第7話 新ヒロイン!? 後輩系ヒロイン?!
連絡先を交換した翌朝から、俺の学校生活は目に見えて騒がしくなった。
『おはようございます。本日の体調はいかがですか?』
『起きてる? アタシは朝練!』
『昨夜は三十二ページまでしか読んでいませんでしたね』
午前六時二十分。
三人からほぼ同時に届いたメッセージを眺めながら、俺は布団の中で首を傾げた。
氷室はともかく、夏目は朝練があるので起きているのも分かる。
しかし椎名は、どうして俺の読書進捗を把握しているのだろう。
昨夜、三十二ページまで読んだと報告したのは事実だが、その直後に眠ったことまでは教えていない。
『続きは今日読む』
そう返信すると、すぐに既読がついた。
『放課後までに五十ページを希望します』
編集者みたいなことを言い始めていた。
俺はスマートフォンを閉じ、身支度を整えて家を出た。
いつもの交差点へ差しかかると、少し前方に琴葉の姿が見えた。
その隣には、高宮蓮もいる。
二人は同じ歩幅で並び、楽しそうに話していた。
俺に気づいた琴葉が、大きく手を振る。
「悠人、おはよう!」
「おはよう」
「今日は一緒に行ける?」
一瞬だけ、返事に迷った。
断るための理由なら、いくらでも作れる。
日直、忘れ物、先生からの呼び出し。
だが、毎回逃げ続けていれば、いずれ琴葉も不自然に思うだろう。
「いいよ」
「よかった。最近、悠人だけ先に行っちゃうこと多かったから」
俺が二人の隣へ並ぶと、蓮が申し訳なさそうに笑った。
「悪いな、悠人。なんか気を遣わせてるか?」
「別に。バイトが忙しくて寝不足なだけ」
「それならいいけど」
親友はいい奴だった。
だからこそ、恨むことができない。
琴葉を奪われたと思えれば、まだ楽だったかもしれない。しかし蓮は俺から何かを奪ったのではなく、自分の気持ちを伝えただけだ。
何もしなかった俺が、勝手に負けただけだった。
「そういえば、悠人」
琴葉がこちらを覗き込んでくる。
「最近、氷室さんたちと仲いいよね」
「バイト先に来るだけだよ」
「夏目さんと椎名さんも?」
「たまたまな」
「三人もたまたま同じ店に集まるんだ?」
琴葉の笑顔はいつも通りだった。
だが、声の奥にわずかな引っかかりを感じた。
「失恋した奴同士で、話が合うんだよ」
口にしてから、失敗したと思った。
「失恋?」
琴葉が足を止める。
俺も蓮も、それに合わせて立ち止まった。
「悠人、好きな人いたの?」
「昔の話」
「誰?」
「言わない」
「私の知ってる人?」
「朝から質問が多いな」
適当に笑って歩き出す。
琴葉はまだ何か言いたそうだったが、蓮が話題を変えてくれた。
助かったと思う一方で、ほんの少しだけ期待してしまった自分がいた。
俺が誰かを好きだったと知り、琴葉が動揺してくれたのではないかと。
そんなはずはない。
ただの幼馴染として、知らない話があったことに驚いただけだ。
分かっている。
それでも完全に諦めるには、五年間は少し長すぎた。
教室へ入ると、氷室はすでに自席で資料を読んでいた。
俺の姿を確認した瞬間、資料を閉じて立ち上がる。
「おはようございます、春日井君」
「おはよう」
「今朝の連絡へ返信がありませんでしたが」
「体調は普通だったからな」
「普通なら普通と返してください。不要な心配をしました」
「母親みたいになってるぞ」
「水瀬さんと登校していたので、返信できなかったのですか?」
「なんで知ってる?」
「窓から見えました」
氷室の席は窓際だが、登校路を確認するには、かなり身を乗り出す必要がある。
そこまでして外を見る理由は何だろう。
「何か話しましたか?」
「普通の世間話だよ」
「普通、ですか」
氷室は俺の顔をじっと見つめた後、僅かに目を細めた。
「無理をして笑う癖は、直したほうがいいですよ」
「そんな癖ある?」
「あります。少なくとも、水瀬さんの話をするときは」
図星を突かれ、返事に詰まった。
氷室はそれ以上追及せず、俺の机へ一枚の用紙を置いた。
「放課後、生徒会室へ来てください」
「俺、生徒会じゃないけど」
「文化祭実行委員の補佐をお願いします」
「聞いてない」
「今、伝えました」
「それは依頼じゃなくて決定だよな?」
「久世会長から、人手が足りないので信頼できる生徒を一名連れてくるよう指示されました」
久世会長。
氷室を振った相手である。
