第5話 肩慣らし
良々はワクワクした様子で、駒を先程教えた配置に並べている。
「これであってる?」
「あぁバッチリだ。じゃあ白か黒、つまり先攻後攻を決めるぞ。握りトスでな」
「握りトス?」
「本来はコイントスで決めるんだが、ない場合は……」
僕は白と黒のポーンを一つずつ取り、良々に見えないよう背中でそれぞれ左右の手に握る。その後良々の目の前に握った拳を差し出す。
「そういうことね、じゃあ右!」
右の拳をそっと開くと黒のポーンがあった。
「ということは、私が黒で勇くんが白ってことね」
「そうだ、飲み込みが早くて助かるね」
———————————————————————————————————
「てな訳で良々さんよ、肩慣らしといかせてもらおうか」
「ふふふっ、かかってきなされ」
勝負のゴングがどこからともなく鳴り響いた。
まず白番先攻の僕が指した手は<e4>
つまりキングの前のポーンを上げた。
「ふーん、そうするのがいいの?」
「まぁ色々あるが、e4はその中でも王道の指し手だ。なぜかわかるか?」
「カッコいいから?」
な訳あるか。
「チェスってのは64マスある訳だが、全てのマスが等しい力を持つ訳じゃない。土地で考えれば分かりやすくてな。例えば水源の近くにある土地は発展しやすく、大きな文明が築かれたって聞いたことあるだろ? そんな感じでチェスにも強い土地がある。どこだと思う?」
「真ん中とか?」
「大正解。真ん中つまりセンターはe4、e5、d4、d5の4マスある。ここを支配することが勝利への近道なんだ。センターに戦力を集中させられれば、広いマスに攻撃できるからな」
「なるほど」
メモまで取り出して真剣に話を聞く良々。
「ということはだ、ポーンをe4と突くことでセンターのe4とその斜め前のd5マスを支配できるってこと」
「それだったらナイトを動かすのもアリってこと?Nc3にすればe4やe5のマスを攻撃できるじゃん」
驚いた、理解が早いのが良々の強みなのか。
「あぁ、悪くない。しかしe4にはもう一つ利点がある。それが後列の道をあけることだ。ナイトを動かすとそれまでだが、ポーンを動かすことで、f1のビショップやクイーンの道が開くだろ」
「確かに」
「『センターの支配』以外にも大事なことがある。それが『展開』だ。駒をいかに展開できるか、つまりポーンやポーンの後ろの駒を前に出し、領土を広げられるかが大事だ。現実でもそうだろ、土地が広ければその分色々できて有利になる」
「そっか、後ろの駒が動きやすくなるわけね。それじゃあ……」
良々が黒のポーンを突く。<e5>
そう、同じ利益を得るには同じ手を返せばいいということだ。
「いいね、e4に対してe5と返す。これは『オープンゲーム』と言う定跡だ。お互い激しい戦いが行われやすいと言われる序盤展開だね」
「定跡?」
「定跡っていうのは、こういった手にはこう返すのがいいよというのが決められた手だよ。オープンゲーム、セミオープン、クローズド、その中でもたくさんの種類とバリエーションがあって……」
「ストップ、ストップ、また今度聞くわ」
次に僕は先程道を開けたビショップを展開する。<Bc4>
ビショップをc4に動かすこの展開をオープンゲームの中でも『ビショップオープニング』という。
良々はそれに対しても同様に真似をする。<Bc5>
「真似するねぇ」
「悪い?これも作戦よ。アリよね?」
「ああ大いにアリだ。だけど、いつまでも真似できるかな?」
僕はビショップに続いてクイーンを展開する。<Qh5>
「さて君のポーンはe5にあるが、そのポーンは誰も守っていない。こういった無防備で孤立したポーンを『孤立ポーン』と呼ぶんだ。僕のクイーンがe5のポーンを今すぐにでも食べたくてうずうずしているね」
