第17話 失恋したもの同士の集い
俺が「全員から好かれているなんて勘違いだった」と結論づけた翌日。
学校へ向かう道の途中で、早くも何かがおかしいことに気づいた。
「おはようございます、春日井君」
自宅近くの交差点で、氷室玲奈が待っていた。
制服はいつも通り完璧に整えられ、長い黒髪も乱れていない。ただし、彼女の家は学校を挟んで反対方向にあるはずだ。
「どうしてここにいるんだ?」
「偶然です」
「氷室の家、こっちじゃないだろ」
「朝の散歩です」
「学校とは逆方向に二十分歩いて?」
「健康維持のためです」
氷室は少しも動揺せずに答えた。
「春日井君も、これから登校ですね」
「それ以外に見える?」
「では、ご一緒しましょう」
「最初からそのつもりで待ってたよな?」
「偶然、目的地が同じだけです」
かなり苦しい説明だった。
それでも、昨日の一件を考えれば理由は分かる。
俺が妙な勘違いを口にしたせいで、氷室は俺が余計な方向へ考えないよう監視しに来たのだろう。
同じ失恋仲間として、誤解を解こうとしているに違いない。
「春日井君」
「何?」
「朝食は食べましたか?」
「食べたよ」
「何を?」
「トーストと目玉焼き」
「野菜がありませんね」
「昼に食べる」
「昨日の夕食は?」
「店の賄い」
「内容は?」
「そこまで聞く?」
「健康管理です」
「いつから俺の管理者になったんだよ」
「昨日からです」
きっぱりと言い切られた。
昨日、俺が一瞬でも好意を疑ったことが、相当心配だったらしい。
「氷室。別に昨日のことなら気にしなくていいからな」
「何のことですか?」
「俺が、お前らから好かれてるんじゃないかって勘違いしたこと」
「……はい」
「冷静に考え直したから」
「そうですか」
氷室は微笑んだ。
それは、とても綺麗な笑顔だった。
「それは、本当によかったです」
「なんか怖いぞ」
「気のせいです」
少し先まで歩くと、交差点の向こう側から誰かが走ってきた。
「春日井!」
朝練用のジャージ姿をした夏目だった。
「お前、朝練は?」
「今日は自主練にした!」
「それ、勝手に決めていいのか?」
「顧問には連絡した!」
夏目は俺たちの前で止まり、膝に手をついて息を整えた。
「間に合った……」
「何に?」
「春日井との登校」
「約束してないよな?」
「昨日、決めた!」
「誰と?」
「自分と!」
それは約束ではなく決意だ。
「夏目さん」
氷室の声が冷たくなる。
「あなたの自宅から学校へ向かう場合、この道は大幅な遠回りでは?」
「氷室もだろ!」
「わたくしは散歩です」
「アタシは朝練!」
「学校から離れる方向へ走る朝練などありません」
「失恋から立ち直るための精神的トレーニングだよ!」
便利な言葉を見つけたものだ。
俺を挟んで二人が言い合っていると、後ろから自転車のブレーキ音が聞こえた。
「春日井君……」
振り返ると、椎名が自転車に乗っていた。
前の籠には本が大量に入っている。
「椎名まで?」
「通学途中です」
「椎名の家もこっちじゃないだろ」
「図書館へ本を返却する予定がありました」
「朝早くから開いてる?」
「……返却口は、二十四時間です」
「学校とは反対側だけど」
「本を返した後、急に遠回りがしたくなりました」
三人とも同じような言い訳をしている。
昨日の俺の勘違いが、よほど気まずかったのだろう。
たぶん、失恋仲間として距離が近すぎたせいで誤解を生んだことを反省し、逆に自然な距離感を作ろうとしている。
その結果、なぜか全員が俺の通学路に集まった。
人間関係というものは難しい。
「とりあえず、学校へ行こう」
「はい」
「そうだな!」
「自転車は押して歩きます」
俺の右側に氷室。
左側に夏目。
少し後ろを椎名が自転車を押して歩く。
通行人から見れば、どんな集団に見えるのだろう。
「春日井君」
椎名が後ろから声をかける。
「昨日は、小説をどこまで読みましたか?」
「百二十八ページ」
「予定より八ページ多いです」
「頑張っただろ」
「はい。とても偉いです」
椎名は嬉しそうに微笑んだ。
その瞬間、氷室が反応する。
「春日井君を子供扱いしないでください」
「褒めただけです」
「でしたら、わたくしも褒めます」
「何を?」
「昨日も、よく働いていました」
「急だな」
「それから、水瀬さんを振り返らずに帰ったことも評価します」
「朝から重い話を持ち出すなよ」
「アタシも褒める!」
夏目が俺の肩を叩いた。
「何を?」
「アタシの特大パフェを綺麗に盛った!」
「仕事だからな」
「あと、泣いてるときに黙って前に立ってくれた!」
「もうその話はいいだろ」
「よくない。あれはアタシの中で大事な思い出だから」
夏目はそう言って、少しだけ顔を赤くした。
どうやら昨日の勘違いを否定するため、三人とも「恋愛ではなく感謝だ」と伝えようとしているらしい。
ありがたい話ではある。
「みんな、おはよう」
学校へ近づいたところで、琴葉の声が聞こえた。
蓮と一緒だった。
「悠人、今日は氷室さんたちと登校なんだね」
「偶然会っただけだよ」
「三人とも?」
「ああ」
「すごい偶然だね」
琴葉は笑っていた。
ただ、視線は俺の隣にいる氷室へ向いている。
「水瀬さん。おはようございます」
「おはよう、氷室さん」
「高宮君も」
「おはよう」
表面上は穏やかな挨拶だった。
それでも、なぜか空気が硬い。
「悠人」
「何?」
「今日の放課後、少し時間ある?」
