72『やめてくれカカシ、その術はオレに効く』(城を強襲)
幸い――本当に幸いなことに、ブンの首や脳に異常はなかった。
キトンが駆けつけたのは、本当にブンが椅子を蹴った直後であったらしい。
「首のコリが解消されて、むしろ調子がいいくらいさ」
ブンが陽気に笑うので、キトンは視界をにじませながら師匠の肩をぽかぽかと叩いた。
「ごめんごめんっ。もうしないから」
「――はっ⁉」
キトンは、はた目からは自分がブンとイチャついているように見えかねないことに気づいた。
慌ててヒカルを見るが、彼女は無我夢中でクロッキー帳に絵を描いており、こちらのことなど眼中にない様子だ。
「うふっ、うふふふふっ。表紙絵は授賞式で一緒に笑うブンちゃんとキトンのツーショットね。あああっ、それってつまり当日二人が着る衣装を私がデザインできるって……こと⁉ 今からでも裁縫を勉強しようかしらっ。ハンナさん、どう思います⁉」
「いや~、今から裁縫覚えるのはさすがに無理があるんじゃないっスかね~。フルオーダーメイドドレスメーカーにお願いするって方法があるっスよ。お金なら出します。会社の財布っスけど」
「さっすがハンナさん」
「今回は、重ラヰト先生の幻想的な『塗り』を存分に活かしていただいて、思いっきり華やかなカバーにしてほしいっス」
「もっちろん。本人たちよりもずっとエモ可愛く描いてやりますよ」
「本人たちがかすむレベルにされると、さすがに困るっス」
「大丈夫。授賞式までに、しっかりがっつり本人たちを磨き上げておきますから」
ぎゅるり、とヒカルの首がキトンのほうを向いた。
「ほらキトン、猫背は駄目! 胸を張りなさい、いいもん持ってるんだから」
――こくり
「うわでぇっか⁉ ちょっとブンちゃん、見てよこれヤバくない?」
「ふふん。自慢の弟子さ」
「バストはいいんだけど……キトン、この二の腕はなぁに?」
――ぷにぷにぷに
「『やめてくれカカシ、その術はオレに効く』」
「自覚してるんなら、なんとかしなさい! アンタもおばさんたちと一緒にバレーしたほうがいいんじゃない?」
「『やめてくださいしんでしまいます』」
「じゃあストレッチメニュー作ったげるから、毎日やりなさい」
「『やめてくださいしんでしまいます』」
「ブンちゃんは、相っ変わらず細いわよね。奇跡の美少女って感じ」
「僕はランニングをしているからね」
「あぁ、脳内執筆ね」
「……脳内執筆?」
「うん」とブン。「僕はキミに比べて筆が遅いんだけど、それは、描くシーンが脳内でアニメーションとして完成するまで書き出せないからなんだよ。で、そういうシーンというのはパソコンの前に座っていても、そうそう浮かんでくるもんじゃない。むしろ、走っていたり、お風呂に入っているときなんかに浮かぶものなのさ。だから、脳内執筆」
(なるほど)
逆にキトンは、映像化されていなくてもスルスル書ける。
だが、その弊害として書きすぎてしまう。
余計な描写、重複した記述などを量産してしまうのだ。
結果、文字数がかさんで、あとから削る羽目に陥る。
執筆力を貯めてから一気呵成に書くか、ガチャガチャと書いては消してを繰り返すか。
どちらの方法のほうが優れている・劣っているという話ではない。
作家によって書き方は千差万別なのだろう。
(それにしても、にぎやかだなぁ)
六畳間のキトンの自室でキトン、ブン、ヒカル、ハンナの四人がひしめき合っている。
ブンが病院から戻ってきたあと、母がブンの母をママさんバレーに連れていってしまったために、ブンがキトン宅に残ることになったのだ。
コンビニで下着を買い、朝風呂に入った先輩二人。
あと、なぜかハンナも下着を買って風呂を浴びていた。
今夜は泊まるつもりらしい。
父が出張中で寂しかったのか、母はずいぶんと喜んでいた。
「今夜はお寿司パーティーよ」とのこと。
(まぁでも、作家とイラストレーターと担当編集が一ヶ所に集まっていて、それぞれの手元には創作ツールがあるというこの状況。ある意味、理想郷?)
キトンとしては、ハンナとのコミュニケーションにまだ若干の抵抗感があるので、ブンとヒカルが一緒にいてくれると心強い。
「なんだかお祭りみたいだね」
ブンが言った。
「軽文芸部の強化合宿、みたいな」
――こくこくこくっ
「先生方、聞いてくださいっス。今後のスケジュールなんスけど」
ブンのパソコンにハンナからのメールが届いた。
先輩たちのノーパソとスマホにも届いたようだ。
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七月二十七日(今日) STCプロット受領
八月十八日 編集会議
八月二十九日 STC初稿・デビダン改稿締切
九月三十日 校正完了,イラスト納品
十月十五日 見本納品
十月三十一日 授賞式
十一月三日 発売
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「というのが標準的な流れっス。ですが、ブン先生の『STC』が発刊できるかどうかは三週間後の編集会議で決まるっス。私は勝算アリアリだと思ってるっスけど、なにぶん『ラブコメ・青春』枠は毎月発刊数が多く、受賞三作品のうち二作がラブコメっス。ですが、通る前提で書きはじめてほしいっス。というか、編集会議の数営業日前には書き上がっているくらいが好ましいっス」
「原稿落とすリスクがゼロってことですもんね」とブン。「編集長はじめ編集の方々に対する説得材料になりますか」
「っス。重ラヰト先生には、あと二ヶ月強で二冊分描いていただかないとですけど、大丈夫そっスか?」
「カバー二枚、三ページカラー四枚、カラー二枚。白黒は?」
「贅沢にいきたいっス。できれば十二枚ずつの計二十四枚。……自分で言っておいてなんですけど、エグい作業量になるっス」
「大丈夫です。絶対ぜぇったい上げてみせますから。そ・れ・と」
ヒカルがキトンの顔をのぞき込んできて、
「アンタは原稿と並行して、ダイエットね」
「『うわぁあああ……っ!』」
「重ラヰト先生、さらに負荷かけちゃって申し訳ないんスけど、『STC』のカバー原案は来月早々にもほしいっス。オーダーメイド屋に回さなきゃっスので」
「了解です!」
スイスイと進んでいく会議。
学校の学級会で目にするような、グダグダとした感じがまったくない。
(すごいなぁ)
キトンの目には、彼女たちが輝いて見える。
(やっぱりこの人たち、プロなんだ!)
「ところでブン先生、万が一に備えてプランBを仕込んでおきたいんスけど――」




