表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/12

第3話 もう1人の負けヒロイン!?

 氷室玲奈が『アネモネ』へ通い始めてから、一週間が経った。


 その間、彼女が店に来なかった日は一日もない。


「氷室。生徒会は暇なのか?」


「失礼ですね。業務を効率的に終わらせているだけです」


 放課後五時。


 窓際の席に座った氷室は、紅茶のカップを傾けながら涼しい顔で答えた。


 テーブルの上には、生徒会の書類が綺麗に重ねられている。どうやらここを第二の生徒会室にするつもりらしい。


「学校でやったほうが早くない?」


「生徒会室には久世会長がいますので」


「ああ……」


「気を遣わないでください。わたくしは、もう何とも思っていません」


 そう言いながら、氷室はクッキーを噛み砕いた。


 粉々だった。


 失恋から立ち直るには、もう少し時間が必要らしい。


「それより春日井君。明日はシフトに入っていますか?」


「入ってるけど」


「明後日は?」


「休み」


「では、わたくしも来ません」


「別に俺がいなくても店は営業してるぞ」


「知っています」


「じゃあ、なんで来ないんだ?」


「……注文を覚えていない店員に接客されると面倒ですから」


 氷室がいつも頼むのは、砂糖なしの紅茶だ。


 店長を含め、全員がすでに覚えている。


 だが指摘すると機嫌を損ねそうなので、俺は黙っておくことにした。


 失恋直後の彼女にとって、俺は傷を共有できる相手なのだろう。


 同じ敗者同士だから居心地がいい。


 それ以上の意味などないはずだ。


「春日井!」


 店の扉が勢いよく開いたのは、その直後だった。


 ベルが悲鳴のような音を上げる。


 入口に立っていたのは、陸上部の夏目陽葵(なつめ・ひなた)だった。


 肩まで伸びた茶髪を後ろで結び、制服の上から陸上部のジャージを羽織っている。普段なら校内のどこにいても声が聞こえるほど元気な少女だ。


 しかし今日の夏目は、肩で息をしていた。


「どうしたんだよ」


「水! とにかく水!」


「ここは給水所じゃないぞ」


「客に水も出さないのか、この店は!」


「まだ席にも座ってないだろ」


 夏目は俺の案内を待たず、カウンター席へ飛び乗るように腰掛けた。


 その瞬間、窓際から氷室の冷たい声が飛んでくる。


「店内では静かにしてください」


「うわっ、氷室! なんでいるんだよ!」


「客です」


「生徒会副会長が一人で喫茶店? 寂しい奴だな!」


「紅茶を飲み終えたら、あなたを社会的に処理します」


「春日井、この女怖い!」


「俺に助けを求めるな」


 水を差し出すと、夏目は一息に飲み干した。


「生き返ったぁ……」


「それで、何があった?」


「別に何もない」


「何もない奴は、そんな必死な顔で喫茶店に駆け込んでこないだろ」


「走るのは日課なの!」


「鞄は?」


「部室!」


「財布は?」


「鞄の中!」


「無銭飲食じゃないか」


 俺が呆れていると、夏目はカウンターへ突っ伏した。


 いつもなら日焼けした肌に健康的な赤みがあるのに、今日は妙に顔色が悪い。


「春日井ってさ」


「うん?」


「男だよな」


「その確認から始める?」


「好きでもない女子から告白されたら、どう思う?」


 俺は答える前に、夏目の表情を見た。


 どうやら冗談ではないらしい。


「相手によるんじゃないか」


「たとえば、後輩」


「嬉しいとは思う。でも好きな相手がいるなら、断るしかないだろ」


「そっか」


 夏目は顔を伏せたまま、指先で空のグラスを回した。


 彼女が陸上部の三年生、真壁(しんかべ)先輩に好意を抱いていることは有名だった。


 毎朝一番にグラウンドへ行き、先輩の練習を手伝う。


 大会前には手作りのお守りを渡し、夏休みには一緒に自主練習もしていたらしい。


 周囲から見ても、二人の距離は近かった。


「今日、告白するのか?」


