11話
「まぁ、あれだ」
甲板の上で素振りを続ける僕を眺めながら、アルバは言葉を選ぶように視線を宙へ漂わせていた。
「……団長は少しやり過ぎだが、それだけ貴重な魔剣だってこったぁな」
「……」
「俺ぁ別に、ナナシが将来的にアレを持つことには賛成だ。だが、まだ時じゃねぇ。基礎も出来上がってねぇうちから魔剣を握る奴なんざ、大抵ろくに実戦じゃ使い物にならねぇからな」
魔剣の力に頼ることを覚えてしまうからだろうか。
そんなことを考えながら、木剣を振り下ろす。
空を裂く音はまだ鈍い。アルバが振るったときの、鋭く風を切り裂くような音とは比べものにならなかった。
「それでも、リエリエッタ様はふっかけ過ぎです」
階段に腰掛けていたマリアンヌが、不満を隠そうともせず口を挟んだ。
あれからずっと納得がいっていないらしく、どことなく不貞腐れたような顔をしている。
「白金貨二枚だなんて、普通に働いているだけじゃ、いつまで経っても貯まりっこありません。それこそ、どこかの国庫でも襲撃しない限り」
「それは貯めるんじゃなくて奪ってるだろ」
アルバの呆れた声にも構わず、マリアンヌは続ける。
「そもそも、使える人がいなくて死蔵するくらいなら、どこかのタイミングで手放すべきなんです。今までその機会が訪れなかったとしても、今がその時だと思います」
一度言葉を切ると、今度は僕へ視線を向けた。
「それに、ナナシさんの剣の扱いに変な癖がつく前に、あの魔剣を持たせて慣れさせるというのも、私は悪くないと思うんです」
その言葉を聞きながら、僕は再び木剣を振り上げた。
振り下ろして、また上げる。
同じ動作を繰り返しながら、頭の中では先ほどからずっと、あの魔剣のことを考えていた。
そもそも僕は、魔剣の相場に詳しいわけではない。
リエリエッタの仕事を手伝う中で、帳簿に記された金額をなんとなく覚えただけだ。
だから、白金貨二枚という値段が本当に法外なのかどうかも、自分では判断できない。
リエリエッタは、それだけの価値があると言った。
マリアンヌは、高すぎると言った。
他では見つかっていない希少な鉱石。
現存する魔法では再現できない、魔法そのものを弾き返す性質。
それだけ聞けば、リエリエッタの言う通り、とてつもなく価値のあるものに思える。
けれど、扱える人間はほとんどいない。
どれほど優れた武器であろうと、今まで武器庫の奥で眠り続けていたのも事実だ。
こちらを考えれば、マリアンヌの言い分にも納得できる。
結局のところ、どちらが正しいのかを判断するだけの材料を、僕は持っていなかった。
もしリエリエッタの値付けが正しいのなら、単純にマリアンヌの見立てよりも、あの魔剣の価値が高かったというだけなのかもしれない。
けれど、もしマリアンヌの見立ての方が正しいのなら。
リエリエッタは、どうして白金貨二枚なんて値段をつけたのだろう。
そこまで考えて――ふと、違和感を覚えた。
そもそもこれは、片方が正しくて、もう片方が間違っているという話なのだろうか。
二人とも、それぞれ正しいことを言っているのかもしれない。
ただ、見ているものが違う。
けれど、その違いが何なのかまでは、今の僕には分からなかった。
「白金貨二枚って、どれくらい働いたら稼げますかね……?」
木剣を振りながら尋ねると、アルバが顎に手を当てて唸った。
「そうだなぁ。冒険者になって等級上げて、金払いの良い依頼を死ぬほどこなせば、いつかは貯まるんじゃねぇか?」
「貴族の家なら、手掛けている事業によっては集められなくもないですが……領主くらいですと、簡単に用意できる額ではありませんね」
つまり、途方もない金額ということらしい。
そこで、ふとザックスが言っていたことを思い出した。
『金だけじゃなくて魔剣まで貰えるんだぞ?』
あのときの彼は、本当に嬉しそうだった。
酒場の吟遊詩人に、自分たちの冒険を一曲くらい謳ってもらえるような冒険者になりたい。
そんなことを楽しそうに話していたザックスにとっても、魔剣は簡単に手に入るものではないのだろう。
あるいは、彼くらいの年齢で自分の魔剣を持つには、あまりにも値が張るのかもしれない。
「ま、俺からも団長には言っておく」
アルバがそう言って、話を打ち切るように声を張り上げた。
「今は鍛錬に集中しろ! ほら、腕が下がってる!」
「っ、はい!」
反射的に返事をして、慌てて木剣を構え直した。
◇ ◇ ◇
翌日。
リエリエッタが朝食を摂り終えると、僕は再び船長室へと呼び出された。
昨日の魔剣の件だろうか。