その言葉に、氷室たちが同時に反応した。
「ありません」
氷室が答える。
「春日井はバイト!」
夏目が続く。
「読書の予定もあります」
椎名まで口を挟んだ。
「俺に聞いてるんだよな?」
「うん」
琴葉は少し困ったように笑った。
「文化祭のクラス準備について、相談したいことがあって」
「それなら教室でいいだろ」
「できれば二人で話したいの」
また、二人で。
以前なら、その言葉に期待しただろう。
今は少しだけ警戒する。
「内容によるけど」
「悠人にしか頼めないこと」
琴葉は俺を真っ直ぐ見た。
隣では蓮が、僅かに複雑そうな顔をしている。
恋人がいる前で、別の男子へ二人きりの相談を持ちかけるのは、確かに少し変かもしれない。
「琴葉」
蓮が静かに声をかけた。
「俺も一緒じゃ駄目なのか?」
「蓮君には関係ないから」
「関係ないって……」
「ごめん。でも、悠人と話したいの」
蓮の表情が曇る。
俺は胸の奥に嫌な感覚を覚えた。
琴葉は、俺が今までと同じように自分を優先すると信じている。
以前の俺なら、それに応えた。
でも今は。
「悪い。今日は無理だ」
「どうして?」
「生徒会の仕事もあるし、バイトもある。それに、蓮に聞かせられない相談なら、俺も聞かないほうがいいと思う」
「悠人まで、そんなこと言うの?」
「琴葉には恋人がいるんだから、その辺は気をつけたほうがいい」
言いながら、自分でも驚いていた。
少し前までの俺なら、琴葉から頼られれば、何を差し置いても応じようとした。
だが今は、蓮の表情まで無視することはできない。
「……分かった」
琴葉は俯いた。
「もういい」
そのまま先へ歩いていく。
蓮は俺へ小さく頭を下げ、琴葉の後を追った。
俺は二人の背中を見送る。
「春日井君」
氷室が隣で言った。
「今の判断は正解です」
「そうかな」
「はい」
「でも、琴葉を傷つけた」
「誰も傷つけずに関係を変えることなどできません」
氷室の言葉は冷静だった。
「それに、水瀬さんには高宮君がいます」
「……そうだな」
「春日井君まで抱え込む必要はありません」
俺は短く息を吐いた。
すると夏目が俺の背中を叩く。
「難しい顔すんなよ」
「痛い」
「放課後、パフェ食べる?」
「食べるのはお前だろ」
「今日は春日井に一口やる」
「珍しいな」
「失恋後、初めて他人に分ける特別な一口だから」
「重いよ」
椎名も静かに口を開く。
「今日の場面は、とてもよかったです」
「また小説にする気か?」
「主人公が過去の恋へ戻らず、現在の仲間を選ぶ場面として使えます」
「俺、誰かを選んだ覚えはないけど」
椎名は何も言わず、小さく微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間。
また、昨日と同じ疑念が頭をよぎった。
もしかして。
彼女たちは俺が琴葉を断ったことを、ただの友人として喜んでいるわけではないのでは。
氷室は俺の生活を管理しようとし。
夏目は俺との思い出を特別だと言い。
椎名は俺をモデルにした物語を書いている。
そして今日、三人とも俺と登校するために遠回りをしてきた。
さすがにこれは。
「春日井君?」
氷室が首を傾げる。
「どうしました?」
「いや……」
一瞬だけ、三人の顔を見比べる。
まさか、本当に。
「もしかして、お前ら――」
三人の表情が同時に固まった。
氷室は呼吸を止め。
夏目は頬を赤くし。
椎名は自転車のハンドルを強く握る。
俺はその反応を見て、確信しかけた。
だが。
次の瞬間、昨日の自分の発言を思い出す。
全員から好かれているのではないか。
そう言った直後、三人はあれほど呆れていた。
氷室には「ひどい勘違い」とまで言われた。
つまり今の反応は、また同じ痛い発言をするのではないかと警戒しただけだ。
危ない。
二日連続で同じ勘違いをするところだった。
「……俺に、何か言いたいことある?」
急遽、質問を変えた。
三人は沈黙する。
「あります」
最初に答えたのは氷室だった。
「もう少し、自分の周囲をよく観察してください」
「してるつもりだけど」
「足りません」
「アタシもある」
夏目が唇を尖らせる。
「何?」
「鈍いにも限度がある」
「何に対して?」
「それが分かってないから言ってるんだよ!」
理不尽に怒られた。
「私も……」
椎名が遠慮がちに手を上げる。
「春日井君には、物語の伏線を読み取る力が不足しています」
「小説の話?」
「現実の話です」
「現実に伏線なんてある?」
「目の前に大量にあります」
三人とも、妙なことばかり言う。
やはり昨日の勘違いについて、俺を戒めようとしているのだろう。
俺は一人で納得し、学校へ向かって歩き出した。
その背後で。
「今、絶対に気づきかけたよな?」
「はい」
「どうして最後に戻るのでしょうか」
「主人公補正ではなく、主人公欠陥ですね……」
三人が何かを話していたが、風の音でよく聞こえなかった。
少なくとも一つだけ、俺には分かっている。
彼女たちは大切な失恋仲間だ。
俺が余計な勘違いをして、その関係を壊してはいけない。
だからこそ。
彼女たちの好意を疑うような自意識過剰だけは、二度と繰り返さないようにしよう。
その決意を固めた俺を見て。
氷室たち三人が、揃って深いため息をついていたことには、もちろん気づかなかった。
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