「なんで分かるんだよ」


「顔に書いてある」


「どこに?」


「目の下辺り」


 夏目は慌てて顔を擦った。


 本当に書いてあると思ったらしい。


「今日、先輩の引退ミーティングがあるんだ。終わったら、二人で話す約束しててさ」


「じゃあ、こんなところにいていいのか?」


「急に怖くなった」


 夏目は小さな声でそう言った。


 普段の彼女からは想像できない、弱々しい声だった。


「先輩は優しいから、断るときも絶対に優しいんだ。だから嫌なんだよ。冷たく振られたほうが、諦められるだろ」


「まだ振られるって決まったわけじゃない」


「でも先輩、最近よくスマホ見て笑ってるんだよな。アタシが話しかけても気づかないくらい」


 恋をしている人間は、相手の些細な変化によく気づく。


 俺は琴葉の嬉しいときの癖を知っていた。


 氷室は久世会長の好む飲み物まで把握していたという。


 夏目もきっと、何かを感じ取っているのだろう。


「告白しないのも選択肢だぞ」


 俺が言うと、夏目はゆっくりと顔を上げた。


「春日井は、告白しなかったんだっけ」


「ああ」


「後悔してる?」


 琴葉と蓮が付き合い始めてから、一週間。


 二人が一緒にいる光景にも、少しずつ慣れてきた。


 だが、それは痛みが消えたわけではない。


 ただ痛まないように、見ないふりが上手くなっただけだ。


「してるよ」


 俺は正直に答えた。


「告白しても結果は同じだったと思う。でも、言っておけばよかったとは思う」


「そっか」


「ただ、これは俺の場合だ。夏目がどうするかは、自分で決めろ」


「逃げたくせに偉そうだな」


「うるさい」


 夏目はしばらく黙っていた。


 やがて勢いよく顔を上げると、自分の両頬を叩いた。


「よし。行ってくる!」


「財布を持ってからな」


「水代はツケで!」


「水は無料だよ」


 夏目は入口まで駆けていき、扉を開ける直前に振り返った。


「春日井!」


「なんだ?」


「アタシが勝ったら、なんか奢れよ!」


「なんで俺が?」


「背中押した責任!」


 俺が返事をする前に、夏目は走り去っていった。


 店内に静けさが戻る。


「……明るい方ですね」


 氷室は紅茶を飲みながら、窓の外を眺めていた。


「夏目はいつもあんな感じだよ」


「春日井君は、誰にでも親切なのですね」


「相談されたから答えただけだろ」


「わたくしのときも、そうでした」


「そうだな」


「水瀬さんのときも、そうだったのでしょうね」


 声の温度が、少しだけ下がった。


 俺が氷室を見ると、彼女は穏やかに微笑んでいる。


「どうした?」


「何でもありません」


 それから氷室は、夏目の話をしなくなった。


 ただ、いつもより長く店に残り、俺が他の客へ水を運ぶたびに視線を向けてきた。


 閉店直前。


 スマートフォンが震えた。


 届いたのは、夏目からの短いメッセージだった。


『負けた』


 その三文字だけで、結果は十分に伝わった。


 続けて、もう一件届く。


『先輩、元カノとやり直すんだって』


 さらに一件。


『告白する前に、相談された』


 俺は返信する言葉を探した。


 頑張ったな。


 次がある。


 もっといい相手が見つかる。


 どれも正しい。


 そして正しいからこそ、今の夏目には届かない気がした。


 結局、俺が送ったのは一言だけだった。


『明日、店に来い。パフェくらいなら奢る』


 既読はすぐについた。


 返事はなかった。


 その代わり、翌日の開店五分前。


 まだ鍵のかかっている『アネモネ』の扉の前で、夏目は膝を抱えて座っていた。


 真っ赤に腫れた目を隠すこともせず、俺を見るなり唇を尖らせる。


「春日井」


「早すぎるだろ」


「負けた奴を待たせるなよ」


 その日。


 俺たちのたまり場に、二人目の敗者がやってきた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