り返した動き。


 それでも。


 実戦で向けられる刃は、木剣とはまるで違う。


 怖い。


 速い。


 そして何より――重い。


「くっ……!」


 数度の攻防の末、たまらず後ろへ跳ぶ。


 距離が開いた。


「ん〜〜?」


 男が首を傾げる。


 僕の姿を上から下まで眺め、それから妙に間延びした声を漏らした。


「ガキかぁ」


 露わになった目が、愉快そうに細められる。


「殺したかったが……ん?」


 男は何かを思い出したように、気怠そうに頭を掻いた。


「そういや、エルフの女以外は殺すなって言われてたっけかぁ?」


「…………」


「ま、いいか」


 どうでもよさそうに魔剣を肩へ乗せる。


「ガキ一人増えたところで、んなもん誤差だろ」


 男が歩き出す。


 一歩。


 また一歩。


 僕との距離をゆっくりと詰めてくる。


 急ぐ様子はない。


 目の前にいるのが、自分より遥かに体格の劣る子供だからか。


 それとも。


 それだけ、自分の腕に自信があるのか。


 まるで狩りを楽しんでいるように。


 あるいは、子供の遊び相手でもするように。


 男が魔剣を振るう。


「っ!」


 刃を見る。


 足を見る。


 アルバに教えられたことを、必死に思い出す。


 真正面から受け止めない。


 剣を添えるようにし、軌道を逸らす。


「ぐっ……!」


 それでも、腕が持っていかれそうになる。


 力が違いすぎる。


 身体の大きさも、経験も、何もかも。


 受け流しているはずなのに、一撃ごとに身体ごと押されていく。


 足が、一歩。


 また一歩と、後ろへ下がる。


 そして――。


 不意に、足元が滑った。


「え――」


 踵が床を捉え損ねる。


 そのまま大きく体勢を崩し、背中から後ろへ倒れ込んだ。


 何が。


 視線だけを足元へ向ける。


 散らばった剣。


 その一本に、足を取られた。


 まずい。


 慌てて男へ視線を戻す。


 その瞬間だった。


 右頬に、強烈な衝撃。


「ッ……!」


 視界が横へ弾けた。


 一瞬遅れて、殴られたのだと理解する。


 左拳を握り締めた男の目元が、愉快そうに歪んでいた。


「へへっ」


 続けざまに男が片脚を持ち上げる。


 狙いは――腹。


「――ッ!」


 蹴り下ろされた。


 腹の奥まで押し潰されるような衝撃。


 息が消える。


 声すら出ない。


「ぅ、ぇ……」


 代わりに口から、唾液と胃液の混じったものが零れた。


 痛い。


 息ができない。


 けれど、男は止まらなかった。


「ほらよ」


 右手の魔剣が動く。


 切っ先が腕を掠めた。


「ッ!」


 浅い。


 次は脚。


 また腕。


 致命傷にはならない。


 だからこそ。


 わざとだと分かった。


 殺すためじゃない。


 痛めつけるため。


 熱い。


 熱い。


 熱い。


 傷を増やされるたび、身体のあちこちに焼けるような痛みが走った。


 頬、腹、腕、脚。


 どこが一番痛いのかすら、分からなくなってくる。


 頭がうまく働かない。


 男が何かを探すように、僕の身体へ視線を這わせた。


 腕から手、太腿、膝から下へ。


「ん〜……」


 迷うように視線が行き来する。


 やがて。


「あぁ、ここでいいか」


 獲物を決めたように、魔剣がゆっくりと持ち上がった。


 切っ先がこちらを向く。


 避けなきゃ。


 頭では分かっている。


 なのに。


 身体が、動かない。


 魔剣が振り下ろされる。


 ――その瞬間。


 男の頭が、炎に包まれた。


「ッ!?」


 火が爆ぜる。


「がぁっ!」


 男は慌てて後退し、燃え移った頭部の布を乱暴に剥ぎ取った。


 床へ投げ捨てられた布から、僅かに煙が立ち上る。


 その下から露わになった素顔。


 日に焼けた肌。


 短く切られた茶色の髪。


 唇には、二つのピアス。


 それ以外には、一目で覚えられるほど特徴的な顔でもない。


 けれど。


 今、その顔にははっきりと怒りが浮かんでいた。


「てめぇ……!」


 怒り。


 それだけではない。


 一瞬、男の表情に焦りの色が混じった。


 顔を見られたことに対するものなのだろうか。


 男の視線の先。


 部屋の奥に、マリアンヌが立っていた。


 顔は引き攣っている。


 腰も引けている。


 魔剣を握る手は震えていた。


 それでも。


 切っ先だけは、男へ向けている。


「もう一人いやがったか……」


 男の顔から笑みが消えた。


「もういい」


 低い声。


「二人まとめて殺してやるッ!」


 男がマリアンヌへ向かって歩き始める。


 ――駄目だ。


 マリアンヌに。


 マリアンヌのところへ行かせちゃ駄目だ。


 動け。


 動け。


 痛みに霞む頭を、必死に働かせる。


 右手には、まだ魔剣が握られていた。


 でも、立てない。


 なら――。


「うあぁっ!」


 空いている左手を伸ばす。


 男の脚へ。


 そのまま身体ごと飛びついた。


