第6話 vsハナちゃん
チェス盤面の矢印について以下の意味を表しています。
青色:勇側の守り
橙色:敵側の守り
赤色:攻撃
————情報室
汗を拭う部長はカタカタとキーボードを叩きながらプログラムを組み、対局に向けてハナちゃんの最終調整を行っている。
そこへ入ってくる勇と良々。
「お邪魔しまーす! 準備できてますかー部長?」
「もちろんサ、早速始めようかナ?」
部長はモニターから視線をそらさずに答える。
「今回は公式戦と同じスタンダードマッチルールでいきます」
スタンダードマッチルールは極めてシンプル。
対局ごとに白番黒番を入れ替えて戦う。相手に勝利すると1ポイントが得られ、負けや引き分けは0ポイント。先に3ポイント取った方が勝ちとなる。
各対局の持ち時間は30分、チェックメイトされるだけでなく、この持ち時間が0になった時も負けとなる。
「てことは一局あたり長くて1時間もかかるの!?」
「まぁ長いとな、今日は放課後だし短縮して15分にしようと思うが」
「もちろん構わないヨ」
僕はハナちゃんの映るモニターの前に座る。
そこに映し出されていたのは3Dのリアルなチェスボード、そこには今にも動き出しそうな重厚な駒たちが整列し、互いの敵陣を真正面から睨みつけている。
僕は集中するため目を閉じて息を整える。
「準備は整ったかナ?」
「はい、いつでもどうぞ」
「ふん、それじゃあハナちゃん、イキった後輩くんに敗北をプレゼントしてあげようじゃないカ! そして良々ちゃんはボクの……」
「ぁあん!?」
「げほげほ……何でもない何でもない(汗)」
では始めようか盤上の戦争を!
勇はゆっくりと目を開ける。
分厚い氷の下で錆びついていた脳内エンジンが、パチパチと火花を散らしながら回転を始める。彼の瞳から感情が削ぎ落とされ、平凡ないち高校生から冷徹な指揮官へと変貌してゆく。
「……っ」
良々は小さく息を呑む。研ぎ澄まされた勇の眼光は、まるで凍てつく氷の刃だ。部長もまた、そのただならぬ威圧感に気圧され頬に汗が伝う。
コイントスの結果、勇が白番でハナちゃんが黒番になった。
「よろしくお願いします」
「Yes よろしくお願いします」
マウスを握った瞬間、勇の気迫が純白の僕たちに生命を吹き込む。
勇はキングの前のポーンを2マス進める。
ハナちゃんも勇と同様キングの前のポーンを2マス進める。
お互いにキングの前を開ける序盤展開。
勇はキング側のナイトを前進させ、相手の出てきたポーンを牽制。
対してハナちゃんはクイーン側のナイトを前進させ、ポーンを守る。
勇が道の開いたビショップを動かし、その高い機動力でハナちゃんの前進したナイトを牽制。
「おーっと、この展開はルイ・ロペスオープニングというやつだネ?」
「ルイ・ロペス?」
「そう部長の言う通り、『ルイ・ロペスオープニング』は大昔のスペインのチェスプレイヤー、ルイ・ロペス・デ・セグラが考案した定跡。世界最古のオープニングで、今なお愛され続けている王道のオープニングだ」
狙いは単純、黒が先ほど展開したナイトだ。もし黒番がセンターにポーンを進めていけば、白ビショップにの牽制でキングが背後にいる黒ナイトは動かせなくなり、センターへの展開力が弱まる。「駒を動かせば後ろの大事な駒が取られてしまう」というこの状態は釘付けされていることに見立てて「ピン」と呼ばれる。
「すごい、どっちも一手一手が速い」
「ふんっ! ちょっとかじった程度の人間がボクの作ったハナちゃんに勝てるわけないサ!」
勇はナイト、ビショップを後列から展開させて有効化、強いポジションに配置する。さらにキングをルークと位置を交換することで守備体制をとる。これは「キャスリング」と呼ばれる動き、チェスの基本戦術だ。
一方でハナちゃんは二つのナイトを守備の要にし、さらにポーンで陣形を組んで、勇のb5ビショップを撤退させる。非常に固い守りだ。
「いいポーンの形だネ。ポーンが斜めに並んでいればお互いを守ることができて、とても固い壁になるんだ。この陣形を鎖に例えて『ポーンチェーン』と呼ぶんだヨ」
「へー解説できるなんて、部長もチェスできるんですね?」
