表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/24

第19話 12年の想いと失恋

 放課後の生徒会室には、昼間とは違う種類の静けさがあった。


 窓の外から聞こえてくる運動部の掛け声。遠くで鳴るホイッスル。廊下を駆けていく生徒たちの足音。


 文化祭が近づいていることもあり、校内全体が少しずつ浮き足立っている。


 教室では出し物について意見が飛び交い、放課後になれば段ボールや画用紙を抱えた生徒が廊下を行き交う。いつもなら誰も見向きもしない空き教室まで、今では大道具の保管場所として利用されていた。


 青春というものを目に見える形へ変換すれば、たぶんこんな光景になるのだろう。


 ただし、その青春の中心から少し外れた生徒会室では。


「春日井君」


「はい」


「女性との距離感について、真剣に話し合う必要があります」


 俺は氷室から説教を受けていた。


 青春とは何なのだろう。


 俺がこれまで抱いていたイメージとは、随分違う気がする。


「まず、春日井君は女性に対して無防備すぎます」


「普通に接してるだけだろ」


「その普通がおかしいと言っています」


 氷室は俺の正面に座り、机の上で両手を組んでいる。


 その隣には白崎。


 なぜか二対一だった。


 生徒会室には他の役員も何人か残っているが、こちらを見ないふりをしている。正確には、見てはいないものの、全員明らかに聞き耳を立てていた。


「三島先輩が一人で仕事を抱え込んでいると気づいたこと自体は、素晴らしいと思います」


 白崎が言う。


「ありがとう」


「ですが、その後が問題です」


「どこが?」


「『俺が手伝います』と即答しましたね」


「困ってたからな」


「そういうところです」


 白崎が深くため息をつく。


 意味が分からない。


 困っている相手がいて、自分にできることがあるのなら、手を貸す。


 それは恋愛以前に、人間関係として普通のことだと思う。


「氷室だって最初に店へ来たとき、話を聞いただろ」


「はい」


「夏目のときもそうだし、椎名の小説だって読んでる。三島先輩だけ無視するほうがおかしくない?」


「誰も無視しろとは言っていません」


 氷室は僅かに眉を寄せる。


「ですが春日井君は、一度誰かを心配すると、必要以上にその人のことを気にかけます」


「そうかな」


「そうです」


「具体的には?」


 俺が聞き返すと、氷室は一瞬だけ黙った。


 そして。


「……わたくしが実例です」


 小さな声だった。


 しかし、聞き逃すほど小さくはなかった。


 氷室は視線を落とし、膝の上で僅かに指を動かす。


「久世会長に振られた後、春日井君はわたくしの話を聞きました。何度来ても追い返さず、何も言いたくない日は何も聞かず、話したい日は最後まで付き合ってくれました」


「それくらい普通だろ」


「普通ではないと言っているんです」


 氷室の声が少し強くなる。


 俺は口を閉じた。


 彼女はしばらく何かを言おうとしていたが、やがて諦めたように息を吐く。


「……もう結構です」


「説教は終わり?」


「春日井君には言葉で説明しても無意味だと判断しました」


「ひどくない?」


「事実です」


 白崎まで頷いた。


 どうやら俺は、自分で思っている以上に周囲から信用されていないらしい。


 もちろん、恋愛方面に限っての話だと思いたい。


「それより」


 俺は室内を見回した。


「三島先輩は?」


 昼休みには大量の資料と電卓を前にしていた彼女の姿が、今はない。


 すると白崎が答えた。


「資料室です。去年の会計記録を確認すると仰っていました」


「一人で?」


「はい」


「まだ仕事してるのかよ」


 文化祭まで、まだ時間はある。


 もちろん余裕があるとは言えないが、今日中にすべてを終わらせる必要もないはずだ。


 昼休みに三島先輩は、自分一人で会計も在庫管理もできると言っていた。


 だが、あれは能力の話ではない。


 頼ることそのものを避けている。


 俺には、そう見えた。


「春日井君」


 立ち上がった俺を、氷室が呼び止める。


「どこへ?」


「少し見てくる」


「先ほどの話を聞いていましたか?」


「聞いてたよ」


「では、なぜ行くのです」


「倒れてからじゃ遅いだろ」


 氷室は何か言おうとした。


 だが、結局は何も言わなかった。


 代わりに、小さくため息をつく。


「……五分です」


「何が?」


「戻ってくるまでの時間です」


「短いな」


「では十分」


「増えた」


