第8話 決意
心臓が爆発したかのように鼓動する。
生かされているのではない、生きている。5年ぶりに僕の細胞がそう叫んでいた。この高揚感、ただ心の臓を動かしているだけの退屈な日常にはもう戻れないと確信する。盤上を支配する快感、勝利への渇望、剥き出しの執着が、冷え切っていた僕の血を煮え立たせたのだ。
「Impossible……しょ、勝率0%……完敗です」
「そ、そんな……馬鹿な、AIだヨ!? 人ならまだしも、AIのハナちゃんが手も足も出ないなんて……ありえない……」
「い、勇くん。あなた、一体何者なの?」
「あぁ、そういや言ってなかったな。僕は小学生の時、日本でジュニアチャンピオンだったんだよ。悪いが公式戦では一度も負けたことはない」
なるほどと納得する良々。さらにうなだれる部長。
「ムキー! くそぅ、そんなの聞いてないヨ……トホホ」
「まぁまぁ、ハナちゃんもお疲れ様だよ」
「Thanks 良々様」
まだ熱が冷めやらないコンピュータを、良々は慰めるように手で仰いで涼ませてあげる。
「すごかったよ勇くん。やっぱり辞めちゃったのもったいなかったんじゃない?」
「それは、なんというか……父さんのことでいろいろあってさ」
「Oh そういえば、Mr.王城。5年前、圧倒的な強さで国内、国際大会を勝ち上がり、キングトーナメントの舞台に進んだある日本人選手がいました。もしや勇様、あなたは彼の……」
「そう、僕の父さんだ。だけどそのトーナメント前に……」
僕が口ごもると、部長と良々は何か悪いことを察したのか、固唾を飲んで姿勢を正し、ゆっくりと座りなおす。気まずい沈黙を破るように咳払いをする部長。
「それで、勇くん、勝利の条件だ。約束していたボクへの頼みを聞こうじゃないカ?」
こうなった以上、説明しないわけにはいかないな。
「わかりました。頼み事はまぁその話と関係があることで。僕は……僕は、ご、5年、前——」
なんだ? 突如、喉の奥が鉄の味を帯びて、ぴたりと閉じた。声が上手く出てこない。そうか、他の人に打ち明けるのは初めてだったな。喉がカラカラに干からび、息が上手く吸えなくなる。肉体が無意識に、あの日のトラウマを語ることを全力で拒絶しているのだろう。
その時、良々が僕の背中を優しくさすってくれた。
「言いづらいことなんでしょ? ゆっくりでいいのよ」
「………」
あれ、なんだ? 視界がぼやけて……水? しょっぱい。あぁそうか、そうなんだ、5年で慣れたと思っていたのに、まだ流す涙が残っているとはね。
「うぐ……ぐ、ぐっ……」
人前で泣いたことなんてないのに、すっげー恥ずかしい。けれどなぜか落ち着くような、安心するような。
「全部はきだしていいのよ。勇くん」
「あぁ……父さん、うっうう……ぐず……うぐ、うああぁ」
長い間が我慢していたものが、決壊したダムのように一気に溢れ出す。
***
どれほど時間が経っただろうか。
先ほどまでグチグチ言っていた部長も、僕が泣き止むまでコーヒー片手に何も言わず、ただそばで見守ってくれていた。
良々は相変わらず背中をさすり続けてくれている。
こんなにも暖かな人の温もりに触れたのはいつ以来か。
僕は心底嬉しかった。
「すみません部長、こんな見苦しい姿をさらして。良々もありがとう」
「いいのよ、大丈夫大丈夫」
「気にすることはないヨ、それほどのことなんだろう?」
「ふー、では本題を話します」
僕は良々と部長に事の顛末を話した。父さんの死、突然届いた父さんからのメッセージ、そしてその真相を追求しようとしていること、これまでの経緯を……。
「そ、そんなことがあったなんて……」
「なかなかに……不可解なことだネ」
「そこで、ITに詳しい部長ならこのメッセージの送り主、本当に父さんかどうか調べて欲しいんです」
「逆探知だネ……まぁ、送り主のアドレスを特定すればできるっけど、アプリの会社が管理しているものだからネェ。少しそのスマホを調べてもいいかイ?」
スマホを部長に手渡す。
すると、部長は部室の奥からケーブルやら何やら、見たこともない機械を持ってきてスマホを挿入し、コンピュータと接続する。
「ハナちゃん、解析をお願いできるかい? このメッセージの送り主のアドレスが知りたいんダ」
「OK、承知いたしました。解析を開始します」
キュイーンと回り出すコンピュータ。
解析は意外にも一瞬で終了した。
「Finish 解析を終了しました」
「おお、それで何かわかったかイ?」
「too Difficult これは管理会社のロックがかかっています。送り主のアドレスが特定できません。ロックを解除するならセキュリティをハッキングする必要があります」
