第4話 負けヒロインは何時どこにでもやってくる!?
失恋した人間に、開店時間という概念は通用しないらしい。
「とりあえず、中に入れ」
「遅い」
「まだ開店五分前だぞ」
「アタシは昨日から待ってた気分なんだよ」
「知らないよ」
店の鍵を開けると、夏目陽葵は我が家のような足取りで店内へ入り、カウンターの中央席に腰を下ろした。
目は真っ赤に腫れ、普段は高い位置で結ばれている髪も、今日は力なく肩へ垂れている。
昨日までの快活な陸上少女とは、同一人物に見えなかった。
「パフェ」
「まだ開店準備中」
「約束した」
「分かったから、少し待て」
「大盛りで」
「失恋を理由に何でも通ると思うなよ」
店長へ事情を説明すると、少し早めに厨房を使わせてもらえた。
グラスへコーンフレークとアイスクリームを盛り、チョコレートソースをかける。仕上げに生クリームを乗せ、ウエハースを突き刺した。
普段店で出しているものより、少しだけ大きい。
「ほら」
「……春日井が作ったの?」
「盛りつけただけだよ」
「じゃあ、春日井の手作りパフェ」
「言い方に妙な意味を足すな」
夏目はスプーンを手にしたものの、すぐには食べ始めなかった。
色鮮やかなパフェを前にして、鼻を小さくすすっている。
「昨日、告白できなかった」
「メッセージで見た」
「先輩のほうから、相談があるって言われたんだ」
夏目はアイスの表面をスプーンで削りながら、ぽつぽつと語り始めた。
真壁先輩には、中学時代から付き合っていた彼女がいた。
高校へ進学した際、別々の学校になり、互いに部活動が忙しくなったことで一度は別れたらしい。
それでも気持ちは残っていた。
そして昨日、相手からやり直したいという連絡が来た。
「先輩、すっごく嬉しそうだった」
「……そうか」
「アタシには相談してくれるくらい、心を許してくれてたんだって。でも、それだけだった」
夏目は笑おうとした。
けれど口元は不格好に歪み、目から涙が一粒落ちた。
「アタシ、先輩の一番近くにいたつもりだった」
その言葉は、俺にもよく分かった。
近くにいることと、選ばれることは違う。
隣にいる時間が長ければ、いつか自分のほうを向いてくれる。そんな都合のいい規則など、恋愛には存在しない。
「相談されたとき、ちゃんと応援したんだよ。先輩なら大丈夫ですって。元カノさんも、絶対まだ先輩のこと好きですよって」
「偉いな」
「偉くない!」
夏目がスプーンをテーブルへ叩きつけた。
「本当は、やめろって言いたかった! アタシのほうを見ろって、元カノなんか忘れろって言いたかった!」
静かな店内に、夏目の声が響いた。
開店前でよかった。
「でも、そんなこと言ったら嫌われるかもしれないし……先輩が幸せなら、それでいいって思うしかないだろ……」
「思わなくていいんじゃないか」
「え?」
「好きだった相手の幸せを、すぐに祝えなくても普通だろ。少しくらい恨んだって、罰は当たらない」
失恋した人間に、綺麗な役を演じさせる必要はない。
夏目は俯いたまま、拳で涙を拭った。
「……じゃあ、恨む」
「好きにしろ」
「先輩も恨むし、元カノも恨む」
「ほどほどにな」
「二人のデートの日だけ雨が降ればいい」
「規模が小さいな」
「でも風邪は引かないでほしい」
「優しいのか怖いのか、どっちかにしてくれ」
夏目はようやくパフェを口に運んだ。
一口食べた瞬間、また涙が落ちる。
「甘い」
「パフェだからな」
「失恋したら、甘いものが染みるって本当なんだな」
「そういうものなのか?」
「春日井も食べれば?」
「俺は仕事中」
「じゃあ、あーん」
「自分で食べろ」
「負けた女に冷たくない?」
「負けたことを万能の免罪符にするな」
俺たちがそんな会話をしていると、店の扉が開いた。
「まだ開店前では?」
制服姿の氷室が、時計を確認しながら入ってきた。
そしてカウンターに座る夏目を見つけた瞬間、目を細める。