「これ以上は譲りません」


 また俺の行動時間を管理されている。


 最近、氷室はこういうことが多い。


 これも失恋者同士の連帯感なのだろう。


 たぶん。


 ♦


 資料室は、旧校舎へ繋がる渡り廊下の先にあった。


 文化祭期間以外はほとんど利用されておらず、扉を開けた瞬間、古い紙と埃の匂いが鼻を突く。


 室内には金属製の棚が並び、年度ごとに分けられたファイルや段ボールが積み上げられていた。


 その最奥。


 三島先輩は床に座り込み、大量の資料を広げていた。


「三島先輩」


「……春日井君」


 顔を上げた彼女を見て、俺は少し眉を寄せた。


 普段と変わらない無表情。


 けれど、その顔色は明らかに悪い。


「昼飯、食べました?」


「食べました」


「何を?」


「コーヒーです」


「それは飲み物です」


「砂糖を入れました」


「栄養の話じゃないですよ」


 三島先輩は再び資料へ視線を落とした。


「問題ありません。作業は予定通りです」


「顔色悪いですよ」


「元々です」


「昼休みに会ったときより悪いです」


「照明の影響です」


「ここ、蛍光灯ですよ」


「では蛍光灯の影響です」


 意地でも認める気がないらしい。


 俺は三島先輩の向かいへ腰を下ろした。


 広げられている資料を見る。


 三年前。


 二年前。


 去年。


 過去の文化祭における売上、原価、仕入れ数、廃棄数。


 細かな数字が一覧になっている。


「全部確認するつもりですか?」


「はい」


「今日中に?」


「可能なら」


「無理ですよ」


「できます」


「できるかどうかじゃなくて、やらなくていいって話です」


 三島先輩の指が止まる。


 この人は、できないことが嫌なのではない。


 誰かに任せることが怖いのだ。


 自分で全部抱えていれば、失敗しても自分だけの責任になる。


 期待しなければ、裏切られない。


 人に頼らなければ、誰かが自分の隣からいなくなっても困らない。


 そんな考え方を、俺は少しだけ知っている。


 昔の自分も似ていたからだ。


 琴葉に好きだと言わなかった。


 告白しなければ振られない。


 関係を変えようとしなければ、ずっと隣にいられる。


 そう思った結果。


 何もしないまま、負けた。


「三島先輩」


「何ですか?」


「会長のこと、好きだったんですか?」


 電卓を叩いていた指が完全に止まった。


 空気が固まる。


「……以前、写真を見ましたよね」


「はい」


「忘れてくださいと言いました」


「すみません」


「謝るなら聞かないでください」


「でも、一人で全部抱える理由と関係あるのかなって」


 三島先輩は何も答えなかった。


 俺も急かさなかった。


 窓の外から、吹奏楽部の練習音が聞こえる。


 文化祭で演奏する曲なのだろう。


 少し離れた音楽室から届く旋律は、資料室の静けさによく響いた。


「十二年です」


 やがて、三島先輩が口を開いた。


「え?」


「久世君を好きになってから」


 十二年。


 俺の五年間が、急に短く思えた。


「小学校から一緒でした。家も近く、親同士も知り合いです」


「幼馴染なんですね」


「その言葉は好きではありません」


 三島先輩は静かに言う。


「幼馴染という言葉は便利です。どれほど長く隣にいても、恋人にはなれなかった関係を、まるで特別なもののように聞こえさせてくれますから」


 胸の奥を刺された気がした。


 俺にも分かる。


 痛いほどに。


「告白は?」


「していません」


「どうして?」


「必要ありませんでした」


 三島先輩は淡々と答える。


「久世君には、中学二年生の頃から好きな方がいました」


「今の彼女ですか?」


「はい」


 つまり氷室よりも前。


 もっとずっと前から、久世会長には好きな人がいた。


 そして三島先輩は、それを誰より近くで知っていた。


「相談もされました。告白の方法も、贈り物も、一緒に考えました」


 声は平坦だった。


 けれど、だからこそ重かった。


「久世君が交際を始めた日は、一番最初に報告を受けました。私は笑って、おめでとうと言いました」


 十二年間。


 好きだった。


 けれど気持ちは言えなかった。


 それどころか、自分の好きな相手が別の女性へ告白する手伝いまでした。


「後悔していますか?」


「していません」


 即答だった。


 しかし、少しして。


「……そう答え続けています」


 それだけ付け足した。


 俺は何も言えなかった。


 安い慰めを口にしたくなかった。