おそらく分析結果なのだろう、ハナちゃんの映るモニタ画面には難しそうなコードで埋め尽くされている。
それをじっくりと見て、深いため息をついた。
「なるほど。勇くん、君の話と照らし合わせると、確かにこのメッセージは君のお父さんのアカウントから送ってきている」
「えっ! それじゃあ勇くんのお父様は生きて……」
「いや、おそらく何者かがそのアカウントを乗っ取って送ってきたものだろうネ。イタズラでできることじゃない。多分凄腕のハッカーによって」
「やっぱりそうですよね……」
「これ以上の特定はハッキング、つまり犯罪を犯すことになるヨ。申し訳ないけどボクができるのはここまでだネ」
そう言うと部長はスマホを機械から取り外し僕に返す。
とりあえず、誰かが父さんをなりすましていることはわかった。それだけでも十分な収穫だ。
しかしこれ以上やつに辿り着くヒントがない。
「無理を言ってすみませんでした部長、良々も迷惑かけてすまない。じゃあこれで……」
「待つんだ勇くん、無理とは言ってないサ。時間はかかるかもしれないけど、特定できる方法を模索してみるヨ。心配することはない! なんたって高校全国プログラミング選手権決勝進出のこのボクがついているのだから!」
「そうよ、私だって大したことはできないけれど……あなたを助けたいっていったでしょ! 協力する。あんなこと聞かされて、はいじゃあ頑張ってねなんて手放しにできるほど、私は無責任な学級委員長じゃないの!」
そっか……簡単なことだったんだ
僕は一体何をあんなにも怖がっていたんだろう。人を避けて関わりを拒絶するのではなく、自分の悩みを打ち明けて人を信頼する。そうしてできた人の繋がりというものがこんなにも心強いものだったなんて。
「ありがとう……みんな」
僕は二人に向かって深々と礼をする。
「早速だけど、聞きたいことがあるわ。このメッセージの通りもしあなたのお父様が殺されていたのだとしたら、必ず動機があるはずよ。勇くんのお父様は誰かに恨まれていたのかしら?」
「いや、誰にでも明るく接していたからなー、恨まれてる話なんて聞いたことがない。ただ……」
「ただ?」
「一つ気になるのは、父さんの仕事なんだ」
「何の仕事をされていたのかナ?」
父さんの仕事、それは国際色豊かなチェスの世界では非常に目立っていた。それもそのはず。
「外交官です」
目を見開く部長と良々。
外交官それは日本の外務省に所属し、国家を代表して外国との交渉や情報収集、自国民の保護などを行う国家公務員。国の深い中枢に位置しており多くのしがらみの中で戦う仕事だと聞く。
「外交官なら、いろいろな恨みを抱かれる可能性はあるのかもと」
「つまり、仕事関連で何か殺される理由があったかもと……」
「あくまで勘ですが」
「でも外交官ってそんなに危ないお仕事なの?」
「わからない……」
「それは、このメッセージの送り主が何か知っているのかもしれないネ」
僕の握るスマホに3人の視線が集められる。
「一体何の目的で送ってきたんだろうね? 何か知ってるのならもっと具体的に伝えればいいのに。殺されたって言うだけなんて! もしかしてこいつが犯人だったり?」
「いや……それはないと思う。父さんを自死に見せかけたくせに、わざわざリスクを犯して開示する必要がない」
「ふむ、具体的なことが言えない、あるいは確証がない。勇くんに調べさせるために送ってきたと考えるのが妥当かもネ」
「……僕もそんな気がしています」
そうだとしたら、あのメッセージを送ってきた理由として納得がいく。というかそう考える他に余地がない。
もちろん罠の可能性を完全に否定することはできないのだが……。
「ど、どうするの勇くん?」
「僕は父さんの死に報いたい。この対局でわかったんだ。僕はやっぱり父さんの息子だ。父さんから受け継いだこのチェスを最大限に利用する」
「利用?」
「そう。僕がチェスで表舞台に戻れば、父さんの再来として目立つはずだ。父さんを殺した犯人やこいつ、他にも父さんの死に関する情報が入ってきてもおかしくない」
「……多分、危ない橋を渡ることになる気がするわ……それでもやるの?」
「ああ。父さんはさ……チェスで世界チャンピオンになることがずっと夢だったんだ。なのに、その道半ばで夢を絶たれた。だから犯人を絶対に許すことはできない。そしてその夢を僕が叶えたいんだ」
ふっと笑う良々と部長。
「僕は、この世界でチェスの頂点に立って見せる!」
そして、父さんを殺したやつに必ず報いを受けさせてやる……
そう決意した勇の目は冷たく鈍く光っていた。