「……なぜ、あなたがいるのですか」
「失恋したから」
「そうですか。お帰りください」
「薄情すぎるだろ!」
「この店は傷心者の収容施設ではありません」
「氷室も毎日来てるじゃん!」
「わたくしは正規の客です」
「アタシだってパフェ頼んでる!」
「代金は?」
「春日井の奢り」
氷室の視線が、ゆっくりと俺へ向いた。
「春日井君」
「何?」
「わたくしには、一度も奢ってくださったことがありませんね」
「氷室は財布を持ってくるからな」
「では、今後は置いてきます」
「変な対抗意識を燃やすなよ」
氷室は夏目から一席空けて、カウンターへ腰掛けた。
いつも座る窓際ではない。
「紅茶をお願いします」
「開店準備が終わるまで待ってくれ」
「夏目さんにはパフェを作ったのに?」
「昨日約束したんだよ」
「なるほど。約束すれば、春日井君の手作りを頂けると」
「盛りつけただけだって」
なぜか店内の空気が重い。
俺と同じ失恋者が増えたことで、氷室も気を許せる相手ができると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「氷室も振られたんだろ?」
「その表現は品がありませんね」
「じゃあ、失恋したんだろ?」
「言い直しても傷は浅くなりません」
「だったら仲間じゃん」
夏目は隣の椅子を引いた。
「ここ座れよ。春日井に先輩の悪口聞いてもらおうぜ」
「久世会長の悪口を言うつもりはありません」
「まだ好きなの?」
「もう何とも思っていません」
「じゃあ春日井のこと好きなの?」
氷室の動きが止まった。
俺も止まった。
夏目だけがパフェを食べ続けている。
「なんでそうなるんだよ」
「だって毎日来てるんだろ?」
「同じ敗者だから話しやすいだけだ」
「へえ」
夏目は俺を見て、次に氷室を見た。
そして何かに気づいたような顔で笑った。
「春日井って、本当に女心に疎いんだな」
「琴葉から聞いたのか?」
「今ので分かった」
「何が?」
「別に」
夏目が楽しそうに笑う一方、氷室は無言で紅茶のメニューを開いていた。
なぜか上下が逆さまだった。
開店時間を迎える頃には、夏目も少しだけ元気を取り戻していた。
「明日も来ていい?」
「客としてなら」
「金ない」
「部活帰りに買い食いするのやめれば貯まるだろ」
「じゃあ水だけ飲みに来る」
「陸上部の給水所にするな」
「わたくしが支払います」
氷室が突然口を挟んだ。
「その代わり、春日井君の仕事を邪魔しないこと。大声を出さないこと。無闇に話しかけないこと」
「最後だけ氷室の都合だろ」
「あと、春日井君の隣には座らないこと」
「そんな決まりある?」
「今、作りました」
「だったら、氷室も隣に座るなよ」
二人が睨み合う。
まだ失恋の傷も癒えていないのに、どうしてこんなに元気なのだろう。
俺には理解できなかった。
その日の昼過ぎ。
客足が落ち着いた頃、店の扉が控えめに開いた。
入ってきたのは、眼鏡をかけた小柄な少女だった。
文芸部の椎名小夜。
同じ学年だが、クラスは別だ。
いつも一人で本を読んでおり、誰かと話している姿をほとんど見たことがない少女だ。
椎名は胸元に紙袋を抱え、店内を不安そうに見回していた。
やがて俺と目が合うと、覚悟を決めたように歩み寄ってくる。
「春日井君……ですよね」
「そうだけど」
「失恋した人を、ここで匿ってくれると聞きました」
「誰がそんな噂を流したんだ」
俺が尋ねると、窓際にいた夏目が露骨に視線を逸らした。
その隣で、氷室は深々とため息をつく。
椎名は抱えていた紙袋を、さらに強く抱き締めた。
「私も……昨日、負けました」
どうやらこの店には、恋に敗れた人間を引き寄せる何かがあるらしい。
そして俺たちのたまり場に、最後の敗者が辿り着いた。
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