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砂の中のアストラ  作者: 絹笠 悠
第1章

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15/21

15話


 リエリエッタの火球が敵の一人を呑み込んだ。


「があああああっ!!」


 絶叫が上がる。


 それが合図だった。


 アルバは勢いよく甲板を蹴った。


 一歩。


 踏み込んだ足が、強く床板を鳴らす。


 次の瞬間には、その巨体が敵陣へ向かって一直線に飛び出していた。


 狙うは、甲板に整然と並んだ敵の列。


 突然の火球に意識を奪われていた者たちが、一斉にアルバを見る。


 だが――遅い。


 不意を突かれた状態からでは、到底反応できない速度だった。


 アルバは右手に握った一振りの魔剣と、自らの身体一つを頼りに、そのまま敵の集団へ突っ込んでいく。


 ヤクモ商会に雇われた船員や冒険者には、乗船してまず最初に叩き込まれる約束事がある。


 仕事の分担でもなければ、船上での生活に関する決まりでもない。


 戦闘時の配置だ。


 この話をされた冒険者の多くは、最初こそ呆気に取られる。


 商隊の護衛で事前に配置を決めること自体は、別に珍しくもない。


 問題は、その細かさだった。


 一般的な護衛依頼で決められるのは、せいぜい戦闘が始まるまでの配置だ。


 どこを警戒するのか。


 誰が前方を担当し、誰が後方を守るのか。


 いざ戦闘になれば、そこから先は冒険者それぞれの判断へ委ねられることが多い。


 戦いに関しては冒険者の方が専門家だ。商人が下手に口を挟まない方がいい。


 何より、その方が雇い主と冒険者の間で余計な揉め事を起こさずに済む。


 多くの商人は、そう考える。


 だが、リエリエッタは違った。


 パーティー単位で依頼を受けた冒険者だけではない。


 個人で船に乗り込んだ者も含め、誰が、どこで、誰と戦うのか。


 敵襲を受けた際には甲板のどこへ配置されるのか。


 誰と連携し、状況が崩れた場合には誰の援護を優先するのか。


 そこまで細かく決める。


 当然、反発する者もいた。


『俺たちは子どもの遣いじゃねぇぞ』


『鉄級(ルーキー)扱いすんじゃねぇ』


 そんな言葉を吐くのは、大抵が一つ二つの死線を潜り抜け、自分の腕に自信を持ち始めた頃の冒険者だった。


 けれど、リエリエッタは気にしない。


 彼女からすれば、そんなものは似たようなものだ。


 厳しく教える。


 守らなければ叱責する。


 それでも守らない者はいる。


 そして――そういう者から死んでいく。


 砂海を航る船の上は、陸地とは違う。


 逃げられる場所は限られている。


 広く場所を取って戦うこともできない。


 足場そのものが揺れ、一歩間違えば船から落ちる。


 まして、砂の中から襲いかかってくる魔物は、陸で相手にするそれとは勝手が違う。


 個人の強さだけで、どうにかなる場所ではない。


 だから、今この船に生き残っている者たちは皆、リエリエッタが決めた配置を守る。


 互いの位置を把握し。


 誰かが下がれば、その穴を埋め。


 誰かが攻めれば、その背を守る。


 それが、この船で生き残るための戦い方だった。


 ただし。


 そこには二人だけ、例外がいる。


 決まった配置を持たず、誰かと組むことも求められず、戦場を単独で動き回ることを許された者。


 一人は、船長であるリエリエッタ。


 そして、もう一人。


 それがアルバ。


 リエリエッタ自身がどこでどう動くかを決められるのは、言うまでもない。


 アルバが例外とされている理由も、至って単純だった。


 強い。


 ただ、それだけだ。


「――どけぇッ!!」


 アルバが敵陣へ突っ込んだ。


「なっ――」


「ぐぁっ!?」


 真正面から一人を跳ね飛ばし、その勢いのまま魔剣を振るう。


 二人、三人と、立て続けに薙ぎ倒していく。


 肉体同士がぶつかる鈍い音。


 巻き込まれた者たちが折り重なるように甲板へ転がった。


「っ、行けぇぇ!!」


 誰かが叫ぶ。


 一瞬遅れて、両陣営が動いた。


 剣と剣がぶつかり、魔法が飛ぶ。


 呼応するかのように怒号が飛び交う。


 つい先ほどまで整然としていた甲板が、一瞬にして乱戦へと変わった。


 その中心。


 折り重なった人影の中から、一人だけゆっくりと立ち上がる。


 アルバだ。


「…………」


 その身体には、赤い飛沫がいくつも付着している。


 右手に握られた魔剣からも、鮮血が滴っていた。


 アルバは剣を横へ一振りする。


 びしゃり、と血が甲板に散った。


 他に立ち上がる者はいない。


 三人。


 いや、四人か。


 最初の突撃だけで、それだけの敵が倒れている。


 アルバは足元に倒れた者たちへ一瞥を落とす。


 それだけだ。


 すぐに顔を上げ、次の標的を探す。


 そのとき。


 視界の端で、光が瞬いた。


「――ッ!」


 考えるより先に、全身の毛が逆立った。


 上体を大きく反らす。


 ゴウッ!


