第7話 勇vsハナちゃん #2
「勇、お前にとってチェスはなんだと思う?」
聞こえてきたのは父さんの声。
いつだったか、今と同じことを聞かれたのを思い出す。
「俺にとっちゃあ人生みたいなもんだ。俺の側にはずっとチェスがあったからなー。いつ何時も。それで、お前にとってはどうなんだ? 父さん聞いてみたくてよ」
「うーん?難しいよー」
「はははっ、確かにまだ早かったな」
「あっ、でもわかった。僕に取ってはねー……」
幼い頃の僕はどう答えたんだっけな……もう忘れてしまった。
蘇るあの頃の日々、父さんとよく対局して、あれやこれやと二人で研究していたなぁ。没頭しすぎて、二人してよく母さんに怒られてたっけ。ははは、懐かしいや……。
————!!
突然、目の前に浮かんでくる父さんの幻影。
父さんはいつもの調子で陽気に語りかけてくる。
「なんだ勇そんな顔して、らしくねぇぞ。久しぶりのチェスはどうだ?」
「まぁいい感じだね。いつも通り、ただプレイするだけ……ただの……ゲームさ……」
話しながら下を向く僕の頭に、ポンと手を置いて優しく撫でる父さん。
「……クソッ、悔しいよ、悔しいに決まってる。勝ちたいよ! 僕に取ってチェスは家族の絆、宝物なんだ! 例えどんな相手にも負けてたまるもんかよ!」
微笑む父さん。
「やっぱり捨てられないや、チェスは。楽しくて悔しくて面白くて……いろんな感情が湧いてくる。戦いたい、そして勝ちたい!」
「それでいい勇、考えて感じるんだ。とことん楽しめ!」
暖かな日差しが二人を優しく照らす。
あぁそうだ……父さんはこんなふうに穏やかな空気を纏っていたな。
「勇くん! 勇くん!」
ハッと我に帰ると焦る良々が見える。
タイマーの示す残り時間はあと僅か。
ここが勝負時、最善の一手を探るんだ!
思考を極限にまで研ぎ澄ます。
『超感覚・絶対零度!』
思考力、集中力が一気に跳ね上がる、言わゆるゾーン状態へ突入する。
パリ…パリパリ…漂う空気が震え、氷点下へと一気に叩き落とされる錯覚を良々と部長は感じた。
部屋のあちこちから氷の結晶が伸び、気づくと部屋全体が埋め尽くされてしまった。
「ガタガタ……な、なんか寒くないかナ?」
「ううっ、ガタガタ…た、たしかに」
氷のように冷たく静かな表情、勇のカッと見開いた目に闘気が宿る。
見えた! これが最高最善、逆転の一手!
勇はファランクスのaポーンを突いてハナちゃんのクイーンを攻撃。このピンチに防御ではなく逆に攻撃を選択したのだ。
「Oh my god! なぜ守らないのですか! こんなのあり得ない!」
「君のクイーンの刃を折った。もはやどこにも攻められやしないさ。攻撃が最大の防御だったんだよ」
「すごい……」
ハナちゃんのクイーンを端に追いやった勇は、なおも攻撃の手を緩めない。
守りが外れ無防備になったc6ポーンをクイーンで取り、ハナちゃんの陣を食い破る。圧倒的なプレッシャーを放つそれは全方位攻撃を可能にした。
「ハナちゃン、うううっ(泣)……」
「Wait! まだです」
ハナちゃんは負けじとキングの隣にいたビショップで勇のb4ポーンを取った。
「同時攻撃ですって!?」
もはやその攻撃は悪あがきでしかない。
勇は瞬きもせず。クイーンで逃げた黒クイーンを執拗に追いかける。
たまらず防御を優先し、ルークで守るハナちゃん。
その時だった、唐突にクイーンを自陣に戻す勇。
「プス……プスプス……」
「やったよハナちゃん! よく守ったネ!」
「No 違います、ご主人様。これはおそらく…」
勇はクイーンをキングサイドに展開する。
これは僕の戦略、ハナちゃんはクイーンサイドを守るため駒を集中させた。つまり反対側、守備が手薄になったキングサイドを攻める。これもクイーンの圧倒的な機動力があればこそ。
ハナちゃんはルークを皮切りに、集めた軍勢でクイーンサイドに攻撃を仕掛ける。
「そうだハナちゃん! 攻撃し続けるんダ!」
「悪いが無駄だよ」
クイーンサイドで激しい駒の取り合いが行われる。最終的にハナちゃんのビショップが勇の陣深くに侵入した。しかし、しょせんそれだけだ。
連携の取れていない攻撃は弱く、なんの脅威にもならない。
逆に勇はクイーンによる攻撃にナイトとビショップを加え、ハナちゃんのキングを着実に脅かす。なんて美しい駒の連携。
「プス……ボン!」
「ねぇちょっと! コンピュータから煙出てるわよ!」
「まだ、まだだ、こんなはずじゃ!!」
「ねぇ聞いてる!?」
聞く耳をもたない部長は食い入るように盤を見つめ歯ぎしりを始める。
ハナちゃんは強引にクイーンを侵入させ、勇のキングを攻撃する。
「やった! 初めてのチェック! どうだ勇くン!」
「……無駄さ」
ハナちゃんの駒の連携はガタガタ。そこから繰り出される攻撃など、勇にとっては、もはや降る雪のように軽く何も感じない。キングを動かして容易くかわす。
「終わりだ……凍りつけ」
そう言うと、勇は黒のキングを守っていた最後のポーンをビショップで崩し、その喉元に刃を突き立てる。<Bf7+>
しばらくの沈黙。
もはやこれ以上の戦いは不毛か、熱暴走寸前だったコンピュータがだんだんと沈黙していくのを3人は感じた。
「……Congratulation 勇様、私の負けです」
—————ふぅ
「グッドゲーム、楽しかったよハナちゃん」
「やったーー!! すっごいわね勇くん!」
「そ、そんなぁ……ハナちゃんが、僕が頑張って育てた自信作がぁ(泣)」
緊張が解け、張り詰めた顔に生気が戻る。
いつの間にか部屋はいつも通りの様相に戻っていた。
その時、良々が後ろからガバッと抱きついてくる。
「やったね!」
「ってうわ何すんだよ!」
顔を背けて赤くなった頬を隠す。
その横でガックシとうなだれている部長の肩に手を添える。
「部長、ありがとう。心から楽しかった」
胸の奥から湧き上がる興奮が冷めやらない。勝利を味わうこの感覚、気持よさ、何にも変えられない。
そして、5年ぶりだろう、退屈な日々ですっかりこり固まった僕の顔から、こんなにも心からの笑顔が溢れたのは。
その後の勝負も勇が2連続でハナちゃんを下し、(3-0)で勇が完勝した。
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