「……確かに真似作戦はできないかも。守らなきゃ……あっ、いいこと思いついた!」
良々がクイーンの前のポーンを動かす。<d6>
「これだわ、これならポーンを守れるしc5のビショップも守れる。しかもしかも、クイーンの横にいるビショップの道を開けることができた。展開ができるってことよね!」
「……さすがだよ良々、君を舐めていた。これは流石に打つ手なしだ」
「えっ? なになに私の勝ち? じゃあジュース……」
「なんてな!!」
僕はクイーンでf7のポーンを取る。<Qxf7#>
ポーンは最初横一列に並んでおり、一見すると全部等しく同じに見えるが、実はf7のポーンはキングしか守る駒がいない。従って狙われれば格好の餌食になる弱い土地なのだ。
マナーの悪いことだが、つい勢い余ってクイーンを盤に叩きつけてしまった。みんな帰って誰もいない教室に、バーンと音が鳴り響いた。
「チェックメイト」
「はぁー!? キングの逃げ場は……って無いじゃない!」
「キングでクイーンを取ってもc4のビショップが守ってるから無理だぞー。まぁ初心者がよくやるミスだな。自分のキングが安全かまず確かめる癖をつけないとな」
「あんた、もしかしてこれを気づかせないようにポーンの話をしたのね! 勇の卑怯者、クズ、バカ、あんぽんたん!」
顔を真っ赤にして激昂する良々。
そんな姿を見ていると、吹き出した笑いが止まらない。
「笑うな!」
「ごめんって、ジュースは奢るからさ」
あれ、僕笑えたんだ。チェスで、まだ笑えるんだ……。
「あはは、っ、あは……は」
視界が急に歪み、笑いと共に溢れ出てくる熱い雫。
自分が嬉しいのか悲しいのかわからなくなる。
「勇くん……」
そんな光景に良々が心配そうな顔をする。
————帰り道
涙の跡を見せまいと良々の少し前を歩く。
「本当に大丈夫?」
「悪い、なんでもない、なんでもないんだ。ただ久しぶりにやったチェスがこんなにも楽しいだなんて思わなくてさ」
「勇くん、なんでチェス辞めちゃったの? 勇くんがあんなにも笑ってるところなんて見たことなかったから、ちょっと驚いちゃった」
「まぁいろいろね。ていうかたった4手で終わったのにチェスをしたっていうのかね?」
「ああもう! ほんとひどい男! ぐびぐび」
さっき買ってあげた地味に高いオレンジジュースを一気飲みする良々。
なんか不思議だな。高校生活で人と関わる気なんて全くなかったのに、こうしてクラスメイトと二人で帰るだなんて。
父さんが見たらどう思うんだろうな……。
しばらく沈黙していると良々が口を開いた。
「ねぇ明後日、本当に部長に勝てるの?」
「さぁな、チェスの神様はどう微笑むかわからん」
「あっそ、でも勝ってくれなきゃ困るわよ」
「応援してくれてるのか?」
「違うわよ! あんたが勝手にデートの権利を賭けたからでしょうが!!」
ああそうだった忘れてた。
「まぁ応援もしてるわよ、一応。頑張んなさい」
そういって良々は僕の背中をバチンと叩く。
「痛ぇ何すんだよ!」
良々に文句を言おうと顔を振り向いた瞬間、良々の細く繊細な指先が僕の目にかかっていた前髪をかき上げた。彼女の綺麗な瞳が至近距離で顔を覗き込んでくる。
「いい顔するじゃない、勇」
「……っ!」
良々の聞いたこともない穏やかな声に不覚にもドキッとしてしまった僕は、その手を振り払いとっさに後ずさる。
顔がぶつかるほどの距離、とても近かった。
心臓がバクバク音を立てて鳴り止まない。
しかもシャンプーの香りだろうか、すごくいい匂いがした。
「ふふっ、赤くなった。おもしろ」
「くっ! からかうなよ……ったく」
「えーっ? 赤くなってんじゃん、ほれほれ」
「うるせ」
平然を装い、夕暮れの帰り道を歩き始める。
橙にゆらめく太陽が僕たちの後ろに長い長い影を伸ばしていた。
カクヨムと小説家になろうで投稿しています。