いや、リエリエッタはあそこで「話は終わりだ」と言っていた。それなら、他に何かあっただろうか。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか船長室の前まで来ていた。
扉をコンコンと叩く。
「ナナシです」
「……入ってくれ」
少し遅れて返ってきた声を聞いてから、扉を開けた。
いつもなら部屋の奥で仕事をしているリエリエッタが、今日は珍しくソファに腰掛けていた。
一瞬、違和感を覚える。
もっとも、考えてみれば不思議なことでもない。
次の街に着くまで、あと数日。航海も終わりが近づき、リエリエッタにも急ぎの仕事はほとんど残っていない。
だから、ソファに座っていること自体は何もおかしくなかった。
それなのに――何かが、いつもと違う。
「ナナシ、座ってくれ」
真剣な表情で言われ、大人しく対面のソファへ腰を下ろす。
リエリエッタは普段から、どこか掴みどころがない。
仕事をしているときも、見張りをしているときも、冗談を交えたり、僕をからかったりする余裕がある。
そんな彼女が、開口一番からこれほど真剣な顔をしているのは珍しかった。
「ナナシ。君のこれからについて話そうか」
リエリエッタが片手を軽く動かす。
何もなかったはずの空間にコップが生まれ、その中に水が湧いてきた。
それを僕の前へ、コトンと置く。
「先に、私の意見を言わせてもらう」
そこで一度、言葉が途切れた。
リエリエッタの目が、まっすぐに僕を捉える。
「ナナシ。君にはアヌトゥスに着いたら、この船を降りることを勧める」
「は……え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
言葉は聞こえていた。
意味だって分かる。
なのに、それが自分のこととして頭の中で繋がらない。
――船を、降りる?
「君は知らないだろうが、本来、この砂海を航海するのはとても危険なことなんだ」
僕の動揺を見ながらも、リエリエッタは続けた。
「実際、アルバは今回の航海で片腕を失っている。私としては、マリアだって連れて来たくはなかったんだが――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 話についていけません!」
思わず声を上げる。
どうして、急にこんな話になったのか。
この船で働いて、剣を習って、文字を覚えて。
見張りにも立つようになった。
僕はてっきり、この先も――。
「……確かに、急な話ではあるな」
リエリエッタの声は静かだった。
「でもな、ナナシ。君はこの船の正規の乗組員じゃない。この話から、いつまでも目を背けることはできないんだよ」
「い、いや、でも……」
「この船に、冒険者が何人乗っているか知っているか?」
藪から棒に投げかけられた問いに、言葉が止まる。
冒険者。
そう聞いて真っ先に思い浮かんだのは、ザックスだった。
彼と話すようになってから、他の乗組員と話す機会も少しずつ増えている。その中には、他の冒険者もいたはずだ。
確か――。
「…………八人、ですか?」
「そう、正解だ。よく覚えていたな」
リエリエッタは小さく頷く。
「今はもう、八人しかいない」
……八人しかいない?
その言い方に引っかかった。
まるで、最初はもっと大勢いたとでも言うような――。
「出航時には、二十九人の冒険者が乗船していた」
「…………」
「そして、そのうち二十一人は、既に冥府の匣へと導かれてしまった」
意味を理解するまで、少し時間がかかった。
冥府の匣。
その言葉が何を指すのか、わざわざ尋ねる必要はなかった。
二十九人。
今は、八人。
差し引けば、二十一人。
「……そんな……」
喉の奥から、かすれた声が漏れた。
知らなかった。
この船に乗ってから、砂潜鮫との戦いを目の当たりにした。
怪我人だって見た。
アルバが片腕を失った姿も、この目で見ている。
それなのに僕は、この船でそれほど多くの人が死んでいたことを、何も知らなかった。
脳天へ重い一撃を受けたように、頭の奥が痺れている。
動揺は、きっと顔にも出ていた。
「今回は運が悪かった、というのもある。だが、これが特別多過ぎるというわけではない」
「これが……?」
「ああ」
リエリエッタは淡々と頷いた。
「砂海を知っている連中が揃えば、ここまで酷くなることはそうない。だが今回は、砂海に慣れていない冒険者も多かった。それに――」
そこで一度、言葉を切る。
「夕影まで出た」
「……せきえい?」
「アルバの腕を持っていった、砂潜鮫の主だよ」
その言葉で、あの日の甲板の光景が脳裏によみがえった。
積み上げられた砂潜鮫の死骸。
怒号と悲鳴。
