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第8話 恋愛勝者vs恋愛敗北者

 文化祭実行委員の補佐を押しつけられた翌日。


 俺のバイト先である喫茶店『アネモネ』には、放課後になると見慣れた三人が当然のように集まっていた。


「文化祭で喫茶スペース?」


 カウンター席へ座った夏目が、運ばれてきたプリンを口に入れながら首を傾げる。


「ああ。生徒会が管理するらしい」


「じゃあ、春日井がコーヒー淹れるのか?」


「俺は本物の喫茶店みたいな設備がないと無理だよ。学校では接客や人員配置を考えるだけ」


「つまんないな。執事服を着るなら見に行こうと思ったのに」


「なぜ俺が執事服を着る前提なんだ」


「似合いそうだから」


 夏目は悪びれることなく答えた。


 彼女の隣では、椎名が小さなノートへ何かを書き込んでいる。


「執事姿の春日井君……無表情ながらも、主人である少女にだけ忠誠を誓う従者……」


「小説の材料にするな」


「まだ何も言っていません」


「全部声に出てたぞ」


 椎名は慌ててノートを閉じたが、その表紙には『次回作・人物設定』と書かれていた。


 俺が読まされている一作目も、まだ半分を越えたばかりである。


「文化祭当日の接客担当については、わたくしが適切な人員を選定します」


 窓際の席にいた氷室が、生徒会の資料から顔を上げた。


「春日井君を見世物にするような衣装は許可しません」


「氷室が決めることじゃなくない?」


「管理担当として当然です」


「じゃあ、氷室は何着るんだ?」


 夏目に尋ねられ、氷室は一瞬だけ言葉に詰まった。


「わたくしは制服です」


「メイド服のほうが客来るぞ」


「着ません」


「春日井が執事服を着るなら?」


「……業務の統一感を保つため、検討する余地はあります」


「着るんじゃん」


「仮定の話です」


 氷室がカップを持ち上げて顔を隠す。


 最近の彼女は、以前よりも表情が分かりやすくなった。


 久世会長に振られた直後は、笑顔も言葉もどこか硬かった。それがここへ通うようになってから、夏目の軽口に呆れ、椎名の暴走を注意し、俺の接客へ細かな注文をつけるようになった。