「大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「会長と一緒に仕事して」
「仕事と私情を混同するほど、子供ではありません」
氷室は平然と答えた。
しかし、資料を持つ指先には僅かに力が入っている。
「分かった。行くよ」
「ありがとうございます」
「ただし一時間だけな。今日はバイトがある」
「承知しています。春日井君は本日、十七時から勤務ですね」
「どうしてシフトを暗記してるんだよ」
「必要な情報ですから」
何に必要なのかは、教えてくれなかった。
昼休み。
購買でパンを買った俺が教室へ戻ると、自分の席が三人の女子に包囲されていた。
氷室は正面。
夏目は隣の机。
椎名は俺の椅子に座り、小説を読んでいる。
「俺の席なんだけど」
「遅いぞ、春日井!」
「購買へ行ってただけだよ」
「今日は屋上で食べようぜ」
「寒いから嫌だ」
「では、生徒会室で食べましょう」
「休み時間まで生徒会に拘束するな」
椎名が本から顔を上げる。
「図書室なら静かです」
「飲食禁止だろ」
「春日井君の教室……落ち着きません」
「それは三人で集まってるからだよ」
周囲から、明らかに好奇の視線を向けられている。
失恋した女子三人が、一人の男子の席へ毎日集まっているのだ。
事情を知らない人間から見れば、恋愛敗北者の慰め合いではなく、俺が妙にモテているように映るだろう。
「春日井君」
教室の入口から、知らない声がした。
振り向くと、見覚えのない女子生徒が立っていた。
一年生を示す色のリボン。
艶のある栗色の髪を肩の辺りで揃え、整った顔立ちに柔らかな笑みを浮かべている。
「少し、お時間よろしいでしょうか?」
「俺?」
「はい。生徒会書記の白崎真帆です」
氷室が反応した。
「白崎さん。どうして二年生の教室に?」
「久世会長から、春日井先輩を生徒会室へ案内するよう頼まれました」
「放課後の話では?」
「昼休みにも、事前説明を行いたいそうです」
白崎はそう答えながら、俺を真っ直ぐに見つめていた。
初対面のはずなのに、妙に距離の近い視線だった。
「では、私も同行します」
氷室が立ち上がる。
「副会長は、会計資料の確認が残っていたはずです」
「……後で行います」
「期限は今日までですよね?」
白崎の笑顔は崩れない。
氷室の表情も穏やかなままだ。
しかし二人の間にある空気だけが、なぜか鋭くなった。
「アタシも行っていい?」
「部外者はご遠慮ください」
「じゃあ春日井も部外者じゃん」
「春日井先輩は、特別ですので」
白崎は自然な動作で、俺の袖を摘まんだ。
「行きましょう、先輩」
「案内なくても場所は分かるけど」
「存じています」
「じゃあ、どうして迎えに来たんだ?」
白崎は少しだけ目を伏せ、どこか嬉しそうに笑った。
「先輩と一緒に歩きたかったからです」
教室が静まり返った。
夏目は口を開けたまま固まり、椎名は本の陰から白崎を見つめている。
氷室だけは冷静だった。
少なくとも、表面上は。
「白崎さん」
「はい」
「業務に私情を持ち込むのは感心しません」
「副会長がそれを仰いますか?」
二人の笑顔が、僅かに深くなる。
俺は事情が分からないまま、白崎に連れられて教室を出た。
「俺たち、以前に会ったことある?」
「覚えていないんですね」
「悪い」
「いえ。春日井先輩らしいです」
白崎は廊下を歩きながら、俺の袖を離さなかった。
「去年、図書室の前で、落とした生徒手帳を拾ってくださいました」
「それだけ?」
「私にとっては、それだけではありません」
白崎の声は、先ほどより少し柔らかかった。
「先輩は覚えていなくても、私はずっと覚えていました」
その言葉の意味を尋ねる前に、生徒会室へ到着した。
扉を開けると、久世会長を含む数名の役員が資料を広げている。
白崎はようやく俺の袖を離した。
「ようこそ、春日井先輩」
そして誰にも見えない角度で、俺にだけ微笑みかける。
「これから、たくさんお話しできますね」
それは失恋した直後の三人とは違う。
最初から、俺だけを見ている者の笑顔だった。
もちろん、その時点の俺は白崎の気持ちに気づいていない。
ただ、生徒会には妙に距離感の近い後輩がいるのだと思っただけだった。
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