 火球が鼻先すれすれを通過した。


 焼けるような熱が頬を撫で、背後で何かが爆ぜる。


 アルバは片足を滑らせながら体勢を立て直し、魔剣を構えた。


 視線の先。


 乱戦の向こうに、一人だけこちらを向いている者がいる。


「へぇ」


 甲高い声が聞こえた。


「おじさん、やるねぇ」


「…………」


 アルバが眉を寄せる。


「女か? ……いや、ガキか?」


「言い方酷くない?」


 くすくすと笑う声。


「アタシ、これでも立派なレディなんですけど?」


 目元以外は布で覆われていて、顔立ちは分からない。


 声だけを聞けば若い女にも思えるが、それ以上は判断できなかった。


 アルバにとっては、どちらでもいい。


 問題は別にある。


 女の外套から覗くのは、一本の長柄。


 槍。


 ただし、普通の槍ではない。


 穂先が奇妙に曲がっている。


 まるで稲妻そのものを形にしたかのように、鋭くうねっていた。


 アルバの直感が告げる。


「……魔槍か」


「ご名答♪」


 女が嬉しそうに答える。


 そして。


 穂先がアルバへ向いた。


「――!」


 光。


 アルバが横へ跳ぶ。


 直前まで立っていた場所に火球が着弾し、甲板を焼いた。


 だが、一発では終わらない。


 二発。


 三発。


 間を置かず、魔槍の穂先から次々と火球が撃ち出される。


 アルバは走った。


 左右へ細かく歩幅を刻む。


 一歩踏み込み、身体を沈める。


 頭上を火球が通過した。


 さらに足を踏み替える。


 今度は脇を抜けていく。


「ほらほら! 逃げてるだけじゃ勝てないよぉ!」


「うるせぇ」


 悪態を吐きながらも、アルバの目は魔槍から離れない。


 正確には――その穂先から。


 女は火球を放つたび、必ず穂先をこちらへ向けている。


 穂先が動く。


 見る。


 光る。


 避ける。


 また動く。


 その繰り返し。


 避けること自体は、それほど難しくない。


 気になるのは別の部分だった。


 ――速ぇな。


 魔剣や魔槍から、際限なく魔法を放ち続けられるわけではない。


 魔石を組み込んだ武器ならば、短時間に何度も魔法を行使することで、魔石へ負荷が掛かる。


 限界を越えれば、魔石そのものが崩壊する。


 魔石剣でなく、魔法剣だったとしても負荷が掛かるのは同じこと。


 だから普通は、ある程度の間隔を空ける。


 だが、この女は違う。


 火球。


 さらに火球。


 また火球。


 まるで、そんな制約などないかのように撃ち続けている。


 魔槍そのものの質がいいのか。


 使われている魔石が特別なのか。


 どちらにせよ――安物ではない。


「…………」


 アルバは魔法を避けながら、周囲へ一瞬だけ視線を走らせる。


 こいつだけじゃない。


 最初に斬った連中。


 倒れた外套の隙間から、魔剣らしきものが覗いていた。


 別の者は魔槍。


 さらにその向こうでも、魔法を放つ武器が見える。


 数が多い、多すぎる。


 ――こいつら、やけに装備の質がいいな。


 ただの海賊が、これだけの魔剣や魔槍を揃えられるものなのか。


 疑問が浮かぶ。


 だが、それを考え続ける暇はない。


 再び、穂先がこちらを向いた。


 アルバは飛来する火球を横へかわす。


 足が甲板へ着く。


 その瞬間、強く踏み込んだ。


 逃げるためではない。


 着地の勢いをそのまま反転させ、一気に女へ向かって飛び出す。


「――っ!」


 ほとんど予備動作のない加速。


 一瞬で間合いを潰す。


 アルバの魔剣が横薙ぎに走った。


「おっと!」


 女の身体が沈み、刃が頭上を通り抜ける。


 避けた。


 ならば。


「ふんッ!」


 剣を返しての二撃目。


 女は後方へ跳んだ。


 また避ける。


「おじさん、見かけによらず速いねぇ」


「それはこっちの台詞だ」


 言葉を交わしている間にも、攻防は止まらない。


 アルバが踏み込み、女は下がる。


 魔剣が走る。


 魔槍の柄がそれを受け流す。


 女が突く。


 アルバが半身になってかわし、そのまま斬り返す。


 甲高い金属音が鳴った。


「っ……!」


「おらッ!」


 力任せに押し込む。


 女が魔槍を滑らせるようにして受け流し、横へ逃れる。


