87『ファイナルイメージ二重回し』(ファイナルイメージ内『城を強襲・高くそびえる塔』)
翌々日、夜。
「六日間、この子を預かっていただけませんでしょうか」
キトン宅の玄関で、ブンの母が深々と頭を下げた。
「この子、目を離したら文字どおり寝食を忘れて執筆に没頭してしまって。この六日間がこの子にとって正念場だというのは分かっているんですが、私は日中、仕事があって、この子に付きっきりというわけにもいかず……」
ブンの母が、『生活費』と書かれた分厚い封筒を差し出す。
「それにこの子、気絶するように眠った際に、キトンちゃんの意見が聞きたいって寝言を言ったんです」
「まぁっ、いいのよお金なんて」と母。「喜んで協力させてもらいます。大切なお友達の頼みだし、何よりキトンちゃんのお師匠さんのためだもの」
当のブンは、額に冷えピタを貼った真っ青な顔で、頭をゆらゆらさせながらブツブツとつぶやいている。
キトンが耳を傾けると、
「リリスのグランドシジル発動によってベヒモスのグランドシジル・ワールドを上書きし――」
どうやら、脳内でラスボスと戦っているらしい。
「リリスがベヒモスのワールドを押し留められたのはわずか数分にすぎなかった。だが、その数分のうちにアスマが――アスマが、アスマががががっ思いつかないっ勝てないっ」
壊れた機械のように、床に頭を打ちつけはじめるブン。
彼女の母がさっとブランケットを取り出し、床に敷いた。
「……こんな調子で」
「あらあらまぁまぁ」と母。「クリエイターってみんなこうなのかしら。ウチの娘も――」
「七大魔王のグランドシジルですら勝てないのなら」
キトンは言う。
ブンの手を握りしめ、
「それより強い存在を持ってくるしかない。創造神か、それとも――」
「「地球っ」」
キトンとブンの声が重なる。
「グランドシジル・ジ・アース」
「そう、そうなんだよ!」
息継ぎを思い出した水泳選手のような勢いで、ブンが顔を上げた。
「って、あれ、キトンじゃないか。ここは?」
「キトンちゃんのお宅よ」と彼女の母。「文子ちゃんは原稿完成まで、ここで暮らすの」
「ママ?」
ブンが、ようやく自分がどこにいるのか気づいた様子で、
「あ、キトンのおばさん、こんにちは」
「もう夜の七時よ、文子ちゃん」
「えっ、嘘⁉ 時間が足りないっ」
「でも」
気がつけばキトンは、普通に喋れている。
「ラストバトルの筋道が通った」
「まだだよ、キトン。アスマが自身の命と引き換えに地球と合一する――そこまでは僕も考えてたんだ、十年前にすでにね。でも、彼がその境地に至るには、十数巻分にも及ぶ長い長い成長の道のりが必要なんだよ。今回は、それを第三幕の前半、一万数千文字でやりきらなければならない」
「納得感が必要?」
「そのとおり! 主人公が理由もなくいきなりスーパーサイヤ人になっちゃったら、読者は白けてしまう。覚醒するためには、犠牲と理由が必要なんだ。犠牲はアスマ自身の命。でも、『地球と一体化し、地球全土の霊脈を操ってラスボスを撃破する』なんてトンデモ展開を成立させるためには、まだ理由が足りない」
「キトンちゃん」
母がキトンの肩を撫でた。
「ブンちゃんをお部屋に案内してあげなさい。三十分後にはご飯ですからね」
「本当にすみません、キトンちゃんママ。では、私はこれで」
「何言ってるの。ブンちゃんママも食べるのよ」
「そんな、悪いですよ」
「相変わらずの遠慮しぃなんだから。スーツ姿ってことは、仕事から帰ってすぐここに来たんでしょう?」
キトンはブンを自室へ引きずる。
ブンは熱に浮かされたように喋り続けている。
「従来の展開では、ラスボス撃破までにアスマとリリスが世界各国を巡って様々な問題を解決し、その地の有力者や神々と同盟を結んでいたんだ。そうやって最後に、ドラゴンボールの『元気玉』的定番展開でグランドシジル・ジ・アース発動を果たす、のだけれど」
「ミカエルラインは?」
「なんだって?」
ブンが真顔になる。
「第七旅団の十二聖人に、ミカエル翁ってマスコットキャラがいましたよね。あれって実は大天使ミカエルが世を忍ぶ仮の姿なんじゃないかって思ってたんですけど」
「そうだ。実は五巻で明かすつもりだった。よく分かったね。それより今、なんて?」
「ミカエルライン」
キトンはスマホで検索して、
「別名、聖ミカエルの剣。アイルランド、イギリス、フランス、イタリア北部と東部、エーゲ海、イスラエル。ミカエルにまつわる七つの聖地を地図上で結ぶと、一直線になる」
「なんてことだ」
「ラスボスが世界を滅ぼすのは、神にとっても都合が悪いはず。正体を明かしたミカエル翁の手引きによって、アスマはミカエルラインと接続し、ジ・アース発動の足がかりとする」
「なんてことだ! キミは今、僕を超えた!」
ブンがブルブルと震えている。
「あぁ、しかし駄目だっ。ラストバトルの舞台は神戸なんだ。神戸で始まり、神戸で終わらなければ意味がない」
「ラインを神戸まで延伸する?」
「刃先が曲がってしまう。これじゃ西洋剣じゃなくて日本刀だよ」
キトンは思考する。
ものすごい速度で思考する。
「キトン⁉ 鼻血が――」
「和洋折衷!」
キトンは叫んだ。
「『悪魔祓師物語』のコンセプト」
「軍刀か!」
――こくこくこくっ
「ラインの終着点――百数十年後に『デビダン』のアスマの家が建つ場所に、『悪魔祓物語』のアスマが、第七旅団入隊当初から愛用していたサーベルを突き立てる」
ブンが鼻血を垂らしはじめた。
「そうしてアスマはグランドシジル・ジ・アースを発動させ、ラスボスを打ち倒し、死ぬ。神戸の地脈と同化した彼の魂は、百数十年の時を経て転生し、『デビダン』のアスマとして生まれ落ちる。ある日、アスマの家の土壌に眠っていたサーベルが目覚め、それがダンジョン生成の呼び水となり――」
「アスマが、リリスと再会する」
鼻血を拭いもせず、ブンが笑った。
「『悪魔祓師物語・弐 ~デビライズ・ダンジョンズ前夜譚~』、完成だ」
キトンも笑った。
こんなにも光栄なことがあるだろうか、とキトンは考えた。
(多分、ない。この先、一生)