「んだテメェ!」


 腕を回す。


 必死にしがみつく。


 男が脚を振る。


「離せ!」


 離さない。


 マリアンヌの方へ行かせない。


 それだけしか考えられなかった。


「ウゼェなぁ!!」


「ッ!」


 男が力任せに脚を蹴り上げた。


 身体が浮く。


 一瞬の浮遊感。


 次の瞬間には、積み上げられていた箱へ背中から叩きつけられていた。


「がっ……!」


 衝撃で木箱が崩れる。


 ガラガラと大きな音を立て、周囲へ散らばった。


 背中が痛い。


 息ができない。


「あぁ、イラつくぜ……」


 男の声。


 ゆっくり顔を上げる。


 男はこちらへ魔剣を向けていた。


「――まずはお前から殺してやるよ」


 刀身に埋め込まれた魔石へ、光が集まる。


 何か来る。


 切っ先の前に、土色の塊が生まれた。


 それが急速に凝縮されていく。


 鋭く、細く。


 先端を尖らせた岩の弾丸へと姿を変える。


 岩弾が回転を始める。


 ゆっくりと。


 それから、目で追うのも難しいほど速く。


 まずい。


 避けなきゃ。


 でも。


 身体を起こせない。


「っ……」


 辛うじて動いた右腕。


 その手に握った魔剣を、ほとんど無意識に身体の前へ構える。


 盾にするように。


「死ねっ!」


 岩の弾丸が撃ち出された。


 速い。


 避けられない。


 せめてもの抵抗で、男を睨みつける。


 ――衝撃。


 空間そのものが震えたように感じた。


 普通であれば、放たれた岩弾は剣ごとナナシの身体を貫いていただろう。


 そう、普通であれば。


 だが、岩弾が魔剣に触れた、その瞬間。


 その軌道は反転した。


 まるで、来た道をそのまま戻るかのように。


 岩弾は猛烈な勢いで、放った男のもとへ撃ち返された。


「ッ!」


 男は反射的に身体を逸らす。


 岩弾が頬を掠め、赤い線が走る。


 そのまま背後の天井へ突き刺さり、乾いた破砕音を響かせた。


「………………は?」


 何が起きた。


 男の思考は、目の前で起きた現象をすぐには受け入れられなかった。


 確かに、自分の魔剣から放った。


 狙いも違えちゃいない。


 ガキは避けることすらできていなかった。


 なのに。


 返ってきた。


 自分の魔法が。


 頬を伝う熱。


 男はゆっくり左手を添えた。


 指先についた血を、確かめるように眼前へ持ってくる。


「…………」


 視線が、ナナシの持つ魔剣へ戻る。


 ただのガキ。


 つい先ほどまで、そう思っていた。


 実際、剣の腕は大したことがない。


 力もない。


 速くもない。


 だが。


 あの魔剣はなんだ。


 ――こいつは、ここで殺さなければ。


 男は再び魔剣を持ち上げる。


 切っ先をナナシへ向け、魔力を込めようとした。


 だが、手が止まる。


 また返される。


 その可能性が、一瞬頭を過ぎった。


 ならば、近づいて斬るか。


 それも――。


 男の目が僅かに細まる。


 さっきまでは問題なかった。


 あの魔剣と打ち合っても、何も起きていない。


 だからといって、この先も同じとは限らない。


 得体が知れない。


「……チッ」


 男は舌打ちした。


 そして、すぐに考えを切り替える。


 もう一人。


 女。


 あちらなら話は早い。


 何より――。


 顔を見られている。


 二人とも、このまま生かしておくわけにはいかない。


 男の視線が、マリアンヌへ向く。


「……っ!」


 僕もそれに気づいた。


「マリアンヌ!」


 男が駆け出そうとする。


 しかし、マリアンヌもただ立っているだけではなかった。


「――っ!」


 震える両手で魔剣を構える。


 狙うのは、男の胴体。


 切っ先から炎が迸った。


「ッ!」


 火球が一直線に飛ぶ。


 男の反応が僅かに遅れた。


 手元で火球が爆ぜる。


「ぐっ!」


 爆風。


 男の魔剣が手から弾き飛ばされた。


 金属音と共に床へ落ち、遠くへ滑っていく。


「今っ……!」


 痛む身体を無理やり起こす。


 脚が震えた。


 それでも。


 立つ。


 魔剣を構える。


 ――マリアンヌのところへは行かせない。


「はぁっ!」


 踏み込む。


 斬る。


 男が身体を逸らす。


 もう一撃。


 また避けられる。


 魔剣を失った男は、今度は受けずにかわす。


「クソがッ!」


 速い。


 武器はなくなったが、動きが鈍ることはない。


 僕が剣を振る。


 かわす。


 男が足元に散らばる別の剣へ手を伸ばそうとする。


 その瞬間。


「させません!」


 マリアンヌの魔剣から炎が飛ぶ。


「チッ!」


 男が手を引き、身体を捻ってかわす。


 そこへ僕が踏み込む。


 斬る。


 またかわされる。


 僕が追う。


 マリアンヌが狙う。


 男が逃げる。


 決定打にはならない。


 でも。


 さっきまでとは違う。


 二人なら、時間を稼げる。


 そのとき。


 ドンッ!!