「いや……ハナちゃんに教えてもらっただけだけどネ(小声)」
現状、領土の広さはハナちゃんが大きい。ならば、ここで拮抗状態を作ろうか。
勇はクイーンの前のポーンを動かしてハナちゃん同様ポーンチェーンを作り、センターにプレッシャーをかける。
「白と黒のポーンによるセンターでの超接近戦。しかしお互いのポーンを守っている駒の数は同じ。この場合、駒の取り合いを仕掛けた方が負けるネ」
ハナちゃんがルークを動かして、センターの白ポーンに対する牽制を強める。
それに応じて、勇もナイトやクイーンを回し、その白ポーンを守る。
両者、中央での戦いに備える動き。
「センターでの勢力は互角、お互い攻められそうにないわね……」
「さて、それはどうかナ?」
ふいに、ハナちゃんはクイーンとルークで、別のエリア、c列に狙いを定めた。 中央のエリアが拮抗状態なら別のエリアを攻めるという作戦だ。
ハナちゃんの仕掛ける牽制に防戦一方の勇。
「どうやら、主導権を握っているのはハナちゃんの方だネ」
「勇くん……」
チッ、さすがに5年のブランクが響いてるな。
さてと、ここからどう展開するか……少しジャブでも打ってみるか。
端のポーンを上げ、ハナちゃんの固いポーンの壁に突撃させる。
「What!? そこに攻撃を仕掛けるのですか!?」
一見すると無謀な攻撃。
予想だにしないエリアへの攻撃に意表をつかれたハナちゃん。
「勇くんは何を考えているんだネ? ハナちゃん、気にせず攻撃だヨ!」
「O ……Of course」
ハナちゃんはナイトで勇の領土に侵入し、勇のキングサイドに攻撃を仕掛ける。
勇は冷静にビショップで対処し、今回初めての駒の取り合い、黒ナイトと白ビショップの交換が行われる。
読み通りだ!
「焦ったな……攻撃を!」
「S……Shit……」
「なになにどうしたの?」
「さっき僕が指した手を気にせずハナちゃんは、ナイトで無理やり攻撃してきた。そのおかげで、f4に孤立したポーンが生まれた。ポーンは守り合ってると強いけど、独りぼっちになったポーンは最も弱く致命的な弱点になる」
「確かに! なんだかハナちゃんのキングサイドの攻めが弱くなった感じがするわ」
勇はこの好機を逃さず、クイーンサイドの前線を一気に押し上げる。
「ポーンが横一列に並んじゃった!」
「な、なんだこれ! まるで古代ギリシャの重装歩兵密集陣形じゃないカ!」
白のポーンたちが横一列の陣形で鉄壁の盾を形成する。一歩、また一歩と前線をじりじり押し上げていくその歩みは、背後に控えるクイーンとビショップの重火力に支えられているからこそ。ハナちゃんの黒陣営に強烈なプレッシャーをかける。
「Hmm ……」
ハナちゃんはポーンで切り込んでくるが、勇のビショップに阻まれ攻撃は防がれる。
「形勢逆転だね……ハナちゃん」
「Agree どうやら無駄だったようですね」
「えっ! 諦めないでヨ!!」
「No No ご主人様、勇様の攻撃がですよ!」
ハナちゃんはクイーンの前にいた黒ポーンをセンターに押し上げる。
このポーンが動いた瞬間に気づく。遥か遠く、キングの隣にいたビショップが勇のファランクス、b4の白ポーンを鋭く狙い撃ちしているではないか!
「くっ!!」
「うまいヨ、ハナちゃん! そのビショップの効き、まるでスナイパー!」
ハナちゃんはルークの道を開けてさらにb4のポーンへの牽制を強める。勇が築いた堅牢なファランクスに、ハナちゃんは正確無比な遠距離狙撃で風穴をこじ開けた。
b4のポーンに対してハナちゃんの攻撃に関与する駒は3枚、一方で勇の守備に関与する駒は2枚、つまりハナちゃんが攻撃を仕掛ければ、勇は守りきれず、確実に押し込まれてしまうという圧倒的不利な盤面。
「調子に乗ったツケだよ勇くん、ハナちゃんには勝てないサ!」
主導権を握ったと思った矢先のピンチ、僕も落ちたものだ。この盤面を読むことができなかったなんて……。
やはりチェスで戦う力はもう……。
うなだれ意気消沈しかける僕。
その時、良々が耳元で囁く。
「勇くん、あなたにとってチェスは何?」
良々の言葉が勇の脳の奥底にあった懐かしい記憶をかすかに呼び覚ました。




