第13話 面影
チェス盤面の矢印の意味は以下の通りです。
青色:勇側の守り
橙色:敵側の守り
赤色:攻撃
攻撃をぎりぎりで耐えている勇。
アスマの背後に立つ剣士の影がさらに大きく禍々《まがまが》しいオーラを放つ。
「おらおら! どした!」
アスマが自陣の深くで眠っていた白ビショップをここにきて大きく展開する。その配置先はなんと勇のポーンの斜め前、勇にとって有利なエリアに配置した。
「な、なんて無茶な攻撃だヨ!」
「これも犠牲!、これが私たちを全国優勝に導いた、まっすぐで熱い攻撃なのよ」
そう言うスミは学生時代を思い出すかのようにキラキラした目を輝かせアスマを見つめている。
この戦術、意図は明確。キングを守るポーンでビショップを取れば僕は駒得になるが守りのポーンが一つ無くなる。そうすれば次の攻めには耐えられない。なんて荒々しい連撃、大胆な犠牲。
「勇くん、お願い……」
良々の祈るような小さな声が聞こえる。
「チェック!」
アスマの白クイーンが勇のキングを攻撃、他に守る駒はいない。
キングを逃しても次から次へと続く攻撃に削られ続ける。
まさに兵糧攻め。
「攻めきれ! アスマ!」
「やっちまえ!」
「終わらせろ!」
「ぶちのめせ!」
「さて……どうする? 勇」
あぁ……ここまで追い詰められるとはな……
全身の力を抜き静かに目を閉じる勇。
「へっ! 諦めたか」
「勇くん、嘘だよネ!」
「……勇くん!!」
チェスの勝負は複数の対局を行い、最終的に相手より勝った回数が多ければ勝利を掴める。
だから、目の前の対局で負けることは必ずしも終わりを意味しない。
そのため負けとの向き合い方をそれぞれのプレイヤーは必ず心得ている。
勝ちより負けから学ぶことの方が多い、僕はそう考えて気持ちを切り替える。
いつもはそうだ……
だが今ここじゃない!!
この一発勝負、負ければ父さんへの手がかりが……全てが終わる。
まだ、まだだ。一筋の光を探せ。僅かでも勝ちにつながる小さな光を探すんだ!!
残り時間も少ない中、剣士の影が全力で力を込める。勝負を決めるつもりだ。局面は終盤、アスマが勇の陣を切り刻むべく、ほぼ全ての駒を攻撃に投入し、おびただしいほどの刃が勇めがけて繰り出された。
「終りだ勇! ……っ!」
その時、アスマの目に映ったのは、極限まで集中力を高め瞬きもせず目を見開く勇の姿。
皆、「カーディナル」の室温が急激に低下するのを感じる。
『超感覚・絶対零度』
彼の周囲が瞬く間に凍てつき、氷の世界へと皆を誘った。無数の氷のつぶてが宙を舞い結合し、堅牢な氷の盾を生み出す。 勇は完全に攻撃を諦め、防御に全ての資源を割いたのだ。
勇は攻撃されたキングを動かしチェックを逃れる。
それでも続く連撃、剣士が突いたレイピアの刃を氷の盾が防ぐ、防ぐ、また防ぐ。
その盾は傷一つ付きはしなかった。
勇の雰囲気が大きく変わったことをアスマだけではない、その場にいた全員が悟った。先ほどまで勇を野次っていた誰しもが彼の氷のような防御に息を呑む。目の前にいるのはただの高校生ではない、高校生の皮を被った怪物。冷静沈着、明鏡止水、氷の怪物だ。
もし自分だったら……この怪物の前に立つのが自分だったらと思うと……足がすくむ、体が震える。皆冷や汗をかく。
「クソがっ!」
「勇坊も持っていたか……超感覚を」
アスマはひたすらに攻撃を続けるも、勇の氷の防壁を突破することができない。降り注ぐ刃の雨を氷のつぶてが弾き落とす。もはや勇には何も通じない。氷のように冷たい表情でアスマを見下ろしている勇。
「くそっ! 届かねぇ!」
「……アスマ」
スミが不安気に見つめるアスマからは、先ほどの余裕の表情が消えていた。焦りはさらに焦りを生み、呼吸が激しく乱れている。
「……はぁ……はぁ……チェック! どうだ!」
それでもアスマは白のポーンで黒キングの攻撃に成功。
5つの駒が最後の全力を振り絞った攻撃だ。
「……ふー」
勇は動じない、キングを守る防衛陣を築き上げる。
「……なんて美しい連携なの!」
「勇坊、なんてやつだ」
勇の天才的なプレイングに舌を巻くスミとトッポ。
勇はさらにギアを上げる。氷が世界を包み、時が止まるかのよう。
圧倒的なプレッシャーを放つ勇は、カッとアスマを見据える。
勇の黒陣はナイト、ビショップ、ルーク、クイーン、そしてポーン、6つの駒が完璧に相互連携し、堅牢な氷の城壁を築く。そして守備だけではない、ルークがクイーンを攻撃しアスマの主戦力、白クイーンを牽制する。
完璧な守備、完璧なカウンター!