 少なくとも、この店にいる間だけは無理をしていない。


 それなら、毎日居座られるくらいは我慢してもいいと思う。


「そういえば春日井君」


 椎名が遠慮がちに手を上げた。


「文化祭は、水瀬さんと回る予定なのですか?」


 店内の空気が変わった。


 夏目のスプーンが止まり、氷室が資料から顔を上げる。


「なんで琴葉が出てくるんだ?」


「幼馴染ですから。例年、一緒に回っていたのではないかと思いまして」


 椎名の推測は正しい。


 高校一年の文化祭では、琴葉と二人で校内を回った。


 互いにクラスの当番があったため、自由に動けた時間は一時間程度。それでも当時の俺は、それを密かなデートのように思っていた。


「今年は蓮と回るだろ」


「三人で回ろうとは言われないのか?」


「言われるかもしれないな」


「行くのですか?」


 氷室の声が僅かに低くなる。


「断ると思う。さすがに邪魔だろ」


「当然です」


「即答だな」


「水瀬さんと久世会長は、人の心を理解する努力が足りません」


「久世会長まで巻き込むなよ」


「恋愛の勝者は、敗者の存在に鈍感なのです」


 氷室は真剣な表情で断言した。


 夏目も深く頷く。


「分かる。真壁先輩も、今度彼女を部活に連れてくるって言ってた」


「それは気まずいな」


「しかも『陽葵にも紹介したい』だって。アタシ、自分が先輩を好きだったって言ってないからさ。明るい後輩として、笑顔で挨拶しないといけないんだよ」


 夏目はそう言って笑った。


 けれど、その笑顔は普段より少しだけ不自然だった。


「行かなくてもいいんじゃないか」


「逃げたと思われるの、嫌なんだよ」


「誰に?」


「……自分に」


 夏目はプリンの容器を見つめた。


「ちゃんと告白できなかったから、せめて最後くらいは笑って終わりたい。先輩の前で泣いたら、ずっと好きだったってバレるだろ」


 告白できなかった後悔を抱えている点では、俺と夏目は似ている。


 しかし夏目は、俺とは違って逃げずに区切りをつけようとしていた。


「無理に笑う必要はないと思うけどな」


「春日井が言う?」


「経験者だから言えるんだよ。無理して祝福しても、後で一人になったとき余計につらくなる」


「じゃあ、どうすればいい?」


「挨拶だけして、すぐにこっちへ来ればいい」


 夏目が顔を上げた。


「ここに?」


「ああ。プリンでもパフェでも食べて、好きなだけ先輩の悪口を言え」


「それ、春日井が聞いてくれるの?」


「氷室と椎名もいるだろ」


「春日井が聞いて」


 思いのほか強い口調だった。


 夏目は俺の顔を真っ直ぐに見つめている。


「アタシが一番格好悪いときに、春日井が話を聞いてくれたから。最後まで春日井が聞いてよ」


「……分かった」


 俺が答えると、夏目は安心したように笑った。


 今度の笑顔は、少しだけ自然だった。


「春日井君」


 氷室が静かに俺を呼ぶ。


「今後、女性と個人的な約束を交わす際は、事前に報告してください」


「誰に?」


「わたくしにです」


「なんで?」


「予定の重複を避けるためです」


「俺と氷室の間に、共有予定なんてあったか?」


「これから作ります」


 椎名も小さく手を上げる。


「私にも報告を希望します。夏目さんだけが特別扱いされている場面を書くと、登場人物の均衡が崩れます」


「現実を小説の都合で動かそうとするな」


「私はプリンだけじゃ足りない。パフェも頼むからな」


「話を聞いてやるだけで、奢るとは言ってないぞ」


「傷ついた女に払わせるのか?」


「失恋を免罪符にするのは禁止しただろ」


 三人の言葉が重なり、静かだった店内が一気に騒がしくなる。


 すると、カウンターの奥で食器を磨いていた店長が小さく笑った。


「ずいぶん賑やかになったわね」


「すみません。注意します」


「いいのよ。他のお客さんはいないし」


 店長は俺たちを眺めた後、入口の扉へ視線を移した。


「それより悠人君。お客さんよ」


 扉のベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 反射的に声を出してから、俺は入口に立つ二人を見て固まった。


「悠人、本当にここで働いてたんだね」


 琴葉と蓮だった。


 二人で一つの傘を持ち、肩を寄せ合うように立っている。


「急にごめんな、悠人。琴葉が一度来てみたいって言うから」


「別にいいよ。客なら歓迎する」


 普段通りに答えたつもりだった。


 けれど胸の奥には、昔の傷を爪でなぞられたような痛みが走った。


 琴葉は店内を見回し、窓際に座る三人を発見する。


「氷室さんたちもいるんだ」


「毎日いるぞ」


 夏目が答えると、琴葉は少し驚いたように目を見開いた。


「毎日?」


「春日井がいる日はな」


「夏目さん。余計な説明は不要です」


「事実だろ?」


 琴葉の視線が俺へ戻る。


 その表情には笑顔が浮かんでいるのに、なぜか少しだけ硬い。


「悠人、ずいぶん楽しそうだね」


「仕事中だけどな」


「そっか」


 琴葉は短く答え、蓮と共に空いている席へ向かった。


 俺はメニューと水を運ぶため、二人の後を追う。


 その背中へ、氷室たちの視線が突き刺さっていた。


 このときの俺は、幼馴染と親友が店に来ただけだと思っていた。


 けれど琴葉は、席についてから何度も俺と三人の少女を見比べていた。


 まるで、自分の知らない場所に俺の居場所ができていたことを、初めて知ったかのように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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