そして、血に濡れたアルバの左腕。
「そいつはいつ見ても血まみれでな。夕暮れに焼けたような見た目をしてるんだ。昼でも、夜でもな」
リエリエッタの口調は軽い。
けれど、そこに冗談めいた響きはなかった。
「……そいつは倒してないんですか?」
「いや。まだ砂海のどこかを泳いでるよ」
背筋に冷たいものが走った。
夕影。
アルバの片腕を奪い、多くの犠牲者を出した砂潜鮫の主。そのうえ今も、この砂の下のどこかを泳いでいる。
「今回みたいに、砂海をよく知らない冒険者が多ければ、大勢死ぬこともある。半分近く帰ってこない、なんてことだって珍しくない」
リエリエッタの声に、脅すような響きはなかった。
ただ事実を並べている。
だからこそ、その言葉は重かった。
「逆に、経験を積んだ連中が揃っていれば、ずっと被害を抑えられる。今生き残っている奴らは、初めてにしちゃ随分とうまくやってる方だな」
ザックス。
マーム。
二人の顔が浮かぶ。
ザックスはいつも楽しそうに冒険者の話をしていた。
いつか酒場で吟遊詩人に自分たちの冒険を謳ってもらいたい――そんなことを照れもせず口にするくらい、冒険者という生き方に憧れている。
そんな彼も、この航海で命を落としていておかしくなかったのだ。
「ともかく、砂海は極めて危険な海域だ。死の砂嵐もそうだが、危険はあれだけじゃない。砂潜鮫、その他にも数え切れないほどある。商船が乗員もろとも全滅することだってある」
そこまで危険なら。
そんなにも多くの人が死ぬのなら。
――どうして。
どうして、この砂海を進むんだ。
「なぜ、砂海を進むのかって?」
心を読まれたように、リエリエッタが言った。
「動機は単純、理由は明快。そこに私らを必要としている人がいるからだ」
迷いのない声だった。
「エーズ地方は、資源が豊かな土地とは言えない。それでも、そこを故郷として生きている人たちがいる。大勢いるんだ」
リエリエッタは僕から視線を外し、窓の向こうへ目を向けた。
その先に広がっているのは、どこまでも続く黄金の砂海。
「私らは、その人たちが自分たちの居場所を守れるように武器を届ける」
そして、もう一度だけ僕を見る。
「だから、征くんだ」
その言葉には、迷いなど欠片もなかった。
自分たちが何をしているのか。
なぜ危険を冒してまで砂海を渡るのか。
リエリエッタは、その答えをずっと前から持っている。
そこには、確かな矜持があった。
揺るがない信念があった。
「――だから、君を連れて行くつもりもないんだ」
なのに。
最後に続いたその声だけは、どこか寂しそうに聞こえた。
リエリエッタは再び窓の向こうへ顔を向ける。
「話を聞いてください、ボス!」
ようやく攻守交代だ。
さっきからリエリエッタは矢継ぎ早に言葉を重ねて、こちらが口を挟む暇すら与えてくれなかった。
「僕は……僕はこの船に残るつもりです! だって、まだ――」
まだ、何も返せていない。
拾ってもらった。
命を助けてもらった。
文字も、計算も、この世界で生きていくために必要なことを色々と教えてもらった。
僕は受け取ってばかりだ。
まだ何一つ、返せていない。
だから――。
「ナナシ」
けれど、それを口にするより早く、またしてもリエリエッタが僕の言葉を遮った。
「私も今すぐ答えを出せと言っているわけじゃない。アヌトゥスの街を自分の目で見て、それからよく考えろ」
「でも――」
「選択には結果が伴うんだ」
まただ。
僕が何かを言うより先に、リエリエッタの言葉が重なる。
「ここに残れば、また砂海を渡ることになる。次も無事でいられる保証なんてどこにもない。それを分かった上で選ぶのと、何も知らずに選ぶのとじゃ意味が違う」
リエリエッタは窓の外を見たまま、こちらを向こうとしない。
「だから今は、焦って決める必要はない」
「……」
「それに、アヌトゥスは良いところだ。治安も良いし、気候も安定している。仕事だって探せば見つかるさ。読み書きも覚えてきただろ? 計算だってできる。まだ一人前とは言えなくても、何もできないわけじゃない。それに――」
何だよ、それ。
胸の奥に、もやもやとしたものが広がっていく。
さっきまで、あれほど真っ直ぐ僕の目を見て話していたのに。
今は、ずっと窓の外を見ている。
僕には「よく考えろ」と言うくせに、僕が何か言おうとすれば、そのたびに言葉を被せてくる。
それどころか、さっきから少しずつ喋るのまで速くなっている気がする。
ボス。
言ってることと、やってることが違うじゃないか。
焦って決めるなって言ったのは、ボスなのに。
これじゃあ、まるで――。
リエリエッタが一番焦ってるよ。