 頑張りましたね。


 次がありますよ。


 もっといい人がいます。


 そんな言葉で十二年を片づけるのは、あまりにも失礼だ。


「春日井君」


「はい」


「なぜ黙るのですか?」


「何を言えばいいか分からないので」


「正直ですね」


「無理に慰めても腹立つでしょうし」


「はい。非常に」


「じゃあ、言わなくてよかった」


 三島先輩は僅かに目を細めた。


 それが笑ったのだと気づくまで、少し時間がかかった。


「一つだけ聞いてもいいですか?」


「どうぞ」


「どうして一人で仕事を抱えるんです?」


「関係ありません」


「本当に?」


 俺が尋ねると、彼女は再び黙った。


 やがて、手元の資料へ視線を落とす。


「……久世君は、昔から困った人を放っておけません」


「いい人ですよね」


「はい」


 その一言だけで、三島先輩の十二年間が伝わってくるようだった。


「ですから私は、困らない人間になろうと思いました」


 頼らない。


 泣かない。


 弱音を吐かない。


 何でも一人でできる。


 そうすれば、好きな相手の負担にはならない。


 きっとそれが、三島先輩なりの愛し方だったのだろう。


 ただ。


「それ、しんどくないですか?」


「……」


「好きな人に迷惑かけないために、一人で全部抱えて。それで倒れたら、結局会長は心配すると思いますよ」


「春日井君」


「はい」


「正論は嫌われます」


「よく言われます」


「嘘ですね」


「初めて言われました」


 三島先輩がまた少しだけ笑った。


 俺は立ち上がり、床に積まれていたファイルを一冊持つ。


「半分やります」


「必要ありません」


「じゃあ三分の一」


「交渉の問題ではありません」


「なら四分の一」


「減りましたね」


「三島先輩が譲らないので」


 彼女はしばらく俺を見つめた。


 そして。


「……十冊だけです」


「分かりました」


「内容を確認し、重要な箇所へ付箋をつけてください」


「了解です」


「付箋の色は黄色。数字に不審な点があれば赤です」


「細かいな」


「当然です」


 俺たちはしばらく無言で資料を確認した。


 誰かを救ったわけではない。


 三島先輩の十二年間が軽くなったわけでもない。


 ただ、一人でやっていた仕事が少しだけ二人分になった。


 それだけだ。


 でも失恋した直後、氷室が初めて『アネモネ』へ来た夜も、同じだった気がする。


 何も解決しない。


 ただ一人ではなくなる。


 それだけで、人間は少しだけ呼吸がしやすくなることがある。


「春日井君」


「はい?」


「あなたのアルバイト先は、何時までですか?」


「今日は二十時です」


「そうですか」


 三島先輩は資料をめくる。


「コーヒーは美味しいですか?」


「店長に聞かれたら怒られますよ、その質問」


「では、質問を変えます」


 三島先輩は眼鏡の奥から俺を見た。


「一人で静かに過ごせますか?」


 俺は少し考える。


 氷室。


 夏目。


 椎名。


 白崎。


 最近の『アネモネ』を思い浮かべる。


「……静かではないかもしれません」


「では結構です」


「でも」


 俺は続けた。


「一人にはならないと思います」


 三島先輩の指が止まった。


 ほんの数秒。


 それから、何事もなかったように資料へ視線を戻す。


「そうですか」


 その日の十九時三十分。


 店の扉についたベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 顔を上げる。


 入口には三島冬華先輩が立っていた。


 制服姿のまま。


 鞄を両手で持ち、少しだけ居心地が悪そうに店内を見回している。


 窓際では氷室が紅茶を飲み。


 夏目がパフェを食べ。


 椎名が小説を書いていた。


「……騒がしいですね」


「言ったじゃないですか」


「帰っても?」


「もちろん」


 三島先輩は入口を振り返る。


 けれど。


 帰らなかった。


「コーヒーを」


「はい」


「一番、苦いものをお願いします」


「砂糖は?」


「不要です」


 そう答えてから、三島先輩は少しだけ考えた。


「……一つだけ、ください」


 俺は何も言わず、砂糖を一つ添えた。


 こうして。


 恋の負け犬たちのたまり場へ。


 十二年間、誰にも負けたと言えなかった先輩が、初めて足を踏み入れた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