「うわっ!」


 船全体が大きく揺れた。


 壁が震え、天井から細かな埃が落ちてくる。


 床に散らばった剣が一斉に鳴った。


「今の……」


 上で何かが起きている。


 僕だけじゃない。


 マリアンヌも。


 目の前の男も。


 一瞬だけ同じように天井を見た。


 けれど。


 すぐに全員の視線が戻る。


 今は――目の前。


 考えることは同じだった。


「ッ!」


 男が再び落とした魔剣へ走る。


「マリアンヌ!」


「はい!」


 炎。


 男がかわす。


 足が止まる。


 そこへ僕が斬り込む。


「邪魔だッ!」


 かわされる。


 それでも追う。


 男が動けば、マリアンヌが狙う。


 マリアンヌが魔法を撃てば、僕が踏み込む。


 それを幾度か繰り返した。


 どれだけ続いたのか分からない。


 ほんの数十秒だったのか。


 もっと長かったのか。


 痛みと緊張で、時間の感覚がおかしくなっている。


 そのときだった。


「…………!」


 男の動きが、突然止まった。


 僕も反射的に足を止める。


 何だ?


 男が僅かに首を傾けた。


 まるで。


 誰かの声を聞いているように。


「…………撤退?」


 ぽつり。


「ふざけんな。こんなガキども相手に――」


 言葉が途中で切れる。


「………………チッ!」


 大きな舌打ち。


 誰かと会話している?


 そう思ったときには、男が大きく後方へ跳んでいた。


 僕たちから距離を取る。


 そして、床に落ちた自分の魔剣を見る。


「…………」


 眉間に皺を寄せる。


 また、舌打ち。


「どうしたんだ……?」


「分かりません」


 マリアンヌは魔剣を構えたまま答えた。


「ですが、油断してはいけません」


「うん」


 僕も構えを解かない。


 男はこちらを睨んでいた。


 けれど。


 もう戦うことに意識が向いていない。


 そんなふうに見えた。


「……今回はここで許してやる」


「…………」


「次会ったときは、ぜってぇにお前らを殺す」


 吐き捨てる。


 その直後。


「え……?」


 男の身体が、薄くなった。


 輪郭がぼやける。


 向こう側が透けて見える。


「なっ――」


 咄嗟に踏み込もうとする。


 けれど、警戒して距離を取っていたせいで、一瞬遅れた。


 手を伸ばしたときには――。


 もう。


 何もいなかった。


「…………」


 武器庫に静寂が戻る。


「……逃げた?」


「まだです」


 マリアンヌの声は硬い。


「まだ油断しないでください。そう見せかけているだけかもしれません」


「……うん」


 二人で周囲を警戒する。


 静寂が耳を刺す。


 何も起こらない。


 足音も。


 呼吸音も。


 気配すら。


 やがて。


 残されたものへ視線が落ちた。


 床に転がる、男の魔剣。


「…………」


 本当に。


 いなくなったらしい。


「はぁぁぁぁ……」


 全身から一気に力が抜けた。


 その場へ尻をつく。


「助かったぁ……」


 自分でも情けない声が出た。


「ふぅ……」


 マリアンヌも近くの箱へ手をつき、大きく息を吐いている。


 鼓動が打つ早鐘が、耳にうるさいほどに響く。


 まだずっと速い。


 身体中が痛む。


 呼吸するだけでも、あちこちから痛みが返ってくる。


 それでも。


「…………」


 不思議だった。


 胸の奥にあるものは、痛みや恐怖だけじゃない。


 ――やってやった。


 そんな気持ちが、ほんの少しだけあった。


 勝った。


 なんて、とても言えない。


 最後には向こうが勝手に逃げただけだ。


 マリアンヌにも何度も助けてもらった。


 あのとき。


 マリアンヌが魔法を撃ってくれなかったら。


 きっと、僕は――。


 考えたくもない。


 それでも身体は動いた。


 今度はちゃんと、動いてくれた。


 怖かった。


 痛かった。


 逃げたかった。


 それでも。


 マリアンヌを守らなきゃと思ったとき。


 身体は、動いたんだ。


「…………」


 次は。


 もっと上手くやる。


 もっと強くなる。


 今度こそ、誰かに助けてもらうだけじゃなくて――。


 僕が。


「ナナシさん」


 顔を上げる。


 マリアンヌが、こちらを見ていた。


 目が合う。


 すると。


 にっこりと笑った。


「ちゃんと守ってくれましたね」


 そして、少し楽しそうに。


「ありがとうございます。私の騎士(ナイト)様!」


「……ハハ」


 乾いた笑いが漏れた。


 騎士なんてものには。


 まだまだ、程遠いなぁ。

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