 追う。


 だが、届かない。


 アルバが一歩引けば、女も深追いしない。


 付かず離れず。


 常に、自分がもっとも動きやすい間合いを保っている。


 ――厄介だな。


 本来なら、アルバの一撃はもっと重い。


 両手で剣を握り。


 全身の力を刃へ乗せ。


 惰力に任せて鎧ごと、その中身まで叩き斬る。


 それが、かつてのアルバの戦い方だった。


 だが今、左腕はない。


 片腕を失う前と同じ力を出せるはずもない。


 だからといって。


 腕一本失った程度で使い物にならなくなるような男なら、リエリエッタが単独行動など許すはずもなかった。


 力が足りなくなるのであれば、別で補えば良い。


 アルバは女から視線を逸らさない。


 剣を振るう。


 受け流される。


 踏み込む。


 逃げられる。


 女が攻めれば、それをかわす。


 また剣と槍が交錯する。


 その繰り返しの中で、アルバは女の動きを一つずつ拾っていた。


 足運び、重心、間合い。


 魔槍を構えるときの癖。


 攻撃を受け流すときの、手首の僅かな動き。


 そして――避けるとき、どちらへ動くか。


「…………」


 一つ、試してみるか。


 攻めきれない苛立ちを表には出さず、アルバはそのときを待った。


 一合。


 二合。


 三合。


 剣と槍が激しく交錯する。


 女の口元は見えない。


 それでも、余裕を失っていないことだけは声から分かった。


「ほら、どうしたの?」


「…………」


「もう疲れた?」


 アルバからの返答はない。


 女の槍が突き出される。


 身体を僅かにずらしてかわし、踏み込んでそのまま剣を振るった。


 女が槍で受ける。


 ギィンッ!


 ――今だ。


 アルバの視線が、稲妻のようにうねった穂先を捉える。


 斬るのではない。


 引っ掛ける。


「なっ――」


 魔剣の刃と穂先が噛み合った。


 その瞬間、アルバは手首を強く捻り上げる。


 力の向きが変わった。


 魔槍が跳ねる。


「っちょ!?」


 女の手から魔槍が離れ、くるくると宙へ舞い上がった。


 初めて、女の体勢が明確に崩れる。


 女は咄嗟に後ろへ跳んだ。


 だが、アルバはすでに踏み込んでいる。


「逃がすかよ」


 一気に距離を詰める。


 右手の魔剣を振りかぶり――。


 斬りかかった。


 女の手が、すかさず外套の内側へ潜り込む。


 アルバの刃が届く、その寸前。


 何かを掴んだ手を勢いよく振り抜いた。


「――エルド・フィン!」


 数本の小さな刃が放たれる。


 同時に風が弾けた。


 投げ放たれた暗器が、風に背を押されるように一気に加速する。


 一瞬。


 刃が、視界から消えた。


「チッ! ナイフか!」


 アルバは咄嗟に踏み込みを止め、魔剣を振るう。


 ギィンッ!


 一つ。


 返す刃で、二つ。


 三つ目を弾く。


 甲高い金属音が立て続けに響き、弾かれたナイフが甲板の上を跳ねていった。


 すべて弾いた。


 だが――。


 足が止まった。


「…………」


 ほんの僅かな時間。


 それだけあれば、女には十分だった。


 先ほど弾き上げられた魔槍が、宙で数度回転しながら落ちてくる。


 女は後ろへ跳びながら片手を伸ばした。


 柄が、その手の中へ収まる。


 着地。


 同時に魔槍を構え直す。


 再び、稲妻のような穂先がアルバへ向けられた。


 崩したはずの間合いが、元に戻っている。


 ――機を逃したか。


 アルバは胸中で舌打ちする。


 何合も打ち合った。


 動きを読み。


 癖を探り。


 ようやく作り出した、一瞬の隙。


 あと一歩。


 あと一振り届いていれば、終わっていた。


 それを、たった数本のナイフで潰された。


「…………チッ」


 腹の底から煮え繰り返りそうな思いだ。


 対する女は何も言わない。


 魔槍を構えたまま、こちらを見ている。


 布に覆われ、口元は見えない。


 それでも。


 細められた目だけで分かった。


 ――笑ってやがる。


 追い詰められた焦りなど、欠片もない。


 むしろ。


 まるで、この戦いそのものを楽しんでいるようだった。

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