「……終わりだ」
勇が静かに、冷酷に終焉を告げる。
「……終わるか!」
なんとか攻撃の糸口を探すため、必死にもがくアスマ。しかし、見つからない、見えない。見えるわけがない。むしろ、攻撃に夢中で隙を見せた白クイーンを勇が狙い続ける。
「はぁ……はぁ……あっ!」
その時、繰り出した刃が弾かれた。アスマは白ルークを突撃させたが、冷静さ欠いた判断、痛恨のミスとなる。白クイーンが完全に無防備になってしまったのだ。
「あのアスマがミスを犯すなんて……」
「嘘だろおい」
「……まじか」
観衆も絶句あるのみ。
するとアスマは肩を落とし、うつろな目で下を向く。
「……ひと思いにやれよ」
その言葉に頷く勇。
彼を包み守っていた氷の柱が形を変え氷嵐となり、剣士の影をガバっと飲み込んだ。
「……凍りつけ」
勇は黒ビショップで白クイーンを取る。ボードに響く決定打の音。
アスマの攻め筋を完璧に封じたのであった。
カチッ、カチッ、カチッ……
誰も何も言わなかった。ただアスマの持ち時間が過ぎる音が流れ、その間皆、目の前で起きた出来事を信じられないという面持ちで終始呆然としていた。
その時だった。
——!!
アスマはこちらをじっと見つめる勇に、先生、かつての恩師、勇の父の姿を垣間見た。
盤上を包み込むような圧倒的な存在感、まるで、まるで……
「……せ、先生」
「……よく頑張った。アスマ」
彼は優しくアスマに微笑みかけ、アスマが一番好きだった言葉を、懐かしくて温かいこの言葉をかけてくれたのだった。
ふいに溢れる一粒の熱い涙。目元を拭った時、そこには先生と同じ形の目をした勇に変わっていた。
「……ふっ。そうか、そうかよ」
5、4、3、2、1……ガコン!
チェスクロックの旗が落ちた。それはアスマの持ち時間が尽きたこと、アスマの敗北を意味していた。
「俺の……負けだ」
「……ありがとうございました」
アスマの顔に対局前まで抱いていた勇への怒りは失っていた。
二人は固い握手を交わす。それはお互いの賞賛と尊敬が含まれているのであった。
「や、やった! やったよ!」
「すごいヨ! 勇くン!」
良々と部長が駆け寄り、緊張が解け疲れを見せる勇の肩を支える。
「うおーー! すげーなお前!」
「いや、まったくすごいものを見せてもらった」
「さすが王城さんの息子ねー」
観衆がどよめきを上げ、勇へと絶え間ない賞賛を浴びせる。それとともに先ほどの対局に関する質問が大量に投げられた。
「ちょ、ちょっと、勇くんは疲れてるのよ! ちょっと!」
「ははは、これはしばらく時間がかかるヨ」
「……はは、まったく。勘弁してくれよ」
盛り上がる勇たち。
それをよそ目にうなだれるアスマの肩に、トッポとスミが優しく手を添える。
「お前もお疲れさん、アスマ」
「いい対局だったわよ、せーんぱい!」
「……はーっ、クソ! 負けだ負け! クソが!」
「負けたわりに嬉しそうね?」
「ふっ、言ってろ!」
アスマは天井を仰ぎ顔を手で隠す。しかし、隠そうとしても二人は気づいていた、アスマが笑っていることに。あの頃と同じような無邪気な笑顔で。
トッポとスミは顔を見合わせてくすりと笑う。そして勇たちの喜びをなんとも懐かしそうに見つめるのであった。




